2009年8月 3日 (月)

ライフログとプライバシー問題の法的切り分け(試論4)

単一端末型

端末横断型

自己回帰型

A

C

外部提供型

B

D

第4に、Dの「端末横断型で外部提供型」の場合はどうか。この場合、個人情報である以上は本人の事前の同意が必要であることは、Bの場合と同じである。問題は、個人情報を除去して抽象化する場合だ。

抽象化する以上は、Bと同じで、単一端末型と端末横断型を区別する必要はないようにも見える。しかし実際にはそうはいかない。

具体例で考えてみよう。花子さんがICカードを使い、東急二子玉川駅から渋谷でJRに乗り換え、新宿で降りて伊勢丹でハンドバックを購入したとする。使ったカードはPASMOとSUICAとクレジットカードだ。この場合、それぞれのカードを通じて記録されたライフログは、次のとおりである。

① PASMO→「花子さん」が○年○月○日○時○分○秒二子玉川駅改札を通過し、同日○時○分○秒渋谷駅改札を通過

② SUICA→「花子さん」が○年○月○日○時○分○秒JR渋谷駅改札を通過し、同日○時○分○秒新宿駅改札を通過

③ クレジットカード→「花子さん」が○年○月○日○時○分伊勢丹デパートハンドバック売場で商品番号○○のハンドバックをリボ払いで購入

①、②、③はそれぞれ一個の端末である。一個の端末ごとにライフログを第三者に提供する場合、プライバシーの問題を回避するためには、それぞれの情報から個人の属性を除去しなければならない。すなわち、上記のログから「花子さん」の部分を削除することになる。具体的には、次のとおりになる。

① PASMO→誰かが○年○月○日○時○分○秒二子玉川駅改札を通過し、同日○時○分○秒渋谷駅改札を通過

② SUICA→誰かが○年○月○日○時○分○秒JR渋谷駅改札を通過し、同日○時○分○秒新宿駅改札を通過

③ クレジットカード→誰かが○年○月○日○時○分伊勢丹デパートハンドバック売場で商品番号○○のハンドバックをリボ払いで購入

ところが、これでは、①と②と③のライフログが、同一人のものであるか否かが分からなくなってしまう。つまり、端末を横断して情報を統合することができない。言い換えると、①と②と③のライフログを統合するためには、「花子さん」という個人の属性情報が不可欠である。だから、「外部提供型で端末横断型」の場合、ライフログを抽象化するためには、抽象化の前に、個人の属性情報をキーにしてライフログを統合する必要がある。言い換えると、Bの「外部提供型で単一端末型」の場合、情報の抽象化はその端末(とその端末用のアプリケーション)の内部で行われるのに対して、Dの「外部提供型で端末横断型」の場合、情報は端末内部では抽象化されず、個人属性情報付の具体的情報が第三者に提供され、ここで統合された後でなければ、抽象化ができない。だから、「外部提供型で端末横断型」の場合、ライフログはかなり重大なプライバシー上の問題を引き起こす。なぜなら、花子さん以外の誰かが、「花子さんは○月○日二子玉川から渋谷経由で新宿伊勢丹に行き、リボ払いでハンドバックを購入した」という事実を知ることになるからであり、これは花子さんにとっては、重大なプライバシー侵害になるからだ。しかし一方、ライフログビジネスのもたらす莫大な経済的メリットは、この「外部提供型で端末横断型」にこそ存在する。

しかし、だからといって、ライフログビジネスに取り組もうと思っている人は、躊躇される必要はない。なぜなら、現在のところ、「外部提供型で端末横断型」のライフログビジネスは、技術的に難しいからだ。今のところ問題となるライフログビジネスは、せいぜい上記のABのパターンであり、アマゾンがやっているとおり、これだけでも十分商売になる。つまり、私が問題点の切り分けを行った趣旨は、「Dの問題は難しいですよ」というよりも、「A、B、Cの問題なら、プライバシーに神経過敏にならなくても大丈夫ですよ」という点にある。そして、そのうちに、Dの「外部提供型で端末横断型」についても、有用な解決策が提示されるだろう。それはおそらく、技術面と法制度面の両面からのアプローチによって解決されることになると思う。(小林)

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2009年7月31日 (金)

ライフログとプライバシー問題の法的切り分け(試論3)

単一端末型

端末横断型

自己回帰型

A

C

外部提供型

B

D

ここからが、少しややこしくなる。

第三に、Cの「自己回帰型で端末横断型」はどうか。この場合、自己回帰型である以上、Aと同じで、プライバシー上はほとんど問題がないようにも見える。しかし、上記の例のように、NTT(別にソフトバンクでもauでもよいのだけれど)と契約して2台の携帯電話を持っている人を想定してほしい。この場合、2台の携帯電話を持つということは、それなりの意味があるはずだ。知人の弁護士は、プライベート用と仕事用に携帯電話を使い分けているし、別の弁護士は、銀座のお姉さん用と奥様用に使い分けている(もちろんこの弁護士というのは私ではない)。この場合、銀座のお姉さんからの着信履歴や、絵文字のいっぱいついたメールが、奥様用の携帯電話からも検索できるのは、とても困る(もちろん私は困らない)。同様に、アマゾンで買い物をしようとしているときに、「あなたは楽天でこの商品を購入済ですが、また購入しますか?」と表示されても、やはり困る(困るというより、とても不気味に思うだろう)。このように、ネットに繋がる端末が異なるとき、人は、別の顔を持つ。このとき、同一ユーザーのライフログといえども、端末を横断して統合することには、慎重になる必要がある。具体的には、ユーザーの事前の同意が必要だろう。

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2009年7月29日 (水)

ライフログとプライバシー問題の法的切り分け(試論2)

単一端末型

端末横断型

自己回帰型

A

C

外部提供型

B

D

第一に、Aの「自己回帰型で単一端末型」の例としては、アマゾンドットコムの画面に、ユーザー本人の購買履歴が表示される場合があげられる。この場合には、プライバシーの問題は、とても小さいと考えて良い。もちろん、ユーザーの中には、自分の購買履歴をアマゾンが把握し、自分に教えてくれるというサービスさえ、不愉快に思う人もいる。そのような人には、サービスを断る機会(オプトアウト)を提供すればよい。

第二に、Bの「単一端末型で外部提供型」の例としては、アマゾンドットコムで、ユーザーの購買履歴を他のユーザーに通知するサービスがこれにあたる。冒頭にあげた、「この商品を買った方はこんな商品も買っています」という表示は、Bに該当する。

この場合には、あるユーザーの購買履歴は、当該ユーザーの個人情報にあたるから、これをそのまま、第三者に提供することは、本人の事前の同意がない限り、許されない。「綾波レイのフィギュアを購入した小林正啓さんは、綾瀬はるかのDVDも購入しました」と、他人に勝手に教えられたらたまらない。

しかし、アマゾンも、鈴木花子さんも、私の個人情報を知りたいわけでも、第三者に提供したいわけでもない。利用したいのは、「小林正啓」という個人の属性を取り去った抽象的な情報だ。だから、「単一端末型で外部提供型」の場合、ユーザーの個人情報から個人の属性を除去して抽象的な情報にしてしまえば、プライバシーの問題は起きず、第三者提供は可能になる。アマゾンが実際にやっているのはこのようなサービスであり、法的には全く問題がない。すなわち、抽象化が完全である限り、事前の同意さえ必要ない。

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2009年7月27日 (月)

ライフログとプライバシー問題の法的切り分け(試論1)

ライフログビジネスに注目が集まっているらしい。先日私が参加した「ライフログ・サミット」も、高い入場料なのに満員で、すごい熱気だった。

ライフログとは、直訳すれば「生活(life)の記録(log)」である。現代のネットワーク社会では、人は意識的無意識的に、情報の断片をネットワークにまき散らしながら生活している。そのほとんどはゴミのように無価値であるが、これらをコンピューターで統合し,価値のあるサービスを生み出すことができる。これが、ライフログビジネスである。アマゾンドットコムなどが、「この商品を買った方はこんな商品も買っています」と教えてくれるのは、ライフログビジネスの一つである。将来は、SUICAなどのICカード利用履歴を抽象化して統合することによって、東京中の人間の移動状況を刻一刻パソコンの画面に表示する、なんてことが可能になるかもしれない。この画面を見れば、いつ、どこにサービスや広告や営業マンやタクシーを投入すればよいかが手に取るように分かる。そうなれば、莫大な経済的価値が発生することになる。

ところで、ライフログビジネスの振興に障害となりうるのが、プライバシーの問題だ。私が「ライフログ・サミット」に招聘されたのも、プライバシー問題をどう考えるか、という趣旨である。有り体に言って、この問題を考えている法律家(学者を含めて)は、少なくとも日本には、ほとんどいないと思う。私のような小魚が「サミット」などという大層な会合に呼ばれたのがその証拠だ。私自身、恥ずかしながら、呼ばれて初めてこの問題を考えてみたような次第である。そこで、試論ではあるが、このように切り分けて考えてみたらよいのでは?というご提案をして、ご批判を仰ぎたい。

プライバシーの観点からライフログを考えた場合、ごく単純に言って、二つの切り口が考えられる。

一つ目は、自分のライフログが、自分に返ってくるのか、それとも、他人に渡されるのか、という切り口だ。便宜上、前者を「自己回帰型」、後者を「外部提供型」と名付ける。プライバシーとの関係で言うと、言うまでもなく、外部提供型の方が、プライバシーの問題を生じやすい。

二つ目は、自分のライフログが、単一の端末から発せられたものか、それとも、複数の端末から発せられたものか、という切り口だ。これも便宜上、前者を「単一端末型」、後者を「端末横断型」と名付ける。単一の端末とは、例えば一つの携帯電話を指す。ただ、注意していただきたいのは、機械が一つでも、端末が複数になる場合があることだ。例えば、1台のパソコンでアマゾンと楽天のサイトにアクセスする場合、端末は二つと考える。これは、機械は一つでも、アクセスしている事業体が二つある場合には、端末は二つと考えることを意味する。逆に、アクセスする事業体は一つでも、機械が二つあれば、端末は二つと考える。例えば、NTTと契約している人が携帯電話を二台持ち歩いている場合、事業体は一つだが、端末は二つとなる。ややこしくて申し訳ないが、このように考える理由は追って説明したい。プライバシーとの関係では、「端末横断型」の方が、「単一端末型」に比べ、問題を生じやすい。

さて、「自己回帰型と外部提供型」と「単一端末型と端末横断型」という二つの切り口を組み合わせると、4通りのマトリックスが完成する。このマトリックスに基づいて、ライフログサービスとプライバシーとの関係を考えてみる。

単一端末型

端末横断型

自己回帰型

A

C

外部提供型

B

D

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2009年7月14日 (火)

「自由とは何か~監視社会と『個人』の消滅」 大屋雄裕 ちくま書房

新宿歌舞伎町には50台以上の監視カメラが設置されており,もはや撮影されずに歌舞伎町に行くことは不可能らしい。アメリカでは,1994年以降,性犯罪前歴者の情報は基本的にアメリカ全土において,インターネットで公開されている。また,一部の州では,前歴者にGPS付足輪を装着させ,小学校など一定の場所に近づくと警告を与える制度が実施されている。

このような,先端技術を用いた監視システムに対して,いわゆる人権派から,個人の自由に対する不当な侵害だ監視社会だという非難がなされている。これに対して大屋は,そもそも犯罪を行う自由はないし,一般市民に~被監視者に対してさえ~一定の利益をもたらしているのは事実だし,適切に運用される限り一般市民の自由を不当に侵害することはないと言う。「監視の背後に人々を幸福にしたいという信念や善意があることは,多くの場合に事実であり,我々は,監視が親切であることを認めることから出発しなければならない」。そして,「監視」に対立する「自由」とはそもそも何かと大屋は問う。近代市民社会に想定する人間は,自由で自律的な意思決定が可能なものであることが前提とされているが,それが人間の実態とかけ離れていることは,すでに証明されている。そうだとすれば,こんな観念上の「自由」をそれほど尊重する必要があるのかと。そもそも近代市民社会が想定した個人の自由が擬制であり,個人と社会の幸福実現のツールに過ぎないのならば,監視強化によって個人と社会の幸福が実現できるとき,「自由」は必要なのだろうか。

この問いに対して大屋は共感を吐露しつつ,「自由を擬制し,自由に基づく選択の結果(リスク)を個人に負担させる」という近代社会のシステムは「まだ」尊重すべき価値があるという認識を本書の結論とする。

刺激的な内容が平易な言葉で論じられており(法哲学書に「がちょーん」が引用されるとは…),大変興味深く読んだ。あえて注文を付けるとすれば,この問題を論じる場合,監視技術の(近い将来における)技術的限界点はどこかという問題と,監視技術濫用のリスクをどの程度見るか,という問題を避けて通ることができないのに,本書はあえてこれらの問題を回避しているように見える点である。著者の大屋氏はまだ30代半ばであり,今後のご活躍を期待したい。(小林)

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2009年6月29日 (月)

防犯カメラ付き自販機いたずら、19歳会社員を現行犯逮捕

愛知県豊橋市の岩田運動公園に置かれた、防犯カメラなどがついた自動販売機のセンサーライトをハンマーでたたき壊していた19の会社員が、張り込みだった3人の豊橋署員に追跡され逮捕された。この会社員は、過去4回のいたずらも自分がやったと自供しているという。

このニュースは以前このブログでも触れたが、私が知っていた以外にも2回の被害があったようだ。つまり、この防犯カメラ付き自販機は、4回にわたって、自分を攻撃する犯人を撮影できなかったことになる。

本当に張り込み中だったかどうかはやや疑問だが、市民の安全を守るというのなら、自販機の回りに張り込むよりほかに、やるべきことがあると思う。(小林)

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2009年6月10日 (水)

防犯カメラのニュース4題

2009年6月5日のasahi.comによると,警察庁は,補正予算59千万円で,全国15箇所の小中学校近くの住宅街に25台ずつの防犯カメラ計375台を設置する。防犯カメラは,地元の警察と日頃協力的な民間の防犯ボランティア団体に管理してもらう。カメラ画像を見るのは原則,犯罪などがあって捜査上必要な場合に限る。記事は,プライバシーとの関係で論議を呼びそうだとも伝えている。

麻生内閣の巨額補正予算は,繁華街や商店街だけでなく,一般の住宅街への防犯カメラ設置を現実化した。適切なプライバシー保護方策をとる必要があることは言うまでもないし,警察もそうすると言っているようだ。

しかしそれなら,「地元警察と日頃協力的な民間の防犯ボランティア団体」に協力してもらうというのはいかがなものか。そもそも,この「民間の防犯ボランティア団体」とは何なのか。仮に町内会で組織した自警団のような団体であるなら,プライバシー保護の見地からは完全に落第である。なぜなら,そのような団体には法人格がない。法人格がない団体は,責任の所在が曖昧である。そのような団体にカメラ画像の管理を任せるのでは,管理上問題があっても責任を問えないからだ。

同日のIT proは,「1万台超の監視カメラ監視にはインテリジェンスが必要」というスウェーデン監視カメラ会社CEOのインタビュー記事を掲載した。発言の要旨は,ストックホルムで15000台のバスに監視カメラを設置する事例で,カメラに対する撮影妨害行為(タンパリング)の自動警告機能や,自動画像処理機能を備えた次世代監視カメラについてのものであるが,これらの機能に限らず,監視カメラ技術のハイテク化は,日進月歩であるし,このような技術が無ければ,増える一方の監視カメラを管理できない。

6月4日の「アキバ経済新聞」は,秋葉原先端技術実証フィールド推進協議会が数百万フレームの画像を対象に1秒以内で類似した特徴を持つ顔画像を検索することによって特定の人物を捜し出す「類似検索技術」の実証実験が開始されたと報じた。これも,監視カメラシステムが必然的に歩むハイテク化である。なお,膨大な顔画像の瞬時検索が可能になったということは,この顔画像の保有者は当然,いわゆる個人情報保護法の定める個人情報取扱事業者に該当することになり,様々な法的義務を負うことになる。分かっているとは思うけど。

6月6日の毎日jpは,タスポ無しでタバコが買えると評判を呼んだ「顔認証方式」自販機が,10歳児でも購入実例があることが判明し,そこで認証基準を見直したところ,明らかな成人でも購入が拒否されるというクレームが続出していると報じた。先端技術でも,いざ実用段階になると,うまくいかないことが多いのだろう。(小林)

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2009年6月 3日 (水)

仮釈放者に電子足輪

6月1日の読売新聞によると、法務省は、GPSを使って仮釈放者の行動を把握する仕組みの検討を始めた。当面の対象は性犯罪者であるという。

電子監視については、すでにご紹介したところであり、法務省はもう数年前から、前向きな検討を開始している。今回報道されたことの意義は、「検討を始めた」というより、検討が大詰めに入ったことを意味するのだろう。もっとも、今回の大型補正予算の余波の一つに過ぎないかもしれないが。

この問題を考えるにあたって持つべき視点は、3つはあると思う。

一つ目は被装着者の人権の問題だ。上記の電子監視は言うまでもなく、被装着者の行動の自由を侵害する。ただ、仮釈放中の者は、もともと刑務所に収容されても文句を言えない立場だから、刑務所の外で暮らせる代わりに電子足輪を付けさせられても、やはり文句は言えない。しかし、仮釈放者への電子監視が認められれば、次は前歴者(特に小児性愛傾向者)の電子監視立法が検討の俎上に載せられるだろう。日弁連は反対するだろうが、ただ反対するだけでは阻止は難しいと思う。少なくとも特定の犯罪については、本人にはどうしようもない「ビョーキ」の側面が強いことが、科学的にも明らかになりつつあるからだ。弁護士としての私の経験で言えば、男の痴漢と女の万引は、かなりの確率で「ビョーキ」である。

二つ目は刑事政策上の問題だ。電子監視は、被監視者を危険な動物と同視する政策である。言い換えれば、本人の努力による更生をはじめから期待していない(すくなくとも、そのように被監視者に思わせる)。このような刑事政策上の考え方は、昔からあるが、実際のところ、とてもコストがかかることが分かっている。人間は、「刑務所」という物理的な隔離装置を開発して長いが、技術の進歩は、電子的な社会隔離を可能にした。しかし、その功罪はまだ分からない。また、社会内更生を考える場合、共同浴場に行けなくなるなどといった日本独特の問題も考慮する必要があろう。

平成18年に法務省で行われた「更生保護のあり方を考える有識者会議」の第15回会議では、佐伯仁志東京大学教授と堀野紀弁護士が、上記二つの視点からだと思われるが、電子監視の導入に消極の意見を述べている。

三つめの視点は、電子監視のリスクだ。特に日本の場合、法務省が電子監視の導入に熱心なのは、刑務所が溢れかけていることに関係があるだろう。電子監視を導入する代わり、簡単に仮出所が認められるようになったとき、法務省は本当に仮出所者を監視できるのか。もし、被監視者が法務相の目を盗んで犯罪を行った場合、法務省が「管理責任」ならぬ「監視責任」を問われるおそれはないのか。

法務省が一番気にすることになるのは、案外、この三つめの視点かもしれない。(小林)

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2009年5月22日 (金)

ニュースBIZ出演?

テレビ大阪の「ニュースBIZ」から依頼があり、5月22日放送予定の番組のため取材を受けた。事務所にカメラが来て録画されたが、赤面ものであった。普段テレビのコメンテーターのいい加減な発言に文句ばかり付けているが、10秒前後の短い時間に要点を明確に話すというのは、一つの職人技だとつくづく感じた。この技術は、裁判員法廷のために、弁護士としても磨いておくべきかもしれない。

それはさておき、取材の趣旨は、増殖する防犯監視カメラについて法的問題点を聞きたいということだった。私としてはありきたりのことを話したつもりだが、記者氏との問答の中で、しみじみと感じたことがある。

記者氏の感覚もそうだったが、一方で、体感治安の悪化があり、技術の進歩があり、舞鶴の事件のように、防犯カメラの映像が犯罪解決に結びつく場合もある(もっとも舞鶴の事件には疑問符もつくが)。他方で、このまま、防犯カメラが増殖して本当にいいのか?という素朴な疑問もある。問題はあると思いつつも、視点が無いから、自分なりの意見を持てない。防犯カメラについて発言するジャーナリストや弁護士の多くは、監視社会だ戦争だと声高に言う人サヨク系が多く、じゃあ具体的にどうすればよいの?という答えをもらうには敷居が高い、というより、尋ねる実益がない。そして既成事実だけが積み重なっていく。

大事なことは、具体的で適切な制度とルールだと思う。ただ、このスタンスで発言すると、どっちつかずの曖昧なコメントになり、かつ、だらだらと長く話すことになる。ということで、冒頭に書いたとおり、赤面ものの取材となってしまった。まだまだ修行が足りないと実感した次第である。

なお、取材を受ける過程で、この問題に社会学の立場から取り組んでおられた大阪市立大学の中野潔教授の訃報に接した。中野教授には、いくつかのシンポジウムのほか、「社会安全システム」の共著でお世話になった。とても残念である。謹んでご冥福をお祈りしたい。(小林)

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2009年5月19日 (火)

異常行動自動検知監視カメラは警察の救世主になるか

2009年5月18日のCNET JAPANによると、400万台の監視カメラが稼働中と言われる「監視カメラ大国」英国では、監視カメラが多すぎて、警察が膨大な量のデータ処理に手を焼いているという。英国警察庁協会犯罪記録局のディレクターは、「子どもが誘拐された場合、多数の監視カメラがこの車を捕らえたが追跡できないということが起こり得る」と言ったそうである。

この発言は、イギリスの監視カメラの持つナンバープレート自動認識機能を念頭に置いたものだが、他の機能でも同様だろう。監視カメラの数が増えれば増えるほど、人間がどうやってモニターするのか?という問題に直面する。

一つの解決方法として、日本の警察庁が導入を検討しているのが、異常行動自動検知システムだ。これは、通行や談笑といった通常行動と異なるパターン、例えば喧嘩や転倒、一箇所にとどまって動かない、逆にいつもある物がなくなる、などの行動を異常行動と自動認識し、モニターする人間の注意を促すシステムである。4月16日の毎日新聞によると、警察庁は、異常行動自動検知システムを備えた街頭防犯カメラを川崎駅前に設置して実験を開始するとのことである。

このシステムが持つ技術的問題の一つは、コンピューターが認識する「異常行動」と、人間の考える「異常行動」のズレが解消できるかどうかだろう。恋人同士がハグしている映像と、ヤクザが被害者の胸ぐらをつかむ映像とが自動的に区別できなければ、モニターする警察官は、早晩、このシステムを信用しなくなる。また、カメラに異常行動と見分けられない犯罪行為、例えば熟練したスリなどは、かえって犯罪を行いやすくなるのではないかという疑念も生じうる。違法なキャッチセールスの勧誘行為と、政治的署名活動との区別は、コンピューターには不可能だ。他方、撮影される人間の軌跡を解析することによって不審人物を自動検知する機能は、少なくとも新人警官よりは優れたものになるかもしれない。

もちろん法律上の問題もある。プライバシーの問題もさることながら、最大の問題は、こういったシステムが有する萎縮効果の有無と程度である。この懸念から、こういうシステムに頭から反対する弁護士も多いが、感心しない。技術の進歩が止められないとするならば、大事なことは、技術と社会との折り合いをどうやってつけるか、例えば、適正な運用をどうやって担保するかということだと思う。(小林)

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2009年4月24日 (金)

ライフログ・サミット2009

 日経コミュニケーション社等主催のライフログ・サミット2009に弁士の1人として出席してきた。会場の青山ダイヤモンドホールは表参道に面しており、十何年かぶりで表参道を歩くことができたし、初めて表参道ヒルズも見た。完全におのぼりさんである。

 高い受講料なのに、会場は満員御礼の186名が出席され、ライフログビジネスへの関心の高さがうかがわれた。講師は、ITジャーナリストの佐々木俊尚氏をはじめとするこの分野の代表選手であり、私など文字通り末席を汚してきたようなものだ。

 ライフログについておいおいこのブログにも書いていきたいが、なにしろ法整備が全くなく、裁判例も皆無に近い。プライバシー権との関係で問題があることは間違いないが、どこからが違法かは分からない。こういったグレーゾーンを、例えばアメリカ人は青信号と受け取るが、日本人は赤信号と見る。しかしそれでは日本のネットビジネスは再びグーグルやアマゾンの後塵を拝することになるので、是非リスクを怖れず挑戦してほしい、そういう主旨でお話をしたつもりだが、弁護士が話すとどうしてもリスク回避で後ろ向きに取られがちなので、上手く伝わった自信はない。

 終了後、何人かと名刺交換をさせていただき、悩みや目標など、熱い気持ちを伺った。今後も、お力になれればと思う。(小林)

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2009年4月13日 (月)

「クラウドの衝撃」(東洋経済新聞社)

野村総研の城田真琴氏が著したクラウドコンピューティングの概説書である。「わずか5台のコンピュータが世界を席巻する。このパラダイムシフトに対応できなければ、新時代を生き抜くことはできない。」とはずいぶん大袈裟な宣伝文句だが、「クラウドコンピューティング」が、Web2.0に続く流行語になる可能性は十分あるらしい。

クラウドとは雲のことである。インターネットを図で表すとき、モコモコと雲のような絵を描くことが多い。インターネットは本来、複雑なネットワーク網と膨大なコンピュータ群によって構成されるが、それをいちいち書くと煩雑なので、モコモコで誤魔化すわけだ。

クラウドコンピューティングとは、このモコモコをモコモコと認め、ユーザーがインターネット網の向こう岸にあるコンピュータを意識せずに、色々なサービスを利用できるようにする技術である。別に未来の技術ではなく、アマゾンやグーグル、楽天などを利用するユーザーは、既にクラウドコンピューティングを利用している。

本書は、現在普及しつつあるこの技術が、近い将来一般的になり、一般市民や企業は、もはや高価で大きなコンピュータを自宅や会社に置くことなく、インターネットを通じて生活やビジネスができる世の中になる、と予言している。

それはそれで結構な話だが、法律家としてこの話を聞くとき、プライバシー情報やセキュリティは一体どうなるのか、という疑問を持たずにはいられない。膨大なコンピュータ群をクラウドと総称したところで、具体的なデータ保管やその処理は、どこかのサーバーやコンピュータで行われているのだから、そのサーバーやコンピュータがどの国に置かれているかで、適用法律やプライバシー情報の保護内容が変わってくる。プライバシーやセキュリティの保護が曖昧になってくるというリスクもある。

本書もそのあたりは意識しており、EU(欧州連合)は「データ保護指令」の中でEU内の住民の個人データに関して、十分なレベルの保護が行われていない第3国へのデータ移動を禁止していることや、カナダの公的機関が米国の愛国者法の適用を懸念して、米国内のサーバーの利用を禁止していること、各国でプライバシーやセキュリティの懸念が高まっていることに触れている。

日本政府もクラウドコンピューティングへの関心を高めており、「霞ヶ関クラウド」とか、「ICTニューディール」とか、言い始めている。これらのトレンドの中で、プライバシーやセキュリティは、再び、インターネットとどう付き合うか、という問題を突きつけられることになるのだろう。(小林)

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2008年12月25日 (木)

DISTURBIA(DVD鑑賞)

デートムービーとしては傑作。しかし、電子監視の実態を学ぶのが鑑賞の目的である。嫌みな高校教師をぶんなぐった主人公は、裁判所から3ヶ月の自宅謹慎を命じられる。この高校生が監視の目を盗んで自宅を出ないようにするのが、電子監視システムだ。裁判所の黒人女性職員は、主人公の右足首に発信器付きブレスレットを巻き付けると、機能を説明する。

Okay, you're all set to go nowhere.(さあ、あなたはこれでどこにも行けないわ。)Now, green means you're good, you're in the safe zone,(緑のランプがついている間は問題ありません。)which covers about a 100-foot radius from this guy.(その範囲はコイツ~と言って電話機横に設置された親機を指さし~から半径30メートル以内よ。)

You unplug it, the police comes immediately.(もしコイツの線を抜いたら、警察が駆けつけるわ。)He's like a modem.(コイツは通信機のようなものね。)He gets a constant GPS signal from Mr. Bracelet(コイツは君の足首につけられたブレスレットからコンスタントに位置情報の送信を受ける仕組みなの。)that goes through your phone line to the monitoring systems downtown.(その信号は電話線を通って警察署のモニター室に送信されるわ。)So they know where you are, where you've been and what you're thinking,25/7.(だから警察は、君がどこにいるか、どこにいたか、なにを考えているか分かるの。24時間ね)What if he accidentally goes beyond... red light flashes.(もし境界を越えたら赤いランプが付くわ)You got 10 seconds to get your butt back to green, or else.(そうなったら10秒以内に戻ることね。そうでないと…)」

主人公「Or esle what? The execution squad shows up?(そうでないと?死刑執行隊がやってくるのかい?)」

職員「And they don't bring blindfolds.(そう、目隠しなしでね。)It's tamper proof and waterproof.(このブレスレットは耐熱防水よ。)So don't try to stick your foot in a bucket of water and hop across the line.(だからバケツに足をつっこんで境界を越えようなんてしないでね。)」このあと女性職員は、このシステムの使用料として一日12ドルが発生すること、クレジットカード払いも受け付けていること、2、3日すると気がおかしくなってくるから気をつけるように、と言い残し、取説を置いて去っていく。

 刑事罰の執行費用をクレジットカード払いで受け付けるアメリカ人の度量の広さには驚嘆するが、それはさておき、この説明から、電子監視システムの内容を知ることができる。

まず、衛星と位置情報を交換する機能は親機(ご丁寧にSENTINEL(歩哨)という商品名であった)にある。親機にはあらかじめ設置場所の緯度経度情報が入力されており、移動されると警報を発する。電源式だが、短時間の停電で警報を発しないように、電池を内蔵していると思われる。親機は電話線でモニターされており、電話線が切断されればモニター室側で警報が鳴る。一日12ドルの使用料には、電話料金も含まれているのだろう。DSLや光回線ではなく、電話回線を使用するのはなぜなのか。電話回線なら、さほど多量の情報は送れないことになる。

