2009年5月25日 (月)

オランダ人記者訪問顛末

先日、オランダ大使館から依頼があり、オランダ王国科学技術アカデミーラテナウ研究所のレムケ・クラップワイク女史と通訳を交え、日本語とオランダ語と英語ちゃんぽんで、1時間ばかり面談した。外国ネタが続くが、ICRA2009との関連はなく、時期的には偶然の一致のようだ。

オランダの次世代ロボット産業はどうなっているか、私には知るよしもないが、女史によれば、オランダの産業が次世代ロボットを開発するにあたり、法的問題点を聞きたいとのことであった。

印象に残った質問としては、「安全の問題や、法的責任の問題は、次世代ロボットに限ったことではなく、ほかの工業製品についてもあります。なぜ、次世代ロボットについて安全を論じる意味があるのですか?」というものがあった。これに対して私は、「次世代ロボットには、人間と接触する場所で、自律的に動く、という特徴があります。今までの工業製品は、人間が直接操作していましたから、ロボットが作動して他人に損害を与えた場合、操作した人間や所有者が責任を負っていました。ところが、自律的に動くロボットの場合、直接操作する人間がいないので、法的責任は所有者を飛び越えて、メーカーに問われることになり得ます。このことは、次世代ロボットを開発製造する人たちにとって脅威になっていて、次世代ロボット産業振興の障害になりかねません。そこで、次世代ロボット産業を振興するという観点からすれば、次世代ロボットによる事故が起きたとき、どこまでがメーカーの責任で、どこからがユーザーの責任であるかをなるべく明確に分けてあげること、それでも残ったグレーの部分については、保険でカバーできるようにすることが必要です」と申し上げた。この答えで適切だっただろうか。

ICRA2009のセッションでも、同じような問答があった。このとき、イタリアから来た研究者は、「法的責任はロボットにある」と力説し、私や、スペインの弁護士は、「ロボットは法的責任の主体にならない」と指摘した。このような問答は、数年前は日本でもした記憶がある。理系研究者と文系法律家の認識の違いという観点からも、国際的な問題意識の共通性という観点からも、なかなか興味深い問答だと思う。

女史からは御礼にと、陶磁器のお皿と、灰皿をいただいた。灰皿は、煙草を置く場所が木靴になっていて、とても可愛らしい。(小林)

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2009年4月18日 (土)

アシモやタチコマは自動車か?(3)

以上の通り,陸上を移動するロボットは,現行法の解釈上は,道路運送車両法や道路交通法上の「自動車」や「原動機付自転車」に該当する可能性が高いことを述べた。そして,これらの定義規定は,他の法律にも使用されている。

たとえば,自動車損害賠償保障法は,自動車の運行供用者に損害賠償保険への加入を義務づけるとともに,被害者に対する無過失責任を定めている。同法の定義する自動車は,「道路運送車両法の定める自動車(農耕作業の用に供することを目的として製作した小型特殊自動車を除く)及び同条第3項に規定する原動機付自転車をいう」としているから,次世代ロボットが道路運送車両法の適用を受ける以上は,自賠責法の適用があり,運行供用者は無過失責任を負うことになる。なお,自賠責法の定める「運行」は,「人又は物を運送するとしないとにかかわらず,自動車を当該装置の用い方に従い用いることをいう」とされているから,公道における運用に限定されない。

また,刑法は,自動車の運転者の刑事責任として危険運転致死罪(刑法208条の2)と自動車運転過失致死傷罪(刑法211条2項)を設けているが,ここでいう「自動車」には,道路交通法の規定する「自動車」と「原動機付自転車」が含まれる。したがって,次世代ロボットが道路交通法の定める「歩行補助車」に該当しない限り,道路交通法の定める自動車または原動機付自転車にあたり,その事故について,刑法の適用を受ける場合があることになる。

もっとも,道路運送車両法も道路交通法も,その制定者が次世代ロボットを想定していなかったことは明らかであること,例えば二足歩行ロボットを自動車と見なすことについては文言上乖離がありすぎること,特に刑罰規定については罪刑法定主義の要請があることから,両法とも次世代ロボットを対象としていないという解釈も十分成り立つところである。結局のところ,次世代ロボットを公道その他公共の場所で用いるためには,これら法令の整備が不可欠ということになる。(小林)

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2009年4月16日 (木)

アシモやタチコマは自動車か?(2)

陸上を移動する次世代ロボットは,車輪ではなく歩行で移動するものであっても,あるいは何も運送しなくても,道路運送車両法上の「自動車」または「原動機付自転車」にあたることは(1)で述べた。

一方,道路交通法上の定義規定によれば,自動車,原動機付自転車,軽車両及び自転車はいずれも「車」であることを条件としているから,車輪による移動を行わないロボットは道路交通法上の自動車等に該当しないとも解釈しうる。しかし,同法は,同じく「車」である「軽車両」に「そり及び牛馬」を含めており,この「そり及び牛馬」は例示と解されること(だって犬や象だって『牛馬』に含まれるだろう),道路交通の安全を図るという同法の目的に照らせば,同法の適用対象は車輪を移動方法とすると否とを問わないというべきだから,次世代ロボットも原則として,道路交通法上の自動車または原動機付自転車に該当することになる。自動車のCMで,自動車がロボットに返信したとたん交通法規を無視してかっ飛ぶものがあるが,法的に見れば,ロボットに変身したからといって道路交通法規を守らなくてもよいとは言えないだろう。但し,道路交通法施行規則によって,いくつかの器具が「歩行補助者等」または「道路交通法の適用外とされていることから,次世代ロボットも,この除外規定に該当する限り,あるいは,将来次世代ロボットを適用対象外とする規定が設けられるならば,道路交通法の適用を受けないことになる。

ちなみに,電動車いす(いわゆるシニアカー)は,道路運送車両法上は原動機付自転車にあたるが,道路交通法上は,道路交通法施行規則によって適用除外となる「歩行補助車」にあたるため,公道を運転するのに免許は不要とされている。(小林)

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2009年4月14日 (火)

アシモやタチコマは自動車か?(1)

現在,日本ロボット工業界(JARAの委託で,「サービスロボット運用時の安全確保のためのガイドライン」策定に関わっている。会議でいつも問題になるのは定義規定の文言だ。特に,自動車との関わりが難しい。すでに自動車はロボット化しつつあり,他方,歩行するロボットが街を闊歩する日も遠くない。では,移動手段として車輪を使用しないロボットは,法律上自動車にあたるのだろうか。また,車輪を利用するロボットの中で,自動車に比べればとてもゆっくりとしか移動しないロボットも,法律上自動車として扱われるのだろうか。自動車に関しては,すでに様々な法規制が存在する。とすれば,移動する次世代ロボットも,自動車に関する法規制に服するのだろうか。

自動車の定義に関する主な法律は,道路運送車両法と,道路交通法だ。自動車の所有者や運転者の法的責任に関する法律も,自動車の定義に関しては,道路運送車両法と道路交通法を引用している。

まず,道路運送車両法が定義する自動車は,原動機を動力として陸上を移動するものであれば足り,車輪による移動に限定していないし,速度に関する条件もない。道路「運送」車両法という法律名だが,定義規定上は,人や物を搭載することを条件にしていない。だから,陸上を自力で移動するロボットは,ただ自律的に移動するだけで何も運送しなくても,道路運送車両法の規定する自動車に該当すると解される。そして,原動機の種類や出力,2輪か否かによって,「自動車」か「原動機付自転車」かに分類されることになる。タチコマが自動車で,アシモが原動機付自転車なんて,感覚的にはおかしな話だが,法律の定義上はそうなる。

次世代ロボットが,道路運送車両法上の自動車に該当する場合には,自動車登録ファイルへ登録しなければ公道における運行が禁止される(法4条)ほか,登録が所有権移転の対抗要件になる(法5条)など,様々な規制に服する。

一方,次世代ロボットが原動機付自転車又は軽車両に該当する場合には,道路運送車両法上,サイズ及び接地部と接地圧について国土交通省令の定めに従うほか,同省令所定のブレーキ,前照灯,クラクション,方向指示器などを備えなければ,公道における運行ができない。

ちなみに,セグウェイは,道路運送車両法上の原動機付自転車に該当するから,上記の様々な器具を備えていない以上,道路での使用が禁止される。ムラタセイサク君も,ムラタセイコちゃんも,道路運送車両法上は原動機付自転車にあたる。(小林)

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2009年4月 2日 (木)

BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)は二種類あるらしい

先日、内閣府の社会還元加速プロジェクトに委員として出席し、中島八十一医学博士からBMI研究の進捗状況について話を聞いた。BMIとは要するに、脳とコンピューターを直接結び、考えただけで機械が動くようにする、未来の技術である。

しかし、話を聞いてみると、BMIには二種類あるらしい。もしこの理解が間違っていたら誰か教えて下さい。

一番目は、体の動作など、比較的単純(というより動物的な)なものに関するBMIである。言い換えると、人種や性別などの影響を受けず、個性もない脳の命令に関するBMIである。例えば、「右手を挙げる」という動作を命じる脳の信号は、おそらく、全人類共通だから、誰からも同じ脳波が検出される。そしてこの信号は筋電より明確らしいので、電子義手や電子義足を動かすためには、BMIの方が有効と思われる。

二番目は、言語や思想など、高級な(人間的な)脳の命令である。たとえば「A」という文字を表示させたいと考えたとする。このとき発せられる脳波は、全人類共通であるとは限らない。より複雑な、たとえば「テレビの電源を入れる」という思想の脳波には、強く個性が反映され、たぶん各人まちまちであろう。このほか空間把握の方法が男女で全く違うことは、よく指摘されているところである。このような場合、特定の脳波と、機械の特定の動作を、直接結びつけることができない。その人の個性を介在させる必要がある。

中島博士によるBMIのプレゼンでは、考えただけで動作するワープロが紹介されていた。特別な訓練をしなくても、平均1文字7秒でワープロが打てるという。確かに画期的な技術だが、プレゼンで紹介された動画によれば、被験者はパソコンの画面上に点滅する文字に集中することで、その文字を出力している。つまり、「被験者が『A』と考えたから『A』と表示した」のではなく、「画面に『A』という文字が表示されたとき、被験者の脳波が昂進する点をとらえ、被験者が『A』と考えていることを推測する」ということなのだろう。これは人間の個性というやっかいな障害を回避するアイデアとしては評価できるが、厳密な意味でのBMIと呼べるかについてはやや疑問が残る。最大の問題は、このやり方の場合、処理速度の向上には本質的な限界があるという点だ。文字通り「考えただけで機械が動く」ようにするには、二番目のBMI技術しか無いと思う。

二番目のBMIの場合、その人の個性を介在させる必要がある、ということの意味は、その人の脳波を、機械による特定の動作に対応するよう翻訳するシステムを設ける必要がある、ということだ。太郎君が「テレビの電源を入れる」と考えたときの脳波と、花子さんが同じことを考えたときの脳波は違うので、それぞれを、同じ「テレビの電源を入れる」という機械の動作に翻訳する必要がある。そのためには、太郎君の脳波と、花子さんの様々な脳波パターンを登録し、機械動作との対応関係表を作成しておかないといけない。

これは「人格のコピーをつくる」ということに、かなり接近する問題である。とすると、法律上、倫理上の問題を避けて通ることができない。BMIにも、将来、このような問題が発生することになろう。(小林)

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2008年12月26日 (金)

社会還元加速プロジェクト

12月24日,内閣府主催の社会還元加速プロジェクトタスクフォースが開催されたので,委員として出席してきた。この会議は,各省庁が応援している最先端の技術開発をとりまとめ,ニーズと実現性の高い技術に重点的に予算を配分し,早期の社会還元を目指そうとするものである。

この日厚生労働省からは,「ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)による障害者自立支援機器の開発」と,アルツハイマー病や認知症の予防・発見・治療研究の現状が報告された。

BMIとは,考えただけで機械を操作する技術である。現時点でも,考えただけで機械のスイッチを入れたり,マウスを動かすようにポインタを移動させたりする技術が実用化されている。厚生労働省としては平成22年頃を目標に,BMIを老齢者や障害者の生活支援に使いたいとしている。現時点では正確性や反応速度などが未熟だが(考えただけで動くワープロもあるが,1文字表示するのに7秒かかる),すごい技術ができたものである。

経済産業省からは,生活支援ロボット実用化プロジェクトへの取り組みが報告された。ただ,資料に貼付された写真がHALとトヨタのモビリティロボットの2枚であったため,介護関係の委員が多いこの会議では,この2枚の写真がなぜ生活支援なのか?もっと介護の現場に特化したロボットはないのか?という,かなり厳しい指摘が飛び交った。このあたり,産業一般の振興を目的とする経済産業省とのスタンスの違いに起因することなのだろう。

また,経済産業省としては,安全技術や運用安全上の基準作りが課題と述べたのに対して,ある委員から,どのような法体系による規制を考えているのかという質問があった。しかし,ロボット産業の育成という見地からは,事前の法規制はなるべく抑制するべし,という視点も大切だと思う。まず規制ありきというお役人的な発想はそろそろやめた方がよい。

気になった点としては,前回まで出席していた総務省が今回出席しなかったこと。会議全体の印象としては,各省の予算要求上のお墨付きとして今回の会議が開催されたと見受けられるが,今年度は総務省として関連予算を要求しなかったことが,今回の欠席につながったように思われる。

弁護士は組織と無縁で仕事をしているため,このあたりの実際にはとても疎いのでよく分からないが,お役所仕事というのは,良くも悪くも,このようにして進んでいくのだろう。(小林)

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2008年10月 5日 (日)

次世代ロボットと知的財産戦略

10月3日,(財)大阪市都市工学情報センター主催の,「新たなビジネスチャンスの創出の促進に向けた知財管理・活用方策に関する懇談会」に出席した。出席者は筆者のほか,遠山勉・三品岩男両弁理士,ヴイストンの大和信夫社長,近畿経済産業局の阪谷敏明特許室室長補佐である。会議の趣旨としては,知的財産を活用して関西における次世代ロボット産業を振興するにはどうしたらよいか,ということらしい。また,梅田北ヤードの再開発もからんでいるようだ。

特許権をはじめとする知的財産権を活用して,次世代ロボット産業の振興に役立てようという発想はずいぶん前からある。しかし実は,筆者自身は,この考え方には,あまり賛成できない。たぶん,順番が違うと思う。

次世代ロボットと並んで日本の重点育成産業に指定されたものにバイオとナノ・テクノロジーがある。この二つは,それ自体が知的財産の固まりのようなものであって,これらの産業を育成するためには,特定の技術を知的財産として保護し,しかる後に,これを製品化・産業化するというプロセスが必要だ。

これに比べて,次世代ロボットと知的財産の関係は少し違うと思う。次世代ロボットはいわば総合技術であり,バイオやナノよりも,自動車やロケットと近い。どれだけ最先端の技術を使うかではなく,枯れて信頼性のある技術をどう組み合わせるかが産業競争力の中核になる。

この総合技術というのは,最先端の技術を揃えただけでは実現しない。例えば中国が有人宇宙飛行を実現しており,日本人は「技術力は日本が上」と負け惜しみを言う。しかし,個々の技術力と,総合技術力は違うのだ。同じことはロシアの宇宙技術や軍事技術にも当てはまる。今の日本人の総合技術力では,どんなに最先端の技術を持ち寄っても,有人宇宙飛行は実現できない。

では日本人に総合技術力が無いかというと,決してそんなことはない。自動車産業がよい例である。

では,次世代ロボット産業の育成と知財戦略の,あるべき関係とは,どのようなものか。それは,既にある知的財産を次世代ロボットに役立てようと言う発想ではなく,次世代ロボットを開発する中で醸成された技術をいち早く知的財産として保護してやるということだと思う。

いま,大阪の中小企業は,多くの技術やノウハウを持っている。ただ,それらはそれだけでは,特許が取れるほど熟成していない。次世代ロボットの製品化を実現する中で,これらの技術やノウハウは洗練され,特許が取れるほど熟成していくだろう。これらを知的財産として保護すれば,大阪の中小企業にとって,次世代ロボット製作に自社の技術やノウハウを投入する大きな動機になる。そしてそのためには,熟成していないアイデアや技術を一定範囲に公開しても,他社に盗まれない安心感を与えてあげることが必要だ。このような仕組みをうまく作れば,それは,次世代ロボット産業の育成に役立つし,知的財産戦略としても,有用性のあるものになると考える。平たく言い換えれば,次世代ロボットに必要なのは,知的財産→ロボットという発想ではなく,ロボット→知的財産という発想である。(小林)

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2008年6月14日 (土)

エレベーター圧死事故 シンドラー社は立件されず?(2)

標記ブログの追伸。

スイス放送協会が運営するswissinfo.chというサイトで,佐藤夕美という日本人の記者が,「シンドラーのエレベーター事故 文化の違い?」という記事書いていた(2006616日付)ので紹介する。

この記事によれば,スイス国内では,シンドラー社のエレベーターで死亡事故が起きたことより,記者会見で謝罪したことの方が興味を持って報道されたとのことである。この記事が紹介するドイツの日刊紙は,「日本では人の生命にかかわる技術については他の国と比べて,非常に厳しく完璧さを求められる。記者会見で頭を下げに本式に謝罪したことをシンドラーの米国のベンゴシは,会社が過ちを認めたことになると戦慄(ホラー)を持って受け止めた」と報じたそうである。

また,事故当初,シンドラー社の広報部長は,「日本のメディアの圧力」に対して不満を表明したとのことである。また,会社の方針として,「エレベーターの管理会社はシンドラー社と契約していないが,原因を究明し,今後の参考にしたい。捜査が終了するまでは,事故の原因,状況については一切のコメントを控える」と対応しているとのことである。これに対して記事は,「その理路整然さが,人間的な思いやりに欠けると受け止められたのだろう」と記しているが,日本人としての率直な感想であろう。

謝罪に関するシンドラー社の態度については筆者の予想どおりであったが,他方,「生命にかかわる技術に求められる完璧さ」が日本人の特質であると,ドイツ人記者にさえ思われている,というのはやや意外だった。

こういった違いが,記事が指摘するように文化の違いであるのか,そうでないのかは検討の余地があろうが,いずれにせよポイントは,経済や情報がどんどんグローバル化していく中で,そうでないものの重要性が,逆に増している,ということだと思う。(小林)

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2008年6月 4日 (水)

エレベーター圧死事故 シンドラー社は立件されず?

平成20年6月2日の産経webによると,3日で事故から2年を迎える港区エレベーター圧死事故で,警視庁は,管理体制の不備が事故原因であるとして,保守管理業者の立件に向けた詰めの捜査をしている一方,製品の欠陥性は薄いとして,シンドラー社の立件は見送る方針であるという。記事によると,事故原因はブレーキパッドの摩耗であり,事故直前に点検をしながら摩耗を発見できなかった管理業者の責任しか51496ca8_2問えないとのことである。

この報道が事実であるとすれば,事故当初の報道とはずいぶん違う話だ。事故当初からずいぶん長い間,シンドラーバッシングとでも言うべき報道だったと記憶している。当時の新聞の見出しを列挙するだけでも,「シンドラー社捜索 コメントのみで沈黙守る社長ら」(平成18年6月8日日経朝刊),「圧死事故シンドラー社エレベーター 閉じ込めなどトラブル多発」(6月8日西日本讀賣朝刊),「シンドラー社エレベーター『明らかに欠陥商品』石原都知事が批判」と,事故原因特定前から,シンドラー社のエレベーターが原因と決まったような報道ぶりである。シンドラー社の主たる取引先であった公共団体でも,入札業者の指名停止が相次いだ。記者会見や遺族への弔問にあらわれた日本法人社長の容貌が,何となくナチの残党っぽい感じであったこともあってか(失礼!),感情的な反発がとても強かったと記憶する。

事故の1ヶ月後ころから,事故原因はブレーキパッドの摩耗にあり,事故直前の点検作業で摩耗に気づかなかった管理会社に責任があるという方向に収束していくが,世論も遺族もこれを許さなかった。遺族は度々,警視庁と東京地検に対して,シンドラー社の立件を要求しており,事故後2年経ってもまだ起訴がなされていない状況にある。今日に至っても,エレベーターやエスカレーターの事故があると「またシンドラー社」と報道され,「シンドラー・エレベーター」は極めて知名度が高くなっているが,他方,事故当時の管理会社の名前は,誰も思い出せない。

この凄まじいバッシングの中で,シンドラー社は法的責任を否定し,謝罪を拒否し続けた。遺族への情報提供も,捜査中を理由に拒み続けた。2006年(平成18年)12月に日本法人社長が辞任するが,その理由も「日本社会の信頼を失った道義的責任を取る」というもので,法的責任はないとの見解を貫き通した。

この事件は,シンドラー社や報道機関や関係者に,とても重い課題を残していると思う。まずシンドラー社に関しては,結果的に法的責任がなかったとして,一切謝罪しないという対応に問題がなかったのか,問題がなかったとしても,日本で円満に商売を継続するためには謝っておいた方がよかったのではないか,という問題がある。おそらく,スイス人の経営陣には,責任の所在も明確にならないうちに謝るなどということは,考えもつかないことだったのだろう。他方日本人の感覚からすれば,法的責任の有無とは別に,事故後すぐに頭を下げていれば,これほどのバッシングは起きなかったことになる。毒入り餃子事件でも感じることだが,製品事故の当事者が国境をまたぐ場合の対応は,とても難しい。

報道機関についても,大いに問題がある。シンドラー社製エレベーターに対する批判報道の大半は,「閉じこめ」に関するものであり,「圧死」事故とは全く異なる形態であったにもかかわらず,報道機関は故意にこれを混同し,閉じこめ事故が多いなら,圧死事故にも法的責任がある,との論調で報道し続けた。しかし,シンドラー社は,「閉じこめ」は安全装置が働いた結果であるから,同社製エレベーターが安全であることの証明でこそあれ,事故ではないという対応を取り,これがさらなる反発を招いた。

また,有識者の多くは,この事故の背景にはエレベーター製造会社と保守管理業者が分離し,情報の共有が行われなくなったことにある,と訳知り顔で解説するだけであった。それはその通りかもしれないが,それだけでは同種事故の防止にはほど遠い。

