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2017年1月10日 (火)

完全自動運転自動車と自賠法の適用について

法律専門雑誌『ジュリスト』の2017年1月号が「自動運転と民事責任」の特集記事を組んだ。特集の中で、藤田友敬東京大学教授が「自動運転と運行供用者の責任」と題し、「自動運転が行われた場合に、自賠法を適用することが可能か、またどのような形で適用されるかについて検討」している。

自賠法は、交通事故の人身損害について、「自己のために自動車を運行の用に供する者」(運行供用者)に対して賠償責任を課している(3条)。ここに「運行」とは、「人又は物を運送するとしないとにかかわらず、自動車を当該装置の用い方に従い用いること」(2条2項)だ。そこで藤田教授は、一部自動化された自動車はもちろん、「完全自動運転も、この定義を満たす」から、「自賠法上の「運行」が存在することに疑いがない」と述べている。

全7ページの論考中はじめの1ページなのだが、早くもここで引っかかってしまった。とはいえ、「運行」の解釈については、特段異論はない。引っかかったのは、論考が「完全自動運転自動車は自賠法の『自動車』なのか?」という論点を、完全にスルーした点にある。

自賠法2条1項は、「この法律で『自動車』とは、道路運送車両法第二条第二項 に規定する自動車(農耕作業の用に供することを目的として製作した小型特殊自動車を除く。)及び同条第三項 に規定する原動機付自転車をいう」と定義している。要は、道路運送車両法にいう「自動車」ということだ。そこで道路運送車両法2条2項を見ると、「この法律で『自動車』とは、原動機により陸上を移動させることを目的として製作した用具で軌条若しくは架線を用いないもの又はこれにより牽引して陸上を移動させることを目的として製作した用具であって、次項に規定する原動機付自転車以外のものをいう」と定義している。

この文言だけでは、道路運送車両法にいう「自動車」に完全自動運転自動車が含まれるか否かは分からない。だが、道路運送車両法41条は、「自動車は、次に掲げる装置について、国土交通省令で定める保安上又は公害防止その他の環境保全上の技術基準に適合するものでなければ、運行の用に供してはならない」と定めたうえで、「装置」の具体例として「操縦装置」「制動装置」「前面ガラス」「警音器その他の警報装置」等を列挙している。いずれも、車内に運転者が存在することを前提とする装置だ。

以上からすれば、現行道路運送車両法は、人間の運転者による運転を想定しているから、グーグルカーのごとき、操縦装置をもたない完全自動運転自動車は、道路運送車両法上の定める「自動車」に該当しない、ということになる。もし「自動車」に該当しないということになれば、自賠責保険締結義務(自賠法5条)が発生しないから、事故を起こしても、「運行」の要件を満たすか否か以前の問題として、自賠法の適用がない。

「グーグルカーにハンドルはなくても、人工知能が操作する『操縦装置』は備えているから、自賠法上の自動車と認めるのに何ら問題はない」との反論もあり得よう。だが、昭和26年に制定された同法が、人にあらざるものによる操縦を念頭に置いた条文を規定している、と考えるのは、かなり無理があると思う。百歩譲って、道路運送車両法または自賠法を改正しなくても完全自動運転自動車に適用されうるとの結論を採るとしても、少なくともこの論点についての議論は必要であろうし、法改正による解決の当否に触れるのが筋であろう。それにもかかわらず、「完全自動運転自動車は自賠法上の『自動車』にあたるか」という点を一顧だにせずスルーするというのは、いかがなものであろうか、と思う。

ちなみに私自身は、完全自動運転自動車については、道路運送車両法及び自賠法を改正して、完全自動運転自動車の保有者(オーナー)に自賠責加入を義務づけたうえ、事故が起きた場合には、有人運転の場合に準じて、自賠責保険が支払われる制度設計を行うべきであると考える。

 

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