 親機と子機、すなわち主人公の右足首に装着されたブレスレットとの関係はやや不明だが、微弱な電波のやりとりによって、子機が親機から離れすぎていない、ということを常時確認し続けるのだろう。このやり方だと、親機の電波の届かないところが「圏外」すなわち危険ゾーンということになる。このやり方の長所は単純で安価で堅牢なことにあるが、他方、遮蔽物や、気候や、環境や電池のへたり具合などによって境界に差異や変動が発生しないのか、気になるところだ。そうだとすると,非装着者の具体的な位置(どの部屋にいたか,など)は分からないことになる。もちろん,非装着者が何を考えているのかは分かる訳がない。また、子機は電池式だが、電池を交換する際警報が発しないようにするにはどうするのだろうか。きっと取説に書いてあるのだろう。この映画では,電子監視システムは主人公が自宅を出られないという設定のための小道具に過ぎないので,これ以上の機能は分からない。

日本の法務省は、電子監視の導入を検討している。一つは仮釈放者の処遇に、もう一つは性犯罪等特殊な犯罪の前科前歴ある者への装着である。前者の場合は映画と同様のシステムが想定されるが、後者の場合は映画とは逆に、近づくことを禁止された場所(学校など)に近づくと警報が鳴る仕組みになる。電子監視に興味のある方には、是非この映画をごらんいただきたい。恋人と一緒に見ると、一石二鳥である。(小林)

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2008年12月19日 (金)

ズボン女性のお尻を撮影する行為は有罪か

やや旧聞に属するが,ズボン女性(27歳)の背後からカメラ付き携帯電話で撮影を行った自衛官の男性(31歳)が北海道迷惑防止条例違反に問われた刑事裁判で,11月10日付の最高裁判所第3小法廷は上告を棄却し,有罪と判断したが,田原睦夫判事のみ,無罪との反対意見を述べた。

反対意見の論理は,平たく言うと,次のとおりである。「①『臀部を視る』という行為それ自体に『卑わい』性は認められない。②視る行為に卑わい性が無いときに,撮影する行為が卑わい性を帯びることはない。③仮に本件の撮影行為が『卑わい』な行為にあたるとしても,この条例で罰するほどのものではない」

①と③については,その通りと考えるが,②については,疑問である。肉眼で視ることと,カメラで撮影することの間には,質的な差があると思う。肉眼で視るときは,所詮,その人限りである。その情景を他人に伝えようとしても,言葉で記述するか,絵にするかしかない。いずれの場合でも,本人の主観と描写能力を経て表現された尻は,もとの尻ではない。

これに対して,カメラで(特にデジタルカメラで)撮影された画像は,撮影者限りのものではない。幾らでも複製でき,ネットを通じて無限に流通しうる。デジタル・ネットワークの時代において,この違いは重視するべきだと思う。言い換えると,女性の尻を肉眼で視る行為は,プライバシー情報の取得にはならないが,同じ映像をカメラで撮影する行為は,プライバシー情報の取得になり,正当性がない限り,違法なプライバシーの侵害となると思う(プライバシーの定義を論じると大変なので,ここでは触れない)。

田原裁判官は,「写真の撮影行為であっても,一眼レフカメラでもって,『臀部』に近接して撮影するような場合には,「卑わい」性が肯定されることもありうる」と述べているが,この記述は多少カメラを扱う者から見れば,不適切だし,矛盾している。なぜなら,「臀部に近接して撮影」する態様が問題なら,一眼レフカメラである必要はないし,臀部を大写しにするのがいけないという趣旨なら「望遠レンズ」という言葉を用いるべきだし(一眼レフカメラである必要はない),この場合「近接して撮影」する必要はない。現代なら,普通に写真を撮って,臀部だけ思いっきり拡大するという方法もある。

多数意見は,「5分間,40メートルあとを付けて,11回撮影した」という態様を問題にしていると思われるし,それは,本件女性のプライバシーの侵害という見地から見れば,間違いなく違法であると思う。ただ,この被告人が罪に問われた北海道迷惑防止条例違反に該当するのか,すなわち,最大懲役6ヶ月,罰金50万円に該当しうるほどの違法行為であるのか,については,田原裁判官と同じで,疑問である。(小林)

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2008年12月 4日 (木)

住基ネット最高裁判決と自己情報コントロール権

平成2036日の住基ネット最高裁判決から半年経過して,ほぼ評釈が出そろったようである。

大阪高裁判決は,住基ネットは憲法13条が保障する自己情報コントロール権を侵害すると判断したが,最高裁は,自己情報コントロール権が憲法上の権利であるか否かについて,一切言及しなかった。本稿では,この点に限定して,最高裁判決の評釈をご紹介したい。

まず,法務省大臣官房民事訟務課の工藤敏隆氏は,「自己情報コントロール権については,法文上の根拠が存在せず,その内容,範囲,法的性格に関して様々な見解があり,権利としての成熟性が認められないから,未だ実態法上の権利とは認められない。そもそも,プライバシーの法的保護の内容は,…消極的自由権として把握されてきたものである。自己情報コントロール権を認める見解が主張する個人情報の開示請求権・訂正請求権は,憲法13条の文言解釈を逸脱するものではないかとの疑問があるし,民事法上も極めて困難である。本判決が,自己情報コントロール権に基づく削除請求を認容した原判決を破棄した上で,「個人の私生活上の自由」に対する制約の許否として改めて検討し直したのは,右の諸点を考慮したことによるものと思われる。」として,最高裁の判断を積極的に評価した。

判例時報2004号は,最高裁が自己情報コントロール権に言及しなかったのは,「いわゆる『自己情報コントロール権』が一定の範囲で司法上の人格権ないし人格的利益として認められる余地があるとしても,…住基ネットはそのような権利ないし利益を違法委に侵害するものではないから,本件では原告の主張する『自己情報コントロール権』が憲法上の人権であるか否かについて判断を示すまでもないと介したものと考えられる」としている。

田島泰彦上智大学教授は,法律時報801号で,「本判決には,自己情報コントロール権はもとより,プライバシーの言葉すら登場しないだけでなく,保障の範囲も第三者提供の規制という場面に限られており,何よりも京都府学連事件判決はもとより,早稲田大学名簿提供事件判決でも明示されていた『本人の同意』という要件が外されていることである。本人の同意は,自己情報コントロール権をはじめとする現代におけるプライバシー権の保障にとって本質的とも言える要素であり,…これが取り除かれたことにより,個人が同意していなくても,また住民らによる自己情報コントロール権の主張によっても違憲・違法とならないというこの度の最高裁の結論をより容易にし,拍車をかけることにならなかったか」として,最高裁判決を批判している。

筆者としては,最高裁判決が,自己情報コントロール権に言及しなかったのは,この概念が高度情報化社会に適合的でないという懸念をぬぐい去れなかったからと考えたい。情報は,大きく分けて「モノの情報」と「ヒトの情報」に分けられるが,「モノの情報」も,そのモノに対する権利を通じて,多くは「ヒトの情報」に収斂していく。純粋にヒトと無関係な情報は気象や地理の情報くらいだろう。情報の大半が「ヒト」すなわち「誰か」の情報であるとして,それだけで,その「誰か」がこれを「コントロールする」権利を持つと考えてよいのか。おそらく,この考え方は,高度情報化社会・ハイパーネット社会になじまないと思う。(小林)

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2008年12月 3日 (水)

福岡県弁護士会「グーグルストリートビュー」中止を求める会長声明

 2008121日,福岡県弁護士会が,会長名で,グーグルストリートビューの中止を求める声明を出した。公的団体の声明としては,先日の杉並区議会決議に続くものと思われるが,弁護士会が声明を出すのはおそらく初めてだからなのだろう,報道もされている。

弁護士会長声明というと,その弁護士会の総意のように受け取られがちであるが,実態はそうでもない。弁護士会にはいくつかの委員会(例えば,人権委員会,消費者保護委員会など)があり,それぞれの委員会はその分野に熱心な弁護士を中心に運営されている。その委員会が,弁護士会として対外的に何かをアピールすべきだ,と考えたとき,会長に対して,声明の発表を具申する。そして,会長以下執行部が承認すれば,それが会長声明として発表されるという段取りである。もちろん,だからといって,声がデカければ横車が押せるというわけではない。会として他の声明との整合性を図らないといけないし,相当数の会員が反対するような内容なら,会長声明にはならない。

この会長声明を具申した委員会の正式名称は知らないが,日弁連で言うと情報問題対策委員会に該当する委員会であり,その中心になっているのは,福岡県弁護士会に所属する武藤糾明(ただあき)弁護士と思われる。武藤糾明弁護士は日弁連情報問題対策委員会の副委員長であり,ストリートビュー問題以外にも,Nシステム裁判や,福岡市繁華街に設置された街頭監視カメラの問題,福岡市住基ネット訴訟などについて,熱心な活動をしておられる。

Matimulog氏は,「でもなんで福岡なんだ?まだグーグルストリートビューが来ていないのに」と,至極ごもっともな疑問を呈しておられるが,武藤糾明弁護士が活動の中心にいると考えれば,謎は解ける。

私自身は,グーグルストリートビューが現行法上,本質的に違法であるとは考えていないが,だからといって,今回の声明が間違っているとまで言うつもりはない。一つの立派な見識であると思う。ただ,やや疑問に思うのは,グーグルストリートビューが違法なら,商店街の監視カメラはもっと違法なはずだし,そうであると考えるなら,弁護士である以上,カメラの撤去や損害賠償を求める訴訟を起こせばよいのに,なぜ起こさないのだろうか,という点だ。原告適格を得るのは簡単である。自分で,その商店街を歩けばよいのだから。

あるいは,まず世論を見方に付けてから裁判を起こすという作戦なのかもしれない。世論を味方に付けるという意味でなら,グーグルストリートビューは,格好の素材を提供したと言えよう。(小林)

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2008年11月17日 (月)

次世代街頭監視カメラシステムについて

2002年,新宿歌舞伎町に街頭監視カメラシステムが導入されたことを皮切りに,渋谷,池袋など,東京都内の繁華街を中心とする数カ所に,警視庁の運営する街頭監視カメラシステムが導入された。

現在,このシステムを全国に普及させることが検討されている。ここで検討されている次世代街頭監視カメラシステムとして想定されているものは,次のようなものと推測される。

まず,カメラの台数と密度は飛躍的に増える。おそらく一地域あたり数百台のカメラが設置されるだろう。そして,このカメラが撮影した映像は,警察署のモニター室で集中管理される。

もっとも,数百台から数千台のカメラの映像を,モニター室で一括管理することは,予算の上からも,モニターを監視する警察官の負担からも,限界がある。そこで導入されるのは,異常行動の自動検知システムだ。このシステムには,予め異常行動をインプットしておき,これに該当すると判断される映像をピックアップする方式もあるが,これでは事前にインプットする異常行動が膨大なものになり,コンピューターの能力上処理できない。そこで,各カメラに接続されたコンピューターが,「通常行動」を自動学習して,「通常行動」から逸脱する映像を異常行動と判断するシステムが導入されることになる。そして,「異常行動」が検出されたら警報が発令され,その画像のみモニターに拡大表示され,犯罪性の有無等を担当警察官が判断することになろう。また,個々のカメラが撮影した画像は,メモリー又はハードディスクに一定期間保存されるが,再生されない限り,人間の目に触れないまま,自動的に上書きされ抹消される。セキュリティやプライバシー保護のために,画像は全部が暗号化されるか,容貌だけ暗号化される可能性もある。また,指名手配画像データと顔認証システムを組み合わせて,自動的に指名手配犯を検出するシステムも導入されるかもしれない。

このようなシステムは,理論的にはすべて実現可能だ。ただ,現実に信頼性のあるシステムとして設置運用するためには,技術的に,いくつかの問題をクリアーする必要があるだろう。たとえば,カメラの解像度は飛躍的に向上しているが,数百台以上のカメラの高解像度動画像を遅滞なく伝達するネットワークの確保や,短期間とはいえ膨大な量の動画を保存する記憶媒体の問題などである。そして,システム運用上最も重要な技術上の問題は,「異常行動の自動検知システム」が使い物になるかどうか,という点だ。酔っぱらいの喧嘩は自動検出できても,置き引きやスリを自動検出できないシステムならば,高額の予算を投じることは許されないだろう。かといって,敏感に設定しすぎると,モニター監視員の能力を超えて警報が発令されることになるし,これを鈍感に設定しすぎると,検出するべき犯罪行為が漏れてしまうことになる。

法律的には問題がないのだろうか。筆者の考えでは,録画についての取扱が上記のとおりである限り,これを明白に違法と断じる法律上の根拠は,現時点では存在しない。法律的に平たく言い直せば,このような「次世代街頭監視カメラシステム」は,数百人の生身の警察官が街頭に立って周辺を警戒していることと変わらない。生身の警察官を立たせて違法でないならば,代わりにカメラを設置しても違法でない,という理屈が,一応成り立つ。

もっとも,「違法と断じる法律上の根拠が現時点では存在しない」ということと,「違法でない」ということとは別問題だ。このような次世代街頭監視カメラシステムは,旧来の法理論が予測していなかったシステムであり,新しい技術,新しいシステムが導入されれば,これに応じた法理論が構築される。狭い地域に数百人の生身の警察官が24時間立ちっぱなし,という社会は法律的に許されるのか,これに代わって機械が監視の役目を担ったとき,法的には違法性が増すのか減るのか,といった検討が必要になる。(小林)

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2008年10月26日 (日)

防犯カメラ付き自販機また壊され「監視反対」と落書き

全国で初めて,1010日に愛知県豊橋市の岩田運動公園に設置された防犯カメラ付き自動販売機のカメラ部分が13日に壊され「監視反対」と落書きされたことは記憶に新しい。

その自動販売機が修理され再度設置されたとたん,また壊され監視反対などと落書きされているのを豊橋署員が見つけたと,26日に報じられた。

市民の安心安全に不可欠な防犯カメラ付き自動販売機を二度も破壊するとは,不埒な連中がいるものである。公園でさえ,とても危険であり,防犯カメラ付き自販機を設置しなければ,市民の生命と安全は到底守れない。しかも,この自販機には警察直通の電話機が設置されている。もし市民が暴漢に襲われたら,広い公園にたった一台の,この自販機にを探し当てて駆けつけ,カバーを開けて受話器を取って警察に電話して,「もしもし,もしもし?助けて下さい!変な人が私を追っかけてきて…」って,喋っているうちに殺されたり強姦されたりしてしまうだろうが,それでも犯人逮捕に一役買うに違いない。なにしろこの防犯カメラは前を人が通るだけで撮影する仕組みだから,公園を訪れた不倫カップルも,仕事をさぼって昼寝に来たサラリーマンも,みな撮影することになっている。この中に犯人がいるに違いない。

警察はこれに懲りず,再々度防犯カメラ付き自動販売機を設置するべきである。また狙われたらどうするのかって?

もちろん,もう一台,防犯カメラ付き自販機を設置するのだ。それも壊されたらもう一台。公園を防犯カメラで埋め尽くせば,自販機を壊して落書きをする不心得者を撃退できるだろう。(小林)

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2008年10月19日 (日)

新世代ネットワーク研究開発戦略本部

20001014日,NICT本部の新世代ネットワーク研究開発戦略本部で講演とセッションを行った。

この戦略本部は,インターネット普及の最大功労者の一人である元大阪大学総長宮原秀夫氏が昨年創設した組織であり,現在のIPネットワークの限界を見越した新世代のネットワークを構築するための中長期的な戦略について検討を進めようとするものである。

我が国としてのICT戦略の遅れに対する彼らの危機感は深刻である。20089月に著された戦略本部の「新世代ネットワークビジョン」によると,アメリカやBRICs諸国の発展に比べ,我が国の国際競争力は衰退の一途をたどっている。「『産学官を結集しオールジャパン体制を構築することによって世界を先導する』といった,旧態依然とした発想を受け入れる余力は我が国にはない。縦割り行政の弊害,研究費のばらまき施策,技術の空洞化,ニッチ市場での生き残り策の追求,グローバル化されないアカデミア,若年層の科学技術離れなど問題は山積しているが,一言で言えば,戦略無き研究開発が今日の事態を招いたと言えるであろう。」と手厳しい自省の言葉に満ちている。

講演での質問や,セッションでも,いくつか興味深い発言に接した。例えば,研究開発者はプライバシーの問題に直面したとき,どのようなオーソリティに助言を求めたらよいか分からず,尻込みしてしまうことが多々あるという発言であり,この種の悩みは,この分野に筆者が参加してから,頻繁に接する。

これに対する最も理想的な答えは,アメリカのように,個人的な確信(神の啓示とたとえても良いが)があれば,やってしまえという健全なチャレンジ精神を重視することであろう。しかし,失敗を許容しない日本文化の中では現実的でない。次善の策としては,監督官庁(たぶん総務省)を中心に,一定のガイドライン等を策定しつつ,産学が安心して開発に取り組める環境を整えることになるだろう。しかし,現在の政治状況や,住基ネット騒動に起因する一種の敗北体験からか,この点に関する総務省の腰が重いのも事実である。そこで現在は,ユビキタスネットワークフォーラムなど半官半民の団体が事実上主導していく方策しかないであろう。

非常に厳しい環境であるが,世界をリードしうる我が国の技術分野としては,ICTがその筆頭になりうるだろう。筆者も微力ながら応援しているので,研究者の皆様には,是非めざましい成果を上げて頂きたいと思う。(小林)

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2008年10月15日 (水)

カメラ付き自販機壊され「監視社会」と落書

1014日の各紙によると,愛知県豊橋市岩田町の岩田運動公園で,110番機能を持ち防犯カメラを装備した自動販売機が壊され,「監視社会」と落書きされた。

この自動販売機については,本年1月8日のブログでも触れた。自販機荒らしと街の治安維持のために,前方を人が通っただけで撮影する機能を持つ自動販売機である。その時は,群馬大学の藤井雄作教授とコカ・コーラボトリングの提携だったはずだが,10月10日に愛知県に設置されたものが,この系列に属するか否かは分からない。ちなみに,このブログによると,愛知県の自販機荒らしは,2006年は全国ワースト1位だったが,翌2007年に被害額は3分の1以下に激減してワースト1位を返上したそうである。この防犯カメラ自販機は,その後に設置されたものだ。

このタイプの自販機に対する私の考えは,以前と変わらない。これは例えるなら,道のほうぼうにカメラを持った人が立っていて,その前を横切ると写真を撮られる,ということと同じである。「何で写真を撮るんだ」と問いかけると,「街の安全のためです。ただ撮影しているだけで,事件などが起こったときに現像するだけですからプライバシーの配慮も万全です。ついでといっては何ですが,私はジュースやお茶の販売もしています。買って行きませんか?」との答えが返ってくる。そう答えられたら読者は 「ご苦労様です。治安維持に役立つならどうぞ撮影してください。」と納得するだろうか。私なら不愉快に思う。「今撮影したこのとき犯罪は起こりましたか?起こっていないなら,撮影した画像は今削除してください」と答えたい。まして,お茶を買う気など起きない。

前回私はこう書いた。「自販機荒しという犯罪が相当程度発生している以上,これを防止するという目的は正当である。次に,カメラで自販機荒らしが防止できるかについては,やや疑問もあるが,あるとしておこう。しかし,自販機荒し防止を目的とする撮影は,その目的に必要な限度に限定されなければならない。その自販機に何の用もない,ただの通行人を全員撮影するのは行き過ぎである。」

今回報道された自販機の破壊はれっきとした犯罪であり,それ自体として弁護の余地はない。しかし,この犯行から明らかになったことが二つある。一つは,防犯カメラ付き自動販売機は防犯の役に立たないということ。もう一つは,自動販売機にまで防犯カメラが装備される風潮を快く思わないのは私だけではない,ということだ。

私自身は,ネットワークカメラやユビキタス技術の推進を後押ししたいという,弁護士としては比較的珍しい(?)立場にある。しかし,学者の研究と,業者の思惑と,役所の予算ばらまきがいびつな形で結合すると,ときどき,とてもセンスのないものが生まれるのは困ったものである。(小林)

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2008年9月29日 (月)

Google Street Viewとプライバシー権

2008918日に掲載された佐々木俊尚氏の「Google Street Viewの『日本の風景』が投じた波紋」は,Google Street View(以下GSV)に関する,これまでの議論を要領よくまとめている。

記事によれば,GSVに対する意識調査の結果,懸念として,「プライバシー侵害の不安」を掲げた回答がトップの67.6%に,「犯罪に使われないか不安」と指摘した回答が第2位の58%に上ったという。IT企業役員の樋口理氏は,ご自身のブログで,「僕らのプライバシー感覚と防犯意識」の観点から,日本の生活道路をGSVの対象から外してほしいと訴え,海外も含め賛否両論を呼んだとのことだ。そして記事は,米国の著名なブロガーの反論として,「日本人のツアー客がアメリカに来ると,(生活道路を含め)ストリートを撮影するのはオーケーだった。Googleが同じことを自動的に行うと全然違う話になってしまう。どうしてそういう理屈になるのか興味があるね」という意見を掲載している。

「どうしてそういう理屈になる」のだろう。これが第1のポイントである。そしてこの点については,「撮影すること」と「公開すること」を分けて考える必要がある。樋口氏は明確に認識しておられないようだが,GSVの問題性にとって本質的に重要なのは,「公開すること」であって「撮影すること」ではない。

確かに,撮影行為それ自体がプライバシー権侵害になる場合はある。判読可能な形で表札を撮影することや,人間より高い視点で私邸をのぞき見するように撮影することは,それ自体プライバシー権の侵害になる(厳密に言うと,個人情報とプライバシー情報の異同という問題はあるが,本稿では触れない)。しかし,家の外観や,路上に駐車された自動車を撮影することは,原則としてプライバシー侵害にはならない。

しかし,撮影することがプライバシー侵害にならなくても,その画像をネットで公開することがプライバシー侵害になるか否かは別問題だ。そして,GSVの問題は,「いつでも,検索可能な状態で」撮影画像が全世界に公開されている点にある。これが,例えば自宅を撮影された人の反感を呼び,「撮影はともかく,公開はいやだ」という「理屈」になるのだと思う。

同じような理屈は,例えば観光地で記念撮影をする際,赤の他人が写り込んでも違法にならないのに,その写真を自分のブログで公開すれば違法になりうるのはなぜか,という問題にも見られる。

実は,法理論としては,公開の程度によってプライバシー侵害になったりならなかったりする,という考え方は一般的ではない。筆者の知る限り,筆者以外の法律家で,このようなことを言っている人はいない。一般的には,ど田舎の商店会のミニコミ誌に掲載されても,朝日新聞の1面トップで報道されても,おなじ「公開」としか理解されていない。しかし,プライバシー情報の「公開」には程度があるはずだし,ある程度を越えたところでプライバシー権の侵害が違法になるという理屈は成立してよい。

そして特に,GSVは,検索可能であるという点,すなわち視聴者は一方的に情報を受領するだけ,というのではなく,視聴者が積極的に画像情報を検索しうるという点において,例えばテレビ放送に比べて,プライバシー権侵害の程度は高いのである。とても懸念されるのは,技術の進歩に対して,法理論が全く追いついていないことだ。(小林)

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2008年9月24日 (水)

認知症グループホームの「見守り」カメラは誰のプライバシーを侵害するか

2008921日のasahi.comによると,認知症グループホームの中にカメラを設置して介護職員を援助するプロジェクトが,北陸先端科学技術大学院大学高塚亮三氏を中心に進められていたが,NPO法人全国認知症グループホーム協会が,「利用者からすれば監視以外の何ものでもない。徘徊による事故の防止には必要最低限のセンサーの設置で不十分か否かを議論する必要がある」と実用化に反対する立場を明確にしたところ,プロジェクト側は当面製品化を中止することにしたという。

ネットワークカメラやRFID等,ユビキタス技術実用化の研究が,プライバシー権侵害などの批判を受けることはよくあることだ。しかし大概の研究は,批判をものともせず続行される。これに対して,このニュースは,プロジェクト側が批判を受け入れて研究の製品化を中止してしまった点で,特異性がある。なぜこういう展開になったのだろう。

グループホームとは,知的障害者等の生活援助事業の一つで,5~9名の要介護者が市井の一般住宅で,介護者とともに共同生活を営むものである。1980年代のスウェーデンで発祥し,1991年に日本に導入された後,法制度が整備され,2000年で全国に270であったグループホームは2004年にほぼ20倍の2520と急増した(小学館日本大百科事典より)。要するに,郊外の老人ホームではなく,町中の一般住宅で老人を介護するわけである。グループホームは本来,年齢に関係なく知的障害者や精神障害者を援助するものであるが,日本では,認知症高齢者の介護施設を指すことが多い。

日本のグループホームは,慢性的な人手不足と資金不足に悩まされている。時折グループホーム職員による虐待が報道されるが,人手不足も間違いなく,その背景にある。ユビキタス技術を使って,人手不足を解消しようという試みは,しかし,当のグループホーム運営者によって拒絶されてしまった。ユビキタス技術の研究者は,この事件を他山の石とするべきだと思う。

NPO団体の反対声明文が公開されていないので,想像によるしかないが,そもそも,グループホームの人手不足をITによって補うという現代日本的な発想に問題があった可能性がある。

グループホームが4年間で約20倍と急増したのは,おそらく,スウェーデンで説かれた理想が素早く浸透したからではない。空き不動産を老人介護施設に転用できるという初期投資額の少なさに,行政が飛びついた結果だと思う。だから,予算不足と人手不足は,日本でのグループホームに運命づけられていたのではないか。そして,福祉大国スウェーデンにおけるグループホームの実態は,日本のそれとかけ離れていると想像する。そのため,日本におけるグループホームの創始者たちは,もっと予算をもっと人手をと訴え続けていると思う。そんな彼らに対する回答が,「ユビキタス技術で人手不足を解消します。1セット150万円で,維持費が年○○万円です」というものだったらどうなのだろう。この回答は,おそらく,グループホーム創設者たちの理想から遠ざかるものと受け取られたと思う。

NPO団体の指摘も重要である。監視カメラによるプライバシーの侵害は,原則として,被撮影者またはその保護者の同意があれば回避できる。その意味で,被介護者のプライバシー侵害の問題の解決は容易だ。他方,介護職員の立場からすれば,痴呆老人が相手である以上,暴力や虐待に至らないまでも,多少手荒なことをすることだってあるだろう。その中で,自分の行動が逐一撮影され記録されているというのは,多大なストレスとなりうる。これは一種の職場監視だ。グループホームにネットワークカメラを導入することが,介護職員の反発を招くことは,研究者自身,気付いていたようであるが,結局これを解決することができなかったようだ。

研究者たちの発想に対して注文したいことは,次の2点である。まず,「民家・少人数」を特徴とし,閉鎖的な組織であるグループホームに,そもそもユビキタス技術の導入は必要だったのだろうか。「行政の研究公募」に,ご自分たちの研究を,無理矢理当てはめようとしなかったのだろうか。老人介護の世界では,むしろ,大規模老人ホーム等への導入から考えるべきだったのではないだろうか。

もう1点は,「監視」を「見守り」と言い換えることによる思考停止である。この研究者らの論文の中には,このプロジェクトは「監視」ではない,「見守り」を通じて被介護者の「人となり」「その人らしさ」を理解するのだと力説しているものもあるが,監視されていると感じる人からみれば,どんな美辞麗句を使ったところで,監視は監視である。そして,本プロジェクトでは,第三者ではなく,ほかならぬシステムの購入者自身が,監視の目を不快に感じたようだ。今回の失敗原因の一つは,研究者自らが「見守り」という言葉で思考停止に陥ってしまい,研究成果を実用化する場合,誰がどのような反感を持つか,に対する配慮を怠ったところにあるのではないだろうか。(小林)

参考文献

グループホームのための”見守り”介護支援システム

アウェアホームのためのアウェア技術の開発研究

見守り支援システムと介護スキルの関係

認知症高齢者グループホームの介護現場における気付き法

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2008年9月 8日 (月)

Googleストリートビューは不気味の谷を渡るか?

Googleストリートビューが賛否を呼んでいる。否定的な見解の多くは,プライバシーの侵害だと主張している。アメリカでは,訴訟も起きているという。

筆者も早速利用してみた。皆さんと同様,自宅や勤務先,実家などを見てみた。3D酔いするので,長時間は見られないが,多くの感想と同様,不気味な感じがした。

この不気味感の本質は何なのだろう,と1月ほど考えてみた。おそらく,本質的にはプライバシーの問題ではないと思う。

もちろん,プライバシーの問題は間違いなくある。グーグルは自動的にぼかされているというが,容貌に限らず人物を特定する画像や,人家の内部がたまたま撮影された場合は,プライバシーの侵害になりうる。ただ,この問題は本質的な問題とはいえないのではないか。高木浩光氏は,「ストリートビューに写った自動車ナンバーは機械判読され得るレベル」であるとか,撮影用のカメラの目線が高すぎて,通常の歩行者には見えない高みからの映像になっているとか主張している。これらの指摘はそれぞれもっともな点を含む。法的に反論しうる点もある。しかし,何となく,この不気味感の本質とは違うような気がするから,高木氏の主張の当否を論じても,ポイントからずれていってしまうような気がする。もし,高木氏が指摘するプライバシー上の問題が全て解決されたとしたなら,この不気味感は解消されるのだろうか?