経済産業省は,六本木ヒルズ森タワーの自動回転ドア事故のときは6ヶ月でガイドラインを策定したが,エレベーターの監督官庁である国土交通省は,事故後検討委員会を立ち上げたものの,その後ガイドラインを策定したとの報に接しない。

事故から2年。何かよい方に変わったことがあるのだろうか。(小林)

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2008年5月21日 (水)

ガシャポン誤飲 製造物責任

2008521日の毎日新聞によると,ガシャポンと呼ばれる玩具入りカプセルを誤飲して死亡した210ヶ月男児の両親が製造元のバンダイナムコゲームスに約18000万円の損害賠償を請求した事件で,鹿児島地裁は,構造上の欠陥などを認定し,約2626万円の支払を命じた。

まだ新聞報道レベルなので詳細は不明だが,注目点は次の2点である。

1点目は,業界団体作成の安全基準を遵守していたから欠陥はない,との被告製造者の主張が退けられた点だ。裁判所は,3歳未満の幼児でも開口部の直径が4センチを超えることがある以上,31.8ミリメートル以上とする業界の安全基準は不適当と判断した。

判決が3歳未満を規準にしたのは,3歳を超えれば,誤飲を避けるある程度の能力は通常備わっているだろう,という判断があったのかもしれない。また,業界の自主安全基準を守ったからと言って直ちに法律的に免責されない,というのは,法律家から見ると当然の理屈であるが,製造業者の立場からすると,じゃあ何を守ったらよいのか?ということになる。このあたりは製造業者にとって一種のコンプライアンスの問題として議論されることになろう。また,この判決の理屈からすると,ガシャポンに限らず,直径4センチメートル以下の玩具(たとえばスーパーボール)は全て構造上の欠陥を有しうることになるが,これでは製造業者側に酷に過ぎるように思われる。

2点目は,18000万円の請求に対して,2626万円の賠償を認めた点だ。請求金額の18000万円をどのように算出したかは分からないが,逸失利益だけなら,高めに計算しても,1億円を超えない。仮にご両親の慰謝料と男児の逸失利益を裁判所が1億円と認定したとすれば,約75パーセントの過失相殺を認めたことになる。この過失相殺割合が高いか低いかも,議論になりうる点だろう。(小林)

注;筆者の勘違いで,幼児は死亡したのではなく,重い脳障害が残ったとのことです。お詫びして訂正いたします。死亡ではなく,脳障害ということであれば,1億8000万円の賠償請求金額も考えられるところです。いずれにせよ,かなりの過失相殺を認めた点では同じになります。

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2008年4月16日 (水)

au携帯の電池パックで新たに事故2件

報道によると,KDDIは平成20年3月,京セラ製のau携帯電話「W42K」で、電池パックが発熱したり発火する事故が13件発生したとして、電池パックおよそ21万4000個の自主回収と交換を始めていたが,4月,月に入り、神奈川県内で新たに2件、回収対象の電池パックで発熱や発煙する事故が発生していたことがわかりました。うち1件で男性が軽いやけどを負ったということである。

次世代ロボットと安全の問題を考えるとき,リチウムイオン電池の安全性は重要な問題である。特に,ヒトより小さい小型ロボットの多くは,リチウムイオン電池を搭載することになるから,これが発火すると,火災に直結する可能性がある。携帯電話の場合,常にヒトが携行することが普通だから,以上発火しても,ユーザーが気付くか,悪くても軽いやけどで済むが,次世代ロボットの場合,「一人(?)で留守番」することになるので,異常発熱・発火が火災に直結するのだ。

電池の欠陥で火災になったと場合,電池メーカーだけでなく,ロボットメーカーも製造物責任を免れない。また,消費者生活用製品安全法による届出義務がある。このあたり,運用や理解がまだ統一されていない部分があるようだから,注意しておく必要がある。(小林)

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2008年4月 1日 (火)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(6)

パワードスーツ3原則の第1条と第2条が決まった。では,第3条はなにか。

「転ぶ」「踏む」以外で,パワードスーツによる事故態様として想定されるのは,「押す」「挟む」「落とす」ことによる事故だ。これらは,装着者のミスによっても発生しうる事故であるが,設計者として,このような事故を避けるための基本思想はどうあるべきだろうか。

この点については,現在,筆者にも独自の案はない。おそらく,従来の安全設計思想に倣うしかないと思う。それは,「常に安全側にある」という設計思想だ。これは,フェイル・セーフとフール・プルーフの双方を含む概念であり,機械やセンサーが故障しても,また,装着者が操作ミスをしても,常に安全側にあるように設計する必要があると考える。

具体的に言えば,例えば,介護補助用のパワードスーツの場合,被介護者を抱き上げる途中に故障した場合には,抱き上げた状態でアームが固定される必要がある。また,被介護者を挟んだり,車いすを押したりする場合には,一定以上の応力を検知した場合にはそれ以上押したり挟んだりしない機構が必要である。

以上,ごく簡単に,パワードスーツ3原則を考えてみた。

第1条は,装着者が操作意思を決定しない限り,動作しない。

第2条は,一定以上の重量があるパワードスーツは,非装着者と隔離される。

第3条は,常に安全側にある。

である。

パワードスーツは,これらの条件を充たすことが必要であるが,これらは同時に,操作性や敏捷性など,機能上の要請と衝突することになる。設計者の方々は,これらの諸条件をうまく調整して,パワードスーツを開発して頂きたい。それが叶えば,パワードスーツは,21世紀最初の大発明として社会に歓迎されることになるだろう。(小林)

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2008年3月28日 (金)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(5)

パワードスーツの設計者として,想定しなければならない事故態様の第一は,「転ぶ」「踏む」だと筆者は思う。これは,ヒューマノイドでも同様である。アシモが子どもの背丈で,成人女性ほどの体重なのは,「転ぶ」という事態を設計者が想定し,転んでも大きな事故にならない限界を想定しているからだと考えて間違いない。もちろん,技術が発達すれば,転ばないように体勢を変えたり,手をついたり足をついたりすることも可能になろうが,その際でも,他人を踏んづけることは避けられない。重たいパワードスーツに近くをうろうろされては,24時間土俵の砂かぶりに座るのと同じほど危険である。したがって,どれほど技術が進歩しようと,「転ぶ」「踏む」は,パワードスーツの避けられない宿命となろう。

「転ぶ」「踏む」という事故が避けられないとすれば,パワードスーツに課せられる本質的安全思想はどうなるか。この問題は,被害者として想定されるヒトを装着者と非装着者に分けて考える必要がある。

装着者との関係でいえば,装着者自身が自分のパワードスーツに踏まれる事態は想定できないから,転んだ場合の安全性を考えれば足りる。具体的には,物理的に防護することと,装着者があるレベル以上の動きをした場合には装着者の動きを優先させる機構とが考えられる。後者の場合はもちろん,装着者自身の筋力でパワードスーツを制御できるほど,パワードスーツが軽量であり,関節が柔らかいことが必要となる。いずれにせよ,装着者との関係では,パワードスーツの重量は,余り大きな問題にならないと考えて良い。

他方,被装着者との関係では,安全を確保する唯一の手段は,転ばれても踏まれても,大事に至らないほど,パワードスーツの重量が軽いことしか,解決策はない。もちろん,非常に重い物を持ち上げたり動かしたりするパワードスーツの場合は,自重も相当重くなるから,このようなパワードスーツについては,被装着者と隔離するほか方策がないことになる。

このように考えてくると,パワードスーツ3原則の第2条は,つぎのようになろう。

「一定以上の重量があるパワードスーツは,非装着者と隔離される。」ここに「一定」とは,将来,識者と政府機関によって画定される必要がある。常識的に考えて,装着者の体重と合計して100キログラムを超えるようなら,そのパワードスーツは非装着者との隔離を要求されることになろう。(小林)

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2008年3月24日 (月)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(4)

パワードスーツと従来の機械が決定的に異なるのは,インターフェースが「操作者の意思を先取りして動作を命じることがある」点にある。これは操作性という点から見ると非常に便利だが,事故の原因にもなりうる。究極のパワードスーツとしては,脳に直結させることが考えられるが,これが操作者の意思を勝手に先取りして作動したらどうなるか。例えば,ゴルフのショットを打つとき,ヒトは頭の中で何回もスイングのイメージを行い,体の筋肉に命令を伝え(でも同時に筋肉は動かさず),その後本番のスイングに入る。もしイメージしただけでパワードスーツが勝手に動くなら,チャップリン「モダン・タイムス」の世界と紙一重だ。

また,ヒトは時として無意識あるいは無意味に体を動かす。その動きをパワードスーツが勝手に増幅して動作するという場合もあろう。このような場合に事故が起きたとき,これはヒトのミスか,パワードスーツの欠陥か,は難しい問題である。しかし,パワードスーツが広く普及し,ヒトがその操作に習熟した相当な未来の話であれば格別,当面の線引きとしては,曖昧な部分はパワードスーツの方に責任を負ってもらわなければいけないだろう。つまり,センサーの感度を落とし,操作性は多少犠牲にしても,「装着者が操作意思を決定しない限り,動作しない」という基本的な設計思想が必要と思われる。ロボット3原則に倣って言えば,これがパワードスーツ3原則の第1条になるのだろう。(小林)

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2008年3月19日 (水)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(3)

パワードスーツの安全を考える場合,インターフェースの問題は別途検討しておかなければならないような気がする。

インターフェースというと難しげであるが,「操縦装置の有無」と言い換えても大差ない。一般的に,人間が人間以外のモノを操縦しようとするとき,その「モノ」と「ヒト」の間に,インターフェースとしての操縦装置が存在する。

モノ

インターフェース

パソコン

キーボード,マウス

自動車

ハンドル,ペダル等

手綱,鐙

これら旧来のインターフェースに本質的なのは,それ自体は無意思・無判断であり,操縦者であるヒトの操作をそのまま,忠実にモノに伝達する,という点だ。そして,その前提として,ヒトはモノの操作方法を理解しており(たとえば,ハンドルを時計回りに回せば自動車は右に方向転換する,と理解している),この理解に基づいて,インターフェースを操作するという約束が存在する。

上記のようなインターフェースの本質と,その前提となる「操作方法の理解」は,今まではごく当たり前のこととして,意識さえされずに来た。その結論として,モノの操作によって事故が発生した場合,その原因は,「ヒトのミス」か「モノの欠陥」か「ヒトのミスとモノの欠陥の両方」の3つしか考えられず,「ヒトのミス」と「モノの欠陥」の境界線は明確であった。

しかし,パワードスーツの事故を想定してみた場合,インターフェースの問題は,上記のように単純には理解されないと思われる。

これをわかりやすく言い換えてみよう。例えば自動車を運転する場合,運転者の脳は外界から様々な情報(例えば,雨が降っている,前方に自動車が走っている,追越禁止区間だが対向車は無い,等)を取得し,脳内にある様々な意思(急ぎたい,でも免許の点数が残っていない,等)と照らし合わせた上で,一定の意思決定(追い越そう)を行い,この意思に照らして操縦方法(ハンドルを少し右に切る)を決定し,そこで初めてインターフェースを操作(ハンドルを3度時計回りに回す)する。一方インターフェースや自動車は,操縦者がどのような意思決定や操作方法の決定に基づいてその操作を行ったかは一切関知せず,インターフェースに従って動くだけである。

一方,パワードスーツにも,インターフェースはある。それは,筋電センサーや圧力センサーその他のセンサーであり,あるいは,これらセンサーからの情報を統合して判断するCPUである。これらのセンサーやCPUは,もちろん,操作者の意思決定,操作方法の決定を踏まえた操作を感知してモノを動作させることもあるが,そうではなく,「操作者の操作方法の決定を勝手に探知してモノを動作させる」ことがありうる。例えば,装着者が「右腕を挙げよう」という意思決定をせず,単に心の中で思っただけなのに,右腕の筋電センサーが筋電の上昇を感知し,勝手にパワードスーツの右腕を上げる動作を行う,という場合が考えられる。このような場合に事故が起きたら,それは「ヒトのミス」なのか,それとも「モノの欠陥」なのだろうか。このように,旧来のモノとヒトとの関係に比べると,その境界は非常に曖昧になっている。(小林)

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2008年3月15日 (土)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(2)

200711月,自転車に乗っていた47歳の女性が,横断歩道で75歳の女性をはねて死亡させたとして,翌年1月,重過失致死罪の容疑で書類送検されたと報じられた。

最近,自転車と歩行者の事故は社会問題になりつつあり,このニュースもその一つだが,他の自転車事故と違うのは,加害者が乗っていた自転車がパワーアシスト付のものだったという点だ。一般に,パワーアシスト装置付の自転車は,普通の自転車に比べ,モーターとバッテリーの重量が10キロ近く重くなり,衝突の重力加速度も大きくなる。被害女性も,もし普通の自転車にはねられていたら死亡しなかったかもしれない。このニュースは,パワードスーツそのものではないにせよ,パワーアシスト機器の危険性を示唆するものともいえる。

さて,パワードスーツの具体例として,「パワーローダー」や「ランドメイト」や「ロボットスーツHAL」を想定してみた場合,これらパワードスーツに特徴的な事故の態様としては,次のものがある。

1 転ぶ。

2 人や物を踏む。押し(挟み)つぶす。

3 人や物を落とす。

5 人の関節と逆方向に曲がる。

このほか,これらパワードスーツの事故原因として,普通に考えられる操作ミスのほか,次の原因には注意しなければならないだろう。

1 子どもや老人,障害者などが装着した場合

2 不正改造,不正使用,非純正部品の使用

3 老朽化

また,パワードスーツ独特の,インターフェースの問題を別に考えてみなければならない。(小林)

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2008年3月11日 (火)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(1)

パワードスーツとは,外骨格,鎧あるいは衣服の外形を持ち,人体に装着され,アクチュエーターや人工筋肉などを使用して人体の動作を補助したり,強化したりする機械のことである。主にSFの世界で用いられ,強化スーツとか,ロボットスーツとか呼ばれていたが,ロボティクスの発達によって現実のものとなってきた。医療福祉介護分野では,パワーアシストスーツと呼ばれることが多い。

パワードスーツの元祖は,ロバート・A・ハインラインのSF小説「宇宙の戦士」であろう(残念なことに映画版では登場しなかったが)。最近のものとしては,「エイリアン2」に登場した「パワーローダー」が記憶に新しい。日本のコミックでは,「アップルシード」に登場する「ランドメイト」が典型である。「ガンダム」や「マジンガーZ」もパワードスーツといえないことはないが,操縦する必要があるという一点において,決定的な差がある。操縦桿を操作しなければ動かないという点で,「ガンダム」や「マジンガーZ」は,むしろ「鉄人28号」に近い。これはインターフェースの問題として,後述することにする。

SFの世界でなく,現実化したパワードスーツとしては,サイバーダイン社の「ロボットスーツHAL」を挙げないわけにはいかないだろう。このほか,松下電器からスピンアウトしたベンチャー,アクティブリンク社のパワーアシストスーツがあるし,海外ではアメリカが軍用パワードスーツの開発に懸命である。

さて,パワードスーツが実用化されるためには,設計上及び運用上,安全面への配慮が重要である。また,万一事故が起きたときの責任分配規準が明確であることが必要となる。事故が起きたとき,想定外の法的責任を負わせられるようでは,企業が開発に尻込みをしてしまうからだ。そこで,法的には,事故が起きたときの責任分配規準,言い換えれば,企業がどの程度配慮すれば法的リスクを最小限に抑えられるか,が問題となる。

この問題に直接答える法律はもちろん存在しない。そこで,事故事例を中心に,規準を考えていくことになる。パワードスーツの事故事例なんてあるのか?と思われようが,近い事例なら結構存在する。(小林)

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2008年3月 3日 (月)

次世代ロボット環境構造化プラットフォームについて

ATR(国際電気通信基礎技術研究所)と東芝が,環境情報構造化プラットフォームの実証実験に着手したと報じられた。

これは簡単に言い直すと,部屋とか建物とか,イベント会場とか,といった空間全体を大きなロボットの顔にしてしまう,という考え方だ。

ロボットというと一般市民はアトムのような大きさの人間型ロボットを想像するが,この大きさに,人間の期待する機能や性能を詰め込むのは,現代の技術では到底不可能だし,100年経っても無理かもしれない。何しろ人間が持っている個々のセンサーは細胞一個分の大きさしかないのに,ロボットのセンサーときたら,大きくて,性能が低い。かといって,人間が満足するほどのセンサーを詰め込んだロボットは,顔だけで数メートル四方を超えるだろう。

そこで発想を変えて,必要なセンサーを空間に取り付けてしまう,というのが,「環境情報構造化」の第一段階の考え方である。つまり,部屋などの空間に,カメラやマイク,各種センサーを縦横無尽に取り付けて,中の人間などの情報を集めるのだ。これはユビキタスの考え方と同じである。そうすれば,センサーの大きさや性能の低さに余り悩まないで済む。性能が低ければ,たくさん取り付けたらよいのだから。そして,これらのセンサーが受け取った情報を,部屋の中にいる人間型ロボットに電波で送信すればよい。そうすれば,人間型ロボットは,たくさんのセンサーを積まないで済む。

もっとも,部屋中のセンサーが集めた情報は,それだけでは種々雑多で,それを直接ロボットに送信しても,受信したロボットの方で意味が分からず困ってしまう。これを解析するコンピューターの大きさや費用や消費電力も馬鹿にならない。そこで,部屋中のセンサーが集めた情報は,これらを統合して,標準化し,意味づけをした後で,個々のロボットに送信する必要がある。この「情報→統合→意味づけ」の過程を「構造化」と呼んでいるわけである。ここで「意味づけ」というのは,例えば「子どもが1人で,大きな声を上げながら,部屋の座標Aから座標Bに向かって,時速3.4キロで直進している」といった情報であり,これを受信したロボットが,「迷子誘導モード」になって,その子どもの前に回り込んで話しかける,といった案配である。

プライバシー権との関係で言うと,部屋中にセンサーが張り巡らされるわけであるから,当然,様々なプライバシー情報が取得されることになる。したがって,これらを適切に処理する法的手当が必要になる一方,技術的には,プライバシー情報を適切に切り離していくことにより,法的問題を回避しうることになる。このあたりの法的・技術的な切り分けがうまくいくと,大変面白いことになるのではないかと,密かに期待している。(小林)

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2008年2月20日 (水)

社会還元加速プロジェクト

2月19日,内閣府の社会還元加速プロジェクト「高齢者・有病者・障害者への先進的な在宅医療・介護の実現」第3回タスクフォース会合に出席してきた。

長ったらしい名称だが,ようするに,国が多額の税金を費やして開発を援助しているロボットやユビキタス技術を,高齢者等の介護や自立支援のために,なるべく早く実用化するにはどうしたらよいか,ということを考えましょう,という会合である。

会議では,自立歩行支援ロボットや介護者のためのパワードスーツ,見守りシステムなどいくつかのプロジェクトについて,5年後の実用化に向けたロードマップ作りが検討されている。

この会議は内閣府の主催で,厚生労働省,経産省及び総務省から,そして各省庁関係の有識者が出席して行われているが,このような省庁横断の会議体はロボットやユビキタスの分野では初めてらしい。確かに省庁間の温度差や認識の違いが浮き彫りになって,聞いていて興味深い。特に多いのは会議の性質上,厚生労働省関係の出席者であるが,彼らのニーズと,経産省や総務省が進めている技術開発の差も出てきている。厚生労働省側からすると,調査委先端の技術より,現場に即した汎用性のある技術が欲しいようであり,ごもっともなことである。技術者・研究者の方々も,このあたりを意識した技術開発が求められよう。

なぜ筆者のような法律家にお呼びがかかっているのか,まだあまり明確ではないが,もう少しフェーズが進めば,運用ガイドラインの問題や,安全性・プライバシー情報の管理といった法的枠組みの策定も必要になってくると思われる。(小林)

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2008年2月12日 (火)

介護ベッド手すり事故頻発

平成1929日の毎日新聞夕刊によると、介護ベッドの手すりに首や腕などを挟まれて死亡したり傷害を負ったりする事故が多発しており、経済産業省が対応に乗り出したという。

介護ベッドは、次世代ロボット技術の応用が最も期待されている分野の一つであるが、手動のベッドでさえ事故が頻発するのであれば、自律作動する次世代介護ベッドロボットでより多くの事故が発生することは、容易に想定される。

もっとも、ネットで記事を検索すると、平成14すでに介護用ベッドの事故止対策要望なされていることが分かる。記事によると、介護ベッドは介護保険のレンタルで利用する人が多いため、事故が起きても、事業者に遠慮して苦情を言わない例が多いという。早急に事故事例を収集し、本質安全設計に役立てる取組が必要だと思う。(小林)

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2008年1月15日 (火)

さらし粉運送業者事件

昭和48年、22トンのさらし粉を積んだ貨物船が火災・爆発を起こし、1億7000万円以上の損害が発生した。さらし粉というのは次亜塩素酸カルシウムとよばれ、漂白などに使われるが、衝撃や引火により爆発的に燃える性質がある。そこで、損害を被った海上物品運送業者は、さらし粉の製造業者に対し、さらし粉の危険性や運搬・保管上の注意義務を説明しなかったとして、損害賠償の支払いを求め、裁判を起こした。

第1審の判決は昭和49年に出たが、控訴審判決は約15年後の平成元年であった。控訴審の東京高裁は、事故が起きた昭和48年当時、さらし粉の爆発炎上しやすい性質はほとんど知られていなかったから、さらし粉製造業者には運送業者に対してさらし粉の危険性や運搬・保管上の注意を説明する必要があったとして、製造業者の責任を認めた。但し5割の過失相殺により、賠償額を8705万円と認定した。

これに対して平成5年になされた最高裁判所判決は、業者の責任を全面否定した。理由のポイントは、海上物品運送業者といういわばプロが、荷物がさらし粉であることを知っていた以上、船に備え付けられていたイムココード(危険物海上輸送に関し国際的に権威のある国際危険物海上運送規則。国際機関である政府間海事諮問機構が作成した危険物海上輸送のモデル法規)やブルーブック(危険物船舶運送の手引として国際的に権威のある英国の危険物船舶運送取扱要領青本)などを参照して調査することにより、その危険性の内容、程度及び取扱上の注意事項を容易に知り得たから、製造業者にはわざわざさらし粉の危険性や運搬・保管上の注意義務を説明する義務はないと判断した点にある。

