給費制は二度死んだ
平成29年10月17日、日弁連会長名義で各弁護士会会長宛、「司法修習第71期以降の会員に対する社会還元活動を推進するための手当(取組)について(要請)」と題する文書が交付された。
この文書は、71期以降の修習生に対する「経済的支援制度」の発足を受け、各弁護士会から71期以降の会員弁護士に対して、「社会還元活動の意義・重要性やこれまでの実績を伝えるなどし、社会還元活動を積極的に行うよう要請」することと、「弁護士・弁護士会の社会還元活動を広く市民に認識してもらうため」の広報を行ってほしいと要請するものである。
この要請文を受け、給費を受けられなかった65期から70期までの弁護士(いわゆる谷間の世代)からは、「ボクらは社会還元活動をしなくていいんだね」という声が上がったり、71期の弁護士からも「給費はいらないから、社会還元活動を免除してもらおう」という声が出たりしていると聞く。
情けない話である。情けないのは、修習生ではない。こんな文書を出す日弁連が、情けない。
経緯と背景をおさらいしておこう。
法務省のサイトには、平成28年12月19日付「司法修習生に対する経済的支援について」と題するページがある。これによれば、71期以降の司法修習生に対する「経済的支援となる給付制度を実施すること」が確認されるとともに、「法務省、最高裁判所及び日本弁護士連合会は、新制度の円滑な実施に協力するとともに新たな制度の導入後は同制度について継続的かつ安定的に運用していくこととする。」とされ、確認項目の4個目に、「司法修習を終えた者による修習の成果の社会還元を推進するための手当てを行う。」と記載されている。
冒頭の文書は、この確認事項を受けたものである。
しかし、この文章では、「司法修習を終えた者」は弁護士に限らず、裁判官や検察官を含むし、「修習の成果の還元」も、意味が今ひとつ分からない。
そこで国会の資料を見ると、たとえば、平成29年3月21日の衆議院法務委員会では、國重徹議員(公明党)が「現在のこの厳しい財政状況下において、修習給付金制度の創設に対する国民、納税者の理解を得るためにも、この法曹三者の確認にあるように、修習給付金の支給を受けて弁護士となった者が、修習を通じて得た知識や能力を遺憾なく発揮して広く社会で公共的、公益的な使命を十分に果たしていくべきだ、私もそう考えます。それでは、修習の成果の社会還元を推進するための手当てに関する検討状況について答弁を求めます。」と質問したのに対して、小川秀樹法務省民事局長が、「この修習の成果の社会還元を推進するための手当てといたしましては、裁判官と検察官は公務に従事することになりますので、主として弁護士について問題となるわけでございまして、これまで日本弁護士連合会ともこの点について協議をしてまいりました。 その内容によれば、日本弁護士連合会が新たに定めるモデルプラン等におきまして、新たな経済的支援を受けて司法修習を終えた弁護士につきまして、経済的、社会的弱者に対する各種の法的支援、それから司法過疎地域への法的サービス等、こういうことに従事することを推進する方策を講じることが予定されているものと承知しております。」と答弁している。4月18日の参議院法務委員会でも、同様の問答がなされている。
この問答によれば、「司法修習を終えた者」とは裁判官や検察官を除くこと、また社会還元とは「経済的、社会的弱者に対する各種の法的支援、それから司法過疎地域への法的サービス等」を念頭に置いたものであることが分かる。すなわち、裁判官や検察官は、公務員であるからその職務それ自体が社会還元であるのに対して、弁護士は、その職務それ自体は社会還元ではないから、経済的社会的弱者の支援や司法過疎地域の支援などの活動を別途行いなさい、ということである。
これに対しては、平成29年3月31日の衆議院法務委員会において、山尾志桜里議員(民進党)が、「社会還元というのは、国家が定義をし、これは社会還元に当たる、当たらないと分別するようなことはやるべきではない、そして、これをどう手当てするかは、あくまで弁護士自治に委ねることを貫徹すべきであって、政府が何か法律で義務づけるようなことではありませんよね」とクギを刺している。しかし、内容は何にせよ、社会還元を行う責務を負うのは弁護士だけであって裁判官や検察官が含まれないこと、すなわち弁護士の職務それ自体が司法修習の社会還元ではないこと、については、山尾議員にも異論の無いところのようである。
統一修習と給費制度、すなわち将来弁護士となる司法修習生に対しても、裁判官や検察官と区別せず給費を支給する制度は、昭和24年に開始された。國重徹議員は「現在のこの厳しい状況下」というが、昭和24年は、敗戦直後であって、国家財政は厳しいどころではなく、破綻していた。破綻した国家財政下で、弁護士志望者に国費を支出することには、当時の大蔵省が真っ向から反対した。これを押し切って統一修習と給費制を導入したのは、裁判所法の起草に関わった当時の若手裁判官である。その一人である内藤頼博は、「司法修習生は、いわゆる判検事のみならず、弁護士にもなれる、というように、司法官試補よりも、ひろい資格が与えられたものと考えれば、従来の試補のように給与を受けることは当然であるし、また、その年限を恩給年限に参入してもよいと考えられる。もし、弁護士の地位も、国家機関的なものとすれば、弁護士にも、執達吏の場合と同様、国庫から補助を受けることが必要であるとも言い得るであろう。結局、司法修習生は、裁判官、検察官になるのには、必ず経なければならないものであるから、給与を支給する。また、弁護士も、国家事務を行うものであるから、弁護士になる者についても、同様のことがいえる、ということになる。」と、法制局への説明に向けた自らのメモに記している。
裁判官・検察官であろうが、弁護士であろうが、「国家事務を行うものである」という点において同一である以上、その育成に等しく国費を投じるべきである、というのが、給費制の精神であった。この精神からは、弁護士の職務は裁判官や検察官と違って公益的ではないとか、弁護士だけが職務以外に社会還元活動をやらなければならないとか、いう結論は絶対に、金輪際出てこないのである。
もとより私は、給費制復活に費やした日弁連幹部の努力を否定するつもりはない。しかし彼らが、給費制の復活という目先の目標を獲得するために、給費制の精神を自ら放擲したことは、指摘しなければならない。そして、給費制の精神を放擲したことは、統一修習の精神も放擲したことを意味する。同時に、裁判官や検察官と、本質的に同じ仕事をしているのだという、弁護士の矜持をも打ち砕いた。
日弁連は「給費制の復活」と謳うが、政府は決して「給費制」とはいわない。「経済的支援」である。政府の方が正しい。給費制の精神を失った金員の交付は給費制ではない。給費制は、平成23年に死に、今年、二度死んだのだ。
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