3D酔いを我慢しつつ,ストリートビューでもう一度自宅を見てみる。平日の昼間撮影されたらしく,人通りが少ない。空だけが妙に明るい。画面をクリックして,周辺を移動する。すれ違う人は顔がぼかされ,幽霊のように見える。見慣れた風景なのに,とても違和感がある。私が見ているのは本当に私の自宅なのだろうか?と思う。

SF少年だったころ,多元宇宙の話を読んだ。この世界は,同じだけれど少しずつ違う世界が無数にあって,そこで自分も生活しているが,やはり少しずつ違う。ある世界では自分は死んでいるし,ある世界では別の女性と結婚している。死後の世界や過去,未来の世界というのは,実は多元宇宙の一つに過ぎない,というようなお話しである。筆者がストリートビューを見て感じる不気味感は,ディスプレイを通して別の世界を見ている感覚に近い。

そうだとすれば,もちろんこの感覚は幻想である。ストリートビューは,要するに現実世界を撮った写真をつなぎ合わせて画像を合成したものである。GoogleMapが上空からの画像であるのに対して,ストリートビューが地上からの画像であるだけの違いに過ぎない。この不気味感が幻想だとするなら,いずれ解消されて,解決可能なプライバシーの問題だけが残り,ストリートビューは広く受け入れられていくのかもしれない。この不気味感は,かつてインターネットや次世代ロボットについて論じられた「不気味の谷」に過ぎないのだろうか。(小林)

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2008年8月13日 (水)

ICタグでいじめ兆候把握

2008813日の日本経済新聞朝刊は,「顧客管理システム開発などを手掛けるMR(福岡市、前田勝巳社長)は非接触ICタグを使った登下校管理システムを開発、9月から福岡県内の小学校で実証実験を始める。校門に設置したセンサーで児童の登下校を検知し保護者にメールで知らせるほか、一緒に帰宅しているグループの傾向を分析して、仲間はずれにされるなどいじめの兆候をとらえることも可能」と報じた。「実証実験は福岡県粕屋町の粕屋中央小学校で実施。すでに6割の保護者から参加申し込みを受けた」とのことである。

非接触ICタグで児童の登下校情報を管理するシステム自体は,すでに方々で実施されている。だから,記事の特徴は,このシステムを使って,「一緒に帰宅しているグループの傾向を分析して、仲間はずれにされるなどいじめの兆候をとらえることも可能」と宣伝している点にある。

しかし申込者が6割では,仲間はずれの兆候をとらえることなどできない。リアル社会では5人グループで下校しても,システム上では3人グループで下校したとしか認識できないのだから。また,保護者の考えでICタグを持たせてもらえないいじめられっ子がいたとして,この子どもがICタグを持ついじめられっ子に取り囲まれて下校しても,システム上は何ら異常は検知されない。また仮に,全児童にICタグを付けたところで,いじめを把握することは困難だと思う。例えば,いじめられっ子がいじめっ子数人に囲まれて一緒に下校すれば,システム上には何ら異常は感知されないのだから。

前田勝巳社長が想定している「仲間はずれの兆候」とは,次のようなものだろう。「先週まで,A子はBC子と3人グループで下校していたのに,今週から,B子C子はD子E子のグループで下校するようになり,A子は一人で下校している」というようなパターンをいじめの兆候として把握しようというのであろう。しかし,このようなパターンをシステム上把握するのは極めて困難である(何秒離れて通過したら,『一人で下校した』と把握するというのか。児童の行動は,例えば通勤途中のサラリーマン(一方向に向けて一定の速度で移動する)などに比べて極めていい加減であり,30秒離れて通過しても,実距離は数メートルに満たないことだって多い)うえ,そもそも,「仲間はずれの兆候」は,こんなにわかりやすいパターンで現れるものではない。

このようなシステム上の限界を知りながら「いじめの兆候が把握できる」と主張するMR社もどうかと思う。社長の前田勝巳氏は,自らもいじめられた経験があると言っているそうだが,同氏は,「このシステムがあれば自分はいじめられないで済んだ」と思っているのだろうか。

それよりも問題は,学校や保護者の間に,いじめの予防をICタグシステムに頼ろうとする傾向がかなり増してきている点だ。

もちろん,人間に電子首輪を付けるなんて!と主張するつもりはない。筆者自身,痴呆老人の徘徊防止のため,身体にICタグを埋め込むことも検討対象にしてはどうかと提案したこともある。しかし,ICタグシステムで人間の行動を管理・監視しようとするときには,それなりの覚悟が必要だ。このようなシステムでいじめを防止しようとする考えを持つ人たちは,人間性や,子どもという生き物に対して,とても浅はかな認識しか持っていないのではないかという気がする。いじめの兆候は,親や教師が,子どもの顔色や行動を観察し,子どもと真摯なコミュニケーションを取る中で発見するべきことである。もちろんそれには限界があるが,この限界を子どもとのコミュニケーションで解決しようと努力することそれ自体が,いじめ防止のために大事なのだと思う。教育は便利になれば良いというものではない。機械に頼ってはいけないこともあるのだ。

ICタグで児童の登下校を監視してもいじめの兆候が発見しきれないとすれば,このシステムは当然,学校中にセンサーを張り巡らせて,児童が休み時間に誰と遊んでいるか,給食を誰と食べているか,などを把握する方向に進化するだろう。そして,その進化は,ある種の人びとから支持喝采を受けるのだろう。なにより不気味なのは,このような支持喝采が,紛れもない善意から発生しているという点だ。

(参考)

http://kyushu.yomiuri.co.jp/keizai/detail/20080804-OYS1T00447.htm

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2008年7月27日 (日)

デジタルサイネージ

京都大学美濃研究室が中心となって進められている「センシングWEBプロジェクト」全体会議で,NTTサイバースペース研究所の小池英樹氏が,現在取り組んでいるいくつかの研究を紹介してくれた。

その一つ,デジタルサイネージとは,ディスプレイに広告等の映像を流す技術だが,それだけでは,店頭で商品説明のビデオを垂れ流していることと変わらない。デジタルサイネージの特徴は,見る人にあわせて,映像を変更することにある。例えば,赤ちゃんを抱いた母親が通ればミルクの広告を表示し,若いサラリーマンが通ればビジネス指南書の広告を表示するという案配である。映画「マイノリティ・リポート」に,主人公が商店街を歩くと,レーザー光線が自動的に虹彩情報を読み取り,壁に主人公の興味を持ちそうなCMが表示されるシーンがあった(しかも,CMが主人公の名前を呼びかけていた)が,これが,現在想定されている究極のデジタルサイネージである。

デジタルサイネージの中で,小池氏のチームが取り組んでいるのは,通行人がどれだけこの広告に注目したかを知る技術である。具体的には,通行人の顔画像を自動的に特定し,その顔が広告の方を向いたか,どの程度注視したかを,画像処理技術を用いて自動的に解明する。この技術が実用化すれば,ネット広告がクリック数に応じて広告費用を算出するのと同じように,何人にどれだけの時間注視されたかで広告費用を算出することが可能になる。

デジタルサイネージは,現在,アメリカを中心に,将来性がとても期待されている。ただし,この技術が社会に受け入れられるためには,プライバシー権との調整が不可欠となる。広告側に設置されているセンサーが,どの程度の個人情報を取得することが許されるのかと,これに対する一般市民の信頼感をどうやって確保するのか。道を歩いていて,ふと広告に目をとめたことがきっかけで,次の角で突然,別のディスプレイから,「いまエビちゃんのハンドバックに目をとめたあなた。当店でエビちゃん推薦の新作ハンドバックをご覧になりませんか?」と話しかけられるような世界は,社会に許容されるのだろうか。

筆者自身としては,とても面白い世界が出現するという期待がある一方,筆者が前を歩くたびにディスプレイが次々と育毛剤やカツラのCMを表示する世界というのも,どうかなあと思っている。(小林)

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2008年7月 9日 (水)

公共空間での撮影と画像の利用について

TVの野球中継で,親子連れの顔が鮮明に映ったりすることがたびたびあります。顔が識別できれば,『誰がいつ誰と野球場にいたか』ということがわかりえることになりますが,このようなケースでも,行動の記録を無断で世間に公開されたということに関する訴えが成立する可能性があるということでしょうか?」

というご質問をブログへのコメント欄でいただいた。

これは,①公共空間での撮影が許されるか,という問題と,②記録された画像データの利用がどの範囲で許されるか,という問題である。

まず①の問題について考えると,プライベートな空間(私邸の中など)であろうと,公共空間(野球場など)であろうと,人は,「みだりに撮影されない」という権利を持つ。これは,法律家の世界では,常識に属することだ。これに対して,「それならば,観光地で記念撮影するときに,第三者を写すことは違法なのか?」という質問を受けることになる。

もちろん違法ではない。その理屈としては,次の3通りがある。

1番目は,「撮影を承諾している」という理屈だ。例えば野球場でプロ野球の試合を観戦する場合,試合とともに観客席の様子がテレビ中継されることは常識であり,観客も当然それを想定して観客席に座っている。だから,観客が承諾している範囲内で,その観客を撮影しても違法ではない。言い換えると,観客が承諾している範囲を超えて撮影することは違法になりうる。つまり,試合の合間に観戦の様子をちらちらと撮影する程度なら承諾の範囲内だが,お忍びの有名人だからと言って試合そっちのけで撮影し続けたりするのは違法となる。ときどき消化試合で閑古鳥の鳴くスタンドで熱烈なキスを交わすカップルの様子が放送されることがあるが,これは概ね,承諾の理屈で違法性を回避できる。

2番目は,「撮影の目的と方法が合理的な範囲にある」という理屈だ。この場合には,承諾が無くてもよい。これは,撮影の目的が正当であり,かつ,撮影方法が正当であることが必要だ。事件報道のための撮影は,多くの場合,これに該当する。

3番目は,法律家の世界で受忍限度論と呼ばれる理屈だ。詳しい説明は避けるが,要するに,社会生活上,お互いに我慢しあうべき範囲である。観光地で記念撮影をするときに,第三者を写してしまうことになっても,それはお互い様であるといえる。

これらの3つの理屈の適用範囲は,それぞれ別個独立ではなく,お互いに重なり合っている。

次に②の問題について考えると,①の3つの理屈で撮影が正当化される場合であっても,その画像をどう利用するかについては,それぞれの理屈に基づいて,一定の制限が課せられることになる。例えば,承諾の理屈からすれば,テレビ報道を想定しない承諾しかなければ,その画像をテレビ報道することは違法となる。事件の加害者や被害者のプライベートビデオが放送されるとき,よく,他の被撮影者にぼかしがかけられるのは,そのためである。他方,事件の加害者や被害者当人の画像が放送されるのは,承諾の範囲外ではあるが,報道する正当性があるからである。

また,観光地で記念撮影するとき,第三者が写りこんでも問題ないことは先に述べたが,承諾なく撮影されてもお互い様といえるのは,その写真をプライベートで楽しむ範囲である。これを超える場合,たとえば,撮影した画像をホームページで公開する場合,第三者の容貌が分かる形で公開することは,違法となりうるので注意が必要である。(小林)

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2008年6月24日 (火)

電子タグを利用した個人の位置情報等提供サービスの運用に関するガイドライン(3)

このガイドラインの要点となる3本柱の第二は,電子タグなどのユビキタス技術によって取得され流通するヒトの情報と権利との関係である。本ガイドラインでは,この部分に関する条文が最も多くなっている。しかし,内容としては,プライバシー情報や個人情報の流通に関する法令やガイドラインを集約したものであって,これらの法令やガイドラインに比べて,特に目新しい点があるわけではない。要するに,電子タグなどのユビキタス技術によって取得された情報は,その本人が予め承諾した範囲と,これに準じる合理的な範囲についてだけ,流通することが許されるし,事業者は,本人の予測を不当に裏切らないよう配慮しなければならない,ということが書いてある。

内容としては,次の3点に集約できると思う。第1点は,セキュリティである。電子タグに搭載できる情報量は近年飛躍的に増大しつつあるが,ヒトに装着する電子タグの場合,個人情報やプライバシー情報そのものを電子タグに記録することは,原則として許されない。電子タグには基本的に,装着されるヒトのIDのみが記録されており,このIDがサーバーに送信されることにより,サーバーに保存された個人情報やプライバシー情報が呼び出されるようにならなければいけない。また,記録されるIDそれ自体も暗号化される必要があるし,暗号化されるべき程度は,そのヒトの属性(例えば,○○小学校の生徒であるとか,○○百貨店の顧客会員であるとか)が分かる程度では足りない。将来的には,IDをシャッフルしてランダムに発行する第三者機関が必要になるかもしれない。

第2点としては,個人情報の抽象化である。「男性」「45歳」という情報は筆者の個人情報であり,筆者の意思に反して流通させることは許されないが,他方,これらの情報と筆者との結びつきを完全に断ってしまえば,もはや筆者の情報ではなく,統計情報として,自由な流通が許されるようになる。実は,ユビキタスネットワークの事業主も,個人情報そのものが欲しいわけではなく,統計情報が欲しいだけの場合も多い。そして,統計情報の自由流通を認めることは,マーケティングその他の領域において,莫大な経済効果をもたらす。そこで,情報と本人の関係を完全に断絶した統計情報については,本人の意思と関係なく自由な流通が認められると規定してある。

第3点としては,ネットワーク監視カメラの取得する本人の情報を「位置情報」「行為情報」と特定したことである。監視カメラの取得する情報の法的性質については,肖像権の問題と考えるのが一般的であるが,これは誤りであり,監視カメラの取得する情報の本質は「位置情報」と「行為情報」,つまり「いつ,どこで,誰が,何をしたか」である。そして,位置情報と行為情報を取得するという意味では,監視カメラと電子タグとの間に差異はない。そこで,監視カメラの取得した情報についても,電子タグシステムが取得した情報と同様の流通制限に服することが規定してある。

このガイドラインの要点となる3本柱の最後は,システム運用に対する社会の信頼を得るための方策である。

ユビキタスネットワークシステムが,社会に受け入れるためには,それが正当に運営されているという社会の信頼が不可欠である。従来これを担ってきたのは司法手続による事後救済であるが,ユビキタスネットワークシステムによるプライバシー権侵害の場合,本人が権利侵害に気づかない場合も多く,また,一つ一つの権利侵害は僅少であって,司法による事後救済になじまない場合も多い。そこで,本ガイドラインは,事業目的の公開や責任者と連絡先の明示,苦情処理システムの構築などの内部統制システムの構築を義務づけることを通じ,社会の信頼を確保しようとしている。

将来的には,第三者認証機関を設け,その認証を受けた事業者は,国民のプライバシー権に十分配慮したユビキタスネットワークシステムの運用を行っているとの信頼が付与される,というような仕組みが検討されなければならないと思う。(小林)

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2008年6月20日 (金)

電子タグを利用した個人の位置情報等提供サービスの運用に関するガイドライン(2)

このガイドラインの内容は,大きく,次の3つの柱からなっている。第一は,電子タグを装着されることそのものとヒトの権利との関係であり,第二は,電子タグなどのユビキタス技術によって取得され流通するヒトの情報と権利との関係であり,第3は,システム運用に対する社会の信頼を得るための方策である。

第一の「電子タグを装着されることそのものとヒトの権利との関係」とは,要するに,ヒトに電子タグを装着することは,物に装着するほど簡単ではない,ということである。ヒトに電子タグを装着する方法はいろいろあり,カードで携帯させたり,ランドセルや靴に装着したり,首からかけたり,腕輪・足輪にしたり,体内に埋め込む(マトリックスにありましたね)方法もある。前者ほど装着は簡便だが,忘れたり,他人の電子タグと入れ替えが発生したり,悪意で破棄・破壊されたりする危険がある。後者ほど,装着された個人特定の確実性が増すけれども,他方,「電子首輪」と言われたり,「監視社会」と言われやすくなる。要するに,ヒトの精神的拒絶反応を招きやすい。

この問題に関しては,「電子タグの体内埋込など一切禁止すればよい」とか,「本人が同意した場合に限定すればよい」という考え方もありうる。しかし筆者は,特に,意思決定能力が乏しい子どもや老人などに関して,電子タグの体内埋込や,腕輪・足輪方式の採用の問題は避けて通れなくなると思う。例えば,小学生の安心安全のため,ランドセルに電子タグを装着される実証実験が行われている。しかし,この装着方法では,誘拐犯人に破棄されるリスクを回避できない。また,徘徊老人の管理のため,電子タグを体内に埋め込むということも考えられる。腕輪や足輪では,痴呆老人はこれを本能的に取り外そうとかきむしってしまうため,体内埋込しか選択肢がない場合があるのだ。

このような考え方に対しては,老人の人権侵害だと反対する意見もあろう。しかし,現実に手錠や縄でベッドに縛り付けられている痴呆老人が,病院敷地内といえども自由に行動できるようになるならば,電子タグの体内埋込は一つの可能性になるはずである。

腕輪・足輪での電子タグの装着や,体内埋込の問題と,とても似通っているのが,バイオメトリクスの問題である。バイオメトリクス技術の場合,人体への侵襲を伴わないが,他方,一度他人に取得されると,「マイノリティ・リポート」の主人公のように,他人と体の一部を交換しない限り,一生それに拘束されることになる。その意味で,バイオメトリクス技術を用いたユビキタス・トレーシングシステムは,電子タグの体内埋込に勝る人権侵害を引き起こす可能性がある。

そこで,電子タグの体内埋込・足輪・腕輪の使用や,バイオメトリクス技術の使用に関しては,相当厳しい制限を設けなければいけない。(小林)

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2008年6月16日 (月)

電子タグを利用した個人の位置情報等提供サービスの運用に関するガイドライン(1)

2008年(平成20年)618日,東京明治記念館で,ユビキタスネットワーキングフォーラムシンポジウム2008が開催される。ここでは,異種センサーネットワーク間の相互接続共通プロトコル「OSNAP」の紹介と,標記ガイドラインの紹介とが行われる。筆者はガイドラインの策定にかかわった関係で,ガイドラインの趣旨や内容について,プレゼンを行う。参加費無料なので,この方面に興味がある方は,ぜひお越し下さい。

いまや電子タグは,物に対する正確かつ簡便なトレーサビリティを提供し,物流を支える大きなインフラになりつつある。そして,電子タグは,「物」だけでなく,「ヒト」に装着され,そのトレース(追跡)を行うために使用され始めている。物に装着される電子タグに関しては,既に総務省と経済産業省が策定したガイドライが存在する。物についてガイドラインが存在する以上,ヒトについてガイドラインがないのはおかしい。筆者がこのガイドライン策定にかかわった理由は,一言で言うと,こういうことである。

「普及し始めの技術に,ガイドラインで法律的な縛りをかけるのは,研究者や事業者に萎縮効果を与える。」という意見もあるが,これは誤解だと思う。ガイドラインがあった方が,その範囲内では,研究者や事業者はのびのびと行動できる。この方面の研究者や事業者の話を聞くと,法律的には全然問題がないのに,「これってもしかして違法?」と考えすぎて,萎縮してしまっている人がいる。このような人たちに自由に研究や事業をして貰うためには,ガイドラインは是非とも必要だ。もちろん,研究者の中には,「マッド系」の人がいて,法律的に見るととんでもない人権侵害となる研究を一生懸命やっている。このようなマッド系の人たちには,多少我慢をして貰わないといけない。個人的には,マッド系の研究者は大好きなのだが。

ところで,このガイドライン案は,ヒトに電子タグを装着する場合に関する条文と,電子タグ以外のユビキタス技術,すなわちネットワーク監視カメラシステムまたはバイオメトリクス技術を用いて人を追跡する場合に関する条文の,両方を定めているのが一つの特徴だ。なぜこうしたかというと,カメラやバイオメトリクス技術を用いたヒトの追跡は,法律的には,電子タグを用いたヒトの追跡と同質であり,将来的には,両者が融合していくからだ(そのときには,OSNAPなどの相互接続共通プロトコルなどが活躍するのでしょう)。もっとも,バイオメトリクスは電子タグに比べ技術的に未熟であり,普及にはなお数年待たなければいけないから,このガイドラインも,量的には,電子タグが中心となっている。(小林)

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2008年6月 6日 (金)

監視カメラを利用したPV

Telegraph.co.ukの記事によると,イギリスマンチェスターのアマチュアバンド「The Get Out Clause」は,カメラマンと機材を用意する予算がないので,イギリスの道路のそこら中にあるカメラを使うことを思いついた。つまり,監視カメラの前で演奏を行い,その映像でPVを作成しようということである。イギリスには1300万台の路上監視カメラがあるので,ロケハンには苦労しなかった。このバンドは,マンチェスター市内の80もの場所で演奏を行った。その中には何と,バスも含まれていた。そして彼らは,情報自由法に基づいて映像の提供を請求したところ,約4分の1の監視カメラ運用者から映像の提供を受け,これを編集してPVを作成した,とのことである。

何ともたくましいブリテン野郎だが,監視カメラの法律問題としてみると,この顛末にはいくつか注目するべき点がある。

まず何と言っても,イギリスの監視カメラが1300万台という情報だ。筆者の最新の情報では500万台だったのに,あっという間に二倍以上に増えたことになる。

次に,監視カメラに写った本人が,その映像公開を請求する権利を有し,4分の1とはいえ,その実効性が認められたことだ。日本には,監視カメラに写った人がその映像を公開する権利があるとは,少なくとも一般には解されていない。しかし,世界的に見ても,日本の情報法の考え方に照らしても,監視カメラに写った人の映像開示請求権は認められる方向に進むことは間違いない。日本の監視カメラの運用者は,このような請求に耐えられるだろうか。

最後に,このPVを見る限り,バンドメンバー以外の一般市民の映像は,おおむね,適切に処理されて,誰が写っているかが分からないように処理されている,ということが注目される。このブリテン野郎は,案外繊細にプライバシー権に配慮していることが分かる。もっとも,マンションのベランダに佇む家族の映像は,プライバシーの観点からは問題があると思われるが,画角(下からあおって撮っている)や解像度を見ると,この映像に限っては,監視カメラの画像ではなく,映っている人たちは俳優なのかもしれない。(小林)

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2008年5月23日 (金)

三浦和義氏,防犯カメラ映像流用を提訴

平成20520日の毎日新聞によると,「ロス疑惑」で現在サイパンに勾留されている三浦和義氏が,「万引きの現場」を撮影したビデオ映像をマスコミに提供などしたコンビニと,この映像を販売促進に使用した監視カメラシステム会社である株式会社ジェイエヌシーに対して,1650万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提起した。

ロス疑惑時代も,マスコミを名誉毀損で訴えまくり,結構勝訴率の高かった三浦和義氏であるが,還暦を超えて,まだまだお元気である。それはともかく,この訴訟は法律的にどう考えるべきだろうか。

この訴訟は2社が被告になっており,それぞれ,考慮すべき点に異なるところがあるが,いずれも,個人の特定が可能な防犯カメラ画像をマスコミに提供したり,販売促進用に配ったりする行為であって,このような個人情報の第三者提供の適法性が問題となる。

まずコンビニについては,そもそも,マスコミに映像を提供したのはコンビニ自身なのか,警察なのか,という疑問がある。しかしこの点は,訴えどおり,コンビニが直接マスコミに映像を提供したものとして考える。

この事例と比較されるのは,番組改編期によくある「激撮!万引き犯を追う」といった類のテレビ番組だ。これらの番組では,かならず,現行犯人の顔にモザイクがかかっている。これと比較すると,三浦和義氏の顔にモザイクをかけないでマスコミに提供したコンビニの行為は違法となるようにも思われる。

しかし他方,この事例では,三浦和義氏逮捕の報道と一体となって,万引きの様子が上映された筈だ。そして,犯罪の軽重を問わず,逮捕された被疑者の氏名や被疑事実をマスコミが報道することは,現在の社会通念上,違法とはされていない(もっとも,本当に適法と言いきってよいかは異論がありうるが,本稿では措く)。そうだとすれば,三浦和義氏逮捕の報道と一体として当該映像が使用される限りにおいては,これを使用したマスコミにも,提供して使用させたコンビニにも,法的責任はないと考えられる。損害の発生という視点から考えてみても,三浦和義氏の名誉は,万引きにより逮捕されたという報道によって毀損されたのであり,当該映像によって毀損されたのではないと言えるし,肖像権という視点からも,映像が犯罪報道と一体として用いられる場合,犯罪行為の映像について肖像権が主張できるものなのか,かなり疑問である。この点は,アダルトビデオ店内での松本人志氏の防犯カメラ映像を公開するのとは,全く異なる。アダルトビデオ店内に入ることは,犯罪でも違法でもないからだ。

以上により,コンビニに対する三浦和義社長の訴えについては,筆者は三浦和義氏敗訴に一票を投じる。

但し,将来の同種事件に関しては,留保を付けておきたい。というのは,裁判員制度が実施された後には,別の考慮がありうるからだ。犯罪の場面や,被疑者被告人の映像を報道することは,裁判員裁判の公正に不当な影響を与えるから許されなくなる,という主張は,マスコミの立場からは受け入れがたいだろうが,十分考慮に値すると思う。

次に,監視カメラシステム会社についてはどうか。こちらは,自社製品の販売促進目的で,三浦和義氏の「犯行場面」の映像をDVDにして配布したり,自社ホームページに掲載したりしたとのことだ。

コンビニの例と比較した場合,コンビニがマスコミに映像を提供した行為は,公益目的と言えないことはないが,販促用に映像を配布する行為は,明らかに私的な営利目的であって公益目的ではない。いかに犯罪行為であっても,それを営利目的に使用してよい,ということにはならないと考える。販促のためなら,モザイクをかけた映像で十分だからだ。システム会社は,「正義の灯火は絶やすわけにはいかないので徹底的に争う」とコメントしたそうだが,これは論点のすり替えだろう。

このように考えることも可能だ。監視カメラシステム会社は,多数の万引き犯映像があるはずなのに,なぜ,三浦和義氏の「犯行現場」の映像をモザイク無しで犯則に使用したのか。それは明らかに,「あの有名人の万引き現場を撮影したのは当社のシステムです!」と宣伝するためだろう。つまり,この会社は,三浦和義氏の知名度を無断で自らの営利活動に利用したわけである。したがって三浦和義氏には,この販促活動によって監視カメラシステム会社の得た利益の分け前にあずかる権利がある。これはパブリシティ権の考え方だ。

以上により,監視システム会社に対する訴えについては,三浦和義氏勝訴に一票である。(小林)

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2008年4月28日 (月)

電子監視について

韓国の憲法制定60周年を記念する「法律の日」では,性犯罪者の足首に装着し、全地球測位システム(GPS)によってその行動を監視する「電子足輪」の装着実験が行われたとのことである。参加者たちは「軽い」(電子足輪の重さは150グラム)、「不思議だ」(電子足輪を外して1メートル以上離れれば警報音が鳴る)といった感想を連発した。法務部の関係者は電子足輪の効果について、「米ニュージャージー州で性犯罪者225人に着用させたところ、再犯者は一人だけとなった」と説明した(以上,朝鮮日報より)。

このシステムを,日本では「電子監視」という。電子監視は,欧米では導入が進んでいる。仮釈放中のパリス・ヒルトン嬢はGPS付き足輪をつけさせられたそうだし,「ディスタービア」という映画では,自宅謹慎処分を受け,電子監視によって自宅から一歩も出られなくなった高校生が主人公である。

日本では,法務省が,仮釈放中の受刑者に対する電子監視の実施を検討中だ。また,性犯罪者等の再犯を予防するために,一定の前科者については,電子監視を実施するべし,という意見もある。たとえば,平成1937日の参議院予算委員会で,自由民主党の坂本由紀子議員が電子監視導入賛成の立場から質問を行ったのに対して,長瀬法務大臣は,「プライバシー等を制約する度合いが高いし,かえって社会復帰を阻害するのではないか,などの慎重意見が多い」としながらも,「諸外国の例も参考にしながら引き続き慎重に検討してまいりたい」と答弁した。

法律的には,仮釈放中の電子監視と,受刑後の電子監視は全く意味が異なる。仮釈放中の受刑者は,本来「塀の中」に入れられても文句が言えないわけだから,自宅に帰される代わりに電子監視を受けても,人権侵害とはいえない。生活や更生をサポートする身寄りがいるなら,社会復帰の手助けになるかもしれない。これに対して,受刑後の再犯防止を目的とする電子監視は,一般市民と平等に保障されている自由を,特定犯罪の前科がある,という理由で制限するのだから,憲法が保障する基本的人権の侵害や平等原則の違反にならないか,という問題が発生する。これに対して,性犯罪者の再犯を防止し,子どもや女性の安全を重視する立場からは,受刑後の再犯防止を目的とする電子監視の導入が要求されているわけだ。

電子監視は,犯罪者の監視だけが目的となるわけではない。例えば,痴呆老人の徘徊防止策としても,検討に値する。もっとも,痴呆老人の中には,足輪や腕輪を掻きむしって取り外そうとする人もいるから,そういう人に対しては,発信器の体内埋め込みも検討されるだろう。「電子首輪」であると,単純に反対する意見もあろう。しかし,「電子首輪」でも,現実に首輪をされたり足かせをされている介護老人を救えるかもしれないのだ。また,電子監視は,子どもの安心安全システムや,従業員の行動監視のためにも用いられるかもしれない。

いうまでもなく,これらのシステムを導入するためには,プライバシー権をはじめとする権利との調整が不可欠である。そして,プライバシー権をどのレベルで保証するかという判断規準は,各国それぞれ相当違う。だから,法務大臣には,諸外国の制度を検討することも必要だが,我が国の人権感覚も検討していただく必要がある。

余談になるが,冒頭に紹介した韓国の「法律の日」の記念式典では,「歌手のユン・ヒョンジュが『守れば守るほど気分爽快』という、法令遵守のテーマソングを発表した」そうだ。プライバシー権の感覚もそうだが,このようなテーマソングを堂々と発表するあたり,お隣の国なのに,感覚が相当違うと実感させられる。(小林)