この高裁判決と最高裁判決が、事実認定の部分で両立するとすれば、昭和48年当時、さらし粉の危険性は海上運送業者の間ではほとんど知られていなかったが、他方、危険物海上輸送のマニュアルにはさらし粉の危険性が記載されていた、ということになり、プロである以上、マニュアルを読んでいませんでした、では済まないというのが、最高裁判所の理屈ということになる。これは英米の裁判例の考え方に従っているようであり、内容的にも至極常識的なような気もするが、他方、製造業者にとっては、マニュアルに書いてあればOK、という誤解を招きかねず、注意を要する裁判例である。この事件は、被害者がプロであることが重要であり、プロでない一般消費者にマニュアルの熟読を要求する趣旨ではないことに留意するべきであろう。

それにしても、事件から20年で最終解決というのは、司法のあり方としてはいかがなものかという気もする。このような、事故から長い年月のたった事件の場合、我々弁護士が一番気にするのは、賠償金の利息である。この利息は、民法で年5%と決まっており、20年たてば元本と同額になる。つまり払う方にしてみれば支払額が倍になるということであり、金利が10%を超えていたバブルの時代ならともかく、現代では年5%という「高利」を負担させられることになる。東京高裁は、事故後15年で過失相殺5割の判決を出したが、この判決に従った場合、利息が元本の75%にも達しているから、負けた方は5割の過失相殺にもかかわらず、ほぼ請求金額満額の賠償金を支払うことになる。(小林)

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2008年1月 7日 (月)

電動リクライニングベッドに挟まれて幼児が窒息死

平成19年12月、日本の会社が輸入した中国製電動リクライニングベッドのマットとヘッドガードの間に4歳の幼児が首を挟まれて窒息死したとして、国民生活センターのホームページに掲載された。事故原因は調査中とのことであるが、親御さんは、事故を起こしたベッドは以前から、リモコンに少し振動が加わっただけで動いたことがあったとして、「リモコンの不具合がなければ事故は起きなかったはずだ」と主張している。

国民生活センターの現地調査によると、このベッドは「リモコン操作により頭部・脚部が電動で上昇・下降する機能を有する低価格(約4万円)の製品」であり、このリモコンには「上昇・下降のボタンがあるのみで、ベッド本体を含め入・切のスイッチはない。そのため、ベッド本体のコンセントを入れリモコンを操作するとすぐに作動してしまう」とのことであるが、親御さんの主張するような「不具合」があったか否かについては言及していない。

製造物責任法によれば、ベッドの欠陥により幼児が死亡したとなれば、このベッドの輸入業者は損害賠償責任を負う(製造者だけでなく、輸入者も法的責任を免れないのだ)。そこで、本件の場合、何が欠陥になりうるのかを検討してみる。

まず、親御さんの言うとおり、「少し振動が加わっただけで動く」ようなリモコンであった場合、これが欠陥に当たることに異論は無かろう。もっとも、弁護士として訴訟を念頭に置いて考えた場合、やや気になるのは、再現性があるか、という点だ。少し振動を加えただけで必ず動くというほどの再現性があればよいが、「動いたり、動かなかったり」ということも多い。リモコンの不具合に再現性がない場合、裁判所でリモコンの欠陥を証明することに一抹の不安が発生する。

次に、国民生活センターの現地調査報告にある、「(リモコンに)上昇・下降のボタンがあるのみで、ベッド本体を含め入・切のスイッチはない。そのため、ベッド本体のコンセントを入れリモコンを操作するとすぐに作動してしまう」点は欠陥となりうるか。この点は、欠陥ということはできないと思う。「入・切」のスイッチがあったとしても、本件事故を防げたとは思われないからだ。

最後に、国民生活センターの記事には一切触れられていないが、製品の本質安全を重視するリスクアセスメントの考え方を適用してみたらどうなるだろうか。危険源そのものの除去を第一義に考える本質安全の考え方からすれば、「マットとヘッドガードの間に首が挟まれる空隙が出現する」という危険源こそが重要となる。そして、この危険源を除去するためには、ヘッドガードを垂直方向に延ばして、マットを最大限上昇させても、マットヘッドガードとの間に空隙が出現しないようにすることが適切である。もちろん多少のコスト増は避けられないが、生命の危険に比べれば、取るに足らない。したがって、本件ベッドは、マットの上昇位置に比べ、ヘッドガードが低すぎたことが「欠陥」であることになる。

リスクアセスメントの考え方からこのとおりであると思うが、果たしてこの理屈が訴訟で通用するかとなると、直感的には、疑問である。現在強く提唱されているリスクアセスメントの考え方が、広く社会に受け入れられるためには、この考え方を裁判所も採用することが必要と思われるが、現時点では、乖離が存在することは否定できない。(小林)

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2007年12月20日 (木)

社会還元加速プロジェクトに出席しました

内閣府に呼ばれて、社会還元加速プロジェクト「高齢者・有病者・障害者への先進的な在宅医療・介護の実現」第1回タスクフォース会合というのに出席してきた。

長ったらしい名前だが、この会議は安倍総理時代の「イノベーション25」という政府戦略の柱の一つとして、今後5年間で高齢者・有病者・障害者への先進的な在宅医療・介護を実現するための「何か」を実用化するためのプロジェクトなのだそうだ。その「何か」が何かは今ひとつ分からなかったが、介護用次世代ロボットがその「何か」の有力候補であるようだ。そこで、次世代ロボットの安全性についての法的見解を求めるという趣旨で、筆者が会議に呼ばれることになったらしい。ちなみに、内閣府の担当者以外の各省庁からの出席者は、いずれも課長・室長級で、厚生労働省4名、経産省2名、総務省1名であった。ちなみに「社会還元加速」というプロジェクト名もいまひとつ意味不明だが、要するに、要素技術の開発に多額の国費をつぎ込んだのだから、そろそろ成果を社会に還元しなさい、ということらしい。

今回は第1回ということもあり、全体像があまり把握できなかったが、筆者が発言してきたことは次の2点である。

第1点は、最近次世代ロボットの運用上のガイドラインについて議論する際、次世代ロボットの定義に関して医療用や介護用ロボットを含むのか否かという不毛な議論に接することがある。経産省と厚労省には、医療用や介護用ロボットの定義を明確にしてほしい。

第2点は、経済産業省が策定し、筆者もかかわった次世代ロボット安全性確保ガイドラインは、メーカーにリスクアセスメントの実施を求めるとともに、ユーザーにも応分のリスク負担を求めるものになっている。それ自体に反対するつもりはないが、リスクを負担するべきユーザーとは誰かについては、ガイドライン上、曖昧なままとなっている。この曖昧さは、特に医療用・介護用ロボットの場合に問題になる。なぜなら、治療や介護を受ける人は、完全に受け身の立場であり、自ら事故を回避することができない以上、リスク負担は最小限に限定されるべきだからだ。将来的に介護用次世代ロボットの運用ガイドラインを想定するのであれば、この問題を念頭に置く必要がある。(小林)

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2007年12月12日 (水)

転んでも許されるロボットの大きさとは

本田技研が,新型のアシモを発表した。私が感心したのは,コップを机の上に置く動作よりも,すれ違う人間を回避したり,道を譲ったりする仕草であった。人間との共同が生活が実際どの程度可能になったかは未知数であるが,少なくとも,ロボットと人間が共同生活を行う様子を示すビジュアルとしては,出色のデモンストレーションだったと思う。

さて,アシモのような次世代ヒューマノイドロボットの安全性を法的側面から専攻している私が,常々感心しているのは,アシモの大きさである。Wikipedia によると,身長130センチ,体重52キロだそうだ。人間に当てはめると,身長は小学校低学年,体重は高校生くらいか。

次世代ヒューマノイドロボットにとって,人に危害を与える可能性が最も高い事故は転倒である。まともに転倒して人を巻き込んだ場合はもちろんであるが,ロボットが転倒を避けようとして人に衝突したり,人の足を踏んづけたりすることも大いにありうる。このような事故はおそらく避けられない以上,次世代ヒューマノイドロボットは大きくても重くてもいけない。その点,アシモの体重なら転倒して人を巻き込んでも大事故にはならないだろうし,小学生程度の身長なら,人を巻き込む範囲も狭くて済む。

なにより,人間の感情からすると,小学生程度の大きさのロボットなら,多少の事故は大目に見てやろうという気になる。アシモの制作者はアトムを参考に身長を決めたというのが公式見解であるが,転倒事故の被害を最小限にする配慮もあると思う。大きい方が技術的には楽であろうが,性能をグレードアップしても身長130センチを固持するあたり,アシモの開発チームはなかなかのものである。(小林)

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2007年12月 6日 (木)

千葉大学のロボット憲章について

20071121日,千葉大学はロボット憲章(知能ロボット技術の教育と研究開発に関する千葉大学憲章)を制定した。制定趣旨は,「遠くない未来社会に生物の一部機能をはるかにしのぐロボットが出現する」時代にあって,「光と影の両面を有する先端的ロボットの研究開発に携わる者の責任は極めて重大である」として,「地球生態系の維持・保全を規定に据えて,人間の尊厳,人類の福祉,恒久平和と反映,そして,安全安心な社会に資するロボット研究開発と教育をこそ率先して推進する立場から」この憲章を制定したとのことである。これは全5条からなるが,適用範囲を定める第1条と第5条以外の3ヶ条が憲章の内容を定めるものであり,要約すると,

第2条が平和目的の民生用ロボット教育・開発のみを行うこと

第3条が非倫理的・非合法的利用防止技術をロボットに組み込むこと

第4条がアシモフのロボット3原則を遵守すること

となっている。

この憲章を紹介するニュースやブログをいくつか拝見したが,おおむね好意的な内容であった。

しかし筆者は大いに批判的である。

第1に,筆者は,技術者や研究者が「倫理」で自らを縛ることは正しくない,と思う。確かに,筆者の知る範囲のロボット研究者・技術者の中には,明らかに「マッド系」に属する人がいる。マッド系の考えることは常人の想像の域を超えており,法律家の目から見ると「おいおい,そりゃマズイよ」ということを平気でやろうとする。しかし,研究者や技術者たらんとする者は,それくらいでいいのである。言い換えれば,そのくらい過激なことを考えたりやったりしないと,世の中を変えていくことはできないのである。「倫理」や「法律」などといったルールの適用は,哲学者や法律家などに任せておけばよい。倫理や正義に反することをおそれて,自らに歯止めをかける科学者は,結局たいした仕事はできないと思う。

なるほど,生命科学や核化学など,一部の科学分野ではこうした倫理規範が必要な分野が出てきていることは事実である。しかしこれらは,技術の先端性もさることながら,「間違いを犯したら後戻りが出来ない」点に,倫理規範制定の必要性が存在している。違法な治療である患者の生命が救われたとして,その治療を取り消すことはできない。

第2に,「憲章」なるものの中身があまりに稚拙である。例えば2条に「平和目的の民生用ロボットに関する…研究開発のみを行う」とあるが,ここに「平和目的」とは何を指すのか。「平和目的」とは軍用ロボットの開発を排除する趣旨か。しかし,「軍用=非平和」という発想は,その是非はともかく,国際的な常識と異なるのではないか。スイスやスエーデンのロボット研究者に嗤われないのか。また,「軍用」とは何を指すのか。武器に限定されるのか,武器以外の軍用(例えば兵員の運送や武器の保管)も含むのか。武器そのものでないとしても,武器に転用されうる技術を含むのか。例えば千葉工業大学が開発した「床下点検ロボット」は直ちに偵察ロボットに転用されうるが,そのようなロボットの開発は許されるのか。また,軍隊または軍需産業がスポンサーになることは認めるのか。防衛省がスポンサーになることは許さないとして,三菱重工ならどうなのか。米国政府はどうか。DARPAはどうか。米軍を最大のスポンサーとするNASAはどうなのか。

このように,この憲章の文言は法的解釈が不可能であるほど中身が曖昧であるし,厳格に(つまり研究者の研究可能範囲を狭める方向に)解釈すればするほど,ロボット技術の競争力を狭める結果になることは目に見えている。そこまでしなければならないほど,日本のロボット技術は他国を引き離して世界のトップレベルにあり,かつ,このような憲章で自らを縛らなければ行けないほど,危険な領域に達しているのであろうか。筆者にはそうは思われない。

第3に,「アシモフの3原則を遵守する」という下りである。筆者も一部しか読んでいないが,ロボット3原則を巡るアイザック・アシモフの一連の著作は,全体としてみる限り,ロボット3原則だけではうまくいかない,という結論になっているはずだ(k-takahashi’s 雑記)。ロボット3原則を理想として掲げるのは結構であるが,この3原則の妥当性について様々なシミュレーションを行ったアシモフの苦悩を,この憲章の制定者は理解した上で採用しているのだろうか。(小林)

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2007年11月30日 (金)

携帯電話爆発による死亡事故?

韓国の中央日報によると,平成19年11月28日,忠清北道清原(チュンチョンブクド・チョンウォン)で33歳の作業員が携帯電話の爆発と推定される事故で死亡したとのことである。

被害者の遺体を解剖した医師等によると,直接的な死因は外部衝撃による心臓と肺の破裂,脊椎切断の3種類程度と推定され,携帯電話があった遺体の部位にやけどがあったことが分かっているが,他方,携帯電話の爆発によるものと考えるには臓器損傷の範囲があまりにも大きいという問題点も指摘されている。

携帯電話に使用されているリチウムイオン電池に関しては,小型で強力,持続力がある反面,製品不良の場合等に発火爆発する危険があることが指摘されている。次世代サービスロボットについても,現時点では,リチウムイオン電池の使用が必須である。

したがって,この事故が携帯電話のバッテリーの爆発によるものであるとすると,今後,リチウムイオン電池の使用に重大な影響を及ぼす可能性がある。このニュースの続報は注意深く見守っていく必要がある。(小林)

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2007年11月24日 (土)

安全規格を守れば次世代ロボットメーカーは法的責任を免れるか

現在,次世代ロボット研究開発にかかわる研究者は,政府機関と協同して,日本が次世代ロボットの国際安全規格策定の主導権を握るべく,日々奮闘されている。筆者も関連する政府系の会議の末席を汚しているが,素人目から見て「ここまで安全を確保しなくても大丈夫じゃないの?」という,やや不謹慎な感想を持つほど,安全性確保への希求度は高い。

このような研究者が筆者のような法律家に最初にお尋ねになる質問は,異口同音に,「ISOやJIS等の安全規格を遵守したロボットを製作すれば,万が一事故が起きても,メーカーは法的に免責されませんか?」というものだ。

残念ながら,回答はNOである。ISOやJIS等で高度の安全規格を策定し,これを遵守した次世代ロボットを製作したとしても,万一事故が起きた場合,「規格を遵守した」という一点のみをもって,メーカーが免責されることはありえない。

その理由の説明の仕方はいろいろあるが,一言で言えば,「(国際)安全規格は私的なルールに過ぎず,法律ではないから」という説明の仕方が一番妥当ではないかと,今は思っている。

次世代ロボットの使用中に万一事故が起こり,ユーザーが傷害などの損害を負った場合,メーカーの法的責任の有無を最終的に判断するのは,民事責任にせよ刑事責任にせよ,裁判所である。そして,裁判所の判断は,法律のみによって拘束され,安全規格という私的なルールには拘束されない。従って,安全規格を遵守したという事実が,裁判所を拘束することはない。単純な三段論法であるが,次世代ロボットの研究者は,一応,この説明で納得して頂けるようである。

ちなみに,裁判所が法律のみによって拘束されることの根拠は,日本国憲法76条3項に,「すべて裁判官は,…この憲法及び法律にのみ拘束される」の規定にある。この規定は,民主主義と三権分立(立憲主義)という,憲法の基本思想にかかわるものであり,今話題になっている9条よりもある意味重要な規定であって,仮に9条が改正されることがあっても,76条3項が改正されることはない,といえるほど重要な規定である。

ではなぜ裁判所は法律のみによって拘束され,私的な安全規格には(例えそれが国際会議で策定されたものであっても)拘束されないのか,というと,法律は国民全体の代表者である国会議員によって構成される国会が作ったものであり,その過程にはメーカーやユーザー,言い換えれば潜在的な加害者や被害者,さまざまな利害関係者の意見が手続上反映されているからだ。逆に,安全規格は,いかに策定者がユーザーの利益を考慮して策定したと主張したとしても,ユーザーの意見が手続上反映したとはみなされない。これは社会契約なり,民主主義の基本原理とかかわることなので,興味のある方は法哲学など,その方面の書物を読んでみてください。

それでは,安全規格の遵守が裁判に全く影響を及ぼさないかというと,そうでもない。第一に,メーカーが安全規格を遵守していなければ,法的責任が認められない可能性は飛躍的に高まる。その意味で,安全規格を遵守することは,メーカーにとって,法的責任を免れるための必要条件である。第2に,安全規格を遵守していれば,法的責任は認められても,その程度が軽くなる可能性が高くなる。この意味で,安全規格を遵守することは,メーカーにとって,法的責任を免れるための「十分」条件ではないが,「7分か8分」くらいの条件になりうる。だから,メーカーは,安全規格を遵守する必要があるし,また,遵守するメリットもある,ということになる。(小林)

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2007年10月21日 (日)

サービスロボットをめぐる「3つ目の安全」について

以前,サービスロボットが社会と人間に受け入れられるためには,二つの安全が必要であると書いたり講演で話したりしたことがある。その一つは「機械安全」であり,人の生命身体財産に対する物理的な危険を回避することである。具体的には,衝突や挟み込み,落下などの危険を回避するということである。

二つ目は,「情報安全」であり,人の情報に対する安全である。具体的には,プライバシー権や,企業の機密情報などの情報に対する侵害や危険を回避することである。

ところで最近,3つ目の安全の概念も必要ではないかと考えるようになってきた。うまいネーミングはまだ思いつかないが,「判断安全」とでも呼ぶべきものである。これは,ロボットが人間に対して誤ったアドバイスをして,人間の判断を誤らせたりしない,という意味の安全である。逆に言うと,ロボットが誤ったアドバイスをしたことにより,人間が間違った判断をした場合,その人間に対して,ロボットのメーカーやプロバイダーが法的責任を負う場合があるのではないか,ということである。

具体例で言うと,例えばゴルフの「キャディロボット」がいたとして,プレーヤーに,「スライスラインです」とアドバイスをしたら,実際にはフックラインであったためパットを外してしまったような場合である。この場合,プレーヤーに対して,ロボット(のメーカーなど)は何らかの責任を負うのではないか,ということだ。

もちろん,このようなキャディロボットは,あと数年以上は登場しない。しかし,例えば次世代カーナビシステムは,高速道路に合流してくる自動車や,進行方向上の歩行者を運転手に伝える機能を備えることになりそうである。こうなるとこのようなカーナビまたはカーナビを備えた自動車は,立派な一つのロボットといってよい。運転手は,このカーナビのアドバイスを信頼して運転するわけだが,もし,カーナビが(あるいは自動車のセンサーが)前方の歩行者を見落として運転手に伝えず,事故が発生した場合,被害者との関係では運転手が責任を負うことは当然として,カーナビまたは自動車のメーカーにも何らかの責任は発生しないのだろうか。このようなことを考えていくと,案外近い将来に,ロボットの「第三の安全」として,「判断安全」が問題になってくる可能性はあると思う。(小林)

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2007年10月13日 (土)

「誤使用」と「本来の用法」と「通常の用法」

公園,学校など公共の場所で事故が起こった場合,被害者やその遺族から,国や地方公共団体に対して,国家賠償法に基づく損害賠償請求訴訟が提起されることがある。国家賠償法2条1項は,「…公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる」と定めているので,争点は,「設置又は管理の瑕疵」の有無,ということになるが,「瑕疵」があるとは,判例上,「通常有すべき安全性を欠いている状態」を指すとされている。

では,「通常有すべき安全性」があるか否かを分ける規準は何か。この点に関しては,最高裁判所平成5年3月30日判決が,先例として重視されている。

事件の内容はこうである。昭和56年8月14日,父親が5歳10ヶ月になる男の子を連れて,父親の弟や甥とともに,町立中学校校庭のテニスコートでテニスをしていた。この間男の子は球拾いをしたり,高さ約1.8メートル,重さ約24キロの審判台から見たりしていたが,父親が気づいたときには,審判台が後ろ向きに倒れており,男の子はその下敷きになって死亡した。審判台が倒れるところを直接目撃した人はいないが,状況から,男の子が審判台の後ろから降りようとしたため倒れたと思われる。

この事件に関し,第1審の仙台地裁と第2審の仙台高裁は,町の責任を認めたが,最高裁は,町の責任を否定した。裁判所の間で「通常有すべき安全性」の判断が分かれたわけだが,そのポイントとなるキーワードは,「本来の用法」である。

前面に階段のある審判台の背もたれを乗り越えて後部から降りようとすることが,審判台の「本来の用法」ではない。一方,6歳前後の男の子が,審判台をジャングルジムのように見立てて前後左右から昇ったり降りたりして遊ぶことは,「本来の用法」ではないが,ありうることである。後者を重視した第1審と第2審は,本来の用法でなくても,ありうることである以上,町はこれを予測して対策を立てるべきであったと判断した。これに対して最高裁は,「本来の用法」でない用法から生じる危険について,町は予測したり,対策を立てたりする義務はないとした。

ところで,「現場に親がいたのだから,親の方が悪いに決まっている。」と考える読者もいよう。いうまでもなく,本件で一番悪いのは親である。1審も2審も,裁判所は7割の過失相殺をしている。つまり,1審と2審は,親の責任7に対して,町の責任は3と判断しているのであり,「親の方が悪い」という価値判断においては,最高裁と変わりがない。問題点は,親の方が「全面的に」悪いか否かであった。そして,この最高裁判決は,「本来の用法」ではない使用方法から発生した危険については,ユーザーが責任を負う,という規準を示したといえる。言い換えれば,設置管理者側は,「本来の用法」を前提に安全対策を実施すれば足り,「本来の用法」ではない使用方法については,安全対策を実施する義務はない,と理解することができる。

さて,安全性の規準が「本来の用法」のみによって画されるとするならば,これは,メーカーや設置管理者側にとっては,大いに受け入れられるものであろう(「本来の用法」とは何か,という問題は残るが,この点は別途論じることとしたい)。この規準からすれば,「誤使用」の場合はメーカー側に一切責任がない,といい易いからだ。しかし,そうとも断言できないことがややこしい所である。というのは,本件最高裁判決は,従来の規準を踏襲しつつ,従来の基準で使用されてきた「通常の用法」という言葉をあえて使わず,「本来の用法」という言葉を使用したからだ。

本件最高裁判決が,「通常の用法」ではなく「本来の用法」という言葉を使用したことについて,その意味の違いはないとする見解もある。しかし,「本来の」という言葉には,設計者・製造者・設置管理者の意図や,その物の製造・設置された目的といった「意思」が反映しているのに対して,「通常の」という言葉には,そのような意思を離れて,現実・現状はどうであるか,という「客観的な状態」というニュアンスがある。両者の意味は違うと考える方が自然であろう。この点について,最高裁判所調査官の瀧澤孝臣判事は,私見と断りつつ,次のように解説する。すなわち,「瑕疵」の有無は,原則として「本来の用法」に即した安全性があるか否かによって決められるが,「本来の用法」ではない使用方法が常態化していて,これを知っていたり,知らなくても通常予測し得たりしたような場合には,例外として,設置管理者側に安全対策を施す義務が発生し,事故が発生したときには,法的責任が発生する。言い換えると,安全性は「通常の用法」を外円,「本来の用法」を内円とする2重丸によって区切られる3つの領域があり,「本来の用法」内で発生した事故については設置管理者側が責任を,「通常の用法」外で発生した事故についてはユーザー側が責任を負い,その中間にある「本来の用法」外で「通常の用法」内の部分については,場合により,設置管理者が責任を負う場合もある,ということになる。

これは一つのわかりやすい考え方であるとも言えよう。しかし,実際に妥当な規準を導く優れた規準であると言えるか否かについては,この判決後に続く事例と裁判例を分析してみなければ,何とも言えない。(小林)

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2007年10月 9日 (火)

次世代ロボットの誤使用による法的責任について(2)

次世代ロボットの事故に関する裁判例は,現時点では存在しない。しかし,次世代ロボットのメーカーや研究者にとって大いに参考になる裁判例はいくつか存在する。その中で,昭和40年代と古いものの,一つの裁判例をご紹介したい。

この事故の被害者は,某大手電機メーカーに就職して1年となる,23歳の研究職員であったが,昭和41年4月15日深夜,会社正門の自動扉に挟まれて即死した。この扉は,70メートル離れた守衛所から操作する建前になっていたが,いちいち守衛所に行く面倒を避けるため,扉の門柱に設置されたスイッチを操作する従業員がいた。被害者は,このスイッチの操作を間違えたようだ。

門柱には,「開」「閉」「止」の3つのスイッチがあった。扉を開けるときに「開」,閉めるときに「閉」のスイッチを押すのは当然として,問題は開きかけている扉を閉めるとき,また閉まりかけている扉を開けるときの操作である。この場合,「開」→「止」→「閉」,または,「閉」→「止」→「開」というように,間に「止」のスイッチを挟まなければ操作できない仕組みであった。被害者は,まず「開」を押して扉を開き,外に出た後,上半身を門の中に伸ばして扉を閉めようとしたところ,扉に挟まれて圧死したものと思われる。もっとも,被害者が死亡しているため,彼がスイッチをどのように操作したかは分からない。なお,動いている扉を人力で停止させるためには,大人4,5人の力が必要であった。

京都地方裁判所は,昭和48年9月7日の判決で,自動扉を設置した勤務先会社の責任を認めた。判決は,「社員が門柱のスイッチを操作しないようにカバーを掛けて施錠する等の措置をしなかった点,自動扉に物が挟まれた際,自動停止する機構がない点,スイッチの操作が複雑であり,とっさの操作ができなかった点において,本件自動扉には設置保存の瑕疵(=欠陥)があった」と判断した。

この事件は,典型的な「ユーザーによる誤操作」による事故であるが,被告とされた会社側に法的責任が認められた点について,法律家の間で異論はないと思われる(ちなみに,訴えられたのは自動扉の所有者である勤務先会社のみであり,扉の製造者は被告になっていない)。但し,その理由については再検討の余地がある。

まず,本質安全を重視するリスクアセスメントの考え方からすれば,何より重視するべきは,扉の圧力が「大人4,5人の力」でないと止められないほど強かった点であろう。失敗学で有名な畑村洋太郎東京大学名誉教授の著書によれば,自動扉には10ジュール則という暗黙智があるとされているが,少なくともこの事故が起きた昭和41年の時点では,このような暗黙智が無かった可能性がある。

もっとも,この扉には何らかの理由で,強力な圧力で開閉させる理由があったとも考えられる。この場合には制御安全の考え方により,何かが挟まれた場合には自動停止するとともに,直ちにバックする機構を設ける必要があった。判決は「自動停止」とのみ記載しているが,それでは足りないと思う。なぜなら,自動停止装置のみでは,実際に扉が止まるまで多少移動する可能性があり,これを押し戻せなければ,人命を救助できないからである。

一方,判決は「社員が門柱のスイッチを操作しないようにカバーを掛けて施錠する等の措置をしなかった点」を被告会社側の落ち度としているが,疑問である。制御安全は冗長系にするべしという安全工学のセオリーからすれば,自動停止装置以外に手動停止装置も備えるべきであるから,門柱のスイッチを操作できないようにすることなど論外であろう。しかし,スイッチを設ければこれを勝手に操作する人間も現れるし,防犯上の問題も生じる。

そうすると結局,本件事件の要点は,「思い鉄の扉を設置する必要がそもそもあったのか?」という点にフィードバックされることになる。判決文を見る限り,この点については突き詰めた検討がなされていないように思う。(小林)

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2007年10月 5日 (金)

次世代ロボットの誤使用による法的責任について(1)

次世代ロボットのユーザーが,誤使用によって損害を被った場合でも,メーカーが責任を負う場合がある。PL法(製造物責任法)の条文に即して言うと,ご使用の場合でも,「欠陥」が無い,とはいえない。これは,メーカー側からは不当に不利なルールのように見える。

誤使用であってもメーカー等が免責されないのは何故か。この点は,法律の教科書にとって当たり前すぎるからなのか,明記する文献が見あたらない。その実質的理由は,おそらく,メーカーが誤使用の範囲を広く(=正常使用の範囲を狭く)定めてさえおけば免責されるのは不公平だ,という点にある。

別の言い方をするなら,「人間は必ず過ちを犯す生物である以上,その人間に製品を売って利益を得ているメーカー等は,人間がミスを犯すことを念頭に置いて製造する責任がある」という考え方であるともいえる。ここに「過ち」とは,間違いでないと思って犯す過ちや,間違いであると知りながら犯す過ち,そして,間違いであるか否かが分からないまま犯す過ちを含む。機械を取り扱う人間は,かように頼りない存在であるということだ。

さて,ユーザーの誤使用でもメーカー等が責任を負う場合があるとすると,問題は,「責任を負う誤使用」と「免責される誤使用」の境界線はどこか,ということになる。これがはっきりしないと,メーカーやその設計者は常に不安にさらされることになる。

この境界線を画する規準として,「合理的に予見可能か否か」を掲げる文献もあるが,適切とはいえない。例えば,手芸家が文化包丁で紙粘土を切断中,刃先が滑って手に怪我をしたとする。食品以外の者を切るのは「誤使用」かもしれないが,この程度の誤使用は合理的に十分予見可能である。しかし,だからといって包丁に「欠陥」があるとか,包丁メーカーが法的責任を負うことはない。

製造物責任法2条は,その「①製造物の特性,②通常予見される使用形態,③製造物引渡の時期,④その他の事情を考慮して,通常有するべき安全性を欠く」ことが「欠陥」であると定義している。先ほどの包丁の例で言うと,鋭利な刃物であることは包丁として無くてはならない特性であるから,それをもって安全でないとはいえない,と説明される。これは専ら①の要件からの説明であるが,これら①~④の要件は,論理的に前後関係に立ったり,優劣関係に立ったりするわけではなく,相互に作用し合いながら微妙なさじ加減で判断される。この辺りが,理系の方々にはなじみにくいところかもしれない。(続)(小林)

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2007年10月 1日 (月)

次世代ロボットとマンマシンインターフェース(1)

さる事情で,次世代ロボットのマンマシンインターフェースについて研究しないといけないのだが,その皮切りに,与太話でお茶を濁す。

大阪地方裁判所のエレベーターが改装された。見た目は,ボタンなどが見栄えよく新しくなった程度で,何と言うこともなかったのだが,ある日,法廷に遅刻しかけていたので,閉まりかけていたエレベーターのドアに鞄を突っ込んでこじ開け,無理矢理乗り込んだ。私に限らず,弁護士というのは,大概時間にルーズで,遅刻しながら行動しているので,こういうことがよくある。

上昇しかけたエレベーターの中で一息つこうとすると,突然,「安全のため,飛び込み乗車はご遠慮下さい」という女声の合成音が頭上から降ってきた。これにはびっくりした。次に恥ずかしくなり,その次の瞬間,すごく腹が立った。

「何だよ,エレベーターのくせに,偉そうに。」と思わず言い返そうとして,どこに言い返してよいか分からず,とりあえず階数表示のあるあたりを睨み付けたが,馬鹿馬鹿しくなって,「何だよ,もう」と口ごもってしまった。もちろんエレベーターは反論せず,沈黙のなか,「3,4,5…」と階数表示が変わっていくだけであった。

話はこれでおしまいである。これと表題と何の関係があるのかと言われても困るが,少なくとも,人に話しかけようとする次世代ロボットは顔を持たなければならない,と強く実感した次第である。(小林)

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2007年9月19日 (水)

PL法における「瑕疵の推定」について

PL法(製造物責任法)は,製造物に欠陥があるときに,製造者に損害賠償義務を負わせるが,この欠陥には「設計上の欠陥」と「製造上の欠陥」の2種類があるといわれている(もう一つ「指示警告上の欠陥」という概念があるが,これは製品そのものの欠陥ではないので,ここでは省く)。そして,私たち弁護士がメーカーの人に対して話をするとき,「欠陥」は「設計上の欠陥」を指すのが普通である。しかし,メーカーの担当者は,「欠陥」には「製造上の欠陥」もあるとい点を忘れないでいて欲しいと思う。

大阪地方裁判所平成6年3月29日判決は,テレビについて,「絶対安全が求められる」と指摘した。その趣旨は,包丁やアイロンなどは,ユーザーが誤った使い方をすればユーザー自身に危害が及ぶ製品であるが,テレビは,ユーザーが普通に使う限り,ユーザー自身に危害が及ぶことはあり得ない製品である,このような製品については,ユーザーが普通に使っているのに事故が起きた場合,ユーザーが「欠陥」を証明する必要はなく,「欠陥」の存在が推定される。「欠陥」の存在が推定される,ということは,「設計上の欠陥」または「製造上の欠陥」のどちらかが推定される,という意味だから,メーカー側が「設計上の欠陥はない」ことを立証するだけでは反論として不十分になる。幕の内弁当を食べたら食中毒になった,と訴えられたときに,「卵焼きは安全でした」と反論しても不十分なのだ。メーカーは,設計上の欠陥がないことのほかに,「製造上の欠陥もない」ことを立証しないといけない。そして,この立証は極めて困難である。

弁護士の話を聞きに来るメーカーの担当者は,たいがい設計部門の人だから,「安全設計さえ行えば大丈夫」と考えがちではないかと,時々心配になる。あるいは,メーカー側としては(特に日本のメーカーは),製造工程の管理には絶対の自信を持っているのかもしれない。また,品質管理のノウハウについて,弁護士から話を聞く必要はないと思っているのかもしれない。まことにごもっともである。しかし,グローバル化した部品調達の中では日本人の力量だけで製造工程を管理することは不可能であるし,日本人の「巧」としての製造技術の低下が指摘されて久しい。

そうであるとすれば,メーカー側には,設計段階において欠陥がないことと,製造過程においても欠陥がないこととの,両者を証明する万全の準備が求められることになる。そのためには,設計者には,基本設計のみで安全を追求するだけではなく,製造過程においても欠陥が生じないような設計や,仮に製造過程において多少の不良が生じても,製品全体としては危険が発生しないような設計が求められる。つまり,「安全設計」の意味は,「設計図通りに作れば安全な設計」という意味から,「設計図から多少違っても安全な設計」という意味に,変化しているということもできる。(小林)

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2007年9月 1日 (土)

ロボラボトークセッション

平成19年8月28日,大阪市のロボットラボラトリーにて,大阪産業創造館とロボットラボラトリーが主催するトークセッションが開かれ,20分ほどお話しをさせて頂いた。以下はその時の原稿である。

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平成16年3月26日,東京都港区六本木の森タワーで,6歳の男の子が自動回転ドアに頭を挟まれて死亡するという痛ましい事故がありました。本日は,この事故を題材に,サービスロボットの安全を考えてみたいと思います。

そもそも,次世代ロボットのトークセッションでなぜ自動回転ドアなのかといいますと,自動回転ドアは,センサーとコンピューター,駆動系を備えた自動機械であり,コンピューターの程度はかなり低級ではありますが,経済産業省のいう次世代ロボットの定義に当てはまるからです。つまり,自動回転ドアは,ヒューマノイドではないものの,「ドアマンロボット」であるといえます。つまり,森タワーの事故は,ロボット殺人事件の第一号という見方もできるわけです。

本日は,森タワーの事故について,3つの視点を対比してお話しします。一つは,安全工学の視点,2つ目は,行政の視点,3つ目は司法の視点です。この視点を比べることで,ロボットの安全性について,立体的な理解をして頂ければと思います。

一つ目の安全工学からの視点について,ここでは,東京大学名誉教授の畑村洋太郎氏の分析をご紹介します。畑村氏は,森タワーの事故に関して,「ドアプロジェクトに学ぶ」という技術者向けの本と,「危険学の勧め」という一般向けの本を著していますが,「危険学の勧め」において,本件自動回転ドアを「恐怖の殺人機械」と評価しています。つまり,存在自体が悪,ということです。

畑村氏によれば,本件事故の最大の要因は,「本質安全設計と制御安全設計の順序を取り違えたこと」にあります。つまり,自動ドア設計者の世界には,人が挟まれても重大な傷害を発生しないための基本的な前提すなわち「暗黙知」として「10ジュール則」があり,これが本質安全設計の前提であった。ところが本件自動ドアは極めて重く,また素早く回転するため,「10ジュール」の数倍の圧力を発生する代物であった。本質安全設計の考え方からすれば,自動ドア本体の重さを3分の1にするか,回転速度を2分の1以下にしなければならないのに,設計者はそれをせず,各種センサーの設置という「制御安全」によって安全性を確保しようとした。しかしセンサーによる制御には所詮限界があり,起こるべくして起こったのがこの事故だ,ということです。

ここでは,畑村名誉教授が本質安全設計の重要性を口を酸っぱくして主張している,という点を頭にとどめておいてください。

二つ目の視点として,行政の取り組みをご紹介します。本件事故を受けて,経済産業省および国土交通省が「自動回転ドアの事故防止対策に関する検討会」を立ち上げ,ガイドラインを作成しました。この検討会のスケジュールを見てみると,事故が起きたほぼ2週間後の平成16年4月8日に第1回検討委員会が開催され,事故の3ヶ月後にはガイドラインが制定されています。これは,官庁の対応としては,不自然なほど迅速な取り組みといえます。事故の社会的影響がそれほど大きかったからとも言えますが,ここまで迅速な取り組みは,産業界の圧力があったから,という側面があったことも否めません。当時,官庁が何らかの対応策をとらなければ,自動回転ドアは全国のビルから撤去されかねない状態だったからです。

このガイドラインの詳細について,興味がある方はホームページをご参照下さい。その要点は,①他形式ドアの併設,②緩衝材やセンサーの配置,③安全確認,監視要員の配置や注意喚起,④定期点検の励行,といったものです。

つまりこのガイドラインの内容は,畑村名誉教授が口を酸っぱくして主張した本質安全設計には一切触れず,制御安全,および運用上の安全確保に重点をおいたものとなっていることが分かります。

もちろん,検討会の委員の念頭に本質安全設計の確保が無かったはずはありません。しかし,実際問題として,自動回転ドアの重量を3分の1にしたり,回転速度を2分の1にしたりすることは極めて困難であり,僅か3ヶ月という機関では,本質安全設計に踏み込んだガイドライン作成に至らなかったことは想像に難くありません。ちなみに,この検討会の委員であった明治大学の向殿政男教授は,次世代ロボット安全性確保ガイドライン検討委員会の座長であり,本質安全に踏み込んだガイドラインを作成しておられます。

3つ目の視点として,司法の対応をご紹介します。司法手続には民事裁判と刑事裁判がありますが,本件では民事裁判は提起されず,関係者を処罰する刑事裁判だけが行われました。とはいえ関係者は逮捕されず,メーカーと森ビルの担当者6名が書類送検され,このうち3名は不起訴,残りの3名が業務上過失致死罪で起訴され,いずれも執行猶予付の有罪判決がなされて確定しています。

有罪の理由として判決が述べているのは,森ビル内外の他の自動回転ドアでも,同種事故が頻発していたのに,これに対応するための安全対策が極めて不十分であった,ということです。そして,ユーザーである森ビルの担当者に比べ,メーカーの担当者は,事故情報を詳しく知っていたという意味でも,安全対策をとりえたという意味でも,責任が重いとされています。

先に紹介した安全工学の視点や行政の取り組みと比べると,刑事裁判の特徴は,次の点で際だっています。第1に,会社そのものや,会社のトップが責任を問われていないという点です。第2に,畑村名誉教授が主張する本質安全や,自動回転ドアガイドラインが励行する制御安全にはほとんど触れられておらず,運用上の安全対策に重点がおかれているという点です。これらの特徴は,刑事裁判という制度や,起訴した以上は有罪判決をとらなければならないという検察官の立場からするとやむを得ないとも言えるのですが,畑村名誉教授に言わせれば,責任追及だけで,安全確保には何の役にも立たない,ということになるでしょう。

ちなみに民事では,森ビルから被害者の遺族に7000万円が支払われて示談が成立したため,遺族による民事訴訟は提起されませんでした。本件の場合,死亡したのが6歳児であったため,将来年収の予測が困難であったという特徴がありますが,もし裁判が提起されていた場合,交通事故の相場観からは,ご両親の慰謝料として2000万円から2500万円,将来年収から得た利益として3000万円前後,合計して6000万円前後と推測されます。もっとも,本件の場合,回転ドアに飛び込んだ被害者に過失がなかったとは言えず,森ビルやメーカー側がこの点を争えば,過失相殺割合5割もありえた事案だったかもしれません。皆さんは7000万円で示談,という解決をどのように受け取るでしょうか。

また,森ビルとメーカーとの関係もあります。森ビルは,示談金7000万円のほか,森ビルからの自動回転ドア撤去差し替え費用をメーカーに請求するとの報道がなされています。もし裁判になった場合,森ビルの請求はどの程度認められるか分かりませんが,メーカーにしてみれば,数億円規模の損失が生じる危険があります。さらに,会社内部での責任追及や,株主との関係での経営トップの責任問題なども残ります。

さて,以上,森タワーの事故に関して,安全工学,行政,司法の3つの視点から概観しました。これをまとめると,同じ事故を評価するにしても,立場や制度が違えば,評価の中身が違ってくる,ということが分かります。このことは,メーカーの側から見れば,安全対策といっても,事故発生を防止するための安全対策と,万一事故が発生した場合に責任を軽減するための安全対策は,微妙に違う,ということになります。もっとも,このような「安全感覚」のズレは,立場や制度が違うから違ってよい,というものでもありません。安全工学も,行政も,司法も,それぞれの立場から出発して,等しく同じ目標を目指していくべきであると思いますし,現にその方向性は発生してきています。

特に法律の見地から申し上げますと,機械事故に関して法律家がとるべき方向性は,事故が起こってしまってから,その責任の押し付け合いをするのではなく,事故が起こる前に,可能な限り事故発生のリスクを排除するとともに,万一事故が起きたとしても,その責任を可能な限り軽減するための方策を事前に打っておく,ということになると考えています。これは「予防法学」という考え方であり,現に,会社法の世界では広まっている考え方ですが,機械工学の分野では,その取り組みは緒についたばかりです。しかし,皆様におかれましては,是非,予防法学を取り入れ,事故が発生する前から法律家のアドバイスを受けておくことをお勧めいたします。(小林)

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2007年8月17日 (金)

リチウムイオン電池事故の報告義務について

ソフトバンクモバイル株式会社のノキア・ジャパン製携帯電話を充電中に,松下電池工業株式会社製リチウムイオン電池が発熱し床を焦がす事故と発煙する事故が発生し,た件に関連して,平成19年8月17日付日本経済新聞朝刊に,「電池不具合報告の手順は」という囲み記事が掲載された。

これによると,本件に関する消費生活用製品安全法上の主務大臣への報告義務は,ノキア・ジャパンにある。また,それ以前から松下電池が海外での事故事例を知っていたとしても,法的責任はない。とされている。

この記事の内容は間違いではないが,やや不正確,ないし誤解を招く部分があるように感じる。

消費生活用製品安全法35条によると,主務大臣に対する事故情報報告義務が発生するのは,次の条件を充たす場合である。なお,報告の期限は10日である(消費生活用製品安全法施行規則3条)。

① 消費生活用製品の

 ② 製造又は輸入の事業を行う者が

 ③ 重大製品事故が生じたことを知ったとき

第一の問題は,①の「消費生活用製品」にあたるのは何か,という点である。リチウムイオン電池は当然該当するとして,携帯電話そのものも該当することは案外盲点ではないだろうか。本件事故が発生した時点においては,事故の原因となる欠陥が電池のみにあるのか,充電用機器も含む携帯電話本体にあるのか,それとも両方にあるのか,不明だった筈だからである。