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2008年4月24日 (木)

世界一安全な国を作る8つの宣言

平成20418日,自由民主党は「地域の絆を再生し,世界一安全な国へ~世界一安全な国を作る8つの宣言~を発表した。

この宣言によると,わが国の刑法犯認知件数は一時より低くなったとはいえ,いまだ昭和の安定期の1.4倍近くであり,国民の体感治安が依然として悪いことから,治安を維持する必要性は大きいとして,「地域の絆」再生をはじめとする8つの施策を提言している。

その中で,防犯カメラに関連する部分は,次の2点だ。

まず,「宣言1 防犯ボランティアを支援し,世界一安全な地域社会をつくります。」の中で,「街頭防犯カメラの設置拡充などを通じた犯罪に強いまちづくりの推進」として,街頭防犯カメラを整備促進する助成措置,個人住宅に対する防犯カメラ設置への助成,「個人のプライバシーにも配慮しつつ,防犯カメラの整備が図られるように,防犯カメラの設置・運用の在り方について検討する」とされている点だ。

次に,「宣言8 治安関係人員・予算を確保し,世界一安全な国を守ります。」の中で,「犯罪の痕跡の確実な記録による追跡可能性の確保」を挙げ,「ATM,コンビニエンスストア等に設置される防犯カメラ画像等における犯罪の痕跡を適切かつ確実に必要な期間保存し,捜査に活用できるように,個人情報の保護を理由とする捜査への非協力の解消を含め,電気通信事業者,金融機関等の適切な協力を確保するための取組を推進する」「自動車ナンバー自動読取システムを拡充する」とある点である。

すでに何回か指摘したとおり,防犯カメラシステムは相互不信の象徴であり,「地域の絆」とは基本的に相容れないものである。また,「プライバシーにも配慮しつつ」とあることと,「個人情報の保護を理由とする捜査への非協力の解消」とあることが,どう関係するかもよく分からない。このように,この自由民主党の提言は,あまり作り込まれていないという印象を受ける。

しかし,この提言の出来がどうであれ,街頭防犯カメラ設置の動きは拡大し続けるであろうし,犯罪捜査に対する防犯カメラシステムの寄与は高まるであろう。これは他方で,国民のプライバシー権や行動の自由に対する脅威が増すことを意味する。これを守るためには,街頭防犯カメラの設置を一定の条件の下で認めるガイドラインの策定が必要だろう。現在日弁連が策定しようとしているような,原則違法となるような厳しすぎるガイドラインでは,結果として,野放図な防犯カメラの蔓延を認めることになると思う。(小林)

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2008年4月21日 (月)

上履きにICチップ

毎日新聞の記事によると,大阪府池田市の大阪教育大付属池田小学校で,自動の上履きに入れたICチップで自動の居場所を探知する実証実験を開始したとのことである。池田小学校といえば,8人の児童が殺害された悲惨な事件があった小学校であるが,この小学校が再び事件や災害に見舞われた場合,どこに児童がいるかを迅速に把握し,避難誘導させるのが狙いということのようだ。なるほどそういうアイデアもあるのだなあ,という気もするが,例えば避難訓練を徹底して行うこと以上に,上履きにICチップを入れて児童の居場所を探知するメリットがあるのか無いのかは,よく分からない。また,このような用途にICチップを用いるのであれば,一つでも探知漏れがあってはいけないことになるが,ここまでの精度を確保するのは技術的に至難の業ではないか,と思う。まあ,このあたりを確認するための実証実験なのだろうが。

おそらく上履きに仕込まれるICチップは自ら電源を持たないパッシブタグなのだろうが,これでは電波が微弱で感知精度が上げられないという問題がある。素人のアイデアだが,どうせ上履きに仕込むのなら,児童が履いて歩くたびに発電するアクティブタグを開発してはどうだろう。そうすれば電波の微弱性という問題は解決できるのではないか。

もちろん,法律家の視点で見ると,児童の居場所を逐一把握するシステムってどうなのだろう,という気もするが,それは,それなりに精度が上がった上でのお話しになると思うので,当面はこの実証実験の行方に注目したい。(小林)

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2008年4月20日 (日)

公道のビデオ撮影「必要な範囲ならば適法」

強盗殺人事件の容疑者と,事件後ATMの防犯カメラに写った人物との同一性を確認するなどの目的で,この容疑者を公道上でビデオ撮影したり,パチンコ店の防犯カメラや警察官の携行するカメラで撮影したりした警察の行為について,平成20415日,これを適法とする最高裁判所の判決がだされた,という新聞報道があった。

一般の読者は,何を当たり前な,と思い,報道価値を疑うかもしれないが,この判決が報道されたのには,それなりの理由がある。

この容疑者の弁護人が引用した最高裁判所大法廷昭和44年12月24日判決(京都府学連デモ事件)は,大学で憲法を学んだ学生なら必ず触れる有名な判決である。この判決は,許可ルートをはずれて行進を始めたデモの隊列を写真撮影した警察官の行為について,「何人も,その承諾なしに,みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有し,警察官が,正当な理由もないのに,個人の容ぼう等を撮影することは,憲法一三条の趣旨に反し許されない。」ものの,「現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて,証拠保全の必要性および緊急性があり,その撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときは,撮影される本人の同意がなく,また裁判官の令状がなくても,憲法一三条,三五条に違反しない。」という判断を行った。弁護人は,この判決に基づき,「現に犯罪が行われたわけでも,その直後でもないのに,犯罪の被疑者であるという理由でビデオ撮影することは,この判例の規準に反し,許されない」と主張したわけである。

この主張に対して判決は,昭和44年の最高裁大法廷判決は,「警察官による人の容ぼう等の撮影が,現に犯罪が行われまたは行われた後間がないと認められる場合のほかはゆるされないという趣旨まで判示したものではない」として,弁護人の主張をあっさりと退けた。

この部分は確かに判決の言うとおりであろう。昭和44年の最高裁大法廷判決は,「○○の場合には,適法」と判断しているだけで,「○○以外の場合は違法」とか,「○○の場合に限り適法」とか判断しているわけではない。しかし,だからと言って,この大法廷判決が,公道において許される写真撮影の範囲について,何の影響力もないかといえば,そんなことはない。では,どの範囲に,この大法廷判決の影響力は及ぶのか。この問題を,法律家はしばしば「判例の射程距離」という業界用語を使って論じる。

今回の最高裁判決も,直接的には昭和44年の最高裁大法廷判決の問題ではないとしつつ,それでは余りに素っ気ないと考えたのか,本件ビデオ撮影の適法性如何について,一定の判断を行っている。

それはすなわち,①被撮影者が犯人と疑われる合理的な理由が存在し,かつ,その被撮影者を特定する必要があり,しかも,その目的に必要な限度における撮影であること,②公道やパチンコ店は,「通常,人が他人から容ぼう等を観察されること自体は受忍せざるを得ない場所」であること,の2点に照らし,問題となったビデオ撮影は,捜査活動のため適法なものであるとした。

この判断のうち,①については異論はない。しかし,②については,やや説明が弱いと思う。なぜなら,「見て観察する」ことと,「撮影して記録する」こととは,プライバシー権侵害の程度に重大な差異があるからだ。だから,「他人に見られても仕方ない場所です」と言っても,「他人に撮影されても仕方ない場所です」とは言えないし,まして,あらかじめ設置された防犯カメラならまだしも,警察官の携行する隠しカメラによって撮影されることが「仕方ない」とはいえない。

また,今回問題となった捜査手法は,現在普通に用いられていると思われるが,近い将来,容疑者を探し出すために,駅や幹線道路に警察がビデオカメラを設置し,通行人を洗いざらい撮影する,という捜査手法が用いられることになる。このとき,今回の判決の規準が意義を持ちうるのか。すなわち,不当な捜査の行き過ぎを抑制する効果を持ちうるのか,という問いかけに対しても,この判決は弱いと思う。本件において,問題となったビデオ撮影が結論として適法になることについて異論はないが,もう少し突き詰めた理由を示してほしかったと思う。(小林)

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2008年2月17日 (日)

監視カメラは沖縄米兵少女暴行を防げるか

沖縄で,米兵が中学校三年生の少女を強姦したとして(被疑者は否認と報道されている)逮捕された事件を受け,政府は214日,対策として繁華街への監視カメラの設置を表明した。

すでに本ブログで指摘しているとおり,公道である繁華街に監視カメラを設置することについては,憲法に違反する疑いが提起されている。少なくとも,従前の裁判例を単純に適用する限り,違憲違法と考えざるを得ない。この点について,筆者自身は,一定の要件のもとでなら,公道である繁華街に監視カメラを設置し運用してもよいと考えるものであるが,それでも,本件監視カメラの合法性には疑問が残る。端的に言って,本県の事情を踏まえて公道に設置された監視カメラは,専ら外国人の行動を監視する目的で運用されることになろう。これは,人種又は国籍による差別につながる。もちろん,在日米兵自身については,軍が承諾すれば,一応,違法性の問題は回避できる。しかし軍人でない外国人も多いだろうし,その外国人と私服の在日米軍人とは外見上区別がつかないから,結局,軍人でない外国人の人権の問題は残る。

それに,そもそも,今回の犯罪が繁華街に監視カメラを設置することで防げるのか,という問題もある。報道されている限りでは,被害少女は,沖縄市の繁華街で,午後8時半頃,被疑者に声をかけられてバイクに乗ったということである。ここまでだけなら,ただのナンパだ。繁華街に監視カメラをつけたとして,ナンパそのものを抑止することができるのだろうか。また,繁華街に監視カメラを設置して,ナンパを取り締まることは許されるのだろうか。ナンパが好ましいことかそうでないかには議論の余地があるにせよ,ナンパそれ自体が違法だという見解はない。監視カメラでナンパを取り締まるよりむしろ,少女が夜に繁華街をうろつかないよう措置を講じた方が有効ではないかと思う。(小林)

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2008年2月14日 (木)

セキュリティタウンにおける防犯カメラの設置運用基準

セキュリティタウンとは、防犯等のセキュリティ施設を備えた住宅街のことである。アメリカには「ゲーテッド・コミュニティ」と呼ばれる、壁で囲って要塞化した街が存在するが(昨年旅行した中国杭州にも、高い塀で囲まれた高級住宅街があった)、日本のセキュリティタウンの多くは、ネットワーク防犯カメラ等のITインフラを使い、付加価値としてのセキュリティを高めている。

ところで、三井不動産レジデンシャルのプレスリリースによれば、2月8日から分譲を開始する「ファインコート武蔵野桜堤ブロッサムレジデンス」は「携帯電話との連動も可能な、街を監視する防犯カメラや玄関カメラを全戸標準装備」したセキュリティタウンであり、「歩行者や訪問者を録画可能なセンサーライト付防犯カメラや玄関カメラを全戸標準装備」していることを「主な特徴」に掲げている。

「おいおい、訪問者を撮影するのはともかく、歩行者を撮影して録画したうえ携帯電話に送信していいのか?」と思ってホームページを閲覧したところ、ホームページに掲載されているのは訪問者の撮影までで、「歩行者を撮影・録画して街を監視する」というコンセプトはどこにも掲載されていなかった。この差は、意図的なものなのか、そうでないのか。

タウン内とはいえ、街路の歩行者を洗いざらい撮影・録画して、住民の携帯電話に送信することは、歩行者のプライバシー権との間で重大な法律問題を生起する可能性がある。確かに、他の街路とは一応分離されたセキュリティタウンなら、マンションと同様、共用部分を監視するカメラの設置が認められる場合もあるだろう。しかしその場合でも、カメラの設置運用基準は、きちんと検討されなければならない。

また、このようなセキュリティシステムは、住民以外の第三者との関係だけではなく、住民間でも問題を生じさせる可能性があることに注意しないといけない。例えば、ある住民が街から出たことを他の住民が逐一把握し、泥棒に連絡するなら、たとえ照明やテレビをつけっぱなしにして外出したとしても、留守がばれてしまい、極めて危険である。この街には、そのあたりの歯止めはできているのだろうか。(小林)

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2008年2月 9日 (土)

ユビキタスセンサーネットワークシンポジウム2008in北海道

200828日,札幌市でユビキタスセンサーネットワークシンポジウムが開催された。なぜ札幌市かというと,同市の隣にある岩見沢市でRFIDタグと監視カメラを使用した「街角見守りセンサーシステム」の実証実験が行われており,その結果を踏まえ,このようなユビキタスセンサーネットワークシステムを実用化するための様々な課題について話し合うためである。

出席者は森川博之東京大学教授,田倉和男北海道総合通信局情報通新部長,梅田和昇中央大学理工学部教授,黄瀬信行岩見沢市主査,三輪真松下電器産業株式会社理事,そして筆者である。このほか岩見沢市の小学校PTA会長が基調講演を行った。

岩見沢市は,例に漏れず過疎化と高齢化に悩む町である。また,北海道にありがちなことであるが,人口の割に面積がだだっ広い。これに対応するため,市は他の自治体に先駆けて市内に公設インターネット網を張り巡らし,「距離をITで埋める」施策に取り組んでいる。箱モノばかり作って破綻した隣の夕張市とは姿勢が違う。施策の一環として,総務省の補助と松下電器産業の協力を得て,子どもにICタグを持たせ,登下校時の情報を保護者に通信するサービスの実証実験を行ったわけである。

市の主査は町おこしの立場から,小学校のPTA会長は親の立場から,この実証実験を高く評価し,本格実施を待ち望むと発言していた。法律的にはやや疑問に思う点もあったが,これらユーザーの実感というものは,理屈では抗しきれない重みがある。また,ベンダーが想定していなかった問題点や利用目的なども出てくるものである。

パネルディスカッションは大いに盛り上がり,出席者にも喜んで頂けたようであり,はるばる札幌まで来た甲斐があった。懇親会の後,我々はすすき野に繰り出し,私は個人的に日弁連会長選挙の祝杯をあげた。(小林)

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イギリスの情報開示と保護

本稿は,財団法人自治体国際化協会が2006年(平成18年)6月に公表した「英国の情報開示と保護―情報自由法とデータ保護法を中心として―」が40ページにわたるため,このうち「データ保護法」に関する記述に限定して,単純に要約したものであり,私見を含まない。

1. データ保護法の制定経緯

イギリスでは,個人情報保護に関する法律として,1984年データ保護法が制定されていたが,1980年のOECDプライバシー・ガイドラインや欧州評議会の個人データ保護関連条約を背景に,1995年個人データの処理及び当該データの自由移動における個人の保護に関するEU指令が採択され,この指令に国内法を適合させる必要が発生したことから,1998年データ保護法が制定されて2000年3月から施行された。

2. データ保護8原則

データ保護法の根幹をなすデータ保護8原則は,個人データについて,次のとおり定める。

       公正かつ合法的に処理されなければならない

       明確かつ合法的な目的に沿って処理されなければならない

       目的に関連したものでなければならない

       正確かつ最新のものでなければならない

       必要以上に長く保持してはならない

       個人の権利に従って処理されなければならない

       セキュリティを確保しなければならない

       欧州経済地域外への移転は,当該国が個人情報について適切な措置を講じている場合に限る

上記8原則のうち,①の「公正かつ合法的」であるための要件として,いくつかの要件が定められており,この要件は,機微情報について,加重されている。

また,⑧の国外移転要件についても,いくつかの例外要件が定められている。日本が「情報保護について適切な保護水準」を保障しているか否かは,現在審査中である。

3. 情報コミッショナーの役割

情報コミッショナーは,政府から独立した監督機関であり,データ保護法に関しては,次の権限を有する。

       情報通知(データ管理者に対しデータ保護法が遵守されているかどうかを判断するために必要な情報を要求する)権限

       強制通知(違法行為を行ったデータ管理者に対して同法遵守のため特別措置を講ずることや処理を停止することを要求する)権限

       データ保護法違反者を情報審判所に告訴する権限

       データ管理者の同意に基づき,データ保護法を遵守し適正に実務を行っているかどうかを評価し,その評価結果をデータ管理者に通知する権限

4. データ主体となる個人に保障されている権利

       個人(データ主体)のアクセス権(本人についてどのような情報が記録保存されているかを知る権利。犯罪防止・摘発,保険,教育及び社会事業・課税の場合等の例外あり)

       個人(データ主体)の処理を防止する権利(本人又はその他の者に不当な損害・苦痛を与える処理または開示の中止請求権)

       ダイレクト・マーケティングのための情報処理停止権

       自動的機械的決定に対して人的関与を求める権利

       損害補償を求める権利

       データの修正,阻止(保護),消去,破棄を要求する権利

       情報コミッショナーに対し法律違反かどうかの審査を要求する権利

5. 情報自由法との関係

       データ主体による本人についての個人情報の開示の可否は,すべてデータ保護法に従い,上記4の①の例外以外は全部開示の対象となる。

       第三者による固持温情法の開示請求については,情報自由法で規定する以下の要件のうちいずれに該当しない限り,公開を要する。

ア)      データ保護8原則のいずれかに抵触する場合

イ)      データ保護法に基づき本人さえアクセスできない場合

ウ)      データ主体に損害を与える可能性があり,データ主体がその処理を阻止する権利が妨げられる場合

6. 違法行為

       情報コミッショナーに対する届出義務違反

       調達販売違反(データ管理者の同意無く意図的又は不当に個人情報を入手・公開・漏泄する場合)

7. データ使用通知システム(情報保護のための南京錠Information Padlock)

データ管理者が,保有データの使用をデータ主体である個人に通知するシステム。本人は,Webを通じて,事故情報の使用状況を把握できる。

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2008年1月19日 (土)

住基カードの偽造横行

住基カードの偽造が横行しているらしい。新聞報道によれば、住基カードが偽造され、携帯電話の契約や銀行口座の開設に悪用されるケースが2007年度、総務省の調査により全国で計50件確認されたとのことである。もちろん、この50件は氷山の一角であろう。

ご承知かもしれないが、住基カードはいくつかの情報が印刷されたカード部分と、内蔵されたICチップ部分とがあり、今回偽造の横行が明らかとなったのは、カード部分の偽造である。このカード部分には「氏名、有効期限、交付地市町村名」のみが記載されたAバージョンと、これ以外に「住所、生年月日、性別、写真」が記載されたBバージョンとがあり、今回偽造の対象になったのはBバージョンであろう。

この件で、総務相は遅まきながら偽造防止対策に乗り出したそうである。住基ネット反対派から見れば、「そら見たことか。住基ネットなどもうやめてしまえ」ということになるだろう。これに対して、住基ネット推進派としては、「今回偽造されたのは印刷部分だけであって、ICチップの情報ではない。」と反論することが考えられるが、この件に関しては推進派の分が悪いとの印象をぬぐえない。

その理由は第1に、ICチップ内情報の偽造が判明していないのは、セキュリティ技術の成果などではなく、単に、ICチップ内情報を偽造する経済的需要が存在しないから、と見るべきだからである。今回明らかになった偽造の目的は、架空名義や他人名義による携帯電話の契約や銀行口座の開設であって、店舗側にICチップ内情報の読取機がなければ、ICチップ内情報を偽造する必要はない。つまり、ICチップが使われていないから、ICチップ内情報を偽造する理由がないだけなのだ。

第2の理由は、こちらの方が重要であるが、ICチップ内情報の偽造がなくても、カード印刷部分の偽造が横行すれば、住基カード、ひいては住基ネットシステムそのものに対する信頼が失われるという点では同一だからである。したがって総務省は、住基ネット実施当初より、ICチップ内情報の偽造防止のみならず、印刷部分の偽造防止に十分留意するべきであった。現在、総務省は偽造防止技術の適用を検討しているとのことだが、あまりにも遅きに失したというべきであろう。

過ぎたことは仕方がないとして、この件から総務省が学ぶべきことは何か。今回明らかになったことは、住基カードの偽造を求める裏社会の経済需要があれば、偽造を試みる輩が必ず発生するということである。そうであるならば、ICチップ内情報の偽造を求める裏社会の経済需要が発生すれば、必ずやICチップ内情報の偽造を試みる技術者が現れる。したがって、総務省は今のうちに、偽造された、あるいは偽造が試みられたICチップを判別する技術と機械を開発し、一定範囲で全国に備置するべきである。住基ネットはどうせ普及しないからそんな技術はいらない、というのであれば別だが。(小林)

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2008年1月13日 (日)

東京都、ハイテク3D防犯カメラを首都全域に設置へ

平成19年1月11日のAFP通信によると、東京都は「指名手配犯などの顔データを立体的に認識できる初の3D防犯カメラを都内全域に設置する計画を明らかにした。」とのことである。

記事は、「同システムは、防犯カメラがとらえた人の顔を瞬時に3次元画像データとして送信し、指名手配犯やテロ容疑者の顔データと照合することができるもの。画像データと容疑者データが一致した場合には、即時に各警察署に通報される。関係者の話によると、従来の2次元画像式防犯カメラでは人間の顔を多方向から同時に認識することは不可能だという。最新3D防犯システムの所要経費は約11000万円。東京都では、カメラの設置場所として鉄道各駅や繁華街などを想定しており、警視庁や産学機関と合同で調査を進め、2010年には防犯カメラを試験的に導入したいとしている。」と続ける。

いよいよ「マイノリティ・リポート」並みのハイテク防犯カメラ社会の到来か、と受け止める向きも多いであろう。「監視社会を拒否する会」あたりは、敏感に反応して反対声明を出しそうなものだが、正月休み中なのか、現時点では何の動きもない。

私の法律的な見解としては、このようなシステムは、少なくとも記事が言うように指名手配犯の探索に用いられる限りは、違法性は無い。もっとも、記事が「指名手配犯やテロ容疑者」という書き方をしていて、まるで「指名手配犯ではないテロ容疑者」がいることを前提としている点にはややひっかかるが、この点については別稿でふれたい。

むしろ、この記事が不正確なのか、東京都の発表が変なのか分からないが、この記事を読んでいて疑問に思う点が別にある。

すなわち、記事の見出しには、今にも3D防犯カメラなるものが都内全域に設置されるかのようだが、記事をよく読んでみると、その技術自体が実験段階にあることが分かる。ところが、実験段階の割にはすでに「必要経費」が発表されていて、それが1億1000万円。妙に中途半端だし、異常に安い。この経費は、2007年度の実験に要する経費と見るべきだろう。このシステムを都内全域に展開するのなら、少なくとも数十億円が必要になると思う。

記事には「従来の2次元画像式防犯カメラでは人間の顔を多方向から同時に認識することは不可能だという。」とある。小難しい言い回しだが、1台のカメラでは人を多方向から認識することができないことは当然だし、1方向から認識した画像が立体画像になり得ないこともまた当然だ。そこで、このシステムは多方向(少なくとも2方向)から撮影した画像を合成し、3次元画像を復元しようというものだが、口で言うのは簡単でも、技術的には恐ろしく困難だと思う。というのは、複数のカメラが同じ場所を同時に撮影するとして、Aカメラが撮影した甲という人物と、Bカメラが撮影した乙という人物が、実は同じ人物であるということをシステムに把握させることが非常に難しいからだ。人間なら、人相からある程度判断がつくことだが、コンピューターには、そもそも人相という概念がないのだ。そこで、あらかじめ撮影する場所の座標をカメラに覚えさせておくという方法を取ることになろうが、人間は升目どおりに動いてくれないし、駅の雑踏等で、一人一人を正確に識別するためには数センチ単位の座標を0.1秒単位で複数カメラに同期させる技術が必要になろう。

ところで、一方向から人を撮影して骨格など立体的情報を割り出し、認証に用いる技術はすでに存在するし、精度もかなり上がってきている。となると、今回東京都が発表した技術をわざわざ開発する必要性が分からなくなる。どうにも疑問が残る記事である。(小林)

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2008年1月11日 (金)

リベラルでリアルな監視社会

見落としていたが、哲学者・評論家の東浩紀氏が、CNET Japanに「リベラルでリアルな監視社会」というコラムを書いていた。

東浩紀氏は、近い将来、「あらゆる教室、あらゆる研究室、あらゆる会議室に監視カメラが設置され、教員や社員の会話を逐一記録している社会」が到来するのではないかと予言する。これはもちろん、「ひとむかし前の想像力であれば、最悪の監視社会と見なされたはずのもの」であるが、東氏の予言する未来の超監視社会は、国家権力がどうとかいう問題ではなく、いじめやパワハラ・アカハラなどで責任を問われないための自衛策として、自主的に設置されるのではないかということだ。

同氏はまた、「少想像力を飛躍させると、2045年の世界においては、各家庭のなかにさえ、児童虐待やDVを自動的に関知し、行政か民間の福祉サービスに通報するシステムが導入されている可能性があると思います。むろん、そのような『暴力防止セキュリティサービス』は、国家が強制的に各家庭に設置するのではなく、ひとびとが、幸せな家庭を作るために、あるいは社会的な信頼を得るために、自発的にお金を払って購入する」ようになっているのではないかと言う。つまり、「私たちの世界は、私たち自身がリベラルで、非暴力的で、良識的で、弱者に優しいがゆえに、一種の監視社会に急速に向かっているように思われます」というのが、東氏の主張だ。

本当にそのような時代が来ることになるかはやや疑問に思われる点もあるが、現在の監視社会化が国家権力がどうのという問題ではない、という認識では、筆者は全面的に賛成である。

該当監視カメラの増加に反対している、いわゆる人権派の弁護士は少なくないが、彼らの基本的スタンスは一様に反国家権力であり、その意味において、現在の監視社会化の本質を見落としている。繁華街に監視カメラを設置したら日本はまた戦争になる、などと言っているうちは、彼ら人権派弁護士は、監視社会化を阻止する何の働きもできないだろう。(小林)

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2008年1月 8日 (火)

自販機内蔵カメラで防犯

という記事が,平成20年1月7日の日本経済新聞に掲載されていた。群馬大学工学部(e自警ネットワーク研究会 会長・藤井雄作教授)と三国コカ・コーラボトリング群馬支社の共同開発で,市販の無線カメラを自販機に組み込み,前方の幅5メートルの範囲を24時間撮影し,人や車が通ったときだけパソコンに保存するとのことである。その目的は,「自販機荒らしを防ぐだけでなく,街頭での犯罪捜査にも役立つと見て」おり,「県警と協力して…2008年中の実用化を目指す」そうだ。

プライバシー保護に関しては,「映像は暗号化して保存し,事件などが起こった場合のみ警察など捜査機関が再生できるようにしてプライバシー保護機能を持たせた」とのことである。

これは囲み記事だから,藤井教授らの意に反する省略があるかもしれない。それ故の誤解であればご容赦頂きたいが,この人達は本当にプライバシーやセキュリティのことを考えているのかと思う。

このシステムは例えるなら,道のほうぼうにカメラを持った人が立っていて,その前を横切ると写真を撮られる,ということと同じである。「何で写真を撮るんだ」と問いかけると,「ご心配なく。ただ撮影しているだけで,事件などが起こったときに現像するだけですから。ついでといっては何ですが,私はジュースやお茶の販売もしています。買って行きませんか?」との答えが返ってくる。そう答えられたら読者は「ご苦労様です。犯罪捜査に役立つならどうぞ撮影してください。」と納得するだろうか。筆者なら不愉快に思う。「今撮影したこのとき犯罪は起こりましたか?起こっていないなら,撮影した画像は今削除してください」と答えたい。まして,その人からお茶を買う気など起きない。9.11同時多発テロの後,世界中の感覚が安心安全に触れていて,防犯や犯罪捜査のためといえば何でも許されるかのような風潮があるが,そういうときこそ,このような不愉快に思う気持ちは大事にしなければいけないと思う。

筆者のこの感覚は,おそらく筆者個人のものではない。大阪市で通学自動見守りのために自動販売機にビデオカメラを設置した実証実験が行われたが,カメラが設置された自動販売機は売上が下がったという噂がある。もしこの噂が本当なら,自動販売機に撮影されることを不愉快に思う気持ちは,決して極少数派ではない。確かに大阪での実証実験のときは,自動販売機にやたらごつい機材やアンテナが設置されていて,いかにも「撮影しています!」という感じだったが,だからといって,カメラを小型化すればよいというのはまやかしである。むしろ,街頭犯罪を抑止するなら,カメラはごつくて目立つほどよい。

セキュリティの面からも,無線小型カメラを使用するという点に疑問が残る。この無線の傍受や,ダミー画像の送信などについて,十分なセキュリティが施されているのだろうか。また,記事には「事件などが起こったときのみ」再生できるようにするとあるが,「事件など」の「など」とは何を指すのか。県警と共同実験をしているというが,それなら暗号を解読するパスワードは県警も持つことになるのか。少なくとも,復号の規準や手順について,事後検証の可能なルールは作成されるのか。

もちろん,自販機荒しという犯罪が相当程度発生している以上,これを防止するという目的は正当である。次に,カメラで自販機荒らしが防止できるかについては,やや疑問もあるが,あるとしておこう。しかし,自販機荒し防止を目的とする撮影は,その目的に必要な限度に限定されなければならない。その自販機に何の用もない,ただの通行人を全員撮影するのは行き過ぎだし,ただの通行人を全員撮影するなら,「後で使う可能性があるから」という理由だけでは全然足りないと思う。(小林)

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2007年12月16日 (日)

防犯カメラの客引き抑止効果

最近のネット記事から二題ご紹介したい。

平成19年12月6日の新潟日報のホームページによると,「JR新潟駅前の繁華街、新潟市中央区東大通1の街頭に東大通1丁目町内会が防犯カメラを設置、6日から運用を始める。ネオンの下で増え続ける悪質な客引き抑止が主な目的で、町内会では『誰もが気楽に立ち寄れる街づくりにつなげたい』とカメラ設置をPRしている。」