第2の問題は,②の「製造又は輸入の事業を行う者」にあたるのは誰か,であるが,第1の問題を踏まえて考えれば,電池を製造した松下電池と,携帯電話を製造したノキア・ジャパンが該当することは明白である。一方,携帯電話を販売したソフトバンクモバイルは,小売業者であり,「製造」したわけではないので,主務大臣への報告義務は発生しない。小売業者は,消費生活用製品安全法34条により,製品事故情報を一般消費者に提供する責務(同法上,義務ではない)と,重大製品事故情報を製造事業者に通知する責務がある。報道によると,ソフトバンクモバイルは7月28日の事故を受け,同月30日に,事故情報をノキア・ジャパンに報告し,8月14日にホームページを通じ事故を公表しているから,この責務を果たしていることになる。

第3の問題は,③の「重大製品事故が生じたことを知ったとき」にあたるかである。「重大製品事故」とは,「製品事故」の中でも重大なものをいうから,ただの「製品事故」は除外される。

では,「製品事故」と「重大製品事故」の違いはどうなっているのか。

まず,「製品事故」とは,消費生活用製品の使用に伴い生じた事故のうち,その欠陥によって生じたものではないことが明らかな事故以外のものであって,①一般消費者の生命又は身体に対する危害が発生した事故,または,②消費生活用製品が滅失し,またはき損した事故であって,一般消費者の生命又は身体に対する危害が発生するおそれのあるもの,である(消費生活用製品安全法2条4項)。

次に,「重大製品事故」とは,一般消費者の生命身体に対し,①死亡,②加療30日以上の傷害,③一酸化炭素中毒,のいずれかが発生するか,または,④火災が発生したこと,がこれにあたる(消費生活用製品安全法施行令4条)。

これだけを見比べてもどこが違うのか,理解しづらいが,本件においてのポイントは,④の「火災が発生したこと」にあたるか否かである。報道による限り,本件事故は「床を焦がす」「携帯電話が発煙する」の2件であり,これらが「火災が発生したこと」に該当するか否かは,法律家としてみる限り,やや疑問が残るところである。というのは,例えば放火罪は,火が独立して燃焼したときに既遂になるとされているからだ。しかし,結論としては,この法律の趣旨などに照らし,この程度の事故でも「火災が発生した」と見る余地はあろう。そうであるとすれば,これらの事故を知ったノキア・ジャパンには,主務大臣に対する報告義務が発生することになる。

そして,松下電池も製造者であり,重大製品事故を知った以上,当然,主務大臣に対する報告義務が発生する。この点は記事に記載されておらず,松下電池には報告義務がないと誤解されかねない点であり,問題である。「すでにノキア・ジャパンが報告したから」報告義務が免除されるとは,法律上どこにも書いていない。逆に,消費生活用製品安全法施行規則の定める報告書の様式上,事故原因や事故への対応を報告するものとされていることからして,電池の直接の製造者である松下電池にしか分からない情報もありうる以上,ノキア・ジャパンが報告したからといって,松下電池の報告義務が免除されるということにはならない筈である。松下電池は本件携帯電話の部品の製造業者であるが,部品の製造業者といえども,報告義務を負う。ちなみに,独立行政法人製品評価技術基盤機構が発行した「生活安全ジャーナル」第4号には,「部品でも単体で販売され,一般消費者が購入できるものは消費生活用製品と捉えられます」との解説がある。

ところで,前述したとおり,松下電池は昨年12月に,ノキアから同社製携帯電話の電池不具合の報告を受けていた。この電池が今回問題となったものと同一であるか否かは記事上不明であるが,ノキア・ジャパンのホームページによれば,世界規模では約100件の過熱に関する報告があるとのことである。これは報告義務の対象にならないのか,が問題となるが,記事は海外での事故については報告義務はないとしている。この点は私も経済産業省製品安全課に問い合わせたが,同様の回答だった。その理由は,特に明文で定めてあるわけではないが,「日本の法律だから,報告義務の根拠となる事故は,国内での事故が対象になる」とのことである。

しかしこの解釈は不当だろう。これによると,日本人が,日本製品を海外で使用中に重大製品事故が発生しても報告義務対象外になるが,これが不当であることは明白であり,本法律の趣旨にも反する。どこで事故が起きようが,メーカーが重大製品事故発生を「知った」以上,その製品が国内で販売されている限り,報告義務があると解釈する方が当然だろう。仮に,消費生活用製品安全法上の報告義務がないとしても,例えば製造物責任法(PL法)や不法行為法上の法的責任が問題となるときに,海外での事故事例を知っていたことは,当該メーカーにとって極めて不利な事実になることは間違いないと思う。(小林)

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2007年8月 1日 (水)

原発の安全設計について

平成19年7月16日の新潟県中越沖地震の際,設備の火災や放射性物質漏れを起こした柏崎刈羽原発の安全設計が議論されているが,聞いていると,何となく違和感がある。もちろん私は原発の専門家ではないし,ニュースを全部フォローしているわけではないから,すごく基礎的な認識違いがあるかもしれないが,リスクアセスメントの考え方と通じるところがあるので,備忘のためメモしておきたい。

マスコミの論調は,原発建設前の地質調査で断層の脅威を過小評価したことを問題としているようであるが,それは視点が間違っていると思う。もちろん,原発建設に先立ち,周辺の地質や断層の調査を行うべきだし,その脅威を過小評価してはならないのは当然だ。しかし,調査や評価には限界がある。「科学的調査・評価の結果安全と判明しました」とは,最大限善意に解釈しても,「現在の科学・技術水準では危険性を証明できませんでした」ということと同義である。つまり「安全」とは,「危険でない」ことではなく,「危険性を証明できなかった」ことでしかない。

そうであるならば,柏崎刈羽原発の問題点は,断層の評価を誤ったことではない。断層の評価にあわせて,原発の安全設計を行ったことにある。つまり,断層の評価とは切り離したところに,原発の安全設計基準を置くべきであったのに,(結果的に間違っていた)断層の評価にあわせて安全設計基準を適用したところが問題だったのである。言い換えれば,断層の評価にあわせて安全設計基準を変更するという設計思想それ自体が間違いであった。すなわち,原発は,直下に断層が発見されようがされまいが,巨大で活発な断層が直下に存在することを前提とした安全設計がなされるべきなのだ。

もちろん,絶対安全を要求される原発といえども,日本が一瞬にして沈没するほどの大地震を想定する必要はない。大多数がやむを得ないと思う巨大地震が想定外となってもやむを得ない。どこで線引きするかは困難な問題であるが不可能ではないだろう。少なくとも,日本国土が有史以来経験した最大クラスの地震が直撃することは想定すべきであると思うが,この判断はまず専門技術者と行政府が国民に対して呈示すべきだろう。つまり,例えば,「日本の原発は,直下で阪神淡路大震災クラスの地震が起きても致命的な損傷がない安全設計になっています。しかし,建設コストとこれが反映する電気料金との関係を考えると,阪神淡路大震災クラスを超える地震が起きても致命的な損傷がない安全設計までは採用できません」と言うべきなのだ。これを受けて,国民が,許容可能なリスクと判断できるなら,原発建設を容認すべきということになる。これがリスクアセスメントという考え方ではないかと思う。

歴史にifはないが,もし,柏崎刈羽原発が,断層評価とは無関係の安全設計を施していたらどうなっていただろう。もちろん,それでも今回程度の損傷や放射性物質漏れは発生したかもしれない。しかし,この場合,東京電力としては,「当原発は,今回程度の揺れは想定した安全設計を施してあります。その証拠に,被害は僅少でした」と胸を張って言えたであろうし,数千億円を超すとも言われる観光・漁業被害等の二次被害も最小限度で済んだであろう。

このように,柏崎刈羽原発の問題は,「安全性の証明」が実は極めて難しい概念であることを教えてくれている。(小林)

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2007年7月16日 (月)

不正改造と製造物責任

ユーザーが誤使用しても,メーカーは原則として製造物責任を免れない。と以前のコラムに書いた。では,メーカー以外の第三者による不正改造があった場合,メーカーは製造物責任を負うか。

基本的な考え方としては,不正改造があったからといって,直ちに,メーカーが全責任を免れると考えることはできない。メーカーに不正改造防止措置を施す義務が認められる一定の範囲においては,このような措置をとらなかったことによる責任が発生する。

もちろん,メーカーに全ての不正改造を予見し防止する義務があると考えるのは酷である。そこで,どの範囲で不正改造を予見し防止する義務があるかが問題となる。

この問題に関しては現在,パロマ工業製のガス瞬間湯沸かし器による一酸化炭素中毒事故で,遺族らによるパロマ工業を相手に製造物責任を問う訴訟が進行中である。新聞報道によれば,パロマ工業は,第三者による不正改造であるからパロマ工業に責任はないと主張しているようである。他方,原告側は,「簡単に改造を許す設計自体が欠陥である」とか,「不正改造があることを知りながら,取扱説明書などで注意喚起をしなかった欠陥がある」とか主張しているようである。

一般論としては,メーカーに不正改造を予見し防止する義務があるか否かは,その製品の性質,予測される危険の重大性,不正改造の容易さと改造防止策の容易さが規準となると考えられる。つまり,ガス瞬間湯沸かし器のように,予測される危険が火災や一酸化炭素中毒という重大なものであることはメーカーの義務を重くする要素であり,不正改造が容易で,かつ改造防止策が容易であれば,メーカーの義務は重くなる。また,不正改造が容易であるか否かの規準としては,例えば,破壊を伴う改造であるか否か,すなわち切断や溶解しなければ改造できないか,それともネジの取外しと取付けだけで改造が可能か,などが問題となろう。いずれにせよ,誤使用と不正改造を比べた場合,メーカーが予見すべき範囲は,誤使用の方が不正改造より広い,と見てよいのではないかと思う。

参考になりうる裁判例としては,平成4年に札幌市のマンションにおいて,パロマ製ガス瞬間湯沸かし器の不完全燃焼による死亡事故においてパロマの責任が問われた損害賠償請求事件において,平成10年7月28日の札幌地裁判決は,本件事故の原因は追加配線により安全装置が作動することなく点火燃焼する様になっていたことは,販売当時に追加配線が施されたものではないし,販売当時に右のような追加配線が施行されることが予測できた,とも認められないから,追加配線がされたことをもって,本件湯沸かし器の販売当時の瑕疵である,と認めることはできない,と判断し,パロマの責任を否定したものがある。この裁判例については,後日改めて触れてみたい。(小林)

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2007年7月12日 (木)

携帯電話の低温やけど訴訟

携帯電話電池の異常発熱で低温やけどをしたとして,製造物責任法に基づきメーカーに対して約545万円の損害賠償を請求した訴訟の判決が平成19年7月10日,仙台地方裁判所でなされた。このような訴訟が提起されたことを聞いて,マクドナルドのコーヒーをこぼしてやけどをしたとしてPL訴訟が提起されたアメリカの事例を想起した人も多いと思う。もっとも,このアメリカの事例については,「訴訟社会アメリカ」を裏付ける都市伝説として一人歩きしている部分もあるので,詳細は平野晋中央大学教授によるこちらのホームページを参照されたい。

製造物責任法は,製造物の「欠陥」によって生じた損害について,メーカーの賠償責任を規定している。実務上,被害者は,製造物のどの部分にどのような欠陥があったか,ということを具体的に証明する必要はなく,通常の使用方法で損害が発生したことを証明すれば,「欠陥」が推定されるとされている(もっとも,この点は地裁レベルの裁判例があるだけだし,例外もある)。これに対してメーカーとしては,「欠陥がなかった」ことを証明したり,あるいは,「仮に欠陥があったとしても,損害との間に因果関係がない」と主張したり,「被害者にも落ち度があった」と主張して賠償額の減額を主張したりして対抗することになる。

問題となった携帯電話は,おそらくリチウムイオン電池が使用されていたものと思われる。リチウムイオン電池は,電圧の高さや繰り返し充電に適している点から広く用いられているが,製造上の不良や加熱,変形などによって異常発熱,爆発,発火の危険があることが知られている。報道によると携帯電話に関するPL訴訟は本件が全国初とのことであるが,リチウムイオン電池の安全性は,携帯電話に限らず,モバイル機器やウェアラブルコンピューター,家庭用小型ロボットなど関連する問題であり,判決が注目されていた。

報道によれば,裁判所は「携帯電話自体が発熱したとは認められない」として,請求を棄却したとのことである。たしかに,被害者の男性はズボンのポケットに携帯電話を入れたまま,こたつで2~3時間寝ている間にやけどした,ということなので,これだけの事実では,携帯電話が異常発熱をしたか否かは分からない。しかし,この争点については,被害者側に,再現実験など,もう少し立証のやりかたがあったのではないか,と思う(再現実験を実際にしたのか否かは報道からは分からないが)。

別に被害者の肩を持つわけではないが,この事件は,仮に携帯電話自体の発熱が認められていれば,使用方法が異常か否か,異常とは言えなくても過失相殺の対象になるか,使用方法の指示警告は適切であったか,損害額は幾らが適当か,などの興味深い論点についての判断を聞けたのに,肩すかしに終わったという意味で,やや残念な判決であった。(小林)

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2007年7月10日 (火)

ユーザーの誤使用と製造物責任

ユーザーが機械を誤って使用しても,メーカーなどは法的責任を負うのか,という問題がある。この答えは,「原則として負う」である。

明文で規定されているわけではないが,製造物責任は,「人間はミスをする」ことを前提にしている。したがって,メーカーは,ユーザーの誤使用を前提として機械を設計しなければならない。言い換えれば,機械は,ユーザーが誤使用をしても怪我をしないほどの安全性を備えなければ,「欠陥」ありと認定されてしまうのである。

もちろん,多くの機械では,設計段階で全ての危険を取り除くことはできない。そこで,取扱説明書などで,危険な使用方法を禁止することになる。しかし,この禁止規定が適切でない場合には,やはり「欠陥」ありとみなされ,メーカーは法的責任を問われる。

ただし,どのような誤使用があっても,メーカーは100パーセントの責任を負う,というわけではない。常識的に考えても,とんでもなく間違った使い方をして損害を被ったユーザーに対してまで,メーカーが賠償責任を負うはずがない。よく引き合いに出されるのは,「電子レンジで飼猫を乾かそうと思ってチンしたら死んでしまった」飼主が電子レンジメーカーを訴えた,という話であるが,このような誤使用についてまで,メーカーが責任を負うことはない。もっともこの話は良くできた都市伝説のようであるが。

そこで問題は,「メーカーが責任を負う誤使用」と「責任を負わない誤使用」の境目はどこにあるか,ということになる。この点について法律家は,「予見可能な誤使用」という言葉を使って線引きしているが,何をもって予見可能とするかがやはり問題である。一般的には,客観的に,社会通念・製造物の特性・想定されるユーザーや使用形態などを総合判断することになる。

大事なのは,予見可能性の範囲は「客観的」に区切られる,ということである。設計者が「主観的」に予見しなかった,あるいは予見しようにもできなかった,というだけでは駄目である。もう一点,誤解が蔓延しているので注意しなければならないことは,取扱説明書に禁止事項を記載すればよい,とはならない点である。メーカーは第1に,基本設計によって危険を回避する義務があり,回避しきれなかった危険のみ,取扱説明書に記載することによって責任を回避することができる。

ところで誤使用には,ミスによる誤使用と,確信犯的な誤使用がある。ミスによる誤使用は,ボタンを押し間違うという類のものであり,確信犯的な誤使用とは,わざと安全装置を解除して使用する場合などである。メーカーは,ミスによる誤使用を無くす設計をしなければならないし,確信犯的な誤使用ができない設計をしなければならない。工業用機械の中には,取扱説明書に安全装置を解除して使用する方法が記載されているものもあると聞くが,このようなことは論外である。

ユーザーの誤使用によってメーカーが責任を負う場合,メーカーは100パーセント責任を負うかと言えば,そうではない。製造物責任法上の責任にも過失相殺の考え方が適用されるので,ユーザーにも誤使用という過失がある場合には,損害はユーザーとメーカーの双方に分配されることになり,その割合で,メーカーの支払うべき賠償金額は減額されることになる。(小林)

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2007年7月 6日 (金)

ロボティクスと二つの「安全」

平成19年6月23日,関西学院大学で開催された情報通信学会大会のシンポジウムで10分ほどのプレゼンを担当しました。そのときの原稿です。

1.         本日は,「ロボティクスと二つの安全」というテーマで,法律学の見地からお話しをいたします。問題提起が主になってしまいますが,時間の許す限り,具体的な事例についてもお話ししたいと思います。

2.         アイザック・アシモフというSF作家の著名な小説「I, Robot」などに登場する「ロボット(工学)3原則」(Three Laws of Robotics)第1条の冒頭に,「ロボットは,人間に危害を加えてはならない」とあります。

3.         このロボット3原則は,次の二つの点で重要です。一つめは,ロボットがSF小説の題材でしかなかった時代から,人間に対する「安全」が最重要課題とされていた点であり,もう一つは,Lawsという原文が示すように,安全確保のためには,法律が必要とされた点です。

4.         では,ロボットの人間に対する安全を確保するための法制度は,現在,どのような状態にあるでしょうか。このことをお話しする前に,ロボットの人間に対する「安全」には二つの意味があることに注意して頂く必要があります。

5.         ひとつは,人間の身体や財産という「形あるもの」に対する安全です。もう一つは,人間の持つ情報やプライバシーという「形なきもの」に対する安全です。本日は,情報通信学会ですから,後者の安全を中心にお話ししますが,その前提として,人間の身体や財産という「形あるもの」に対する安全に関して整備されつつある法制度についてお話しします。

6.         平成19年4月,経済産業省から,「次世代ロボット安全性確保ガイドライン案」が公表されました。このガイドライン案は,次世代ロボットが社会や人間に対して多大な便益(benefit)を提供する一方,一定のリスクを有することを前提に,次世代ロボット製造者に対するリスクアセスメントの実施を定めています。このガイドライン案は,ISO12100の国際規格に依拠するものであり,いわゆるA規格に該当する抽象的な内容に留まっていますが,それでも,ロボットの安全に関するグローバルな法制度作りの第一歩と評価されます。

7.         次に,人間のもつ情報やプライバシーという「形なきもの」に対する安全に関する法律はどうなっているのでしょうか。そもそも,次世代ロボットは,プライバシー権と,どのような関係にあるのでしょうか。

8.         このスライドは,ATR(株式会社国際電気通信基礎技術研究所)知能ロボティクス研究所のホームページから引用したものであり,ネットワークロボットが人間にサービスを提供する未来予想図が描かれています。ネットワークロボットとは,文字通りネットワークにつながった次世代ロボットのことであり,その多くは,カメラや,電子タグリーダーなどのユビキタスセンサーネットワークと結合しています。そして,アンコンシャスロボットとして示された黒い箱が,監視カメラや防犯カメラと呼ばれるものと全く同じであることが示すとおり,次世代ロボットは,ユビキタスセンサーネットワークによるプライバシー権侵害のリスクを有しているのです。

9.         ユビキタスセンサーネットワークシステムがプライバシー権に対してリスクを有することは,広く国民にも認識されています。たとえば,先ほどの講演で紹介された「ひょうご情報交流戦略」の報告書には,情報通信技術の進展に伴う影の部分として国民が懸念する事項の筆頭として,「個人情報・プライバシーの保護」が指摘されています。また,総務省も,平成16年以降,プライバシー問題の重要性を度々指摘してきました。

10.     このように重要性が認識されているにもかかわらず,次世代ロボットが有するプライバシー権侵害に関するルール作りは,未だ着手されてさえいません。その原因はいくつかありますが,弁護士として指摘しておかなければならないのが,裁判例の動向です。

11.     この問題に関する裁判例は,非常に少ないのが実情であり,事案としては,公道において警察がフィルムカメラで市民を撮影したり,ビデオカメラでモニタリングしたり,ビデオ録画した事例に関する裁判例です。日本の裁判例は,公道において撮影することができるのは,「現に犯罪が起きているか,その直前または直後である」ことが必要であるとしています。この要件を現状の監視カメラ・防犯カメラに対して単純に適用すると,犯罪がおきそうもない場所にカメラを設置したり,そもそも,防犯目的でない目的でカメラを設置したりすることが許されないことになります。このような裁判例の現状というものも,ユビキタスセンサーネットワークシステムとプライバシーとの関係を規律するルール作りが進まないことの,一つの原因であると考えます。

12.     今日,ユビキタスセンサーネットワークとプライバシーや個人情報とのルール作りに関しては,日本は世界主要国の中では後進国に属すると言って過言でありません。平成19年3月に行われた国民生活審議会の会議でも,日本の制度の特異性や後進性について,厳しい発言がなされています。ユビキタスネットワークは,諸外国と情報のやりとりを行うユビキタスグローバルネットワークに直結するものであり,諸外国との法制度の違いから,ネットワークの接続を断られるということが,現実の懸念として浮上しているといえます。

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2007年7月 2日 (月)

情報通信学会シンポジウム

 平成19年6月23日,関西学院大学で第24回情報通信学会大会が開催され,そのシンポジウムにパネラーとしてお招き頂いた。シンポジウムのテーマは,「ロボティクスにおけるICTの役割」というものである。

シンポジウムの出席者は大阪大学大学院教授の浅田稔氏,ニルバーナテクノロジー代表取締役・関西学院大学理工学部教授の中津良平氏,国際レスキューシステム研究機構理事・神戸大学名誉教授の高森年氏,関西大学総合情報学部准教授の喜多千草氏と私,コメンテーターとして学習院大学法学部教授の遠藤薫氏,そして司会の大阪市立大学大学院教授の中野潔氏であった。

理工学部系3人,人文社会系3人という組み合わせで,全員,ロボティクスの進展を応援する立場で話をしたが,理系と文系のディスコミュニケーションというべきか,同じ話題であるのに話が合わない,ということを痛感する。双方同じ問題点を考えているのに,日本語で話しているにもかかわらず通訳が必要なほど違う言葉が飛び交うのだ。

シンポジウム終了後の懇親会で浅田教授,高森教授とお話しさせて頂いたが,ご両名とも欲求不満だったようで,次の機会にもっと突っ込んで議論をしたい,と言って頂いた。私も,このような機会を沢山いただいて,理系の議論と文系の議論との架け橋のような役割を果たせたらいいな,と思っている。(小林)

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2007年6月24日 (日)

安全工学上の「安全」とは

国際規格によれば,安全とは,受け入れ不可能なリスクがないこと(freedom from unacceptable risk)をいうそうである。逆に言えば,受け入れ可能なリスクがある状態は,「安全」なのである。

では受け入れ可能なリスクとは何か,という疑問が湧くのは当然であるが,その前に,リスクとは何かについて国際規格を見てみると,「リスクとは,危害の発生確率と危害のひどさの組み合わせ(combination of the probability of occurrence of harm and the severity of that harm)なのだそうだ。組み合わせであって,積でないところがミソである。「積」ならば,確率が極端に低くても,危害のひどさが極限状態まで高ければ,リスクが高いことになる。しかし,小惑星が地球に衝突する確率の前では,人類滅亡という究極の危害も,リスクではない。他方,「積」ではなく「組み合わせ」であるため,リスクの評価は数量化が困難である。数量化が困難とは,「危害がひどいが発生確率は低い」Aというリスクと,「危害はたいしたことがないが発生確率は高い」Bというリスクの,どちらがリスクとして重要であるか,との比較評価が困難であることを意味する。

さて,このようなリスクが「受け入れ可能な状態」が「安全」である。そこで,どのような場合が「受け入れ可能なリスク」であるかを考えてみると,大別して二種類あることが分かる。一つ目は,危害の発生確率は低くならなくても,危害のひどさが低下した状態である。機械に指を挟む確率は下げられなかったが,挟まれても指が切断することはなく,せいぜい内出血する程度に安全装置を施すような場合がこれにあたる。二つ目は,危害のひどさは低下しなくても,確率を低くした状態である。例えば飛行機は常に墜落の危険に晒されているが,受け入れられる程度まで墜落の確率が低いので,「安全」とみなされているわけである。

このように見てくると,リスクには機械や設備の性能や効用とトレードオフの関係にあるものと,ないものがあることが分かる。墜落しない飛行機はないし,倒れない自転車はない。我が国で毎年一万人近くの人が自動車事故で死亡しているのに,自動車産業が無くならないのは,死亡という個人にとって最大のリスクも,自動車のもたらす効用の前には許容されていることを意味する。他方,食品のリスクは通常,食品の効用(旨さなど)とトレードオフの関係にあるとは考えられていない。フグだけは別,との意見もあるが。(小林)

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2007年6月16日 (土)

六本木ヒルズ回転ドア事故判決について

平成16年3月26日,6歳の男児が六本木ヒルズ森タワーの自動回転ドアに頭部を挟まれて死亡した事故は記憶に新しい。平成17年9月30日,その刑事事件の判決が東京地裁で言い渡された。

自動回転ドアは,センサと制御系と駆動系を備えた機械であり,次世代ロボットの要件を充たしうる。したがって,この事件において製造者がどのような刑事責任を問われたかは,ロボットメーカとしても関心が高いと思われるので,簡単に解説を行いたい。

さて,この事件で起訴されたのは,メーカー「三和タジマ株式会社」の取締役営業開発部長,森ビルの常務取締役森タワー設計部門責任者,同社六本木ヒルズ運営本部管理本部管理運営担当部長の3名である。直接の担当者や,実際の設計者は起訴されていない。また,株式会社の最高責任者は言うまでもなく代表取締役であるが,これも起訴されていない。担当部署の責任者を起訴するというのは,前例などに照らした一種の政治的判断であろうが,もとより,本件のような事故の原因は個人に集約されるものではなく,企業組織全体に関わるものである。この点,原則として企業組織ではなく人間を責任追及の対象とする刑事法制の制度的限界といえるかもしれない。

メーカーの取締役営業開発部長の過失について,裁判所の認定は次のとおりである。

本件のような業務上過失致死罪において,過失が認定される要件は,①本件事故の発生を予見できたこと,②本件事故の回避義務を怠ったこと,とされている。①について裁判所は,本件自動回転ドアを森タワーに設置する以前から,その戸先と固定方立に人が挟まれて負傷する事故が多発していたことと,設置後本件事故前である平成15年12月7日に森タワー2回に設置された別の回転ドアで6歳の女児が挟まれ頭部挫傷の傷害を負う事故が発生していることから,本件事故の発生が予見できた,と認定した。また,②について裁判所は,「挟まれ事故が発生しないように,戸先が固定方立に接近した状況で人がドア内へ侵入するのを防止する,あるいは,人が戸先と固定方立との間に挟まれても死傷の結果を生じさせない装置を備え付けるなどの安全対策を講ずべき業務上の注意義務があるのに,これを怠」った,と認定し,業務上過失致死罪が成立すると判断した。

次に,メーカーの取締役営業開発部長の量刑については,「回転ドアの業務に長年従事して回転ドアに関する知識,経験を蓄え,森タワー以外の事故情報についても早期に入手して,自動回転ドアの危険性やそれが現実化していることを十分に認識していたにもかかわらず,さしたる安全対策を講じないまま本件自動回転ドアを森タワーに設置し,しかも,本件自動回転ドアで(平成15年)12月7日の事故が発生したことを分かりながら,そのまま使用を続けさせたものであって,その過失の程度は極めて重いものである。また,本件自動回転ドアの設置に当たり,三和タジマ社から森ビル社に対して,本件シノレスの危険性について十分な説明がされていたとはいえない。製造物メーカーとしては,設置後の事故防止対策について,ユーザーの意向を尊重せざるを得ないという事情があるとはいえ,メーカーにとって営業上不利益となり得る危険性に関する情報であっても,発注者であるビル側に対して十分に開示すべきであったといえよう。」と指摘した。また,他の被告人との罪の軽重については,「前記のような危険性について十分な説明を受けていなかったこともあって,安全対策への配慮を欠くに至った森ビル社側の被告人らの過失に比べ,本件自動回転ドアを開発し,その危険性を容易に認識できた三和タジマ社の責任者であった被告人久保が十分な安全対策を講じないままに森タワーに設置して運転させ続けた過失の方が大きく,その刑事責任も重いと評価できる。」として,メーカー担当者の責任が最も重いと判断した。

メーカーの担当者に,挟まれ事故の発生を予見することが可能であったことは疑いがない。問題は,判決が指摘する結果回避義務の内容である。

元東京大学教授で機械工学の権威であり,「失敗学」の提唱者としても知られる畑村洋太郎氏は,著書「危険学のすすめ-ドアプロジェクトに学ぶ」で本件自動回転ドアを「恐怖の殺人機械」と評価した。同氏によれば本件自動回転ドアの最大の問題点は重量が極めて重いことにあり,そのため,非常停止をかけてもドアは20センチメートル以上動いてしまうという「致命的な欠点」があると指摘する。そして,メーカーが安全装置として各種センサを取り付けていることは「制御安全」に過ぎず,「殺人機械」としての潜在的危険を除去する「本質安全」設計を怠ったと批判している。

このような機械工学の専門家の知見を本件判決に当てはめてみるとどうなるであろうか。

明らかにいえることは,判決は,畑村氏のいう「本質安全」設計を怠ったという指摘は一切行っていない。判決の指摘する「ドア内侵入防止措置」は「本質安全」どころか「制御安全」でさえない,「運用安全」とでもいうべきものである。また,判決は「人が戸先と固定方立との間に挟まれても死傷の結果を生じさせない装置」というが,畑村氏の指摘を前提にする限り,「挟み込みがあった瞬間にその場で停止する装置」の設置は技術的に不可能であろう。この立場から見ると,判決が指摘する三和タジマ社取締役営業部長の「過失」は,事故原因の本質を見誤っており,これでは将来の事故防止に役立たないという批判を免れない。

もちろん司法の立場からは弁解が可能である。本件事故を回避する本質安全設計を実現するためには,おそらく,本件自動回転ドアの重量を軽くすることが不可欠である。ドア自体を小さくすることはもちろん,ステンレス枠をアルミまたはプラスチック枠に,ガラスをアクリル板に変更するなどの設計変更が必要であろう。しかし,そのような「安っぽい」ドアを森ビルが森タワーの正面玄関用として採用しただろうか。まして,メーカーの一取締役に,自らの職業生命をかけて,採用されないリスクを冒して,本質設計を変更することや,あるいは本件自動回転ドアの「殺人機械」としての潜在的危険性を森ビル側に告知することが可能であっただろうか。このように考えてくると,メーカーの取締役営業部長個人に本質安全設計義務違反を問うことは余りに酷であり,ひいては,無罪判決を招く可能性がある。検察としては,この辺りを考慮して,あくまで運用上の義務違反という形で起訴したのではないかと思われるし,そのような起訴を受けた裁判所は,刑事裁判のルール上,起訴されていない義務違反について判断することはできないのである。もっとも,「運用上の過失」を「メーカー」の担当者に問うことについて,問題が無いわけではない。その意味では,本件は無罪を争いうる事件であったといえる。

このように見てくると,機械工学ないし安全工学の立場と,司法の立場とでは,事故原因の究明に際して,かなり大きな乖離が存在することが分かる。それぞれの目的が違うから,という理解も可能であろうが,刑法の目的は,特に過失犯を処罰する目的は,将来の同種事件を防止する(これを一般予防という)ことにもあり,この点では機械工学ないし安全工学と立場を同じくするはずである。そうであるとすれば,司法としては,もう少し,機械工学ないし安全工学の立場からの批判に耐える制度設計や運用を行うべきであるとも考えられる。(小林)

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2007年6月12日 (火)

ドアプロジェクトに学ぶ

次世代ロボットは,「センサ」「知能・制御系」「駆動系」の3つの技術要素を有する「知能化した機械システム」であると定義されることがある。この定義によれば,自動回転ドアも,次世代ロボットに該当しうる。そうだとすれば,平成16年3月26日に六本木ヒルズ森タワーで6歳の男児が回転ドアに挟まれ死亡した事故は,次世代ロボットによる死亡事故にあたる。

「危険学のすすめ-ドアプロジェクトに学ぶ」を著した畑村洋太郎元東京大学教授は,機械工学の権威であり,上記事故を契機にドア全般の安全性を検証する任意団体「ドアプロジェクト」を立ち上げてさまざまな実験を行った。畑村氏は六本木ヒルズでの事故再現実験を行い,この回転ドアを「恐怖の殺人機械」と評価した。

畑村氏の分析を歴史的に整理すると,このような殺人機械が製造され本件事故が発生した経緯は次のとおりである。

そもそも,回転ドア発祥の地であるヨーロッパでは,回転ドアの目的は冬の寒気と建物内部の暖気を遮断することにあった。ところがこれを輸入した日本では,回転ドアの目的はむしろ高層ビルに発生する建物内外の気圧差を遮断することに変わり,これに豪華性の要求が加わって,ドア自体が非常に重くなってしまった。加えて不幸なことに,日本でもともと回転ドアを製造していた田島順三製作所が経営破綻した際,これと合弁していたヨーロッパのメーカーが資料やノウハウを全部引き揚げてしまったため,本件ドアの製造部門を引き継いだ三和タジマ株式会社に安全思想の伝承が行われなかった。もちろん,三和タジマの設計担当者も本件回転ドアの安全性は考慮したが,この考慮はドアの軽量化という「本質安全」に向かわず,センサの取付という「制御安全」に向かったため,身長117センチの子どもが前傾姿勢でドアに侵入したことを感知できなかった。その結果,痛ましい事故が発生したというのである。

このような分析は,次世代ロボットと安全の問題を考える上でも,大いに参考にするべきであろう。

もっとも,畑中氏は,上記のような分析を踏まえ,いくつかの提言を行っているが,その中には,やや不満が残る点もある。

まず,畑中氏は,本件自動回転ドアの設計者が,「本質安全」設計を行うためにはどうすれば良かったか,という問題に関して,次のように指摘している。たしかに,「重すぎるドアは危険である」という「暗黙知」は,回転ドアがヨーロッパから日本に輸入された後,伝承されなかった。しかし,本件回転ドアの設計者は,エレベーターのドア等の本質安全設計に目を向ければ,この暗黙知を知ることができた。「本質安全」設計を行うためには,自分の担当製品にこだわらず,共通点のある別の世界に目を向けることが必要である,と。

しかし,この提言は,その宛先が設計者・技術者のみとなっており,その設計者や技術者が所属する企業に対する提言としては,不十分ではないかと思う。そもそも,本件ドアに各種センサが取り付けられていた事実が示すように,本件ドアの設計者は,このドアの持つ潜在的危険性をある程度承知していたと思われる。それにもかかわらずドアの軽量化がなされなかったのは,ドアを軽量化するという選択肢が設計者に無かったとも考えられる。なぜなら,自動回転ドアには高級オフィスビルの象徴としての社会的意味がある以上,「安全だが安っぽい」ドアを製造して同業他社との競争に敗れたり,森ビルにドア納入を断られたりするリスクを冒すことは,営利を目的とする私企業には,悲惨な事故が発生する以前においては,非常に困難なことだからだ。

次に,畑中氏は,事故が発生すると責任を追求するという日本の法制度は,事故関係者の保身をまねき,事故原因究明の障害になると指摘する。この指摘は畑中氏のオリジナルではなく,私の知る限り,柳田邦男も20年以上前に同様の指摘をしている。

確かに,この指摘は「事故原因を究明し,将来の事故を回避する」という目的からは正論である。しかし他方,事故が発生して第三者に損害が発生した以上,この第三者に救済される権利が発生することは当然である。被害者の救済には保険制度を充実させることにより対応すればよいとの意見もあるが,保険制度が充実したところで,常に被害者が満足する保険金が給付されるわけではない。被害者が満足しなければ民事訴訟になるし,民事訴訟になれば,メーカーも巻き込まれる。メーカーが巻き込まれれば,設計担当者などの関係者は証人として法廷に呼び出されることになるし,さまざまな思惑から保身に走ったり,真相が隠蔽されることもあり得る。つまりは同じことである。また,刑事責任に関しても,「過失犯は処罰しない」という法思想に立たない限り,事故が発生して人身被害が発生した以上は,刑事責任が追求されることは当然である。本件自動回転ドアメーカーや森ビルの事故後の対応はそれなりに立派なものであったと評価されて良いと思うが,もし一切の法的責任を問われないという法制度であったとすれば,このような対応が取られていたか否か疑問である。

いくつかの疑問点はあるにせよ,「危険学のすすめ-ドアプロジェクトに学ぶ」は,実例を踏まえた安全工学のアプローチを門外漢にもわかりやすく配慮して記述されており,大変意義のある著書であると思う。(小林)

「危険学のすすめ-ドアプロジェクトに学ぶ」はこちら http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=aw_mp_1/?a=4062135299&uid=NULLGWDOCOMO

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2007年5月27日 (日)

リスクアセスメントと裁判(2)

リスクアセスメントとは,「リスクを分析し,評価し,低減することを繰り返す手順」である。

この考え方の重要な第2点は,「リスク分析→評価→低減の繰り返し」という手順の中身を明示している点だ。

安全工学の権威である明治大学の向殿政男教授も指摘しているとおり,機械や設備の安全を実現する手法として,従来も,各企業では,リスクアセスメントは実施されていた。ただ,その手順の中身が,各企業の伝統と特殊性に培われた多種多様なものとなっており,一般性が無かったのである。

リスクアセスメントが安全性実現の手順と中身を示し,しかも,リスクアセスメントの国際規格が成立しつつあるということは,安全を実現する手法について,各企業が共通の言語を持ったということを意味する。これは,企業間,あるいは国家間でリスクアセスメントを共通の話題にすること,その中で,互いの情報を交換できることを意味する。これらが全体として,機械や設備の安全性向上に大いに貢献するであろうことは言うまでもない。

さて,リスクアセスメントが標準化するということは,裁判の世界との関係では,何を意味するであろうか。

間違いなくいえることは,リスクアセスメントを十分に実行したことが立証できなければ,企業は裁判で必ず負ける,ということである。企業は,実際にリスクアセスメントを十分に実行するだけではなく,十分に実行したということを,法廷で証明できなければならない。

では,企業がリスクアセスメントを十分に実行したことを立証すれば,裁判では必ず勝つであろうか。残念ながら,直ちにそうは言えないと思う。この点については,私自身勉強不足なので,別の機会に詳細に論じてみたい。いずれにせよ,「安全工学」の進歩に応じて,法律の世界でも,「安全法学」という分野が登場してもよいと思ったりする。(小林)

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2007年5月19日 (土)

リスクアセスメントと裁判(1)

安全工学という学問分野がある。安全工学とは,「現代社会において発生する危険状態(災害)の原因及び過程の究明とその防止に必要な科学及び技術に関する系統的な知識体系をいう」とされている。そして,安全工学の研究は,リスクアセスメントを第一の目的にしている(安全工学会山本一元会長の挨拶文より)。

リスクアセスメントの権威である明治大学の向殿政男教授によれば,「リスクアセスメントとは,リスクを分析し,評価し,低減することを繰り返す手順」である。

重要と思えるのは,第1に,リスクアセスメントが「安全に至る手順(プロセス)」を重視している点だ。このことは,製品・部品の材質や寸法,構造について,結果として一定の基準を充たせば「安全」とみなす伝統的な考え方ではなく,一定の手順を十分なほどに実行すれば「安全」とみなす考え方を意味する。この二つの考え方は,似ているようで全く違う。リスクアセスメントに従えば,極端な話,客観的結果的に一定の危険が残存していても,「安全」とみなされるのである。

このように書くと,リスクアセスメントは安全追求を放棄したのかと思われそうだが,それは誤りである。リスクアセスメントは,前提として,「絶対安全は達成できない」という認識を出発点としている。絶対安全が達成できないという前提の中で,どのようにすれば最大限の安全が実現できるか,というのが,リスクアセスメントの考え方である。そして,「絶対安全は達成できない」という認識は,おそらく正しい。そうである以上,安全実現のプロセスを重視する方が,一定の規格を守ることより,結果としての安全を実現できるのである。

原子力発電所が好例だが,我が国の安全政策は,「絶対安全」を金科玉条としてきた。しかし,その結果発生したのは,構造的継続的な事故隠しである。事故隠しは,伝統的な安全思想の破綻であると同時に,その事故の教訓を次の事故防止に生かせなかったという意味において,原子力発電所を危険に晒してきた。科学技術が高度化した現代社会においては,リスクアセスメントの考え方を取らなければ,より高度の安全を達成できないのである。(続)(小林)

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2007年5月13日 (日)

次世代ロボット安全性確保ガイドラインはロボット法か?

経済産業省がパブリックコメントを募集している「次世代ロボット安全性確保ガイドライン(案)」に関して,小椋一宏氏(株式会社ホライズン・デジタル・エンタープライズ代表取締役)が「本物のロボット三原則?」と題して,「SF好きの私としては、やはりアシモフのロボット三原則や、鉄腕アトムに出てくるロボット法のように、「ロボットは人間を傷つけたり殺したりしてはいけない」というようなものをどこかで期待していたのだが、残念ながら、現代のロボットはまだ自律的な知能を持っているとはいえないので(無理か)」という趣旨のブログを書いておられる。この文章から推測すると,小椋氏は,ロボットが自律的な知能を持てば,ロボット法が制定されうると理解しているようだが,残念ながらこの理解は正確でない。ロボットが自律的な知能を持っただけでは,ロボット法が制定されることはない。

法は,法規範とも呼ばれるとおり,規範の一種である。規範とは,要するに社会生活上のルールのことで,法規範以外にも,宗教規範や倫理規範,社会規範などがあり,それぞれに,守ることが期待されている。

規範の特質の一つは,守ることも,破ることもできる点にある。あなたが白昼,北海道の草原をドライブしているとき,赤信号に出会ったとしよう。5キロ四方に自動車はおろか,人っ子一人いないことが分かっているあなたは,信号を無視することもできる。しかし信号に従って停車させるのは,道路交通法という規範に従う選択をしたからだ。このように,守ることも破ることもできることが規範の特質であり,守ることができないルールや,破ることができないルールは規範ではない。

ところで,ロボット3原則の第1条には,「ロボットは人間に危害を加えてはならない」と規定されている。この規定はプログラムという形でロボットに与えられることになるのだろうが,少なくとも現在のところ,ロボットがプログラムに違反する選択をすることは不可能である。このことは,近い将来,自律的な知能を備えた次世代ロボットが登場しても同様であろう。そうである限り,プログラムは,これを破ることができないのだから,規範ではなく,法でもない,ということになる。

それでは,ロボット法が制定されるのは,ロボットがどの程度「進化」した段階になるのだろうか。ロボット3原則の第1条についていえば,人間に危害を加えるという選択も,加えないという選択も,ロボット自身の判断で可能になったときには,ロボット3原則の第1条が制定されることになる。制定されなければ,ロボットと人間の共生は不可能になるであろう。(小林)

小椋一宏氏のブログはこちら http://blogs.itmedia.co.jp/ogura/2007/04/post_7a73.html

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2007年5月 3日 (木)

ロボットの事故とメーカー・設計者の責任(1)

次世代ロボットが事故を起こして人を傷つけたり,財産を壊すなどの損害を発生させた場合,製造者などは,どのような法的責任を負うか。「製造物責任法」との声がすぐ上がりそうだが,製造物責任法は,不法行為法の特別類型と理解されている。そこでまず,おさらいの意味を込めて,不法行為法上の過失について,整理してみよう。

民法709条は,「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」と規定している。「過失」について,学説上一般的な説明は次のとおりである。

「過失」とは,一言で言うと,「損害発生という結果回避義務の違反」であるとされる。「結果回避義務の違反」には2種類あり,一つは,「損害発生という結果を予見していたのに,適切な回避を行わなかった」場合であり,もう一つは,「損害発生という結果を予見しなかったため,回避を行わなかった」場合である。自動車の運転手が,前方に人がいることが分かっていたのに,ブレーキの踏み方が甘くてはねてしまった場合が前者であり,居眠り運転をしてブレーキを踏み忘れた場合が後者にあたる。