JCASTテレビウォッチの12月10日版は,「防犯カメラあると危ない!?ぼったくり事情2007」で,日本で初めて警察が該当監視カメラ50台を設置した新宿歌舞伎町のぼったくり事情を紹介するテレビ番組を引用していた。その中で,「興味を引いたのは、阿部リポーターに声をかけてきた客引きが、防犯カメラが設置されているエリアは『逆に警察の取り締まりが甘い』と指摘したことだ。客引きや阿部が映っている場所周辺には防犯カメラが設置されていた。安部はすでに午前2時で、店は営業できない時間のはずだと、客引きに指摘したが、客引きは『やってるよ』とどこ吹く風だ。スタジオで取材内容を報告する阿部は『カメラがあるから(警察が)来ない』『(来ないから客引きが)やりやすい状態になっている』とまとめた。」とのことである。

これら二つの記事の内容は,明らかに矛盾する。該当防犯カメラに悪質な客引きを抑止する効果があるのかどうか,あるいは,効果があるとしてもそれには一定の条件が必要ではないか,ということは,そろそろきちんとした検証を要する時期にきている。そうしないと,街頭防犯カメラの大半が「税金の無駄遣い」という評価を受けることになりかねない。このことは,ひいては,ネットワークカメラの社会的存在意義そのものを脅かすことになると思う。(小林)

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2007年12月 8日 (土)

ユビキタスネットワークシンポジウム2007

 11月29日に秋葉原ダイビルで開催されたユビキタスネットワークシンポジウムのパネルディスカッションに参加させて頂いた。300名を収容するホールは250人以上の出席を得てほぼ満席の盛況であり,ユビキタスネットワークの技術がいよいよ社会的実施の段階に入っていることを実感した。このパネルディスカッションの際,各パネラーが10分程度プレゼンを行うということだったので,用意した原稿を下記に掲載する。

                  記

UNS2007パネルディスカッション

ユビキタスネットワーク社会実現のためのこれまで今後

~法律の見地から何が必要か~

私からは,ユビキタスネットワーク社会実現のために,法律の見地から日本に何が必要か,ということを簡単にお話し致します。

まず,ユビキタスネットワーク社会とは,高度に発達したネットワーク社会であると同時に,ヒトとネットワークとが,シームレスに繋がった社会であるということができます。

ここに「シームレス」ということの意味は,キーボードなどの入力デバイスをヒトが操作することなしに,ヒトに関する情報をネットワークが取得することを意味します。そのために必要なデバイスとして,RFIDシステムや,カメラ,マイク,指紋や虹彩等のスキャナが開発されています。

ヒトとネットワークがシームレスに繋がることは,大変な利便性をもたらすと予想されます。

しかし反面,ヒトの保持するプライバシー情報が,そのヒトの意思に反してネットワークに取得されることもあります。また,一旦ネットワークが取得した情報は,高度化したネットワークを駆けめぐり,ほかの情報と合体して,そのヒトに思わぬ不利益をもたらすかもしれません。このように,ユビキタスネットワーク社会を実現するためには,プライバシー権との調整を図ることが,避けて通ることのできない法律的課題です。

ところで,このような法律的課題とは裏腹に,現在の日本では,ユビキタスネットワークデバイスが,驚異的な速度で普及しつつあります。例えばネットワークカメラは,店舗やマンションはもちろん,全国各地の繁華街や商店街に,凄まじい勢いで設置されています。世界に目を転じますと,イギリスは全国に約400万台とも言われる監視カメラを設置しており,監視カメラ先進国とも呼ばれますが,日本にイギリス並みの監視カメラが設置される日もそう遠くないと思われます。

このような傾向に対しては,監視社会化を招くとして警鐘を鳴らす人たちもいます。しかし,このような意見は圧倒的少数派であるのが現状です。このことは,ユビキタスネットワークを推進する見地からは,大変好都合のように見えます。しかし,本当にそうでしょうか。

「京都府学連デモ事件判決」という,最高裁判所大法廷が昭和44年に行った有名な判決があります。この判決や,これに続く一連の判決によると,警察が公道など公の場所において,罪なき一般市民を撮影することが許されるのは,現に犯罪が行われているときか,その前後に限られ,しかも,犯人を撮影するうえで必要不可欠な範囲に限られるとされています。この裁判例によれば,商店街などが設置して通行人を撮影し録画する行為は,違法になってしまいます。

もちろん,この最高裁判所の判決は,昭和44年という,ビデオカメラもデジタルカメラもない,市民1人ひとりがカメラ付き携帯電話を持ち歩く時代が来るとは想像もできない時代に出された判決ですから,これがそのまま現代に妥当するとは限りません。しかし,明確なルールが存在しない以上,この判決は現代においても生きています。つまり,現在普及しつつあるユビキタスネットワークデバイスは,常に,裁判所によって違法と判断され,撤去や損害賠償が命じられるリスクにさらされていると言って過言ではありません。

現在の日本では,監視カメラに関してはいくつかの地方自治体で条例が制定されています。また,RFIDに関しては,2004年に総務省と経済産業省がガイドラインを策定しています。しかし,プライバシー権とネットワークとの調整の問題は,本来,条例やガイドラインによる規制になじむものではありません。全国に等しく適用される法律によるルール作りが急務であると考えます。

現在,ユビキタスネットワークシステムとプライバシー権を調整するための法律が存在しないことは,第一に,ユビキタスネットワーク社会を推進する研究者や技術者に対して,不必要なブレーキになるという弊害を発生させています。私はユビキタスネットワークに関するいくつかの研究会に参加していますが,研究者や技術者の方々が,裁判を起こされ違法とされることをおそれるあまり,研究開発を躊躇する事例に接しています。法規制とかルールなどというと,一見,ユビキタスネットワーク社会の推進を縛り妨げるかのように聞こえます。しかし,適切な法規制やルールは,むしろ,ユビキタスネットワーク社会を推進するものです。自動車は道路の左側を通行しなければならないという道路交通法上のルールは,自動車産業の発展を阻害したでしょうか。むしろ,車と車,あるいは車と人との関係を適切に規律するルールこそが,自動車産業を発展させたと言えるのではないでしょうか。

ユビキタスネットワークシステムとプライバシー権を調整するための法律が存在しないことは,第2に,日本や日本の企業が情報技術を世界標準とするに際して,大きな妨げとなる危険があります。例えば先ほど触れたイギリスは,監視カメラ先進国である一方,情報コミッショナーという第三者機関を設けるとともに,個人データ保護法をはじめとする法制度が,日本より遙かに整備されています。また,世界では,情報コミッショナー制度を有する国の国際会議である「データ保護・プライバシー・コミッショナー国際会議」が開催されており,今年で29回を数えますが,情報コミッショナー制度を持たない日本は,各国コミッショナーによる非公開会議に参加することさえできません。このままでは,日本は,情報プライバシー保護制度後進国の烙印を押され,ユビキタスネットワークシステムの輸出や他国のネットワークとの接続を断られることにもなりかねません。

以上,日本においてユビキタスネットワーク社会を実現するためには,適切な法的ルールを定める必要があること,国民に拒否反応がない今こそが,法的ルールを定める好機であること,そして,そのためにはまず,イギリスやヨーロッパをはじめとする先進国の制度を研究する必要があることを申し上げて,ご説明とさせて頂きます。(小林)

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2007年12月 2日 (日)

「見守りロボット実用化へ」のニュースについて(4)

小学生にICタグを所持させ,通学路のポイントを通過するたびに通過情報と通過児童の画像を学校や親に自動配信する「街角見守りロボット」を導入する際,保護者が,「子どもの画像がその親に配信されるのは差し支えないが,親でないほかの保護者に配信されるのはプライバシーの侵害だ」と主張することがあるようだ。「街角見守りロボット」をめぐる法律問題は,すでに述べてきたとおり何点かあるが,実際問題としては,このような親の主張にどう対応するか,という点が,業者や学校を悩ませているらしい。

確かに,「街角見守りロボット」のシステムからすれば,太郎君と花子さんが仲良く手をつないで「街角見守りロボット」の前を通過したとき,「手をつないで歩く太郎君と花子さん」の画像が太郎君の保護者と花子さんの保護者の両方に配信されることになる。双方の両親が知り合いであればともかく,見も知らぬ保護者に自分の子どもの画像が配信されることに抵抗感がある,という心理は理解できる。法律的に見ても,子どものプライバシー権は,保護者と学校に対してのみ放棄(公開)したのであって,同じ学校とはいえ赤の他人に対して放棄(公開)したのではない,という理屈は成り立つ。

しかし他方,すでに述べたように,このシステムは児童ではない一般通行人を承諾なく撮影するものであり,一定の条件の下で適法になるとはいえ,これを不愉快に思う市民もいよう。このような市民に対する思いやりもなく,自分の子どもの画像についてだけプライバシー権を主張するのはいかがなものか,という気もする。

そうすると,「街角見守りロボット」に守られるという恩恵を享受している子どもについて,他の保護者に画像を見られたくない,という意味でのプライバシー権は一応認められるものの,それは,一般通行人の有する同様のプライバシー権よりは劣る,と考えるべきだろう。平たく言い換えると,一般市民が撮影された画像を学校や親に配信されることを我慢しなければならないのであれば,児童やその親も我慢しなければだめ。他方,自動マスキングなどの「プライバシー保護技術」により,一般市民の画像が学校や親に配信されない手当がなされているのであれば,この技術を児童にも適用して,親にのみマスキングを外した児童の画像が配信されるようにしてもよい。しかし,一般市民のプライバシー権には何の配慮もせずに,児童の顔にだけマスキングするのは,不公平でだめ,ということになる。(小林)

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2007年11月26日 (月)

「見守りロボット実用化へ」のニュースについて(3)

小学生にICタグを所持させ,街角のポイントを通過するたびに通過情報を親や学校に自動通知する「街角見守りロボット」の多くは,ICタグリーダのほかにカメラを備えていて,通行人を撮影している。撮影時間については,常時撮影するタイプと,ICタグを装着した児童が通過したときに撮影するタイプがあるようだ。

カメラというデバイスは,ICタグリーダと異なり,児童だけではなく,たまたまそこを通過していた一般市民を撮影する。そこで,これら一般市民を承諾無く撮影することが違法とはならないのか,が問題となる。

法律論としては,これが最も重要な論点である。例えば,最高裁判所大法廷が昭和44年に出したいわゆる「京都府学連デモ事件」判決は,憲法の講義で必ず紹介される有名な判決であるが,現行犯かこれに準じる場合にしか,公道で警察官が一般市民を撮影することを許していない。警察官がやっていけないのであれば,一般市民もやってはいけないというのが筋である。しかし,詳細はここでは述べないが,私は,結論としては,一定の条件の下で適法と認めて良いと考えている。その条件とは大まかに言って,①登下校時の子どもの安全を守るという目的であるならば,その目的を達成するために必要最低限の範囲でのみ撮影を行うこと,②撮影した画像の取扱を適正に行うこと,③責任の所在と運用方法を適正かつ明確に定め,これを公開すること,の3点である。(小林)

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2007年11月22日 (木)

「見守りロボット実用化へ」のニュースについて(2)

子どもにICタグを持たせて登下校の位置情報を把握し親に通知する「街角見守りシステム」に対して,エンパワメント・センター主宰の森田ゆり氏は大反対の立場である。この問題は,法律的には,登下校時の行動・位置情報という子どものプライバシー権の問題として検討することができる。

「子どものプライバシー権だって?親が承諾しているのだから問題ないだろう。そもそも子どもにプライバシー権などあるのか?」と思われるかもしれない。確かに,親には子どもの権利や利益を処分する権限がある。しかし,親だからといって処分できない権利もある。例えば生命がそうだ。

それでは本件の場合問題になる子どものプライバシー権とは具体的に何か。語弊をおそれずに言えば,それは「道草の権利」とでも言うべきものである。「道草は権利なのか?」と思われるかもしれない。道草は子ども権利である。それは子どもにとって,とても重要なものだ。

道草をするのは,子どもの本能といってよい。子どもは,道草をする中で,いろいろなことを学ぶ。親の言いつけを破ったり,親の目を盗んで行動したりすることも,子どもの成長過程に不可欠の経験である。

もちろん,親は子どもに道草を禁じることができるし,道草を発見したら叱ることができる。これは親の権利でもあるし,義務でもある。しかし,親が子どもに道草を禁じることと,情報デバイスを通じて子どもの位置を把握し,道草の有無を常時チェックすることとは話が別だ。森田ゆり氏は,街角見守りシステムが子どもの成長過程に重大な悪影響を及ぼすとして,これに反対しているのである。

法律的にはどのように考えるべきだろうか。確かに,子どもには道草の権利と呼ぶべき重要な利益があることは認められよう。しかし,この権利も他の利益や必要性との調整が必要なときもある。街角見守りロボットの場合,問題となるのは子どもの安全という重要な利益であり,しかも,小学生には身の安全を守る能力が乏しいことや,塾や核家族・共働き夫婦の増加により,子どもが単独で行動したり夜間外出したりすることが増えているのも事実である。また,かつて存在した地域の力が,現代の多くの街で弱くなっていることも事実であろう。そうであるとすれば,小学生レベルの子どもについて,街角見守りシステムを導入することもやむを得ないと考える。

もちろんこれは法律論であり,「適法か,違法か」レベルの問題だ。「妥当か,妥当でないか」というレベルの問題は,教育のあり方を含め,別の議論が必要である。(小林)


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2007年11月18日 (日)

「見守りロボット実用化へ」のニュースについて(1)

平成19年11月9日の毎日新聞朝刊「くらしナビ」に,大阪市立中央小学校で実用化が始まった「街角見守りロボット」が紹介されていた。記事はおおむね「見守りロボット」に好意的であり,今後の課題として,維持費や地域との連携の重要性を指摘している。

もちろん,このシステムに対する意見は好意的なものばかりではない。私の知る限り,エンパワメント・センター主宰の森田ゆり氏は大反対の立場である。同氏は小さな子どもの母親であり,しかも池田小学校事件の起きた大阪府池田市のご近所にお住まいとのことであるから,それでもなおこのシステムに反対することについては,それなりの覚悟をお持ちであろう。また,大阪大学の日比野愛子氏らは,「IC タグによる「子ども見守り」システム―監視社会の情報技術―」と題した論文を発表し,主として監視社会という切り口から,子どもの見守りシステムを検証している。

しかし,これらの議論をプライバシー権という法律的な視点から見るときは,問題点が適切に切り分けられていないため,論点が混乱しているように思われる。適切な切り分けのためには,まず,ICタグリーダとカメラというデバイスの違いに着目することが必要だ。

ICタグリーダは,対応するICタグを装着する子どもの行動を把握するから,このデバイスに関しては,登下校時の位置情報という,子どものプライバシー権が問題となる。

カメラに関しては,対象となる子ども以外の第三者(一般の通行人)が撮影されてしまうため,この第三者のプライバシー権との関係で問題が発生する。

そして第三の問題として,カメラに撮影される子どもの画像を,その子の親以外の第三者が見ることの可否がある。意外に思われるかもしれないが,「街角見守りシステム」を導入する際,全面的に賛成する親御さんも,自分の子どもの画像がほかの親御さんに見られることには,抵抗を示す場合があるのだ。

これら3つの問題は,それぞれ異なる論点であるから,法律上の問題を検討するにあたっては,これらを区別することが必要だ。(小林)

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2007年11月14日 (水)

装着型全方位ステレオ監視システムについて

大阪大学の八木康史教授が,「装着型全方位ステレオ監視システム」の研究をしておられる。これは要するに,路上に監視カメラを多数設置しても,死角は完全になくならないし,郊外など,監視カメラが設置されていない地域も残る。そこで,全方位監視カメラを個人個人が装着したらどうか,というアイデアに基づく研究であり,具体的イメージが動画で紹介されている。面白いので,是非ご覧下さい。

私の感想は,正直言って,「なんだかなあ」である。素人めいた感想にはなるが,できる限り法律家としての視点を保ちつつ,述べてみたい。

監視カメラ(防犯カメラ)の機能は大きく分けて二つある。一つは,犯罪を抑止する機能であり,二つ目は,犯罪を記録する機能である。この二つの機能は密接に関連している。つまり,防犯カメラは,犯罪を記録するからこそ,犯罪を抑止することができる。

そして,犯罪を抑止する機能は,そこに防犯カメラがあるということが表明されていなければならない。したがって,防犯カメラに犯罪抑止機能を発揮させるためには,「防犯カメラ撮影中」と目立つように表示させるか,または,カメラそれ自体を目立たせる必要がある。いずれにしても,「目立つ」ことが必要だ。そしてこの必要性は,ファッション性と真正面から対立する。ファッション性という観点からすれば,正直言って,このような監視カメラを頭のてっぺんに装着して市民が街を歩く時代が来るとは思えない。八木教授は,「研究者は携帯監視(技術)の確立に専念し,あとは,工業デザイナのセンスに期待するところである」(セキュリティ産業新聞546号)と述べておられるが,それは期待が過ぎるというものではないか。

次に,防犯カメラの犯罪記録機能についてである。この装置がどうやって影像を記録するかは不明だが,装着する個人が記録するか,無線LAN等の電波技術を使って影像をネットワークに飛ばして記録するかのいずれかであろう。しかし,前者(装着者本人が記録する場合)であるなら,犯罪者は犯罪遂行の前後に記録媒体を破壊すればよいのだから,防犯カメラの犯罪記録効果は無に帰する。これは同時に,犯罪抑止効果も無に帰するということである。また,後者(ネットワーク経由で影像を記録する場合)であるなら,電波が届かない場所では犯罪記録機能も,抑止機能も失われる,ということになる。つまり,郊外やトンネル・地下通路内では意味がない,ということだ。これでは,八木教授の当初の提案における問題解決にならない。

いうまでもなく,私が研究課題にしているプライバシー権との関係も大いに問題である。この「携帯する監視カメラ」は,公共の場所だけでなく,あらゆるプライベートな場所に携行することが可能であるから,盗撮カメラとして悪用する人間が必ず出てくるであろう。

というわけで,装着型全方位ステレオ監視システムについては,「なんだかなあ」と思う次第である。

もっとも,この記事を読みながら,私なりのアイデアが浮かんだので,技術者の方に研究して頂ければと思う。

私のアイデアは,「ライフレコーダー」というものだ。これは,最近のタクシーなどに装着されている「ドライブレコーダー」の「ドライブ」を「ライフ」に置き換えたものであり,その機能も「ドライブレコーダー」に似ている。その実体は数㎝×数㎜のチップであり,個人の頭蓋骨に埋め込んで,視神経と聴覚神経に接続しておく。このライフレコーダーは常時データを記録しつつ,上書き消去していくが,埋め込まれた個人の生命反応が消失した場合や,一定以上の重力加速度が記録された場合には,直近30秒間の視覚・聴覚記録を保存する,というものだ。つまり,死体の頭蓋骨からライフレコーダーを取り出して専用の機器で再生すると,その人が死亡する30秒前の画像と音声が再生される仕組みである。

馬鹿馬鹿しいですか?技術的・医学的には現時点では無理かもしれないが,実用性という点からすれば,八木教授の研究に比肩すると思うし,プライバシー権との関係でも問題はないのだが。少なくとも,SFミステリー小説や映画の題材にはなると思うので,どなたかこのアイデアを使ってください。私の名前をクレジットして頂ければ,アイデア料はいただきません。(小林)

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2007年11月 6日 (火)

ニューヨークのタクシー運転手のプライバシー感覚について

U. S. Front Lineのウェブニュースによると,ニューヨーク・タクシー労働者同盟が,全車両にGPS端末の搭載を義務づける市の計画に反対してストライキを行ったという。反対の理由として,運転手らは,居場所が特定される「プライバシーの侵害」や,導入に伴う経費の負担増に反発している,とのことである。

個人タクシーならともかく,タクシー会社の従業員であるタクシー運転手が,何故経費負担増に反対するのか,よく分からないが,それは取りあえず措いておく。ここで問題としたいのは,「プライバシーの侵害」という反対理由だ。

日本人の感覚としては,おそらく,タクシーにGPS端末を搭載することが,なぜ運転手の「プライバシーの侵害」になるのか,理解できないと思う。私も理解できない。効率的な配車のためには各タクシーの位置を会社が把握することは重要であるし,その手段としてタクシーにGPSを搭載するというのも有効な方法であろう。タクシーの運転手には,会社との雇用契約上,就業中の自分の位置情報を会社に通知する義務があると考えて良いと思う。もっとも,ニューヨークのタクシーには日本のような配車のシステムがなく,100%「流し」で営業しているのかもしれないが。

しかし,本稿で指摘したいのは,GPSの搭載が運転手の「プライバシーの侵害」になるという主張が正しいか否か,ではない。このような主張が堂々となされるという,運転手(というよりアメリカ人)のプライバシー感覚である。「GPS搭載はタクシー運転手のプライバシーを侵害する」という主張が,「ハァ?何言ってんだお前。ねぼけとるんちゃうか?」という箸にも棒にもかからないレベルではなく,(結果的に少数かもしれないが)それなりに支持されるレベルで成立する,というアメリカ人の感覚を,指摘しておきたいのだ。

一般的には,アメリカ人のプライバシー情報に関する権利意識は,日本人のそれより低いと言われている。街頭防犯カメラに対する人権意識も日本人より低いと言われるし,社会保障番号をたよりにネットで検索すると,その人の職歴や資産等のプライベートの事項が分かると言われているし,このような情報を売買する産業も成立している。しかし,そのような一般論が必ずしも常に妥当するわけではない,つまり,プライバシー情報に関する権利意識について,アメリカ人が常に日本人より低いわけではない,ということをこのニュースは教えてくれる。(小林)

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2007年11月 4日 (日)

第50回日弁連人権擁護大会シンポジウム

平成19年11月1日,日弁連が浜松市「アクトシティ浜松」で開催した人権擁護大会シンポジウムの第1分科会「市民の自由と安全を考える」を聴講した。人権派とは言い難い私であるが,監視カメラやネットワークカメラの問題を専攻する以上,現時点における日弁連の到達点を知る必要があると思い,はるばる浜松まで出張した次第である。シンポジウムには弁護士のほか報道記者や一般市民,学生など,800人を超える出席者があり,盛況であった。

シンポジウムの前半は600ページ近くに及ぶ基調報告書の紹介と寸劇,後半は監視社会の問題に取り組む国内外の著名人によるパネルディスカッションだった。パネラーは大谷美紀子弁護士木下智史関西大学教授,フリージャーナリストの斎藤貴男氏,田島泰彦上智大学教授,浜井浩一龍谷大学教授,エンパワメント・センター主宰の森田ゆり氏,そして米自由人権協会共同代表を務めたバリー・スタインハード氏であった。バリー氏は「1992年から2002年まで、米自由人権協会(American Civil Liberties Union: ACLU)の共同代表を務め、2002年からテクノロジーと自由に関するプログラム部長を務めている。1990年代後半から2000年頃、米国におけるインターネット盗聴捜査の拡大に反対して活動してきた。現在の関心は、反テロ愛国法の成立にともなう、個人情報の国家による一元管理と監視システム問題など。NSA(国家安全保障局)が主導する、全世界の大量の通信を傍受するスパイ・システム「エシュロン」の存在を明らかにした人物としても有名」だそうである。もっとも,出席者が多すぎて掘り下げが足りず,後半全体としてはやや欲求不満の内容となった。

さてシンポジウムの前半に戻るが,まずは長大かつ詳細にわたる基調報告書をまとめ上げたスタッフに敬意を表したい。しかし,内容が多岐にわたりすぎたせいか,全体として散漫になったという印象をぬぐえない。

まず,シンポジウムの副題を「9.11以降の時代と監視社会」とする以上,9.11同時多発テロが国家や社会にもたらした変化に主題を絞るべきであった。9.11以降に発生した人権侵害事例や監視社会化の兆候といえども,全てが9.11の影響を受けて発生したものではないだろう。そうである以上,今回取り上げる事例は,9.11の影響を強く受けたものに限定するべきである。ところが,シンポジウムでは,公安警察が青年法律家協会の総会に参加するため宿泊したホテルに宿泊者名簿の提出を求めた事件が紹介された。けしからん話であることは分かるが,このような事例は数十年前から繰り返されてきたはずであって,9.11と直接の関係があるとは思えない。どうせ紹介するなら,例えば自衛隊情報保全隊が自衛隊イラク派遣に反対する集会をスパイしていた事件などが,9.11による監視社会化を象徴する事件として紹介に値しよう。

また,9.11以降の監視社会化を,国家権力対市民という,いかにも左翼の伝統的思考様式にあてはめてしまったことも感心しない。パネラーの中では唯一斎藤貴男氏が「現代の監視社会化は国家権力のみならず,商業的圧力によって推進されている」と指摘したが,他の出席者の反応はほぼゼロであった。さらに,現代監視社会化の基盤にある情報テクノロジーの高度化に全く触れられなかったことも残念である。私の理解によれば,現代の監視社会化は,いうまでもなく9.11以前から進行していたが,主としてこれを支えたのは高度に発達しつつある情報テクノロジーであって,9.11はかかる意味での情報テクノロジーの商業的価値を瞬時に開花させたものである。つまり,9.11以降の時代と監視社会の問題は,市民が高度に発達しつつある情報テクノロジーとどのように向き合うかという問題であり,この問題はユビキタス社会との関係性とも通底する,近未来社会の最重要課題である。この点に全く触れないでは,9.11以降の監視社会化を論じる意味はないと言って過言でない。その理由は長くなるので省略するが,一言で言うならば,テクノロジーこそ,人類にとって「エデンの園のリンゴ」だからである。

最後に,私が専門とする監視カメラの問題について触れておくと,その内容が2004年に九州弁護士会連合会が開催したシンポジウムから一歩も進化していなかった点も残念であった。監視社会化を支える情報テクノロジーの驚異的な進行速度に照らせば,この3年間の研究が全く進化も深化もしなかったことは致命傷に近い。商店街や公共施設に設置されている監視カメラは原則として違法というのが主宰する弁護士の立場であるならば,弁護士である以上,自分で裁判を起こして違法な監視カメラの撤去を求めるくらいの気概を持つべきであろうし,裁判の中でこそ,研究が進化するという面もあろう。このシンポジウムは政治集会ではなく,法律実務家の主催する集会なのだから。

以上,監視社会問題に対する日弁連の到達点を知るという趣旨で出席した日弁連人権擁護大会であったが,その内容は必ずしも満足できるレベルではなかったと言わざるを得ない。私と立場は違うが,彼らにも彼らの信念に基づく一層の努力を期待したい。(小林)

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2007年10月29日 (月)

ウォークスルー虹彩認証システムについて(2)

平成19年10月17日から東京ビックサイトで,危機管理産業展(RISCON2007)と同時開催された「テロ対策特殊装備展(SEECAT)」を見学してきた。危機管理産業展は今年で3回目であるが,テロ対策特殊装備展の開催は初めてとのことである。私は招待してもらったので無料で見学できたが,一般来場者からは5万円というとんでもない入場料を取るにもかかわらず,会場は大いに盛況であった。石原都知事や警視総監も来場したとのことである。この盛況ぶりを見て,マイケル・ムーア監督なら,「安全は商売になる」と皮肉るだろう。また,「日本人は水と安全はただだと思っている」と言った故山本七平はどう見るだろうか,と思ったりした。

ところで,会場には,コンクリート壁を透視する装置や,核テロを想定した装甲車,自動追尾機能を持つ監視カメラなど,ミリタリーマニア垂涎ものの機器が展示されていたが,私の目当ては松下電器が出展した「ウォークスルー虹彩認証システム」の実演を体験することであった。

実演といっても,空港の金属探知器のようなゲートを見学客に歩いてくぐらせるだけであるが,装置は的確に目の位置を自動探知し,赤外線を使って虹彩情報を読みとり,データベースと照合する。私が通過しても何も起きないが,テロリストに扮した松下電器の社員がゲートをくぐると,警報が発令される。つまり,事前登録した「本人」を認証しているのだ。背丈が一定以下だと認識しなかったりするようだが,これはテスト機ゆえであり,実用化には支障がないとのこと。

他方,私が感じた問題点としては,他人受入率は120万分の1以下という高精度だそうだが,本人認証機能をテロ対策に利用するという用途なら,「非テロリストをテロリストと誤認識する」リスクより,「テロリストを非テロリストと誤認識する」リスクを避けるべきだから,大事なのは他人受入率ではなく本人拒否率の方ではないかと思う。もっとも,本人拒否率を公表していないのは精度が悪いからではなく,セキュリティ上の必要性からかもしれない。まさか数十分の1ということはあるまい。また,五木ひろしのように目の細い人はどうなのか,とか,虹彩を印刷したコンタクトレンズを装着した場合の認識率,などは教えてもらえなかった。テロリストの立場で考えれば,本人拒否率が多少高くても(つまり精度が足りなくても),無事虹彩認証システムをパスする確率が数万分の1というときに,それに賭けるリスクを冒すことはできないから,使用上の便宜を優先して他人受入率を高くするという選択もあるかもしれない。しかし,特定の措置(コンタクトレンズの装着や,角膜の手術など)によってかなりの確率で虹彩認証システムを騙すことが可能になるなら,逆に,このシステムを悪用する輩が出てくることになる。このようないたちごっこをやめさせるためには,むしろ本人拒否率を下げる取り組みが必要となる。他方,誤報ばかり発令すると,現場の担当者が警報を信用しないというヒューマンエラーが心配の種となる。テロ対策装備としては,このあたりが課題かもしれない。

いずれにせよ重要なことは,この種の機器は,明日にでも実用化される時代が来た,ということである。使い方さえ間違わなければ,この種の機器は社会の平和に大いに貢献することになろう。問題は,虹彩情報の管理のあり方など,適切な使い方のルールを早期に制定することと思う。(小林)

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2007年10月25日 (木)

防犯カメラシステムにおける不審人物の取扱について

兵庫県加古川市で,小学生の女の子が刺殺されるという,痛ましい事件が発生した。自宅の玄関先で指されたという犯行場所の特異性からすると,犯人がただの異常者なのか,それとも被害者やその家族と何らかの関係がある者なのかについては慎重な判断が必要な事案と思われるが,報道によると,警察は近所のコンビニの防犯カメラ画像などの任意提出を受け,不審人物の洗い出しを始めたという。

法律的に見れば,「犯人が写っているかもしれない」というだけで,コンビニが防犯カメラのテープを警察に提出することが許されるか,という論点はあるが,それはこの際,措いておく。仮に問題があるとしても,今回の事件を前提にした場合,ローラー作戦で不審人物を洗い出そうとする警察の努力を禁止することはできない。その代わり,というわけではないが,今回指摘しておきたいことは,監視カメラ・防犯カメラには「犯人を記録する」だけでなく,「不審人物を記録する」という重大な機能がある,という点だ。この点は,監視カメラ反対派も熱心に指摘していない,あるいは見落としている点である。

「監視カメラには犯罪抑止力があるか」という論点は,監視カメラ推進派・反対派の間で,熱心に議論されている問題である。しかし,より重大な問題は,監視カメラの「不審人物記録機能」であると,私は常々考えている。子どもに対する犯罪を未然に阻止するためには,犯罪が起こる以前に,撮影された不審人物を警察に通報して犯罪を未然に防ぐ必要がある,という議論は,いずれ,監視カメラ推進派が必ず持ち出すに違いないからだ。

この議論は,犯罪の未然防止という観点からは,確かに一つの筋論である。しかも,子どもの生命という一種究極的な価値の前では,これに対する反論はなかなか世論の支持を受けられないとおもう。しかし,だからといって,犯罪が起きる前に,「不審人物」と判断されたというだけで,警察に通報されるという事態が許されるのかは,慎重に検討されなければならない。そもそも「不審人物」とは何なのかもはっきりしていないのだ。たまたまコンビニで,美少女の水着写真が載った雑誌を熱心に立ち読みしていただけで通報され,警察の取調を受けてあらぬ疑いをかけられたり,指紋情報や顔認証情報を取られて一生その情報につきまとわれたりする時代は,もしかすると,もうすぐそこまで来ているのである。(小林)

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2007年10月17日 (水)

「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン」の構造

電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン(以下ガイドライン)は,電気通信事業法に基づき,個人情報保護に関する基本的事項を定めたものとして,平成3年に策定され,平成10年,平成16年に改訂された。

ところで,電子通信事業法の定義する電気通信事業者は,電気通信事業を営むことについて,許可,届出,登録という行政上の手続を経た者をいうとされている(2条5項)が,このガイドラインは,このような行政上の手続きを経ていなくても,電気通信(有線,無線その他の電磁的方式により,符号,音響又は影像を送り,伝え,又は受けること)のサービスを提供する事業を行う者一般を対象にしていて,一定の行政手続きを経た者に限定していない。つまり,RFIDやネットワークカメラ等のネットワークを運用する事業者も,多くの場合,このガイドラインの対象になる。従って,これらの事業者は,このガイドラインの内容を理解し,これに従うことが求められている。

そこで,今回は,このガイドラインの構造について簡単にご紹介する。

ガイドラインは,全部で28条あるが,大きく3章に分かれている。

第1章          総則

第2章          個人情報の取り扱いに関する基本原則

第3章          各種情報の取り扱い

 総則は措くとして,第2章と第3章の構造は,ネットワークと個人(利用者に限らない)の関係を念頭に置いてみると理解しやすい。

ネットワークが何らかのサービスを行うためには,まず,個人から情報を収集する必要がある。そして,収集した情報を保存し,必要に応じて利用する。また,この情報を第三者や他のネットワークに提供する場合もあろうし,時間が経てばこの情報の内容を訂正したり,廃棄したりする必要も発生する。つまり,ネットワークの中において,情報は「取得」「保存」「利用」「移転」「廃棄」という過程を経て流通するのである。そして,この過程それぞれにおいて,不正が行われれば,個人のプライバシー権が侵害される。ガイドラインの第2章は,この流通過程のそれぞれの段階におけるプライバシー権保護の方策を規定したものである。

一方第3章は,ネットワークを流通する個人情報のうち,電気通信事業者が通常取り扱うと想定される情報,具体的には「通信履歴」「利用明細」「発信者個人情報」「位置情報」「不払い情報」および「電話番号情報」について,それぞれの情報の性質に応じた取扱を定めている。もちろん,電気通信事業者が取り扱う情報はこれらに限定されないから,第3章に例示されている以外の情報は,第2章の一般原則に従って取り扱われるべきこととなる。(小林)

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2007年9月27日 (木)

電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン改訂について

総務省は,平成19年9月12日,「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン第26条の解説改訂版」を公表した。改訂の趣旨は,位置情報サービスの多様化やGPS機能付端末の普及を受け,位置情報サービスを提供する際に電気通信事業者が講じるべき「必要な処置」の内容を明確化したものとのことである。

位置情報サービスということなら,ユビキタスネットワークシステム(UNS)やネットワークロボット(NRT)にも大いに関係がある。そこでこの機会に,上記ガイドラインやその解説を勉強してみることにする。

ガイドライン26条1項には,利用者の同意なき限り,電気通信事業者が位置情報を他人に提供することを原則として禁止している。例えば,妻が浮気夫の居場所を突き止めるため夫の持つ携帯電話の位置情報を教えてもらうことはできない。また,会社がGPS付携帯電話の加入契約者であったとしても,これを持たせた営業社員に無断で居場所を知ることもできない(このガイドラインは「加入者」と「利用者」の概念を区別しているから)。例外としては,裁判所の令状がある場合が典型である。例えば,容疑者のアリバイ情報を確認するために位置情報履歴を提供してもらう場合がこれにあたる。その他緊急事態(誘拐被害者の居場所を突き止める,とか)などの違法性阻却事由がある場合にも同様である。このように,位置情報は,その端末を持つ利用者個人のプライバシー情報として,通信の秘密(電気通信事業法4条)に準じる強い保護が与えられるとされている。

ガイドライン26条2項は,電気通信事業者が位置情報を利用者ではなく,加入者に提供したり,第三者に提供させる場合には,利用者のプライバシー権が不当に侵害されたりしない処置を講じることを義務づけている。今回解説の改訂があったのは,この2項についてである。

必要な措置として,ガイドラインの解説は4つを列挙している。

第1は,利用者の具体的同意である。この同意は,その時々になされることが理想である。事前に同意を行ってもよいが,撤回できなければならないとされる。つまり,夫が「私はここにいますよ」という情報を妻に提供することを事前に同意することは可能であるが,愛人とホテルに行くときには,簡単な操作で,この同意が撤回できるようにしておかないといけない。

第2は,位置情報が提供されていることを,利用者に明示することである。明示の方法としては,「位置情報提供中」との表示を待受画面に表示する等が考えられる。先の浮気夫の例で言えば,「位置情報を妻に知られたくなければ携帯電話の電源を切ればいいじゃん」と思われるかもしれないが,愛人とホテルにいる浮気夫といえども,仕事上重要な電話が来るかもしれず(そうか?まあそういう場合もあるでしょう),常に携帯電話の電源を切ることはできない。この場合に「携帯電話」のサービスと「位置情報提供」のサービスを区別し,位置情報提供サービスだけいつでも停止できるようにしなさい,ということである。

第3は,権限のないものが位置情報をモニタリングしたり,不正な情報取得がないようにするための措置(暗証番号等のセキュリティ確保)や,電気通信事業者による不必要な位置情報取得の禁止である。これも,利用者の位置情報が不正に流出することを未然に防ぐための措置といえる。

第4は,電気通信事業者が第三者と提携して位置情報提供サービスを行う場合,第三者による不正が行われないように配慮し,不正があったときはその第三者への情報提供を遮断できるようにしておくことである。

上記ガイドライン26条は,位置情報が利用者のプライバシー情報であるとの認識に立つ限り,至極まっとうなものであり,今回の解説の改訂は,これをわかりやすく敷衍したものとして評価できる(実際のところ,改訂前の解説は,非常に分かりにくい)。

そしてこの考え方は,携帯電話端末を取り扱う電気通信事業者のみならず,将来は,ユビキタスネットワークのプロバイダなどに及ぼされていくことになるであろう。もっとも,その場合に新たな問題が生じるのか否かという点については,今後研究していく必要がある。(小林)

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2007年9月23日 (日)

愛国者法とデビルマン

9月11日深夜,NHKBSの海外ドキュメンタリー「9.11テロから6年」(アメリカWBGH制作)を視た。テロ以降,愛国者法などに基づく広く一般市民を対象にした令状無しの盗聴やホテル宿泊者全員の名簿収集,インターネットの広範な監視などの実態を暴き,これらがプライバシー権を保障した合衆国憲法に反しているのではないかと問いかける番組である。

印象的だったのは,政府側に立つ中国系アメリカ人の弁護士が,「戦争中だというのに,国家が正義のために一般市民を盗聴することが,なぜ問題なのか」と言い放ち,インタビュアーがほとんど絶句する場面であった。

永井豪の代表作「デビルマン」の漫画版をご存じだろうか(以下ネタバレ)。氷河期以来の長い冬眠から目覚めた悪魔族は,機械文明を持たず,数も少ないため,人類に太刀打ちできずにいた。悪魔族の持つ最大の能力は自分以外の生物と合体することであったが,理性を持つ人間と合体すると,悪魔・人間とも発狂して死んでしまう。ところが,悪魔族は無差別に人間と合体し,発狂して死ぬという文字通り一人一殺の無差別テロを行う。もちろん悪魔族の方が少数だから,これだけなら人類が滅びる遙か前に悪魔が滅びてしまう。しかし人類は,善良な一般市民が突然悪魔に変化し発狂して死ぬ事件が頻発し,その有様をテレビが繰り返し放送すると,市民の中に多数の悪魔が紛れ込んでいると思いこむ。

そこで人類は,大規模な悪魔狩りを始め,悪魔と無関係の市民を多数殺害するとともに,悪魔と疑われる市民を通報させる相互監視のシステムを導入する。このシステムは集団リンチを生み,国家同士は相互不信に陥った挙げ句戦争を繰り返し,人類は自滅の道を辿る。

「悪魔」を「アルカイダ」と読み替えれば,1972年に発表されたこの作品は,まるで現代の予言書である。私は,BSドキュメンタリーを見た後「デビルマン」を読み返し,背筋に寒気が走った。(小林)

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2007年9月15日 (土)

「市営住宅11号棟が防犯カメラ」のニュースについて

平成19年9月2日付苫小牧民報社のホームページによると「苫小牧市住吉町の市住11号棟駐車管理委員会(村上博会長)は,団地周辺の防犯対策にビデオカメラを設置したそうである。周辺では以前から違法駐車や車上荒らし,ゴミの不法投棄が絶えなかったとのことであり,市は「自治会単位で防犯カメラを設置する例は聞いたことがない」というが,村上会長は「住民の不安が続いていることから設置に踏み切った。自分たちの棟は自分たちで守る」と話しているという。

このニュースに対しては,いろいろな意見があり得るだろうが,これらを整理するための大事な視点は,このようなカメラの設置運用が適法か違法か,という問題と,適法であることを前提にして,妥当か否か,という問題を分けて考えることだ。

まず適法か違法かの問題について考えると,この記事には多少の疑問はあるものの,基本的には,一定の条件のもとで,適法と考えてよいと思う。この防犯カメラには,11号棟の住民以外も撮影されるのだろうが,防犯カメラ設置の背景も理解できるし,撮影範囲も合理的な範囲内にとどまっていると想像されるし,撮影時間も限定的であるし,もちろん,警告文も掲示されているのであろう。他方,疑問点としては,設置運用主体が不明確(「駐車管理委員会」とあるが,この委員会にゴミの不法投棄や周辺道路での違法駐車などを監督する権限はあるのか?)点が指摘できる。また,適法といえる条件として,明確な設置運用基準が策定されている必要がある。

しかしこのニュースでむしろ問題となるのは,妥当か否か,という点であろう。この報道は,防犯カメラの設置が20棟近くある市営住宅の1棟でだけ,という点が非常にユニークである。このユニークさは,「自分たちの棟は自分たちで守る」という村上駐車監理委員会長の言葉に,端的に表れている。市営住宅全体で防犯カメラを設置するのではなく,なぜ1棟だけなのか?「自分の棟は自分たちで守る」という村上会長の発言は,守る範囲がなぜこんなに限定されているのだろうか。

非常に失礼な想像で恐縮だが,11号棟の周りで頻発する車上荒らしなどについて,その犯人の心当たりが,村上会長にはあるのではないだろうか。その犯人は,同じ市営住宅の別の棟の住人であると考えているのではないだろうか。

もし万が一,そうであるとすると,今回の防犯カメラ設置が妥当か否かという問題に関しては,重大な疑問が発生する。カメラの設置により,犯罪や違法行為が払拭されれば最善であるが,もしカメラの設置にかかわらず,犯罪や違法行為が繰り返された場合,どうなるであろうか。犯人の人相が明確に撮影されていたり,犯人と名指しされた人が「確かに写っているのは私です。すいません」と素直に認めてくれたりするならよいが,実際にはうまく行かないものである。家庭用カメラで遠方から夜間撮影を行ったところで,人相が明確に撮影されるとはまずあり得ないし,画像が不鮮明であれば,「犯人」と名指しされた人が素直に罪を認めるとは限らない。むしろ,「濡れ衣を着せられた。名誉毀損だ。11号棟の連中は俺の住んでいる7号棟の住人を目の敵にしている」などと触れて回るかもしれない。仮に犯人が明確に特定され,相応の処罰を受けたとしても,その犯人が11号棟の住人に対して逆恨みをしないとも限らない。

つまり,「自分たちの棟は自分たちで守る」という,やたらローカルな村上会長の「愛棟心」は,20棟近くあるこの市営住宅という一種の団体の一体感に,「不信」という楔を打ち込んだかもしれないのだ。20棟近くある市営住宅の一棟一棟が,「自分の棟は自分たちで守る」をスローガンに,それぞれ別個に防犯カメラを設置しだしたらどうなるのだろうか。まるで黒澤明の「用心棒」のように,「11号棟派」と「7号棟派」との間に,市営住宅を二分する抗争が勃発する,というような事態にならなければよいが,と他人事ながら心配である。

防犯カメラに犯罪抑止効果を期待するのはある程度正当だし,それなりに結構なことである。しかし,防犯カメラの設置が善い結果だけをもたらすとは限らない。また,防犯カメラを設置しても犯罪や不当な行為が起きることはある。これらの行為が撮影されていたとき,どうするのか。防犯カメラを設置運用するときは,このような事態を想定し,その際の手順と,ある種の覚悟を決めておく必要がある。(小林)

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2007年9月11日 (火)

街頭防犯カメラシステムが相互不信のシステムであることについて

先日,「警視庁八王子署が街頭防犯カメラ1000台設置計画」のニュースに関し,「街頭防犯カメラシステムは相互不信のシステムなのだから,運用者が『私は悪用しません。信じて下さい』と言うだけでは駄目だと書いた。この点に関し,東海大学の高橋直哉准教授の「防犯カメラに関する一考察」(法学新報112号。2005730日)をご紹介したい。

この論文の結語として,高橋准教授は,次のように言う。

「現代社会において,見知らぬもの同士が「互いに相手を不当に攻撃しない」という信頼感を相互に持つための手段として,防犯カメラは一定の役割を果たしうるであろう。しかし,防犯カメラが作り出す信頼感とは,どういうものであろうか。この信頼感は,犯罪を行わない理由に関する規範的な了解に基づいた他者への信頼を創出するわけではなく,単純に,犯罪発生を事実として抑止することによって生まれる信頼感に過ぎない。

防犯カメラの普及した社会は,表面的には平穏が保たれているように見えても,その根底には常に相互不信の根が伏在していることになるであろう。それは,いわばホッブズ的自然状態(万人の万人に対する闘争)が潜在化しているような状況であるということもできる。防犯カメラだけでは,お互いを理解し,尊重しあえるような社会は生まれないということを私たちは忘れてはならないであろう。」

平易に言い換えればこういうことであろう。今ここに互いに面識のない二人の人間と防犯カメラがあったとする。この人間は,それぞれ,「防犯カメラがあるから,相手は私を不意に襲ったりしない」と信頼することができる。しかしその信頼は,「相手は私を不意に襲ったりするほど悪い人ではない(さらに進んで,善人にちがいない)」という信頼では決してない。防犯カメラによってもたらされる安心感は,防犯カメラそのものに対する信頼に基づくものであり,面識のない相手に対する信頼に基づくものではない。防犯カメラによって,他者と自分との間に見えない檻が存在するという信頼感に過ぎない。したがって,防犯カメラの作り出す安心感に依存してしまうと,他人を信頼することができなくなるのである。(小林)

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2007年8月28日 (火)

警視庁八王子署が街頭防犯カメラ1000台設置計画

平成19年8月24日付毎日新聞によると,「警視庁八王子署が街頭防犯カメラを取り付けるよう一部住民に協力を呼びかけ、09年度までの3カ年で1000台設置の計画を進めていることが分かった。『街の安全』を掲げて商店街や国道沿いの個人宅を中心に取り組みを強化しているが、管内の住民には計画を正式に広報しておらず『監視社会を助長する』と批判の声も上がっている」とのことである。

すでにこのブログでも何回も書いているが,私は,街頭防犯カメラ設置そのものに反対するものではない。直ちに監視社会を助長するというつもりもないし,すぐ戦争になると主張する人たちにも賛成できない。しかし,適正なルール無き街頭防犯カメラの増殖には反対である。そして,適正なルールとは,そのルール自体と運用の有様が公開されていなければならない。

記事によれば,「八王子署では『画像は事件以外に使うことはあり得ない。プライバシーにも十分配慮する』と話している」。

つまり「信頼してくれ」と言っているわけだが,街頭防犯カメラシステムは相互不信のシステムであるから,「信頼してくれ」というだけでは駄目である。

警察が自ら街頭防犯カメラを設置せず,地域住民にやらせるのは,二つの理由がある。一つは予算の問題だろう。もっとも,未確認だが,住民にカメラをリースする業者と警察は密接につながっていると想像する。もう一つの理由は,最高裁判所大法廷の判決によって,警察が公道を撮影することは,現に犯罪が行われているか,その直前または直後である場合に限定されているからだ。だから警察は自らカメラを設置しないということだろうが,警察がやって駄目なことを民間人がやって良いのだろうか? 少なくともきちんと議論がなされているのだろうか。

街頭防犯カメラの導入については,さまざまな議論があるし,それが今熟しているとは思えない。また,議論が熟するのを待てないほど,一般的に事態が切迫しているとも思えない。犯罪白書が示すとおり,ここ数年,日本の治安は良くなる方向にあるのだ。(小林)

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2007年8月27日 (月)

防犯カメラと肖像権について

監視カメラ(防犯カメラを含む)は,肖像権との関係で問題になる,と言われている。このように理解する点では,監視カメラ反対派も,賛成派もおなじだ。しかし,すでにあちこちに書いているが,監視カメラとの関係で問題になるのは,肖像権ではない。正確に言うと,肖像権も問題になるが,本質的ではない。

確かに,監視カメラが撮影した画像であろうと,カメラマンがスタジオで撮影した見合い写真であろうと,フィルム(またはデジタルメディアに)記録された画像は「肖像」である。しかし,その本質的な意味は,全く違う。その証拠に,典型的な監視カメラの画像と,典型的な肖像写真とを比べてみよう。

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1993年,イギリスで2歳の男の子(James Patrick Bulger)が2人の少年に誘拐され殺害された。この写真は,誘拐の瞬間を撮影した防犯カメラの画像とされている。この画像を見た捜査機関は,被害者の背格好や誘拐当時の服装から,画面中央の幼児が被害者と推定することができる。また,この幼児の手を引く人物が誘拐犯であり,この人物は小柄な男性,おそらく少年であると見当をつけるとともに,ダウンジャケットと思われる服装やその色を知ることができる。また,誘拐犯と対向して歩く中年と思われる女性が,誘拐犯の人相を見ているかもしれない,という情報を得ることができる。これらの情報は,撮影された人物(被害者や犯人や目撃者)を特定する資料として使用されることになる。

ところで,この写真にとって最も重要な情報は何か。それは,この写真が撮影された日時場所である。この情報がなければ,画面中央の幼児が被害者であることさえ,特定が困難となり,この画像は無価値となる。言い換えれば,防犯カメラの画像の本質は,撮影された人を特定する情報(人相や服装,撮影日時場所など)であり,その人がどのような行動をしていたかを記録している点にある。

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この画像は,典型的な肖像写真として,著作権フリーの画像を拝借したものである。この画像から読み取れるもの,言い換えれば,この画像の本質的要素は何であろうか。われわれは,撮影された男性の表情,服装,所持品,皺の一本一本から,この人物の人間性や人生,社会的地位,あるいは人間的・性的魅力の有無や程度を読み取ることができる。すなわちこの画像の本質的要素を一言で言うと,撮影された人物の人格である。肖像権が法律上,人格権といわれるゆえんがここにある。一方,この写真が何時どこで撮影されたか,この人物がどこの誰であるかは,この画像にとって本質的要素ではない。もしかしたらこの男性は歴史上の有名人かもしれないし,それが分かればこの写真の持つ意味は多少奥深いものになるであろうが,それが分からなかったからといって,この写真の価値(記録された被撮影者の人格)が無くなるわけではない。

このように,防犯カメラの画像と,肖像とは,本質的に異なるのである。本質的に異なる以上,両者に反映された法律上の権利は異なる,と考えないといけない。したがって,監視カメラは本質的には肖像権の問題ではない。

では,肖像写真と同じく人物の画像を記録しているにもかかわらず,監視カメラの本質が肖像権にないとするならば,監視カメラの本質はどのように考えるべきであるのか。私は,監視カメラの本質は,個人の行動を記録する点にあると考えている。

このような考えを表明しているのは,私の知る限り,私一人である。しかし,この点は非常に重要であり,また,法律家の怠慢というべきか,ほとんど議論がなされていない部分である。(小林)

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2007年8月15日 (水)

「清川村が暴走車抑止対策として宮ヶ瀬湖周辺に防犯カメラ設置へ」のニュースについて

神奈川新聞社が運営するカナロコに平成19年8月4日掲載された記事によると,「宮ケ瀬湖周辺での暴走車両による事故や騒音に悩まされてきた清川村は,今秋までに村内の道路に向けて防犯カメラを設置することを決めた。」とのことである。記事の内容は下記の通りであるが,不思議なニュースだと思う。

地域住民の安全のため,暴走行為を抑止したいという気持ちはよく分かる。しかし,暴走行為の取締は警察の仕事であり,村の仕事ではない。村は何を根拠に県道を通行する車両一般を撮影することができるのか。また,警察との関係はどうなっているのか。

行政法には,法律による行政の原則というものがある。これによれば,最低限,国民に義務を課したり権利を制限したりする場合には法律の根拠が必要,という考え方である。例えば,公道において警察が写真撮影することについては,警察法2条1項「警察は,個人の生命,身体及び財産の保護に任じ,犯罪の予防,鎮圧及び捜査,被疑者の逮捕,交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」を根拠として,一定の要件のもとに認められることは,判例上確定している。逆に言えば,警察といえども,法律の根拠がなければ,公道において一般市民を撮影することは許されない。おそらく現時点で清川村には,公道において一般市民を作成することを許す法律上の根拠はないと思う。もし条例を作る予定であるとしても,このような条例を作成することが許されるかという問題がある。

また,記事には,「村は,プライバシー保護のため,撮影画像内容の県警への提供についてはガイドラインを策定。専門家らでつくる委員会で,提供の妥当性や提供基準を定期的に審議する。」と記載してあり,いかにもプライバシー問題に配慮し,警察との関係でも一定の緊張関係を保つという書きぶりである。しかしそれは無理であろう。違法な暴走行為とは,主として道路交通法の各種条項違反を指すが,「問題はあるものの違法とはいえない暴走行為」と「違法な暴走行為」の判定は,実際にはかなり微妙であり,警察官でなければ判断できないうえ,警察官なら全員同じ判断をするというわけでもあるまい。となれば,村としては,最低限,「問題のありそうな暴走行為」の録画画像をあらいざらい警察官に閲覧してもらうことになるだろうし,警察官としては,立場上,違法か否かの限界画像の提出をあらいざらい要求することになるだろう。

繰り返すが,私は,報道された暴走行為の取締に反対するものではない。私が言いたいのは,警察の仕事は警察がやるべきだ,ということである。警察は,その使命から,強大な権力と実力を与えられている。その一部といえども,地方公共団体が警察の仕事を代行するというのは,長い目で見た場合,極めて危険な発想である。(小林)

ニュース本文は次のとおり。

「暴走車抑止対策として宮ヶ瀬湖周辺に防犯カメラ設置へ/清川村」

車のスピードを計測し取り締まることはできないが,車のナンバーと運転者の撮影が可能。重大な犯罪発生時に県警に画像を提供するとともにカメラの存在を看板などで周知,暴走行為自体を抑止する。

設置は厚木市内と宮ケ瀬湖畔を結ぶ県道など五カ所の予定。通行する車両を二十四時間撮影し,画像は光ファイバーを通じて村役場で確認できるようにする。

同村は観光地の宮ケ瀬湖を抱え,周辺にはスピードの出しやすい直線道路や幅の広いカーブが多い。そのため,専門雑誌や漫画本などで周辺が”名所”として紹介され,暴走車両が増加。週末の夜には制限時速三十キロの道路を百キロ以上で走る車もあるという。

住宅近くで暴走車両が激突する事故も発生し,地域住民から苦情が寄せられてきた。

そのため,村は注意を呼び掛ける看板を設置し,路面に凹凸を施したり道路中央部に反射板のついた金属板を設置したりと対策を取ったが,暴走車両は増加の一途だった。

村は,プライバシー保護のため,撮影画像内容の県警への提供についてはガイドラインを策定。専門家らでつくる委員会で,提供の妥当性や提供基準を定期的に審議する。

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2007年8月11日 (土)

ウォークスルー虹彩認証システムについて

松下電器産業株式会社とパナソニック システムソリューションズ社は,総務省の研究開発プロジェクト「ユビキタスセンサーネットワーク技術に関する研究開発(2005年から開始)」の中の「高精度人物認知技術の開発」の成果として,虹彩認証を活用して歩きながらでも高精度に人物確認が可能な国内初の「ウォークスルー虹彩認証システム」を開発したと発表した。

虹彩認証は,人の虹彩(「黒目」と呼ばれている部分)パターンが指紋と同様各人各様である性質を利用する生体(バイオメトリック)認証の一種である。虹彩認証は精度が高いと言われているが,現在は,専用の器具に眼を押し当てて数秒間静止する必要があるため,多数の人に対して短時間で虹彩認証を行うことが困難であった。今回発表された技術は,人がゲートを歩いて通過するだけで高精度に認証を行う世界初の技術だそうだ。

このニュースを聞いて,「マイノリティ・リポート」を思い浮かべた人は少なくあるまい。この映画では,全市民は虹彩情報の登録を義務づけられ,街中至る所に虹彩認証システムが存在し,街を歩いただけで氏名が特定されて壁に広告が映写されたり,地下鉄に乗っただけで警察が居場所を察知したりする。主人公は警察の目を逃れるため,ヤミ手術を受け他人の眼球を移植するのだ。この映画の舞台は西暦2054年だが,50年待つ必要はなさそうである。

法律的に見た場合,「マイノリティ・リポート」はバイオメトリック認証の法的問題点を二つ浮き彫りにしている。その一つは,人が,好むと好まざるとにかかわらず,その行動を詳細かつ網羅的に把握されることが技術的に可能になった,ということである。他の一つは,虹彩のような生体認証情報は,パスワードと異なり,「必要に応じて変更する」ことができないということである。一度盗まれたら,目玉を入れ換えない限り,一生回復できない損失を被ることになる。

例えば運用方法はどうなるのか。ニュースリリースによれば,このシステムは当面,空港に設置されることを想定しているようである。ところで現在,パスポートのICタグ搭載が国際的に進行しているから,このシステムとタグリーダーを組み合わせれば,直ちにパスポート記載事項と虹彩情報を連結した膨大なデータベースができあがることになる。セキュリティの観点からは,このようなデータベースの存在を一概に否定することはできないが,他方,運用に関する明確な規準が無いことには懸念をいだかざるを得ない。

こういった分野に関する法律家の取組は,始まったばかりであり,しかも歩みは遅い。一方で,技術はどんどん進歩している。技術の進歩は歓迎だが,このようなニュースに接すると,法律家としては複雑な思いもある。(小林)

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2007年8月 7日 (火)

「プライバシーに配慮したネットワークカメラ」ComeCamについて

 

 筑波大学第三学群情報学類知能情報メディア主専攻の樋口潤氏の卒業研究論文「見られていることを気づかせるネットワークカメラシステムの提案と試作」をネットで見つけて拝読した。ネットワークカメラのプライバシー問題に配慮した技術的提案ということであったが,期待はずれの感を否めない。

論文は,ユビキタスコンピューティングの一環をなすネットワークカメラの設置を考える際,プライバシーに関する弊害を考慮しなければならないと問題提起した上で,「見られていること」を被撮影者に通知するとともに,被撮影者が手振りなどで簡便に撮影を拒否したり,撮影者を特定の対象に誘導したりできるシステムを提案する。

たしかに,この問題提起は正しい。しかし,論文は,ネットワークカメラが「なぜ」プライバシー問題をもたらすかについて理解が足りず,その結果,解決または緩和策としての提案が的はずれになっていると感じる。