もちろん,「予見義務」は,予見することが不可能だった場合には,発生しない。法律は,不可能なことを強制することはできないから,予見可能性が無かった場合には,結果回避義務も発生しないので,過失にはならないと考えられている。

同じことは,回避可能性についてもいえる。回避可能性がない場合には,回避義務がなく,従って過失にならないと一般に言われている。しかし,製造者の立場から見れば,回避可能性がないという場面は想定できない。なぜなら,「その製品を製造しない」という選択肢が常に存在する以上,回避可能性がない場面はないからだ。それでは,事故の発生を予見しつつ製品を作った製造者が責任を免れないかというと,当然,そんなことはない。たとえば,自動車の製造業者は,自動車によって,我が国だけでも毎年数十万件の人身交通事故が発生し,1万人近くの人が交通事故で死亡していることを知っている。自動車を製造すれば,人の生命身体が失われる危険性があることを予見しているわけである。だからといって,自動車メーカーが,自動車を製造した(=製造するのをやめなかった)ことのみをもって,法的責任を問われることはない。

これはどのような論理に基づくかというと,裁判例や学説は,「回避可能性がある場合でも,回避義務を尽くした場合には,過失はない」と言っている。そこで問題となるのは,「どのような場合に回避義務を尽くしたと言えるのか」という点だ。回避義務を尽くしたか否かを決める要素には,様々なものがあると考えられているが,その一つに,「製品の有用性」というものがある。つまり,「その製品に一定の危険性が存在する場合であっても,これを上回る社会的有用性が存在する場合には,製造したことのみをもって,過失があるとは言えない」という考え方である。

もちろん,有用性があるか無いかは微妙な問題であるし,時代によっても判断基準が異なる。自動車については,その社会的有用性から,製造したことのみをもって法的責任を問われないことは常識だが,煙草については,近い将来,日本でも,製造したことのみをもってメーカーが法的責任を問われることがありえよう。これは,有用性の規準が,科学技術の進歩と社会通念の変遷によって,変化していることを示している。(小林)

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2007年4月13日 (金)

次世代ロボット安全性確保ガイドラインについて(1)

経済産業省は,次世代ロボット安全性確保ガイドライン案を策定し,平成19年5月8日まで,パブリックコメント受け付けている。

この件に関する経済産業省の報道資料によれば,「近年のロボット技術の急速な発達により、近い将来には人間とロボットが共存・協調する状況が予想されますが、その導入に当たっては安全性の確保が必要となります。このため、経済産業省は、「次世代ロボット安全性確保ガイドライン検討委員会」(委員長:向殿政男明治大学理工学部 学部長)における検討を踏まえ、人間と共存する次世代ロボットの安全性を確保するための基本的な考え方をまとめた「次世代ロボット安全性確保ガイドライン」案をとりまとめました。」ということである。また,本ガイドラインのポイントとしては,「用途や形状、使用者の属性等、多種多様であるため、本ガイドラインでは、次世代ロボットに共通した安全性確保のための基本的な考え方をとりまとめました。」とのことである。

私も,この検討委員会の末席を汚した身であるが,経済産業省がポイントとして示すように,一口にロボットといっても多種多様であり,これに共通したガイドラインの作成が可能であるのか,また,意味があるのか,については,委員会の中でも議論のあったところである。

そもそも,ロボットとは何か,について,明確な定義が存在しない。現在,経済産業省をはじめ,一般に使用されている定義としては,「センサー,制御系,駆動系の3つの技術要素を有する,知能化した機械」がロボットであるとされている。つまり,「自分で感じ,自分で判断し,自分で動く」知能化した機械がロボットである。しかし,この定義によれば,自動ドアも低級ながらロボットに該当するし,車線や車間距離等の道路情報を関知し自動運転する自動車もロボットである。逆に,鉄人28号や機動戦士ガンダムは自分で判断しないので,ロボットではない。

このような定義に照らすと,そもそも,ロボットを対象とした安全基準を策定する意味があるのか?という素朴な疑問が提起されることは自然であろう。自動ドアがロボットなら,自動ドアの安全基準があるし,自動車には自動車の安全基準が存在する。わざわざロボット独自の安全基準を策定しなくても,自動車の安全基準をロボット化した自動車に合わせて改訂すればよいのではないか,という意見は十分に成り立つ。

「次世代ロボット安全性確保ガイドライン検討委員会」においても,この点に関するいろいろな意見は出たものの,明確なコンセンサスを設けることはなく,ガイドライン案の策定を行った。但し,各委員のロボットに対するイメージがバラバラではいけないので,一応,愛知万博でも活躍した自動清掃ロボットを念頭に置いて議論することとなった。以上の次第で,ガイドラインにはロボットの定義規定が存在しない。

もっとも,ロボットの定義が困難だからといって,ロボットに共通するガイドラインを策定することに全然意味がないわけでもない。少なくとも,現在世界の先進国がしのぎを削っている次世代ロボット規格の標準化のイニシアチブを我が国が取るためには,このようなガイドラインを早急に確定する必要があることもまた,間違いないところである。(小林)

経済産業省の関連ページはこちら http://www.meti.go.jp/feedback/

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2007年4月 1日 (日)

ヒューマノイド規制法について(2)

このブログで以前,「10年ないし20年先には,『ヒューマノイド規制法』と称する法体系が登場するのではないか」と述べたが,この予想は,案外早く実現しそうだ。ただし,お隣の韓国においてである。

韓国産業資源部(日本でいうと経済産業省か?)のホームページによると,「産業資源部が、ロボット産業が目指すべきロボット技術や倫理的問題、製作者の倫理、ロボットの改造・破壊などと関連したユーザーの倫理を盛り込んだロボット倫理憲章を年内に制定、公表する。 少子高齢化など、社会構造が変化し、多様な知能サービスロボットが登場する中、人間とロボットのパートナー関係に対する認識を高め、未来のロボット需要を創出するのが狙い。 また、科学技術の発達でロボットの学習能力が向上し、自ら判断して行動する知能ロボットの時代が到来すると予想されることから、ロボットの役割と機能に関する倫理的なガイドラインを提示するため。」とのことである。

人間とヒューマノイドとの間には,「不気味の谷」と呼ばれるギャップがあり,これが,将来,ヒューマノイドが広範に普及する妨げになる可能性は,日本においても指摘されてきた。韓国政府は,「ロボット倫理憲章」の策定を通じて,人間のロボットに対する潜在的な嫌悪感を取り除き,ロボット普及の手助けを使用というのであろう。

いかにも儒教の国らしいという感想もあり得るが,人間とロボットが感情面において,どのようにつきあうかという問題は,韓国に限らず,世界全般における文化と宗教の問題である。日本が次世代ロボット技術で世界をリードしたいと考えるのであれば,人間とヒューマノイドの間を取り持つ文化的・宗教的方策を研究することは必要不可欠であろう。しかし,私の知る限り,日本の政府機関がそのような研究に着手したという話は聞かない。

韓国産業資源部のホームページはこちら http://japan.mocie.go.kr/language/jap/about/news_view2.jsp

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2007年3月 8日 (木)

ゆりかご型ブランコ事件とロボットの安全

そういえば最近全く見なくなったゆりかご型ブランコであるが,この事件が起きたのは昔ではない。平成9年10月のことである。

藤沢市が設置した公園で遊んでいた9歳の女児が,ゆりかご型ブランコで右大腿骨骨折の怪我をした。そこで女児が藤沢市とブランコ製造メーカーを相手に約410万円の損害賠償を請求した。

この裁判の争点は,①事故に至った使用形態はどのようなものか,②本件ブランコの製造に過失があったか,③藤沢市に本件ブランコの設置管理の瑕疵があったか,④損害額,である。

一審の横浜地裁(平成13年12月5日判決)は,①について,女児がブランコの外側から背もたれを持って押していたところ,揺れが大きくなったので危険を感じて退避しようとした際に転び,ブランコの底部と地面に挟まれて怪我をした,と認定した上で,②について,ブランコの底部と地面との空間が22センチメートルしかないブランコを製造したメーカーの過失を認め,③藤沢市の瑕疵も認めて,④約124万円の損害賠償を命じた。

これに対して藤沢市とメーカーが控訴したところ,二審の東京高裁(平成14年8月7日判決)は,①について,一審が認定したような使用形態があったとの証明がない,そうである以上,②のメーカーの過失も③の藤沢市の過失も認められないとして,原告の逆転敗訴の判決を言い渡した。

これだけなら,高裁判決は,本事件を「本件ブランコの安全性」という問題点から証明責任の問題にすり替えて判断したとも言いうる。子どもが事故で怪我をして,大人の目撃証言がないとき,被害者は泣き寝入りせざるを得ないとも取れる論法である。高裁もさすがにこれだけでは言葉足らずと考えたのであろう,次のような理由を追加している。

すなわち,事故が客観的に見て予測可能な範囲で発生した場合,メーカー側に予測が可能であるが児童側に予測が不可能な原因(例えば支柱が突然折れるなど)については,メーカー側にこれを防止し回避する責任がある。他方,児童側が把握できる危険については,児童側に防止・回避の責任がある。本件事故の直接の原因は分からないが,仮に児童が主張するとおりであったとしても,9歳の児童において防止・回避が可能であった。従って,本件ブランコ下の空間が22センチメートルしかなかったとしても,通常有するべき安全性が欠けていたとはいえない。

要するに,本件事故がメーカー側に予測可能なものであったとしても,この事故を避けることができたのにしなかった女児の側が悪い,というのが東京高裁の論理である。

一般の方は,このような裁判所の論理をどう捉えるであろうか。法律実務家としてみた場合には,地裁の論理も,高裁の論理も,両方あり得るなあ,というのが正直な感想である。

メーカー側から見れば,予測の不可能な事故についてまで法的責任を問われないのは当然として,予測が可能な事故について全部責任を問われる,というのもかなわない。このように言われたのでは,抽象論としては,いかなる遊具も製造不可能である。具体的な使用形態がどうであれ,女児がブランコに「轢かれて」怪我をしたのに違いはないのだから,底面の空間を空けてさえおけば本件事故は回避できた,という論理で女児を勝たせることも可能であろうが,他方,底面を上げると,その下に潜り込んで遊ぶ子どもが出てくるだろう,落ちて怪我をする確率も上がるだろう,という問題が発生する。

私の法律実務家としての感想は上記のとおりだが,本件について非常に割り切れない思いが残るのは,この問題にはご存じのとおり後日談があるからだ。

この事件のほか,当時はゆりかご型ブランコで遊んでいた子どもが死亡したり怪我をしたりする事故が相次いただため,世論の高まりを受け,公園を管理する国土交通省が「都市公園の遊戯施設の安全性に関する調査検討委員会」を設置し,全国の公演の遊戯施設について調査を行ったほか,厚生労働省も児童福祉施設などが設置する箱形ブランコの事故状況を調査した。これらを踏まえ,「都市公園における遊具の安全確保に関する指針について」が国土交通省から発表された。この指針には,ゆりかご型ブランコは設置してはならないという具体的な指摘はないが,その後,全国ではゆりかご型ブランコの撤去が推進されていることはご存じのとおりであるし,現在,公園用のゆりかご型ブランコは製造されていないそうである。

前衆議院議員瀬古由起子氏のホームページによれば,ゆりかご型ブランコの事故で25人の子どもが死亡したということである。重傷者も含めればその数は数百人にのぼるであろう。被害者の中には,メーカーや地方公共団体を相手に訴訟を起こした人もいるであろうし,その中には勝訴した人も敗訴した人もいるであろう。しかし結局,司法手続はゆりかご型ブランコの撤去という結果をもたらさなかった。

それは司法の仕事ではない,政治の仕事だ,と言われればそのとおりである。でも本当にそう割り切って良いのか,というところに,法律実務家としては,何とも割り切れない思いが残る。次世代ロボットについてはせめて,何十人も死者が出る前に,法律実務家としてなすべきことをしておきたい。(小林)

国土交通省 「都市公園における遊技施設の安全管理に関する調査について」集計概要はこちら http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha01/04/041023_.html

国土交通省 「都市公園における遊具の安全確保に関する指針について」はこちら http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha02/04/040311_.html

厚生労働省の調査結果はこちら

http://www.mhlw.go.jp/houdou/0110/h1029-3.html

前衆議院議員瀬古由起子氏のホームページはこちら

http://www.seko-yukiko.gr.jp/himawari/data1/040408-221736.html

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2007年3月 4日 (日)

STATE OF THE ARTとは

 次世代ロボットの安全性を議論すると,よく,「ステイト・オブ・ジ・アート(state of the art)」という言葉を耳にするが,どういう意味だろうか。

 ランダムハウス英和大辞典によれば,これは,(テクノロジー・芸術・価額などの)最新段階,最新技術,到達水準を意味するとされる。国際版ウィキペディアによると,H.H.Supleeという人が西暦1910年に著した「Gus Turbine(ガスタービン)」という本ある,”In the present state of the art this is all that can be done.”という記述が初出だそうである。直訳すると,「現在の技術水準でやれることは全てやった」となる。

 安全工学の分野で,state of the artと言う場合,それは,「現在の技術水準に照らし十分な措置を講じたら,それでも発生した事故については不可抗力として免責される」という考え方を指すことになる。製造物責任法上も,開発危険の抗弁(製品を流通に置いた時点における科学技術の水準によって,製品に内在する欠陥を発見することが不可能な危険については,製造業者等は免責される抗弁)として,この考え方の一部が規定されている。

 この考え方は,機械を開発する技術者や製造者にとっては,都合の良いものであろう。他方,消費者側からは,異論があり得る。

 技術者や製造業者の立場から見れば,いくら消費者の期待と言っても,技術的に不可能な安全基準を要求されても困る,ということになろう。他方,消費者から見れば,「十分な措置」などという曖昧な規準で免責されることは許されない,との反論があろう。

 私のささやかなリーガルマインドに照らすと,適切な規準はstate of the artと「消費者期待規準」の中間点,あるいはそのどちらでもないところに求められるのであろう。(小林)

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2007年2月28日 (水)

製造物責任法と消費者期待規準

 ロボットが事故を起こして人の生命身体が害されたとき,当該ロボットの製造者が製造物責任法上の責任を負うか否かが,一つの争点になる。

 製造物責任法は,次のように規定している。

 「この法律において『欠陥』とは、当該製造物の特性、その通常予見される使用形態、その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期その他の当該製造物に係る事情を考慮して、当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいう。」(2条2項)。

 問題は,「欠陥」の内容すなわち「当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていること」ことの有無は,何を基準に判定されるのか,という点である。

 この点に関し,「これは欧米で既に導入されている『消費者期待基準』と同様の考え方であり、『通常の消費者(使用者)が期待する安全性』を基準にして製品の欠陥が判断されることになる。」とする見解もあるが,一般には,製造物責任法が「消費者期待規準」を採用したとは考えられていない。欠陥の有無は,消費者,製造業者を含めた「通常人」の視点から,「その製品として備えるべき安全性を有しているか否か」が判断されると考えられている。

 「通常人」って何よ,とつっこまれそうだが,これは全国民の平均値という意味でも,多数派という意味でもない。裁判官が頭の中に思い描く「一般的な合理的判断能力を有する架空の人間」である。

 それでは「消費者期待」と「通常人」という判断基準の違いは何か。観念的には,「消費者期待」規準の方が,消費者保護に厚い結論を導く,とされる。もっとも,いずれの規準にしても,日本の裁判では裁判所の胸三寸なので,結論に余り差異はないかもしれない。(小林)

 

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2007年2月24日 (土)

六本木ヒルズ回転ドア死亡事故とロボットの安全

 私が参加している経済産業省の次世代ロボット安全性確保ガイドライン検討委員会は,次世代ロボットの安全基準のガイドラインを策定することを目的としている。もっとも,次世代ロボットとは何か,となるとはっきりしないので,当面は,自動清掃ロボットのようなものを念頭に置いて安全基準を考えると言うことのようだ。

 ところで,ロボットとは何か,ということになると,実ははっきりしない。経済産業省は,とりあえず,「センサー、知能・制御系、駆動系の3つの技術要素を有する、知能化した機械システム」をもってロボットの定義としている。

 ロボット,と聞いて一般市民がイメージするものと,経済産業省の定義の最大の違いは,この定義によれば,人間に似ていることはロボットの要件ではないということである。ロボットといえるためには,センサーと知能・制御系,駆動系の3要素を備えていれば足りるので,例えば,MPUを備えた多少高級な自動回転ドアは,経済産業省の定義を借りれば,ロボットとなる。他方,鉄人28号や機動戦士ガンダムは,いずれも人間が操縦しなければ動かないので,「知能・制御系」を備えていないことになり,経済産業省のいうロボットに該当しない。

 自動回転ドアがロボットということになると,2004326日に6歳の男児(大阪府在住)が六本木ヒルズ森タワー正面入口の大型回転ドア(三和シヤッター関連会社の三和タジマ社製)に挟まれ死亡した事故は,次世代ロボットによる(もしかしたら最初の)死亡事故,ということになる。民事事件が訴訟にならずに終了してしまったため,事故原因に関する資料は公開されずじまいであった。次世代ロボットの安全性確保規準を制定しようとする立場からは,事件記録が公開されなかったことは大変残念である。

 この事故を受けて,国土交通省では「自動回転ドアの事故防止対策に関する検討会」が発足し,「自動回転ドアの事故防止対策に関するガイドライン」が制定された。その詳細は後日論じるつもりだが,関心のある方は下記ホームページをご参照頂きたい。

 このガイドラインのポイントは,次の通りである。

① 子供連れ、高齢者、障害者等の利用に配慮して、他形式のドアを併設すること。

② 挟まれ防止のため制動距離の制限、防御柵の設置など多重の安全対策を確保すること。

       衝突防止のためドアの最大回転速度(ドアの外周部で65cm/秒)を制限すること。 等

 この内容自体には,特に異論はないのだが,これで事故を防ぐことができるのか,素人ながら疑問である。この事故は典型的なヒューマンインターフェース上の齟齬が根本にあるような気がするのだが,上記ガイドラインがヒューマンインターフェースを重視した痕跡は見られない。(小林)

続きを読む "六本木ヒルズ回転ドア死亡事故とロボットの安全"

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2007年2月14日 (水)

設計上の欠陥を判断する基準

 製造物責任法上,製品の欠陥は,「製造上の欠陥」「設計上の欠陥」「指示警告上の欠陥」に概念上三分されるが,このうち,「設計上の欠陥」の有無を判断する基準として,アメリカでは,「消費者期待規準」と「危険効用規準」の二つの規準が唱えられ,対立しているとされる。

消費者期待規準とは,消費者が期待する安全性を備えているかどうかを規準とするものであり,危険効用規準とは,危険の大きさと効用の大きさを比較して,危険の方がより大きいと判断されるとき,欠陥があると判断するものである。

消費者期待規準の方は,その意味を直感的に理解しやすいが,危険効用規準の方は,ややわかりにくい。いやしくも市場に出回っている製品である以上,効用より危険の方が大きい場合は想定しにくいからだ。また,製品には効用とトレードオフの関係にある危険というものが存在するのであり(ナイフは,刃が鋭いほど優秀である),このような危険が存在するからといって,直ちに欠陥があるといえないことは常識である。

実際のところ,製品本来の効用とトレードオフの関係にある危険が裁判になることはほとんどない。「製品本来の効用は維持しつつ,設計変更により,この危険は回避できたのではないか」が問題となる。

アメリカのクェイド教授が危険効用説の具体的内容として1973年に提唱した7つの規準の中に,「その効用を害することなしに,また,その効用を維持するのに過度の経費をかけることなしに製品の危険性を除去する製造者の能力」が挙げられている。つまり,「同じ効用を,別の設計で実現できるのであれば,過度のコストがかかるのでない限り,製造者は別の設計を行うべきであった」という考え方である。

ところで,「危険効用規準」に対しては,「企業寄り」との批判が寄せられている。

危険効用説を採った場合,問題となるのは,合理的代替設計の可能性が争点になることであろう。しかも,提唱者は,立証責任を原告側(被害者である消費者)に分配するように思われる。そうだとすると,消費者は,「合理的代替設計」を立証しない限り,敗訴することになる。

構造が単純な製品であればこの立証は容易であろうが,構造が複雑又は高度な製品の場合,この立証は困難を極めると予想される。多くの場合,設計変更は製品本来の効用を犠牲にしないとしても,製造コスト,デザイン,重量,環境問題,その他様々な要素とトレードオフの関係にあるからである。逆に言えば,製造者側としては,代替設計の合理性を攻撃することは楽である。「その変更はコストがかかります。安い製品を入手することも消費者の利益になるはずです。」「その変更は,必然的にデザインの変更を伴います。この製品はデザインの良さが人気であり,原告もデザインが気に入って購入したはずです」「その変更に伴う部品は,製品を廃棄する際,環境問題を引き起こします」…云々,大いに反論することが可能となろう。合理的代替設計の有無という争点は,製造者のワークフィールドにあるので,製造者にとっては戦いやすい戦場になるのである。その意味で,危険効用規準は企業寄りとの批判はあながち的はずれではないと思う。

一方,消費者期待規準に対しては,「消費者寄り」「規準が曖昧」という批判が寄せられている。

もっとも,以上はアメリカでの議論であり,日本では,製造物責任法施行後10年になるが,現在のところ,裁判所がこの議論に立ち入った形跡は見られない。これは,日本の裁判が陪審員制ではなく職業裁判官制であること,懲罰的損害賠償が認められていないことなどの制度的相違が背景になっていると想像される。

続きを読む "設計上の欠陥を判断する基準"

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2007年2月 7日 (水)

次世代ロボットと武器輸出規制について(5)

 ところで,階段を自律的に昇降する機能を有する次世代ロボット又はその技術は,外為法による輸出規制の対象になるであろうか。

 まず「リスト規制」についてみてみると,階段を自律的に昇降する機能を有する次世代ロボットは,輸出貿易管理令別表第1の1の(7)に規定された「軍用車両」に該当する可能性がある。「軍用車両」の定義について,経済産業省の解釈によれば,「装輪又は装軌式の軍用ロボットを含む。但し対人地雷除去機を除く。」とされているようである(安全保障貿易管理ホームページの関係法令集)。したがって,この解釈に従うならば,タイヤ又はキャタピラを駆動系とするロボットはリスト規制の対象になる。