ネットワークカメラは「なぜ」プライバシー問題をもたらすのか。この問題はよく,フランスの哲学者ミシェル・フーコーの考案した監獄施設「パノプティコン」によって説明される。これは,囚人がどこにいても,看守から囚人を見ることは可能であるが,囚人から看守を見ることができない仕組みである。このような仕組みの監獄に収容された囚人は,実際に監視されていると否とにかかわらず,「看守に見られている」ことを前提として,自由な行動を控えるようになるとされる。自由行動が万一見られていれば規律違反として処罰されるかもしれないという囚人の心理からすれば当然であろう。つまり,「見られているか,見られていないか,分からない」という状態は,囚人にとって,「いつも見られている」という状態と同一になるのである。これを「囚人が看守の視線を内在化した」という。監獄の運営者からすれば,規律を守らせるため看守を増員するという方法もある。しかしそれは不経済なので,看守の視線を囚人に内在化させることにより,効率的に規律を維持することができる。このように,「パノプティコン」においては,「看守に見られているか,見られていないか,分からない」ような監獄の構造がポイントである。

これをネットワークカメラに当てはめてみると,こういうことになる。つまり,撮影されている市民は,実際に自分が見られているのか,見られていないのか,分からない。この場合,市民は,見られていることを前提として,自由な行動を控えるようになる。「見られているか,見られていないか」を「録画されているか,録画されていないか」と言い換えても同じである。つまり,市民にとって,ネットワークカメラに撮影されているということは,「いつも見られている」または「いつも録画されている」ことと同義なのだ。これこそが,ネットワークカメラを防犯カメラとして利用する場合における最大のポイントであり,本質である。そして,論文が指摘するネットワークカメラのプライバシー問題は,ネットワークカメラが防犯カメラとして使用される場合,最も問題になる。

論文が提案するシステムは,誰が見ているかを被撮影者に知らせるシステムである。裏を返せば,誰も見ていないことも,被撮影者に知らされる。誰も見ていないことを知らせるのは,ネットワーク防犯カメラにとって,「自分は案山子です」と宣言することに等しい。これは,ネットワーク防犯カメラの本質を否定するものであり,自殺行為である。だから,ネットワーク防犯カメラの運用者は,このシステムを採用することができない。ということは,論文が提案するシステムは,ネットワーク防犯カメラのプライバシー問題を全く解決しないし,改善もしないということになる。論文が提案するシステムは,同論文が指摘するように,ネットワークカメラをコミュニケーションツールとして使用する場合にのみ有益でしかない。

実は,私自身は,ネットワーク防犯カメラのプライバシー問題と,パノプティコンを同列に考えることに多少違和感をもっており,そのことはいずれこのブログに書きたいと思っている。しかし,いずれにせよ,パノプティコンの概念はネットワーク防犯カメラのプライバシー問題における基本概念だから,これを無視しては駄目である。論文執筆者の樋口氏をはじめ,この分野の技術者,研究者の方々には,是非,ご自分の研究分野だけではなく,「パノプティコン」のような心理学的・哲学的概念をも研究され,それを技術開発に反映させて頂きたいものである。(小林)

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2007年7月20日 (金)

監視社会は,すでに,我々とともにある

平成18年(2006年)11月,ロンドンで第28回国際データ保護・プライバシーコミッショナー会議(International Data Protection and Privacy Commissioners' Conference)が開催された。

「データ保護・プライバシーコミッショナー」という役職は,これに該当するものが日本に存在しないが,プライバシー情報の流通を監督しプライバシーを保護する第三者機関のようなものである。イギリスの情報コミッショナーは政府からも独立した機関であるとされている。

この会議に出席した世界58のデータ保護・プライバシーコミッショナーが開催した非公開会議において,「監視社会」をテーマにした議論がなされ,共同コミュニケが採択された。また,この会議で新たに8つの国と地域のデータ保護・プライバシーコミッショナーが参加を許されたので,計66カ国(地域)になる。くどいようだが,日本には同様の役職がないので,非公開会議に参加できない。

共同コミュニケは要するに,「監視社会は,すでに,我々とともにある」との現状認識を前提に,監視社会にはメリットもあるがデメリットもあるとして,民主主義社会を維持するためにあるべき監視社会の姿と,コミッショナーの責務が宣言されている。

これを読むと,日本の制度と認識の遅れを痛感する。日本の議論は,一方で「このままでは監視社会になる!監視社会になったら戦争になる!」という左翼系原理主義者による単純短絡な主張がなされており,他方で,「イギリス国民は何百万台もの監視カメラを受け入れている」として,これを監督する制度を一顧だにせず,おいしいところだけ導入しようとする勢力がいる。どちらの立場も,イギリスをはじめとする世界66の組織に比べれば,恥ずかしいほど幼稚なレベルにあるというべきであろう。

共同コミュニケの拙訳文を下に記す。英語に全く自信がないので,引用も転載も遠慮されたい。内容に疑問のある方は,必ず原文にあたってほしい。(小林)

第28回データ・プライバシー保護委員国際会議

2006年11月2日,3日

イギリス・ロンドン

閉会声明

 第28回データ・プライバシー保護委員国際会議は2006年11月2日と3日,ロンドンにおいて開催された。この会議には,世界58のデータ・プライバシー保護専門機関を代表する委員が出席した。

行政,司法,市民社会及び民間団体を代表した出席者によって,主として検討された議題は,監視社会に関するものであった。

委員によって強調されたテーマは,次のとおりである。

l        監視社会は,すでに,我々とともにある。監視とは,ある目的に基づき,テクノロジーを利用して,公共空間であると私的空間であるとを問わず,日常的組織的に行われている。現代テクノロジーが個人情報を日常的に記録し,分析する監視社会とは,具体的には次のようなものである。

監視カメラやRFIDなど,日々進歩する新しい技術を利用した,個人の行動や移動に対する組織的追跡・モニタリングと記録,そして,消費・金融やその他の取引の分析,電話や電子メール,インターネット通信の傍受や職場での行動監視

l        監視行為は,善意によるものでありうるし,また,社会的利益をもたらしうる。民主社会において,監視社会化が進んできたのは,政府や企業が,個人生活に対する不当な侵入を意図したからではない。例えば,テロや残虐な犯罪と闘うため,あるいは公的サービスを享受するため,または健康増進のために,監視行為が必要であり,または有益だったからである。

l        しかし,隠密になされる監視行為,規制のない監視行為,または過度の監視行為は,その有益な面を遙かに超えるリスクをプライバシーに対して及ぼす。これらの監視行為は,不信感を醸成し,信用を傷つける。公的または私的な機関による大量の個人情報の収集と利用は,個人の人生に直接の影響を与える。自動的,または恣意的な個人情報の分類と分析は,個人とその活動に対して悪影響を及ぼす。とりわけ,公的活動に対するリスクが増大している。

l        プライバシーとデータ保護規制は,重要な自衛手段であるが,十分ではない。監視行為は市民個人のプライバシーを侵害するだけでなく,人生設計に影響を及ぼす。しかも,過度の監視行為は社会の本質的部分に対しても影響する。プライバシーとデータ保護規制は,監視行為を合法的な限度に留めたり,安全性を向上させたりするであろう。しかし,より洗練された政策が必要になってきている。

l        そのために,監視行為の影響に対する組織的査定(アセスメント)が導入されるべきである。このアセスメントは,個人や社会にとって受け入れがたい状態を最小限度に留めるために,個人に関する影響の査定のみならず,社会に関する影響の査定も行われるべきである。

l        問題点は幅広く,データ保護とプライバシーの問題に留まるものではない。監視社会の問題に取り組むことは,情報コミッショナーに限らず,この問題に関係するもの全ての責務である。情報コミッショナーは,不当な監視社会化に対抗しようとする全ての市民組織,行政組織,私的団体,議員そして個人とともに行動するべきである。

l      公的な信頼・信任を得ることが,最も重要である。多くの監視機構が善意に基づいて組織されたものであるとしても,だからといって,継続的な公的信頼が認められる訳ではない。個々人は,彼らの生活に対する侵入が,必要であり,かつ均整の取れたものである場合に限り,これを信用するのである。公的信頼は,個人的なプライバシーと似ている。一度失われれば,二度と元には戻らない。

監視社会の問題は,データ保護当局が管轄するデータ保護やプライバシーの問題より幅広い問題である。しかし,その中で,データ保護当局の役割は,絶対不可欠なほど重要である。なぜなら,個人情報は,一般市民がそれと気づかない方法で収集されるため,個人は個人情報を自ら守る手段を持たないからである。

 データ保護規制が開始されたのち,世界は立ち止まったことがない。国や,私的団体や市民の要求は変化し,情報処理技術は,早いペースで発展している。従来のやり方が適切で,かつ効果的であるか否かを検証することは,データ保護当局の権利である。クレーム処理や検査・審査は,今までどおり重要であるが,市民と政策立案者に対する効果的影響の分野における継続した改良は,今やとりわけ重要である。

 非公開会議の間,コミッショナーらは,フランス国立情報自由委員会のアレックス・ターク議長から,歓迎された。議長からは,めまぐるしく変化する世界情勢におけるデータ保護とプライバシーの基本的重要性を再認識すること,そして,新たな挑戦のために早急な行動が必要であることが促された。「データ保護を理解し,より効果的にするために」と題されたステートメントがこのコミュニケに添付された。

 コミッショナーらは,これらの変化が彼らに突きつけていることが彼ら独自の役割であり挑戦であると考える。コミッショナーらは,次に述べる事柄が挑戦のために必要であると認識した。

l        全ての民主主義社会において,市民のプライバシーと個人情報を保護することは,報道の自由や政治的表現の自由と同様に,極めて重要である。プライバシーとデータ保護は,実際のところ,我々が呼吸する空気のように貴重である。これらは目に見えないものではあるが,毀損されたときは,悲劇的な結末をもたらす。

l        コミッショナーは,国民や利害関係人がこれらの権利をより理解し,その重要性を認識するために,新たな広報戦略を強化するべきである。コミッショナーは,力強くかつ長期にわたる広報活動を行い,かつ,これらの効果を検証しなければならない。

l        コミッショナーは,彼ら固有の活動について,もっと積極的に発言し,データ保護をより強固にしなければならない。これらの活動が国民にとって,より意義深いものになり,受け入れやすくなり,関係があると認識させることによってはじめて,公共の意見形成に力を与え,かつ,為政者が耳を傾けるようになるであろう。

l        コミッショナーは,彼らの効率性と効果,そして,いかなる場面で実践することが必要であるかについて,査定を行うべきである。コミッショナーは,十分な権力と権限を付与されるべきであるが,これらは,重要またはありがちな損害や個人の直面する最大のリスクに集中して,選択的にかつ実践的に行使されるべきである。

l        コミッショナーは,先進的な研究や,専門家の意見や仲裁,先端技術産業や調査への考察を通じて,これらの研究等をともに行うことにより,技術分野における彼らの受容力を高める努力をするべきである。データ保護が過度に合法的であるというイメージは訂正されるべきである。

l        コミッショナーは,国際会議を再組織することにより,国際的問題に対して強い発言力を有するように,また,データ保護に関する論点に関する国際的主導権を得るために不可欠な話し相手になるようにしなければならない。

l        コミッショナーは,国際会議その他のグローバルな催しの進展に対する必要性を支持しなければならない。課題は,それが一般的なものであれ特定の分野に関するものであれ,国際的なレベルにおいてのみ効果的に取り扱われることが可能であり,適切なやり方で処理されるであろう。

l        コミッショナーは,データ保護とプライバシーに関し,国家的及び国際的レベルにおいて,市民社会やNGOを通じ,他の利害関係人との関係を進展させ,彼らの仕事がより効果的になるようにするにはどうしたらよいかという視点から,彼らとの強固なパートナーシップを構築するべきである。

 コミッショナーは,上記行動指針を踏まえ,次回の国際会議において,これらを考察し,価値を高めるであろう。

 コミッショナーは,その果たすべき役割を考慮することに加え,次の重要な結果を付け加えた。

l      データ保護専門家として,次の8名をメンバーに加えた

アンドラ公国

リヒテンシュタイン公国

エストニア共和国

ルーマニア

カナダ ニューブルンズウィック

カナダ 北西地域

カナダ ヌナバルト

ジブラルタル

l      会議の組織的整理に関する決議

l      プライバシー保護とサーチエンジンに関する決議

 最後に,社会そしてデータ保護とプライバシー委員会に対する挑戦は実質的なものである。それは,監視という文脈のみならず,情報処理技術の早い進展,グローバリゼーションの発展,公共の知識と教育に関する後戻りのできないある種の進展と欠落に原因している。データ保護の自衛と,これらの設置と強化を行う独立した権威は,今日の情報時代において,必要不可欠のものである。コミッショナーは,これらの取り組みを開始し,そして,今日,データ保護規制を確実にするための努力を倍増し,そして将来,今日のさまざまな発展が揺籃期であったと知ることになるであろう。

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2007年7月 6日 (金)

ロボティクスと二つの「安全」

平成19年6月23日,関西学院大学で開催された情報通信学会大会のシンポジウムで10分ほどのプレゼンを担当しました。そのときの原稿です。

1.         本日は,「ロボティクスと二つの安全」というテーマで,法律学の見地からお話しをいたします。問題提起が主になってしまいますが,時間の許す限り,具体的な事例についてもお話ししたいと思います。

2.         アイザック・アシモフというSF作家の著名な小説「I, Robot」などに登場する「ロボット(工学)3原則」(Three Laws of Robotics)第1条の冒頭に,「ロボットは,人間に危害を加えてはならない」とあります。

3.         このロボット3原則は,次の二つの点で重要です。一つめは,ロボットがSF小説の題材でしかなかった時代から,人間に対する「安全」が最重要課題とされていた点であり,もう一つは,Lawsという原文が示すように,安全確保のためには,法律が必要とされた点です。

4.         では,ロボットの人間に対する安全を確保するための法制度は,現在,どのような状態にあるでしょうか。このことをお話しする前に,ロボットの人間に対する「安全」には二つの意味があることに注意して頂く必要があります。

5.         ひとつは,人間の身体や財産という「形あるもの」に対する安全です。もう一つは,人間の持つ情報やプライバシーという「形なきもの」に対する安全です。本日は,情報通信学会ですから,後者の安全を中心にお話ししますが,その前提として,人間の身体や財産という「形あるもの」に対する安全に関して整備されつつある法制度についてお話しします。

6.         平成19年4月,経済産業省から,「次世代ロボット安全性確保ガイドライン案」が公表されました。このガイドライン案は,次世代ロボットが社会や人間に対して多大な便益(benefit)を提供する一方,一定のリスクを有することを前提に,次世代ロボット製造者に対するリスクアセスメントの実施を定めています。このガイドライン案は,ISO12100の国際規格に依拠するものであり,いわゆるA規格に該当する抽象的な内容に留まっていますが,それでも,ロボットの安全に関するグローバルな法制度作りの第一歩と評価されます。

7.         次に,人間のもつ情報やプライバシーという「形なきもの」に対する安全に関する法律はどうなっているのでしょうか。そもそも,次世代ロボットは,プライバシー権と,どのような関係にあるのでしょうか。

8.         このスライドは,ATR(株式会社国際電気通信基礎技術研究所)知能ロボティクス研究所のホームページから引用したものであり,ネットワークロボットが人間にサービスを提供する未来予想図が描かれています。ネットワークロボットとは,文字通りネットワークにつながった次世代ロボットのことであり,その多くは,カメラや,電子タグリーダーなどのユビキタスセンサーネットワークと結合しています。そして,アンコンシャスロボットとして示された黒い箱が,監視カメラや防犯カメラと呼ばれるものと全く同じであることが示すとおり,次世代ロボットは,ユビキタスセンサーネットワークによるプライバシー権侵害のリスクを有しているのです。

9.         ユビキタスセンサーネットワークシステムがプライバシー権に対してリスクを有することは,広く国民にも認識されています。たとえば,先ほどの講演で紹介された「ひょうご情報交流戦略」の報告書には,情報通信技術の進展に伴う影の部分として国民が懸念する事項の筆頭として,「個人情報・プライバシーの保護」が指摘されています。また,総務省も,平成16年以降,プライバシー問題の重要性を度々指摘してきました。

10.     このように重要性が認識されているにもかかわらず,次世代ロボットが有するプライバシー権侵害に関するルール作りは,未だ着手されてさえいません。その原因はいくつかありますが,弁護士として指摘しておかなければならないのが,裁判例の動向です。

11.     この問題に関する裁判例は,非常に少ないのが実情であり,事案としては,公道において警察がフィルムカメラで市民を撮影したり,ビデオカメラでモニタリングしたり,ビデオ録画した事例に関する裁判例です。日本の裁判例は,公道において撮影することができるのは,「現に犯罪が起きているか,その直前または直後である」ことが必要であるとしています。この要件を現状の監視カメラ・防犯カメラに対して単純に適用すると,犯罪がおきそうもない場所にカメラを設置したり,そもそも,防犯目的でない目的でカメラを設置したりすることが許されないことになります。このような裁判例の現状というものも,ユビキタスセンサーネットワークシステムとプライバシーとの関係を規律するルール作りが進まないことの,一つの原因であると考えます。

12.     今日,ユビキタスセンサーネットワークとプライバシーや個人情報とのルール作りに関しては,日本は世界主要国の中では後進国に属すると言って過言でありません。平成19年3月に行われた国民生活審議会の会議でも,日本の制度の特異性や後進性について,厳しい発言がなされています。ユビキタスネットワークは,諸外国と情報のやりとりを行うユビキタスグローバルネットワークに直結するものであり,諸外国との法制度の違いから,ネットワークの接続を断られるということが,現実の懸念として浮上しているといえます。

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2007年6月28日 (木)

ユビキタスネット憲章と「ネットワークからの独立」

総務省が平成17年5月に発表した「ユビキタスネット社会憲章」に,「第五条 ネットワークからの独立」として,「1.すべての人が、意図せずにネットワークに接続されることなく、情報や知識の望まない流出を回避できることが、ユビキタスネット社会の備えるべき要素である。」との規定がある。パブリックコメント募集期間はとっくに過ぎているので,今更の感はあるが,この条項には疑問がある。その疑問とは,ユビキタスネット社会と,ネットワークからの独立は,両立しうるのか?というものである。

ユビキタスネットワーク社会は,ユビキタス「センサー」ネットワーク社会と言い換えられることがある。ここに「センサー」という言葉が使用される趣旨は,次のとおりである。すなわち,ユビキタスネットワーク社会とは,大小様々なコンピューターが,ネットワークに接続した状態で,遍在する社会である。このような社会において,人間に関する情報をネットワークが取得するに当たり,人間がキーボードや音声入力装置その他の入力デバイスを用いて,いちいち手動で入力していたのでは,煩雑で仕方がない。そこで,ユビキタスネットワーク社会が成立するために必須の入力デバイスとして,センサーが必要となる。電子タグリーダーや,カメラ,マイク,重力センサーその他多種多様なセンサーが,自動で,人間その他の環境情報をネットワークに入力することにより,初めて,ユビキタスネットワーク社会が適切なサービスを提供することができるようになるのである。

さて,ユビキタスネットワーク社会において,センサーによる自動入力が必要不可欠であるとすると,このようなセンサーネットワークからの独立を確保することは極めて困難というより,不可能と言ってよい。日常生活の中で,いちいちセンサーの所在や形態に注意を払い,センサーに探知されないように行動することなどできないからだ。電子タグについては,物理的に破壊したり,アルミホイルを巻いたり,取り外したりすることにより,電子タグリーダーに探知されないようにすることは可能かも知れない。しかし,このようなことが可能なのは,身につけた電子タグがせいぜい1,2個の場合である。近い将来,運転免許証をはじめ,社員証,各種クレジットカードが全て電子タグ化され,自動車や自転車,衣服や鞄にまで電子タグが取り付けられる時代が来たとき,「センサーに探知されてもよい電子タグ」と「センサーに探知されたくない電子タグ」をいちいちより分けて対処することなど,できるはずもない。このように,ユビキタスネットワーク社会の有様を具体的に想定するならば,ネットワークから独立して生活することなど,不可能になる筈である。

ユビキタスネットワーク社会において,ネットワークから独立することが不可能であるという前提に立った場合,選択肢は二つに分かれる。一つは,ネットワークからの独立を重視する立場より,ユビキタスネットワーク社会を拒否する考え方であり,一つは,ユビキタスネットワーク社会の利便性を重視して,ネットワークからの独立を諦める立場である。これはそれぞれの立場から大いに議論すればよいと思うが,私は,後者の立場を取りたい。但し,後者の立場を取りつつも,プライバシー権を守るためにはどうしたらよいか,を考えるのが,私の当面の仕事であると思う。(小林)

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2007年6月20日 (水)

東浩紀著「文学環境論集」と防犯カメラ

現代日本を代表する気鋭の批評家,あるいはオタク評論家として有名な東浩紀氏の「文学環境論集」を,少しずつ読んでいる。2700円以上するが,サイケデリック(死語ですね)なデザインの箱の中にショッキングピンクとグリーンの2冊組,というふざけたデザインの本であり,通勤電車の中で読むのはいささか恥ずかしい。

私は現代日本で爆発的に普及しつつあるネットワーク防犯カメラシステムについて,基本的に支持しつつ適切な規制を加えるべきであるとの立場で,2,3の文章を発表している。これらの文章を書くについては,東浩紀氏の論考を大いに参考にさせて頂いた。私淑していると言って過言でない。今回出版された「文学環境論集」は,そのような私にとって,東氏の著作を一覧できる良い機会であった。

たとえば,東氏は次のように言う。「(近代社会のシステムが壊れた結果)社会秩序の原理そのものが大きく変わりつつあることには,注意するべきであると思います。私たちは今や,人間はあまりに多様で,従って理解しあうことも価値観を共有することも難しいから,取りあえずは情報技術によって皆が情報を開示し,それぞれ十分なリスク管理を行うことで問題を回避しようという思想を採用し始めている。左翼の人々が敏感に反応している『監視社会化』,つまり,とりあえず全員指紋を取っておこうとか,すべて記録をとっておこうかという世界的な動きは,国家権力の横暴というよりも,このような社会秩序の変化そのものに起因している。」私もその通りだと思う。

私は,ネットワーク防犯カメラシステムに限らず,ネットワーク技術の高度な発展と,プライバシー権をはじめとする市民の権利とを,法律的にどのように調整したらよいか,ということをここ数年,考えている。現時点での私の考えとしては,私たちは,高度に発展した情報技術から多大な恩恵を享受している反面,ネットワークというバーチャルな世界に対して,生理的・根元的な恐怖感をいだいていると思う。近年個人情報保護法の過剰反応が指摘されているが,この反応はこの生理的・根元的恐怖感を源泉にしているから,仮に今個人情報保護法を廃止したところで,過剰反応そのものは消滅しないと思う。

ネットワーク社会の発展が回避できないとすれば,これとうまく折り合いを付けるにはどうしたらよいか。これは,技術者や法律家だけの仕事ではない。哲学者や社会学者,心理学者の研究が不可欠である。東氏は,私の知る限り,この問題に正面から取り組んでいる数少ない哲学者の一人である。いつか直接教えを請う機会を得たいものである。(小林)

東浩紀氏のHPはこちら http://www.hirokiazuma.com/

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2007年6月14日 (木)

新幹線の新型「N700系」に防犯カメラ60台設置,とのニュースについて

平成19年6月7日の朝日新聞によれば,「東海道・山陽新幹線に7月1日から導入される新型車両「N700系」の車内デッキに、防犯カメラが設置された。JR各社によると、在来線も含めて初の試みという。列車の運行妨害行為や車内での犯罪を抑止するのが狙い。ただ、特定の人物の行動をより詳しく追跡することが可能になるため、監視強化を懸念する声も出ている。」とのことであり,「懸念する声」として市民団体「監視社会を拒否する会」共同代表田島泰彦上智大学教授の「列車内で犯罪が頻発しているという状況ではない。予防の名目で、犯罪の具体的な根拠もなく、大多数の善良な市民を監視することが正当化されるのか。プライバシーや肖像権に何の配慮もなく撮り続けていいのか」という発言を引用している。

この記事を載せたのは朝日新聞だけのようであるが,少なくともネット上での評判はボロクソである。まあ仕方あるまい。列車内での犯罪や不適切行為の防止や証拠保全といった目的は正当であるし,デッキ及び運転席入口の上部にカメラを設置して撮影するという方法も正当といえよう。逆に,電車内トイレでレイプ事件があったとはいえ,これを防止する目的でトイレ内に防犯カメラを設置することはいきすぎであるが,もちろんJRはトイレにも客室内にも防犯カメラは設置していない。今回JRが行った防犯カメラの設置は,かなり抑制的(あるいは遠慮がち)なもの,との評価も可能であろう。もちろん運用面では気を付けていただかなければならないが。

それにしても,「監視社会を拒否する会」は,なぜ鉄道だけを目の敵にするのだろう。私は,この会の主張に全部反対するものではない。正当な指摘もあると思っている。しかし,今回の新幹線の件はいただけない。彼らの立場からしても,やるべきことはほかにある。やるに事欠いて,総スカンを喰うようなことをなぜするのか。こんなことばかりやっていると,「サヨク」という小馬鹿にされたレッテルを貼られ(もう貼られているか?),正当な主張さえ聞いてもらえなくなることを危惧する。(小林)

監視社会を拒否する会のHPはこちら http://www009.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/

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2007年6月 8日 (金)

松本人志の防犯カメラ画像流出事件について

ダウンタウンの松本人志氏が,アダルトビデオを購入する防犯カメラ画像とこれを解説する記事を掲載した写真週刊誌「FLASH」を発行する出版社と編集者を相手に,プライバシー権侵害等を理由に損害賠償請求訴訟を提起し勝訴した事件(東京地方裁判所平成18年3月31日判決)がある。この事件には,プライバシー権や防犯カメラをめぐり,興味深い論点があるのでご紹介しておきたい。

争点の第1は,本件記事が松本氏のプライバシー権を侵害するか,というものである。本件裁判でなぜこの点が問題になるかというと,松本氏は自分の出演するトーク番組などで,ビデオショップでアダルトビデオを頻繁に購入しており,そのことを恥ずかしいとは思っていない,と公言していたからである。確かに,プライバシー権は,伝統的には,非公知性,すなわち一般に知られていないことを要件にしているので,すでに公になっている事実はプライバシー権の保護を受けないと考えられていた。しかし,近年は,非公知性の要件は不要であって,自分に関する情報をコントロールする権利がプライバシー権であるとする見解が有力になっている。例えば,個人情報保護法では,個人の氏名や住所などの公知情報も保護の対象としている。そこで,本人がテレビで公言していることを写真週刊誌が報道しても,プライバシー権の侵害とは言えないのではないか,が問題となったのである。

この点について判決は,プライバシー権として法的保護を受けるためには,非公知性が要求されるとして,松本氏の主張を退けた。その理由の一つは,公知の情報がプライバシー権として保護されるとなると,「(出版)差止までは認められないパブリシティ権との」区別が曖昧になるということである。つまり,公知情報もプライバシー権によって保護されると考えると,公知情報が掲載される雑誌の出版差止なども可能になる余地があるが,言論表現の自由との関係で行き過ぎになるという判断があるようだ。もう一つは,テレビで公言するということは,プライバシー権の放棄であるとの判断である。

私は,どちらの理由も説得力がないと思う。まず,公知情報がプライバシー権に含まれるか否かという問題と,言論表現の自由との関係で出版の差止まで認めて良いか否かという問題とは,分けて考えることが可能であろう。プライバシー権として保護される情報であっても,差止までは認めない,という判断があっても,全く問題ない。次に,テレビで公言したからプライバシー権の放棄だという論理は,乱暴だと感じる。確かに,テレビで公言した個々具体的な内容については,プライバシー権の放棄という見方もありえよう。しかし,テレビで「アダルトビデオショップにはしょっちゅう行っている」と話すことと,ビデオショップでアダルトビデオを物色したり購入したりする様子を報道されることとは,全然違うのではないだろうか。タレントの石原真理○がかつての恋人との情事を赤裸々に告白した本を出版したが,だからといって,このタレントとかつての恋人の情事の様子を録画したビデオを放送したら,やはり石原真理○のプライバシーの侵害になると思う(わいせつ物陳列罪になるとか,相手の男性のプライバシーとかの話は別です)。

よく,芸能人はプライバシーを切り売りしているのだから,プライバシーはない,と言われる。しかし,揚げ足を取るようだけれども,「切り売り」という言葉が示すように,どの部分を切り取り,どの部分を残すかは,芸能人といえども自由な筈である。また,切り取った部分をどのように加工するか,つまり,ウケを狙って,私生活に虚実取り混ぜたり話をふくらませたりすることも,第三者に迷惑をかけない限り,自由である。さらに,特定の事実について,メディアを選択すること,つまり,テレビで公言するか,活字で公表するか,写真付きで週刊誌に載せるかを選択することも,自己のプライバシー情報である以上,芸能人といえども自由ではないだろうか。

さて,松本人志裁判の判決に戻ろう。争点の第2点は,「FLASH」に掲載された写真が松本氏の肖像権を侵害するか,であった。なぜこの点が問題になるかというと,一つには,本件防犯カメラの画像だけでは,撮影された人物がダウンタウンの松本であるか否かは分かりにくかったからである。また,出版社側は,「松本氏は,ビデオショップの防犯カメラに撮影されることを承知で店に入ったのだから,その画像が公開されることを含めて予想していたはずである」と主張した。

判決は,画像だけからでは本人と特定できない場合であっても,その画像の説明文と一体となって,本人の画像と特定される場合には,肖像権に近接した人格的利益を侵害することになると判断した。また,防犯カメラは,犯罪抑止効果と,犯罪が行われた場合の証拠保全を目的に設置されるものであり,撮影された画像が写真週刊誌等に掲載されることは予定していないとして,出版社の主張を退けた。

私は,これらの点については全面的に賛成である。特に,防犯カメラやネットワークカメラ・ネットワークロボットを研究開発する方たちに注意して頂きたいのは,画像だけでは本人を特定できない場合であっても,肖像権を侵害する場合があり得る,という点である。また,防犯カメラの画像情報を,正当な理由無く第三者に提供することは違法行為になる,という点も非常に重要である。

裁判の判決を受けて,伝聞の伝聞であるが,当の松本氏本人は次のように述べたそうである。

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報道の多くが「プライベートでAVを借りているところを盗撮された」ことを怒っているように書いてありましたが,違うんですよ。

そうではなくて,写真を載せる時に「防犯カメラの記録ビデオから転載した」ことをボクは怒ったわけです。

もし,こんなことがこれからも許されるのなら,有名人は(防犯カメラのついている)エレベーターにも乗れないし,スーパーにも行けないし,ということになってしまいますよ…。新宿なんかふつうにあちこちに設置されているので,有名人でなくても女のコと気軽に歩けなくなるでしょう。

タレントや顔の知れた人のツーショット写真が(防犯カメラの録画映像から)流出しまくることになる。これはほっておけないというころで正式に手続きを踏んで出版社を訴えたわけです。

今回,こういう判決が出たことによって,他の出版社もさすがに「防犯カメラの映像は使えないナ,無理やろナ」と思ってもらえたらいいんです。そうでないと,コンビニで女性タレントさんが生理用品を買った映像まで写真誌が買う恐れがあります。

(中略)

 ゴシックで太く書いておいてください。「防犯カメラのビデオ映像からの写真転用は訴えられるほどの悪事である」,と!