 しかし,この経済産業省の省令には疑義がある。そもそも,法律解釈の最終権限は経済産業省にではなく裁判所にあるので,経済産業省の条規解釈は,一つの参考でしかない。また,外為法48条の規定は刑罰法規であるから,罪刑法定主義に従い,厳格な解釈が要求される。

 そこで第一に問題となるのは,本件ロボットは「車両」か,という点である。外為法上「車両」の定義規定はない。参考になるものとしては道路交通法2条が「車両」の定義規定を設けているが,人が乗ることが前提となっている。とすれば,小さすぎて人が乗ることができないロボットは,たとえ車輪又はキャタピラを移動手段としていても,「車両」に該当しないと解釈される可能性がある。また,車輪やキャタピラを移動手段としないロボット,具体的には数本の足で「歩行」するものや,蛇や毛虫のようなうねり運動・蠕動を移動手段とするロボットは,「軍用」に用いられても「車両」とは言えない。

 第二に,「ロボットを含む」とする解釈の正当性である。まず,経済産業省の解釈によれば,輸出貿易管理令別表1の2(15)の「ロボット」に関し,ロボットの定義を次のように定めている。「マニピュレーション機構であって,CP制御又はPTP制御のいずれかによるもののうち(センサーを有するものを含む。),次の全てに該当するものをいう。 イ 多機能である。ロ 三次元空間を自由に動くことにより,材料,部品,工具又は特別装置の位置決め又は方位決めが可能である。ハ 閉ループ又は開ループのサーボ装置(ステッピングモーターを組み込んだものを含む。)を3以上有する。ニ 教示若しくはプレイバック方法により,又はプログラム可能なロジックコントローラとして用いる電子計算機により,メカニカルな介在なしで,利用者によるプログラム書換えを可能とする機能を有する」。この定義によれば,「階段を自律的に昇降できるロボット」は二次元空間を平面的に移動するだけ,偵察するだけの単機能だから,経済産業省の解釈上の「ロボット」に該当しない可能性がある。

 次に,「解釈によってロボットを『軍用車両』に含めることの正当性」も検討されなければならない。法文の厳格解釈を要求する罪刑法定主義の立場からすれば,他の条項では法律上「ロボット」を規制対象としていることからすれば,単に「軍用車両」と規定している以上,それはロボットを含まないと解釈する方が正当であると考える余地は十分にある。ロボットの定義が曖昧であるならなおさらである。ロボットを輸出規制の対象にするのであれば,本来,立法的に解決を行うとともに,明確な定義規定を設けるのが筋であろう。

 このような「罪刑法定主義」に基づく厳格な法文解釈については,違和感を持つ一般の方も多いと思われる。「日本の国是である平和主義や,武器輸出禁止三原則の立場からすれば,軍用に使用される可能性がある以上厳しく取り締まるべきだ」とする意見が聞こえてきそうである。しかし日本は平和主義と同時に自由経済体制をとる国家であり,輸出の自由も経済活動の自由の一環として,憲法上保障されている。規制だらけなので誤解してしまうが,貿易は本来自由であり,規制は例外なのである。また,刑事罰を科す法文については,文言から離れた解釈運用を許すと,自由に対する重大な萎縮効果を及ぼす。つまり,自分のやることが罰されるのか罰されないのかが事前に分からないと,人は正当な行為でさえ行わなくなり,極めて息苦しい社会になり,社会全体の活力と発展を削ぐ結果となる。そのため,特に刑罰法規については,厳しい文理解釈が要求されるのである。たとえば,われわれ法律家が大学で学ぶ最高裁判所の判例に,「火炎瓶事件」がある。これは,火炎瓶が爆発物取締罰則に規定する爆発物に該当するか否かが争われた事件であるが,最高裁判所は先に述べた罪刑法定主義の立場から,「爆発物」という文言を厳格に解釈して,火炎瓶は爆発物ではない,との結論を導いた(最高裁判所昭和281113日判決)。当時としては,爆発物取締罰則の適用がないと,火炎瓶の使用者に極めて軽微な刑しか科されなかったのではないかと想像されるが,国民の自由と社会の活気を守る罪刑法定主義の立場からすれば,それもやむを得ないとされるのである。

 

(小林)(続)

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2007年2月 6日 (火)

企業間分業とコンプライアンス

 平成18年2月5日の日本経済新聞「経営の視点 『あるある』が鳴らす警鐘」(編集委員小柳健彦氏)は,非常に示唆に富むコラムであった。

 このコラムは,現在話題になっている「発掘!あるある大辞典Ⅱ」のデータ等捏造(ねつぞう)問題を出発点にしつつ,企業間分業体制下において責任(感)の所在が曖昧になっていることは,放送業界に限らず,製造業を含むあらゆる業界に普遍的な問題であると指摘する。

その例としてあげられているソニーは,このコラムによれば,ノートパソコンに搭載された電池の不具合問題の際,「当初ソニーは消費者への周知や回収の義務は,一時的にはパソコンメーカー側にあると判断していた。これが結果的に消費者への対応を遅らせ,ソニーへの批判を増幅させる一因になった」と指摘している。

部品の製造業者も,その部品に欠陥があれば,原則として,製造物責任法上または民法上の法的責任を負う(製造物責任法2条,4条)。言うまでもなくソニーは世界的な大企業であるから,そんなことは言われなくても分かっている。不良品を製造販売してしまった場合の消費者への告知や回収のプログラムも,必要十分なものが整えられているであろう。問題は,「下請」という意識に阻害されて,このプログラムが発動されなかったことにある。宝の持ち腐れである。

ロボットに関わる企業は,圧倒的に中小製造業が多い。これらの企業は,数年前までは,「下請企業」と呼ばれていた。縦割り・系列の産業構造の中では,下請企業は注文主の要望に応える製品を製造することが至上命題であり,注文主だけを見ていればよかった。ところがロボットの製造に関しては,様々な要素技術を持つ企業が横に連携することが多い。この場合,各企業は,欠陥品を製造した責任を直接消費者から問われることになる。このあたりの意識改革はどの程度進んでいるのだろうか。

製造業者はときとしてコンプライアンスなんて関係ないと思いがちであるが,部品といえども不良品を製作しない,もし製作したときは真摯に対応するプログラムを整えておくことは,立派なコンプライアンスである。そしてソニーの例からも明らかなとおり,このプログラムを発動するタイミングを間違えないことは,大変重要なことである。(小林)

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2007年2月 4日 (日)

次世代ロボットと武器輸出規制について(4)

リスト規制の対象となるのは,輸出貿易管理令別表第1の1~15項にリストアップされた武器・大量破壊兵器関連・通常兵器関連等に関連する貨物の輸出と,外国為替令別表の1~15項にリストアップされた技術の提供である。詳細については,「電子政府の総合窓口http://www.e-gov.go.jp」から法令検索されたい。

リスト規制の対象となる貨物のうち,次世代ロボットと関係がありそうなものとしては,原子炉関係のロボット(輸出貿易管理令別表第1の2の(15),第1の6の(7),)水中用ロボットのうち経済産業省令(貨物等省令)で定めるもの(輸出貿易管理令別表第1の12の(5)),ロボット若しくはその制御装置又はこれらの部分品であって,経済産業省令で定める仕様のもの(輸出貿易管理令別表第1の14の(8)),軍用車両・船舶・航空機若しくはその付属品又は部分品(別表第1の1の(7)~(9))が挙げられる。 

一方,リスト規制の対象となる技術は,上記貨物の設計,製造又は使用に係る技術であって,経済産業省令(貨物等省令)で定めるもの(外国為替令別表)である。なお,輸出・提供先(仕向地)については,法文上「政令で定める特定の地域」とされ,いかにも一部地域に限定されているようであるが,政令では「すべての地域」すなわち全世界が指定されている。

次に,キャッチオール規制とは,「リスト規制」の対象となっている貨物・技術以外でも,需要者や用途から,大量破壊兵器の開発等に使われるおそれの有無を見定めるために規制する貨物や技術の輸出や提供を規制するものであり,貨物については輸出貿易管理令第4条3項が,技術提供については外国為替令17条及び別表の16が定めている。すなわち,食料品や木材などを除くすべての貨物やこれに関連する技術のうち,経済産業省が省令(輸出貨物が核兵器等の開発等のために用いられるおそれがある場合を定める省令)の規定するものが,規制の対象になる。また,省令に規定が無くても,「その貨物が核兵器等の開発等のために用いられるおそれがあるものとして経済産業大臣から許可の申請をすべき旨の通知を受けたとき」(輸出貿易管理令4条3項ロ)には,輸出に経済産業大臣の許可が必要となる。リスト規制については対象地域の限定が無いのに対して,キャッチオール規制の場合は,アメリカ合衆国,大韓民国,EC諸国ほか全26カ国が対象地域外とされている。従って,アメリカ合衆国を仕向地として規制対象貨物を輸出するのに経済産業大臣の許可は不要である。ちなみに,これら26カ国は,これらの国から大量破壊兵器の拡散が行われるおそれがないことが明白であることから,「ホワイト国」と呼ばれる。なお,「リスト規制」に該当する貨物であっても,「キャッチオール規制」の対象にならない貨物である場合には,原則として,総価額が100万円を超えないものについては許可が不要である。但し,イラン,イラク,北朝鮮,リビアの4カ国については,総価額が5万円を超えないことを要する(輸出貿易管理令第4条4項)。(小林)(続)

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2007年1月31日 (水)

次世代ロボットと武器輸出規制について(3)

 それでは,次世代ロボットの製品又はその技術を外国に輸出しようとする企業や個人は,いかなる法規制に服するのであろうか。

 我が国における安全保障貿易管理の仕組みは極めて複雑であるが,根拠法はいわゆる外為法(外国為替及び外国貿易法)であり,その内容をわかりやすく説明すると,次の通りである(以下特に指摘しない場合は外為法の条文である)。  まず,規制の対象となるのは,「貨物の輸出」(48条)及び「技術の提供(役務)」(25条)である。次に,規制の種類としては,「リスト規制」及び「キャッチオール規制」の2種類が存在する。そのため,当該貨物又は技術がリスト規制に該当しなくても,キャッチオール規制に該当するならば,所定の手続が必要になる。これに違反した場合,刑事罰と行政罰が科されることになる。刑事罰は5年以下の懲役と罰金(対象貨物・役務価格の5倍以下,200万円以上)の一方又は両方(69条の6)であり,行政罰は3年以内の輸出又は特定技術提供の禁止(25条の2,53条)である。また,刑事罰については担当者本人のほか,事業主である法人又は人に対しても罰金が科せられる(両罰規定。72条)。いずれの処分も公開されるから,報道されれば企業イメージの低下や社会的制裁は免れない。「リスト規制」と「キャッチオール規制」の併存することが,この制度をわかりにくくしている要因である。これは,東西冷戦から紛争地域・大量破壊兵器の拡散へと時代が変容したことが背景となっている。「リスト規制」と「キャッチオール規制」の関係については,次のように考えると覚えやすい。

①       当該貨物・技術が「リスト規制」のリストに載っているか?

②       リストに無くても,大量破壊兵器製造に使われる危険はないか?

 (小林)(続)



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2007年1月28日 (日)

次世代ロボットと武器輸出規制について(2)

武器輸出を規制する法制度として一世代前の人が思い出すのは,ココム(対共産圏輸出統制委員会Coordinating Committee for Export Control)であろうが,冷戦の終結に伴い1994年に解散し,その内容の一部は,199611月に成立したワッセナー協約(Wassenaar Agreement)に引き継がれている。

 ワッセナー協約の全容は(http://www.wassenaar.org/)に掲載されているが,日本語での概要は,経済産業省のホームページで見ることができる。これによると,「ワッセナー協約とは,通常兵器及び関連汎用品・技術の責任ある輸出管理を実施することにより,地域の安定を損なうおそれのある通常兵器の過度の移転と蓄積を防止することを目的として,96年7月に成立した新しい国際的申し合わせに基づく国際的輸出管理体制」であり,冷戦の終結と地域紛争の頻発にともない,旧共産圏諸国も加えた新たな武器輸出管理体制として発足し,我が国は19967月から同協約に基づく輸出規制を開始している。なお,上記の通り,ワッセナー協約は核兵器などの大量破壊兵器関連製品を対象とするものではない。警察庁のホームページによれば,国際的な安全保障貿易管理の枠組みは,次のとおりである。

 このほか,武器輸出に関する我が国の立場を示すものとして,「武器輸出三原則等」と呼ばれるものがある。これは,1967年(昭和41年)に当時の佐藤首相が表明した3原則(①共産圏諸国向けの武器輸出,②国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向けの武器輸出,③国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの武器輸出を認めない),及び,1976年(昭和51年)に当時の三木首相が表明した政府統一見解を指すとされる。

 以上が武器輸出に関する我が国の基本的立場であるが,これらは条約当事者としての国家に国際法上の義務または責務(ワッセナー協約は条約でないから法的拘束力を有しない)を負わせたり,政府の基本姿勢を示したりするのみであり,これらの条約や協約,政府の基本方針が,直接,個々の国民や企業を拘束するものではない。日本において,個々の国民や企業を拘束するのは,いわゆる外為法(外国為替及び外国貿易法)及び関税定率法である。(小林)

(続)

兵器等

汎用品

通常兵器関連

ワッセナー協約

大量破壊兵器関連

核兵器関連

NPT(核拡散防止条約)

NSG(原子力供給国会合)

生物・化学兵器関連

BWC(生物兵器禁止条約)
CWC
(化学兵器禁止条約) 

AG(オーストラリアグループ)

ミサイル関連

MTCR(ミサイル関連機材・技術輸出規制)

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2007年1月25日 (木)

次世代ロボットと武器輸出規制について(1)

 某国の軍事関係の企業が,階段を自律的に昇降するロボット技術の提供が受けられないかと訪ねてきたという。その企業は明言していないが,市街戦における偵察ロボットに使用する意図ではないか,というのである。建物やがれきの中から被災者を見つけ出すレスキューロボットの技術は,市街戦における偵察ロボットの技術とよく似ているから,軍事転用しようと思えば容易であろう。

 海外の軍事部門が日本の次世代ロボット技術に関心を示したことは,ロボット産業や技術の発展という見地からは喜ぶべきことだが,これに応じることについて,法的に問題はないのだろうか。

 ロボットではないが,軍事転用可能な工業技術を違法に輸出しようとして摘発された近年の例としては,2001年から2005年にかけて大手精密機器メーカーである株式会社ミツトヨが経済産業省の許可を受けずに,核兵器製造に転用可能な三次元測定機器5台をシンガポール及びマレーシアに不正輸出したとして,当時の役員数名が起訴された事件,ヤマハ発動機株式会社の代表取締役が200512月に,経済産業大臣の許可を受けずに無人ヘリコプターを中国に輸出し又は輸出しようとしたものとして経済産業省の告発を受けた事件(平成18年1月1日付けの読売新聞の報道によれば,福岡・静岡両県警の合同捜査本部は,同社スカイ事業部幹部ら数人を逮捕する方針を固めたとのことである),有限会社アイ・ディー・サポートが北朝鮮に対し核兵器等の開発等のために用いられるおそれのあるインバーター(周波数変換器)の輸出に関し,経済産業大臣の許可を受けずに輸出したとして20045月に同社代表取締役が懲役1年執行猶予3年の判決を受け,経済産業省から輸出禁止4ヶ月の行政制裁を科された事件,など枚挙にいとまがない。警察庁のホームページによると,これまで検挙された安全保障関連物資の不正輸出事件は18件とのことである。(小林)

 (続)

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2007年1月24日 (水)

ロボット政策研究委員会

 1月23日,経済産業省で開催されたロボット政策研究員会の次世代ロボット安全性確保検討委員会に出席してきた。
 前回の会議に出席できなかったため,今回は話の流れについて行くのに精一杯であった。
 座長は明治大学の向殿政男教授。安全工学の大家である。弁護士の私はやや門外漢だが,座長をはじめその分野の第一人者のお話を伺えるので,大いに勉強になる。
 清掃ロボットで本年度の「今年のロボット」大賞をとった富士重工業の開発担当者によるプレゼンが行われたが,現場を預かる責任者としての熱気あふれるプレゼンであった。
 この会議で触れられたいくつかのキーワードは,次世代ロボットの安全確保の観点から非常に重要なものになると思われるので,追ってご紹介していきたい。(小林)

次世代ロボット安全性確保検討委員会第1回議事録等はこちら
http://www.meti.go.jp/policy/robotto/gl_summary1.pdf

「今年のロボット」大賞のホームページはこちら
http://www.robotaward.jp/

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2007年1月 6日 (土)

ヒューマノイド規制法について

 大阪毎日放送ラジオの大谷邦郎ディレクターの依頼を受けて,平成18年1月6日のラジオ番組に出演した。この番組は,ロボットの未来像を探るというコンセプトのもと,数人のロボット関係者へインタビューを行い,その結果を編集して放送するというものであり,私もやや門外漢ながら,インタビューに応じた次第である。

 このとき大谷ディレクターが私に出した質問は,「将来,ロボットにどのような法規制が科されると思いますか?また,ロボットが社会に受け入れるためにはどのような法律が必要ですか?」というものであった。番組内で,この質問に旨く応えられたか否かははなはだ疑問であるが,このとき,私が考えたことは次のようなことである。

まず基本的な前提として,我が国の法律にはロボットに関する定義規定は存在しないし,ロボットの製造販売を一般的に許可する法規も存在しないということだ。こう聞くと真面目な日本人は「法律がないならロボットは作ってはいけないのか?」誤解しがちであるが,日本は自由主義国であるから,法律が存在しないということは,原則として何をやっても適法であることを意味する。

もちろん,ロボットの製造販売を一般的に禁止する法律がないからといって,個別の法律に違反することはできない。例えば鉄腕アトムを製造販売するのであれば,動力源となる原子炉については原子力に関する各種法規が適用されるし,お尻に組み込んだマシンガンには銃刀法が適用される。アトムが暴走して市民を殺傷すれば,生みの親である天馬博士は業務上過失致死傷罪のほか民法上の損害賠償責任に問われる。もっとも,「育ての親」であるお茶の水博士がどのような法的責任を負うかは難しい問題であるが,それは別の機会に論じるとしよう。

おそらく当面は,ロボットそのものを規制の対象とする法体系は作られないであろう。現時点でロボットを法的に定義して一貫した法体系に組み込むことは極めて困難であるし,現行の法体系でそれなりに対応が可能だからである。

しかし将来は,ロボットそのものを規制の対象とする法体系が必要となると予想される。もちろん,はるか未来(といっても50年~100年先)には,ロボットが一種の「人格」を持つ可能性があり,そうなれば,「ロボット3原則」のような,ロボットそのものを名宛人とする法律が制定されるかもしれない。「アイ・ロボット」や「A.I.」は,ロボットが人格を持った世界を描いた映画である。

しかし,私が予想する「ヒューマノイド規制法」は,ロボット自体が人格を持つ遠い未来の話ではない。ロボット自体が人格を持つ以前であっても,ロボットそのものを規制の対象とする法体系が作られる未来は,さほど遠くないと思う。10年ないし20年先には,「ヒューマノイド規制法」と称する法体系が登場するのではないか。

「ヒューマノイド規制法」が制定される背景には,次世代ロボット技術の進歩により,人間が普通にロボットに感情移入するという未来世界における社会的心理学的現実が存在する。そのロボットは,人間そっくりかもしれないが,人間とそっくりであることは,感情移入の必要条件ではないと思う。現代でさえ,AIBOのオーナーは,数十台の同型のAIBOの中から自分のAIBOを見分けるというではないか。ごく近い将来,老人ホームなどで,愛玩ロボットを巡る三角関係が発生したり,メイドロボットと心中するオタク青年が出てきたりしても,一向に不思議でない。

ロボットから目を転じれば,現代でも,人間が人間以外の物に感情移入する例は多く見られる。ペットがそうであるし,生物以外の物としては人形がその代表格である。法的には自分が所有する人形の首をもごうが,ゴミ箱に捨てようが,何ら問題がない(ペットも最近まで法的には無生物と同様の扱いであったが,動物愛護法の制定によって,自分が所有するペットであっても虐待は刑事罰の対象となった)が,道徳的には許されない。捨てるにしても,一定の敬意を払うか,あるいは宗教的手続に則って廃棄される。逆に言えば,人形はこのような道徳的規範や宗教的規範の枠内で対応が可能であったといえる。しかし,次世代ロボットの登場する近未来においては,おそらく,道徳的・社会的・宗教的規範だけでは対処が不可能となり,法規範の制定が求められるようになろう。

このように考えてくると,「ヒューマノイド規制法」の内容は,次の3点になると思われる。

第1点は,製作における制限である。人間そっくりのロボット製作が禁止されるか,または,実在する(実在した)人間そっくりのロボット製作が禁止されるであろう。交通事故で死亡した息子にそっくりなロボットを製作する天馬博士の行為は違法となるのである。また,性的愛玩用ロボット製造の是非についても議論が必要となろう。道義的には全面違法とすべきであろうが,無理に法的規制を行っても,闇ルートで製作・流通するだけである。

第2点は,使用方法における制限である。これは,ロボットを利用して違法行為や道徳・社会倫理違反の行為をさせない,という規制である。典型的には軍用ロボットや犯罪用ロボット,愛玩用ロボットに対する規制が問題になろう。

第3点は,廃棄の制限である。ある種の次世代ロボットについては,指定業者に引き取らせる方法のみでしか廃棄が許されなくなるであろう。この点は家電リサイクル法の適用ないし改正で対応できるとの見解があるかもしれないが,次世代ロボットの不当廃棄の禁止と,家電製品の不当廃棄の禁止とでは,禁止の目的が異なる。家電リサイクル法の目的は環境保護ないし資源の有効利用にあるが,ヒューマノイド規制法の目的は,ロボットの不当廃棄が社会ないし人心に与える悪影響を排除することにある。

なお,以上の考えは,私のオリジナルではない。押井守監督の映画「イノセント」は,「ロボットに人格が宿る」ということと,「ロボットに人格があると(人間が)考える」こととは違う,ということを明確に示した,私が知る限り最初の作品である。(小林)

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