(以上,「いやしのつえ」(http://www5f.biglobe.ne.jp/~iyatsue)より)

**********************************************************************

まさに正論である。ただ,あえて注文を付けておきたいことは,それならビデオショップも被告として訴訟を起こしてほしかった。その方が,防犯カメラ画像流出の責任が誰にあるか,明白になったと思われるからである。(小林)

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2007年6月 4日 (月)

店舗に防犯カメラを設置運用する場合の法的問題点

今日,銀行や百貨店,スーパーやコンビニエンスストアに至るまで,あらゆる店舗に,防犯カメラが設置されている。店舗に防犯カメラが設置されていることは,今や常識と言ってよい。店舗は通常,経営者の管理下にあるから,経営者が店舗に防犯カメラを設置するのは自由であるという見解もある。しかし,店舗は通常,不特定多数の客が来場することが経営の前提になっているし,これらの客には,当然,プライバシー権がある。平成14年の九州弁護士会連合会のシンポジウム「監視カメラとプライバシー」では,万引き防止目的での防犯カメラは,撮影はよいが,録画してはならないという意見が述べられている。これは弁護士の中でもいささか極端な意見ではあるが,店舗の経営者といえども,どんな場所にでも自由に防犯カメラを設置してよいわけではない。

平成16年に,名古屋で,防犯カメラの録画画像を警察に提供したコンビニエンスストアの経営者に対し,撮影された人が220万円の損害賠償を請求した裁判の判決があった。この判決は,コンビニエンスストアにおいて発生する強盗や窃盗の統計資料や,本件コンビニエンスストアでもかつて万引きの被害にあったことや,店員が酔客に殴られた経験があること,本件コンビニエンスストアの設置状況や,「特別警戒中ビデオ画像伝送システム稼働中」との掲示を行っていたことなどの事実を認定した上,本件コンビニエンスストアにおいて防犯カメラによって店内を撮影し,その画像を一定期間録画することは,強盗や窃盗などの犯罪防止目的に基づくものであって,その目的は正当であり,必要性を有するとして,結論として,本件コンビニエンスストアにおける防犯カメラによる撮影と録画は適法であると判断した。

「なんだ当たり前のことじゃないか」と思われるかもしれない。確かに当然のことではある。しかし,この判決も,店舗の経営者であれば自由に防犯カメラを設置し録画して良いと認めたわけではない。強盗や万引きの防止という犯罪防止や証拠保全のため必要であることや,設置撮影方法が適切であること等の検証を行った上で,適法と判断している。したがって,犯罪防止の必要性が認められない場合や,設置撮影方法が不適切な場合には,店舗の経営者といえども,防犯カメラの設置運用は違法となる。例えば,小売店舗ならば一般に万引き防止の必要性があるといえるが,料亭の個室に防犯カメラを設置することは,その必要性の点から,大いに疑問があろう。また,犯罪防止目的であっても,プライバシー権侵害の程度が極めて大きい場合には,撮影方法が不適切であるとして,違法になってしまう。たとえば,万引き防止目的で,婦人服売場の試着室内に防犯カメラを設置することは違法になると考えられる。

ところで,名古屋のコンビニエンスストア事件判決には続きがある。この事件は,コンビニエンスストアの経営者が,警察の要求に応じて,防犯カメラで撮影したビデオテープを提出したものであった。このテープが,被撮影者の犯罪行為(万引きなど)を撮影したものであったのならば,ビデオテープの警察への提供は全く問題ない。ところが,本件は違っていた。警察は,ホテルの宿泊申込みカードに架空人名義を記載した有印私文書偽造罪等の捜査中であり,その容疑者がコンビニエンスストアに立ち寄ったか否かを調査するため,経営者にビデオテープの提供と,売上データのチェックを要請したのである。

「ホテルの宿泊申込みカードに架空人名義を記載した有印私文書偽造罪等の捜査中」というくだりに「ピン!」と来た人は,かなりの通である。確かに,ホテルの宿泊申込みカードに偽名を記入することは私文書偽造になりうるが,普通,このような微罪で警察が捜査をすることはない。すなわち,ご拝察のとおり,この事件は労働組合の運動家を警察が追跡していた公安事件であり,極めて政治色の強い事件であった。いずれにせよ重要なことは,本件のビデオテープ提供は,コンビニエンスストア内の犯罪とは全く無関係だったということである。

この点について判決は,ビデオテープの提供は結論として違法ではないとしつつも,店内で起きた事件とは別の事件の捜査のためにビデオテープが提供された場合には,肖像権やプライバシー権の侵害になりうることを示唆している。このように,撮影や録画が適法でも,そのビデオテープを第三者に提供することについては,別途違法性が問題になることについては,十分な注意が必要である。

防犯カメラから録画したビデオテープの第三者提供が問題となった事件としては,「ダウンタウン」の松本氏が,レンタルビデオ店でビデオソフトをレンタルしている画像が写真週刊誌に掲載されたとして,写真週刊誌の出版社と編集者に損害賠償を請求した事件がある。東京地方裁判所は,このような画像の提供は,防犯カメラの設置目的を超えた違法なものであると認定して,損害賠償金90万円の支払を命じた。この例は,防犯カメラの設置目的を超えた画像の第三者提供は違法になることを認めた裁判例として,重要である。(小林)

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2007年5月31日 (木)

「個人情報」と「プライバシー情報」は同じか?(2)

「住所氏名などの公知情報は,単独ではプライバシー権の保護を受けない」とする青柳武彦教授の主張は,決して単独少数説ではない。同教授は厳密には法学者といえないのかもしれないが,法学者の中でも,同様の見解をとっている人はいる。たとえば,法政大学社会学部の白田秀彰助教授は,情報法学や著作権法の第一人者であるが,hotwired japanのコラムの中で,青柳教授と近いと思われる主張をしている。主張の全体は直接あたって頂くとして,要点を引用すると,次のとおりである。「私の考え方は、『個人情報保護は、個人情報を取り扱うシステムのセキュリティ維持を保護法益とするもので、究極的には人格の尊厳を保護法益とするプライバシーとは間接的な関係しかない』というものだ。ある主体(管理者)が管理する、ある人物の個人情報が漏れることは、その人のプライバシーに対して何らかの危険を増大させることだろう。このこと自体について管理者の法的責任を問うのはもっともなことだ。しかし、プライバシーの侵害については、まだ潜在的危険に留まる。つづく具体的なプライバシー侵害は、管理者とは別の人物(侵害者)によってなされると思われる。その場合、プライバシー侵害の主たる責任は侵害者が負うべきだろう。」。

つまり,白田助教授のいわんとするところは,具体的には次のようになると思う。例えば,私の氏名と自宅の電話番号が,これを保有する企業のミスにより,ネット上に流出したとする。これを見た誰かが,それ以来頻繁に,自宅に無言電話をかけたとする。白田助教授の主張は,この場合プライバシー権侵害の責任を負うのは,ミスをした企業ではなく,無言電話をかけている誰かだ,ということになる。

もっとも,青柳教授と白田助教授の主張が,その全部において同じか否かは,分からない。それはご本人に聞いてほしい。青柳教授がこのような主張をする目的は,情報を利用する企業の健全な経済活動の育成や,ひいてはユビキタスネットワーク社会の発展という,経済的目的に重心があるように思われる。これに対して,白田助教授の主張の目的は,「過剰なプライバシーの主張は,言論表現の自由によって維持される民主制度の基盤を危うくする」という点に重心があり,経済活動の自由というよりは表現の自由や民主主義の保護に重点をおいているようである。

さて本題に戻ろう。「住所氏名などの公知情報はプライバシー権の保護の対象外」とする主張の是非である。

後述するように,私は,青柳教授や白田教授がその主張の背景として考えておられることについては,大いに共感している。しかし,だからといって,「住所氏名などの公知情報はプライバシー権の保護の対象外」とすることには疑問を禁じ得ない。ここでは,二つだけ,その理由を述べてみたい。

一つ目は,「個人情報の流出者と,プライバシーの侵害者は別」とする理論の是非である。先の例でいうと,「ミスにより私の氏名と自宅電話番号をネット上に流出させた企業と,これを見て頻繁に自宅に無言電話をかけてくる者は別。プライバシーを侵害したのは後者であって前者ではない」という主張の是非である。これは確かに,一つの考え方として筋が通っている。しかし,この考え方によれば,私は無言電話の犯人を自力で突き止める以外(それは可能かもしれないが,不可能な場合も多い),プライバシー権侵害による救済を受けられない。すくなくとも現代の高度情報化社会においては,これではプライバシー権の保護としては不十分であると思う。

二つ目は,「住所氏名などの公知情報の単独漏洩」というカテゴリーを立て,これはプライバシー権の侵害にあたらない,と主張することの是非である。ここであらためて青柳教授の主張をおさらいしてみると,教授は,「(住所氏名などは)公知の事実ゆえ,単独ではプライバシー性なし。但し,不可侵私的領域の事柄とアンカリングされるとプライバシー情報の一部となる」と言って,問題を単独漏洩に限定している。また,白田助教授も,「機微な(個人)情報については、その漏洩が直ちにプライバシー侵害に直結しうることに気をつけなくてはならない。」と言っている。このように,ご両人とも,プライバシー権侵害にあたらないのは,「住所氏名など公知情報の単独での漏洩」に限定していることが分かる。

しかし,このような限定の仕方は適切であろうか。言い方を替えれば,意味があるのだろうか。さきほど,私は,「私の住所と自宅電話番号がネットに流出した」という例をあげたが,現実には,このような流出例は,あまり想定しがたい。多くの場合,住所や氏名,電話番号などは,それ以外の情報と紐づけ(青柳教授の言葉によれば,アンカリング)されているからだ。たとえば,「ヤフーとプロバイダ契約をしたAの住所氏名」「宮城県仙台市役所に勤めるBの住所氏名」「江沢民講演会に参加を申し込んだCの住所氏名」「87歳のDさんの住所氏名」といった具合に,住所氏名などの情報は,必ずといってよいほど,他の情報とつながっている。他の情報とつながっているからこそ,住所氏名などの公知情報には何らかの価値が発生するのであり,何らかの価値があるから,漏洩が生じうるのである。

ここでもう少し住所氏名などの公知情報の情報としての機能を考えてみよう。私は今,「住所氏名などの情報は,他の情報とつながって,初めて何らかの価値を生じる」と書いた。このことは,もう一歩考えを進めると,「住所氏名などの情報は,複数の他の情報を結びつける機能を持つ」ことにつながる。具体例で言うと,「A女子校の教諭」と「○月○日に百貨店でセーラー服を購入した客」と「子どもがいない人」という3つの情報があったとする。これらはそれだけでは何の価値もない。これらのそれぞれに,「A女子校の教諭であるB氏」「○月○日に百貨店でセーラー服を購入したB氏」「子どもがいないB氏」という「氏名」情報が結びついても,それらの情報がばらばらに存在するだけでは,あまり価値はない。しかし,これらの情報が「B氏」という共通項でくくられることにより,「女子校教諭のB氏は,子どもがいないのに,セーラー服を購入した」となれば,この情報は俄然,高い価値を持つ。B氏は,実際には姪の入学祝いにセーラー服を購入したかもしれないのに,ロリコン教諭の烙印を押され,職を失う可能性がある。

ここまで書いて,「うーむ,この例はあまり適切でないかも」と正直思うが,それはともかく,住所氏名などの公知情報は,他のプライバシー情報と結びつき,また,他のプライバシー情報同士を結びつける機能があり,それ故にこそ価値があることはご理解頂けると思う。

以上をまとめると,公知情報が単独で漏泄してもプライバシー権の侵害にならない,という主張は,プライバシー権の保護に不十分である上に,プライバシー情報同士を結びつけるという公知情報の機能を軽視しているから妥当でない,というのが,現時点での私の意見である。

もっとも,昨今個人情報の流出が報道されるたびに,プライバシー,プライバシーと過剰に反応するマスコミなどの態度を憂うる点では,私も,青柳教授や白田助教授と同じ立場である。情報が漏れたといっても,その中身によって実害の程度が異なることは間違いない。重大なミスには厳しいお咎めが必要だが,些細なミスには,別な対応があってよい。ただ,「公知情報はプライバシー情報ではないから」ということには無理があるのではないか,と思う。(小林)

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2007年5月29日 (火)

住基ネットは原発か?

平成19年5月26日,大阪弁護士会で開催されたシンポジウム「これでいいのか住基ネット」を聴講した。

報告者の上原公子氏は参院選出馬の噂がある前国立市長。「市長には住民基本台帳の管理責任があるのに,総務省は台帳のデータを国が管理すると言う。それなら漏洩の責任を取ってくれるのかと聞くと,取らないと言う。危険じゃないかというと,絶対に安全ですと答える。でも住基ネットは穴だらけで,市長として責任を取れないから国との接続を切った。」さすがに政治家は,話が明快である。

獨協大学の右崎正博教授は,プライバシー権の本質を自己情報コントロール権と理解する立場から,住基ネットはプライバシー権に対して重大なリスクがあると主張する。但し,自己情報コントロール権を根拠とすることの帰結として,「リスクを承知で住基ネットを使いたいという人は,使用する権利がある」と言う。従って国との接続を切った前国立市長の行動は,住民の「住基ネット利用権」を侵害したという結論になるのだが,出席者に理解できたかどうか。

他に自治体情報政策研究所代表の黒田充氏,水永誠二弁護士が報告者として出席していた。弁護士会が土曜日の午後に開催するシンポジウムであったが,100人を超える一般市民が聴講し,関心の高さを窺わせた。もっとも,住基ネット反対派が大多数と見受けられたが。

私自身は,報告を聞きながら,強い既視感にとらわれていた。住基ネット反対派は,「住基ネットにはリスクがあるから止めてしまえ」と言う。国側は,「住基ネットは安全だから止める必要はない」と言っている(とのことである)。この議論の立て方は,原子力発電所の是非をめぐる議論と同じだ。

原発反対派は危ないから止めろと言い,推進派は絶対安全だという。歴史的には,推進派が嘘をついていたことは明白である。推進派は多くの事故を(ほぼ)隠し通し,全国発電量の半分近くを原発でまかなうに至り,盤石の地位を確保してから事故を公開した。一方反対派の主張は,代替エネルギー政策等の問題で国民多数の賛同を得るに至らず,昨今の温暖化防止キャンペーンの影響もあってか,廃棄施設の問題を除き,下火になってしまっている。この問題,どちらに軍配が揚がったかといえば,推進派であろう。しかし,隠された事故の教訓が生かされていないことをはじめ,多くのものが失われたと思う。その責任は,「安全か,危険か」という二項対立的な議論を立てた推進派,反対派両者にある。住基ネット反対派は,この間違いと負け戦を繰り返すつもりなのか。

上原公子前国立市長が指摘するとおり,どのようなシステムにも絶対安全は無い。だから,住基ネット推進派が「絶対安全」を主張しているなら,これは改めてもらわないといけない。しかし他方,「リスクがあるから止めてしまえ」という反対派の主張は短絡的である。重要なことは,リスクが存在することを前提に,これを査定(アセスメント)し,受容可能か否か検討することであろう。

住基ネットや,その他のユビキタス・非ユビキタスネットワーク導入の是非について,リスクアセスメントの重要性を説く見解は,技術者や,ネットワークに詳しい法律家の間では,数年前から主張されている。推進派も,反対派も,そろそろ「白か黒か」的議論を止めるべきときではないのか。(小林)

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2007年5月23日 (水)

「個人情報」と「プライバシー情報」は同じか?(1)

 

RSA Conference Japan 2007では,国際大学の青柳武彦客員教授が個人情報保護における問題点と今後のあり方について講演を行ったそうである。同カンファレンスのレポートで講演内容が紹介されているが,伝聞ゆえ不正確かもしれないので,同カンファレンスのホームページから講演内容を引用すると,次のとおりである。

「刀剣愛好家が刀を盗まれてしまった場合,保管に問題があれば銃刀法違反に問われるかもしれませんが,殺人罪に問われることはありません。ところが,個人データが盗難にあうとプライバシー侵害罪(殺人罪に相当)に問われてしまうことがあります。これは自己情報コントロール権説という間違ったプライバシーの定義の悪影響で,個人データ保護とプライバシー保護が混同されているためです。こうした事態は個人情報保護法という不必要に厳しい規制を不必要に広い範囲に適用している法律で,更に加速されています。企業は,正当な経済活動と同法の調和を図ることによって,活力を維持しなければなりません。」

ここで教授は刑法上の犯罪と民法上の不法行為を混同するという極めて初歩的な誤りを犯しているが,この点はご愛敬と目をつぶるとして,問題は,「自己情報コントロール権説という間違ったプライバシーの定義の悪影響で,個人データ保護とプライバシー保護が混同されている」という主張の是非である。

ここで,青柳教授が個人データとして具体的に指摘しているのは,「住所,氏名,性別,電話帳記載の電話番号,年齢,容姿,場合によっては職業も」である。そして,これらの情報のプライバシー性について,教授は,「公知の事実ゆえ,単独ではプライバシー性なし。但し,不可侵私的領域の事柄とアンカリングされるとプライバシー情報の一部となる」と主張している。

そもそも,なぜこのようなややこしい議論が発生するか,ご存じだろうか?それは,個人情報保護法の適用範囲と,民法上のプライバシー権の保護範囲との関係が不明確だからだ。

ここまで「民法上のプライバシー権」と書いてきたが,民法にも,その他の法律にも,「プライバシー権」という語句を含む法令はない(「権」を抜いたプライバシーという語句を含む法令はいくつかあるが,今回のお題とは直接には関係ないので,別の機会に論じることにする)。プライバシー権の範囲は,専ら,裁判例によって画されてきた。その代表となるのが三島由紀夫の小説「宴のあと」が問題となった訴訟であり,その判決は,プライバシー権侵害の要件として,非公知性を要求してきた。逆に言えば,公知の情報は,プライバシー権の保護範囲外とされたのである。その結果,住所氏名などは,公知情報であるからプライバシー権の保護範囲外とされてきた。

ところが,最近の裁判例は,住所氏名などをプライバシー権の保護対象に含めるようになってきている。たとえば,平成15年9月12日の最高裁判所判決は,早稲田大学が江沢民の講演会参加者名簿を警視庁に提出した事件に関し,「(参加申込学生の)学籍番号,氏名,住所及び電話番号は,早稲田大学が個人識別等を行うための単純な情報であって,その限りにおいては,秘匿されるべき必要性が必ずしも高いものではない。また,本件講演会に参加を申し込んだ学生であることも同断である。しかし,このような個人情報についても,本人が,自己が欲しない他者にはみだりにこれを開示されたくないと考えることは自然なことであり,そのことへの期待は保護されるべきものであるから,本件個人情報は,上告人らのプライバシーに係る情報として法的保護の対象となるというべきである」と判断した。この判決は,「江沢民講演会への出席申込情報との紐づけられた情報ではあるが,住所氏名学籍番号などの公知情報もプライバシー権の保護範囲内であるとしたものである。この最高裁判決後の下級審判決も,全体の傾向としては,住所氏名などもプライバシー権の保護範囲に属すると判断する傾向にあるとされている。

復習すると,①伝統的には,住所氏名は裁判例上,プライバシー権の保護範囲外とされてきた。②この伝統的理解に従えば,住所氏名などの公知情報は,個人情報保護法の保護は受けるが,プライバシー権の保護は受けない。③しかし,近年の裁判例はプライバシー権の保護範囲を拡張し,住所氏名などの公知情報もプライバシー権の保護範囲に含めつつある。④そこで,あらためて,住所氏名などの公知情報は,個人情報保護法のほか,プライバシー権の保護を受けるかが問題になる,というわけである。

「プライバシー権で保護されようがされまいが,個人情報保護法で保護されるのなら,要するに法律で保護されるのだから一緒じゃん」と思われるかもしれないが,それは間違いである。個人情報保護法に違反しただけでは,行政処分の対象になる(行政命令に違反すると刑罰の対象になることがある)だけだが,損害賠償義務は発生しない。しかし,プライバシー権の保護対象になるならば,損害賠償義務が発生する。昨今話題になる個人情報流出の場合,1件当たりの賠償金額は安くても,数万人規模の流出となれば,総額は馬鹿にならない。青柳教授は,「住所氏名などの公知情報が流出した場合,個人情報保護法違反に問われて行政処分を受けるのはやむを得ないとしても,プライバシー権侵害として損害賠償請求の対象になるのは間違いだ」と主張しているわけである。(続)(小林)

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2007年5月15日 (火)

番台ロボットとプライバシー

そもそも「番台」を知らない読者のために一応解説しておくと,銭湯(銭湯を知らない?フォークグループ「かぐや姫」の「神田川」に出てくるような伝統的な公衆浴場のことです。スーパー銭湯などではないですよ。「かぐや姫」も知らない?そうですか…)には男湯と女湯があり,それぞれの脱衣所が板一枚で仕切られている。その板の端にあり,両方の脱衣所と浴場を見渡すやや高い位置に設けられているのが「番台」である。番台には銭湯の主人が座って,入浴料の徴収を行うほか,脱衣所内での窃盗や,浴場での迷惑行為が無いように,目を光らせている。当然,客は番台に座る銭湯の主人には裸体を見られることになる。私も若いころは,これが結構恥ずかしくて,脱衣所の隅っこで着替えをしたものである。

さて,この番台の機能をロボットに代替させることはできるか。料金の徴収については問題ない。問題は,脱衣所や浴場での不正行為・迷惑行為防止のために,人間に代わって,ロボットを設置することができるか,である。

もう少し突き詰めて考えると,脱衣所で他人(特に異性)に裸体を見られることは,形式的にはプライバシーの侵害にあたるが,客はもちろん番台に見られることは承知で銭湯に入っているので,結論としては違法性の問題は発生しない。この番台が,人間からロボットに代わった場合,プライバシー侵害の程度は大きくなるのだろうか,それとも,小さくなるのだろうか。

直感的には,人間に裸を見られるより,ロボットに見られる方が,プライバシー侵害の程度が少ないような気がする。しかし,よくよく考えてみると,そうでもない。

脱衣所や浴場での不正行為・迷惑行為の防止という目的である以上,番台ロボットはカメラを備えることになるし,その背後には,これをモニターする人間がいる。また,実際に不正・迷惑行為が発生したときに証拠を残す必要上,カメラで撮影された映像は録画されることになるだろう。

番台から人間に自分の裸体を見られても,「裸体」という画像情報は,所詮,その人限りである。多くの場合,自分の裸体が番台の主人の記憶に残ることは無いし,「ものすごい肉体美」か何かの理由で客の裸体が番台の主人の記憶に残ったとしても,その人の脳髄限りのことでしかない。万一,番台の主人が客の裸体を他人に吹聴(「このまえ,すごいグラマーがうちの銭湯に来てさ…」とか)しようとしても,せいぜい,言葉か絵で不正確に描写することしかできない。人間が画像情報を記録したり,これを他人に伝達したりすることには,このように,極めて多くの限界がある。逆に言うと,このような限界があるからこそ,生身の人間である番台の主人に裸体を見られることを,客は許容しているともいえよう。

これに対して,番台ロボットの撮影した裸体の画像情報は,正確無比であり,かつ,全く劣化しない状態で第三者に提供することが可能である。しかも,客の立場から見れば,番台ロボットの撮影する画像を,誰が,どのような意図で見ているか,全く分からない。このように考えてくると,番台ロボットの方が,人間に比べて,プライバシー侵害の程度が高いということになろう。

以上,ただの与太話ではあるが,なかなか難しい問題である。(小林)

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2007年5月11日 (金)

小中学校に防犯カメラ

2007年5月10日号の東京都町田市版タウンニュースページ

http://www.townnews.co.jp/020area_page/03_fri/01_mach/2007_2/05_10/mach_top1.html)

によると,町田市内の小中学校の前項(小学校40校,中学校20校)に防犯カメラが設置され6ヶ月が経ったとのことである。記事によると,「通常,防犯カメラ4台とモニター3台,記録装置1台が設置されていて,死角が多い学校には防犯カメラを1~2台増やしている。モニターは職員室や校長室,事務室などに置かれ,24時間作動し,記録内容は1週間で更新される仕組み。モニターは4分割され常時確認することができる。記録内容は各校長が管理し,パスワードがなければ再生することができない。また警察などから画像の提出を求められた場合は手続きに従って行い,児童らのプライバシーは保護されるという。」

私は,小中学校に防犯カメラを設置すること自体に反対するものではない。児童のプライバシーを侵害するとか,管理教育につながるとかの反対論はあるのだろうが,各校4~6台のカメラでは,校門や後者の出入り口付近に設置するのが精一杯であるから,現実問題として,これで管理教育につながるとは考えられない。

しかし,疑問点もある。記事には「警察などから画像の提出を求められた場合は手続きに従って行い、児童らのプライバシーは保護されるという。」とあるが,想定される状況は,第三者が学校へ不法侵入するという場合だけではない。不法侵入がない状況で,「なんだか怪しげな人」が校門付近をうろうろしている状況が撮影された場合,その録画テープを警察に提出することは許されるのか。あるいは,児童の犯罪行為を理由とする提出要請があったらどうするのか。犯罪行為そのものが撮影されているという場合だけではない。「ある事件について,被疑児童が何時何分に下校したか確認したいのでビデオテープを提出してほしい」と言われたらどうするのか。「被疑児童の交友関係を知りたいからビデオテープを提出してほしい」と言われたらどうするのか。また,児童の校則違反行為が撮影されていた場合はどうか。

私がここで問題にしたいのは,上記の事例それぞれについて,どのように対応するべきかではない。問題にしたいのは,さまざまな事態を想定した防犯カメラ設置運用のガイドラインが適正に制定されているのか,という点と,そのガイドラインが小中学校の関係者(特に児童の保護者)に適切に公開されているのか,という点である。防犯カメラシステムが広く社会に認知され,適正に運用されるためには,正しい制度的保障が不可欠であると考えている。(小林)

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2007年5月 7日 (月)

ユビキタスネットワーク社会と「2001年宇宙の旅」

 ユビキタスネットワーク社会には,光と影があると言われる。光とは,いままで考えられなかったような利益を享受できる社会の到来であり,陰とは,今度こそ,人間がコンピューターに支配されてしまうという危惧である。この光と影の双方に,センサーが重要な役割を果たす。

ユビキタスネットワークは,ユビキタス「センサー」ネットワークとも言われる。ユビキタスネットワークは,大小多数のコンピューターが遍在する環境だから,人間が,一つ一つのコンピューターに,いちいち入力していたのでは手間がかかって仕方がない。そこで,ユビキタスネットワークは,高感度かつ多数のセンサーを備え,環境にあるヒトやモノの情報を,自動的にコンピューターに入力していくことが必要となる。センサーがあってはじめて,人はユビキタスネットワークから多大な恩恵を被ることが可能となる。

ところで,センサーのないコンピューターネットワークにおいては,人は,入力デバイスを排除することによって,ネットワークから離脱することが可能であるのに対して,ユビキタス社会においては,人はネットワークから離脱することができない。人は意識しないうちに,センサーを通じてプライバシー情報を取得されてしまう。この点が,コンピューターに人間が支配されてしまう,という危機感の源泉である。

ところで,話は飛ぶが,「2001年宇宙の旅」(1967年公開)というSF映画の古典的名画がある。その前半,と言っても原始人が出てくるところは飛ばしての前半に,主人公がコンピューターと会話して宇宙ステーションにチェックインする場面がある。画面ににこやかな女性の映像が映し出され,その指示に従って音声入力を行う場面である。宇宙ステーションも一つのコンピューターネットワークであるが,人が音声でコンピューターに入力しているから,このコンピューターネットワークは,ユビキタスではない。

一方,この映画の後半は,最新型コンピューター「HAL9000」を搭載した宇宙船「ディスカバリー」が舞台である。この宇宙船においては,カメラがあらゆる場所に設置されており,乗組員はどこにいてもHAL9000と会話できる。それどころか,HAL9000は読唇術を駆使して乗組員間の秘密の会話を盗み聞きし,反乱を起こす。

宇宙船「ディスカバリー」にはもはや入力デバイスは不要である。人が積極的に入力しなくても,コンピューターはセンサーを使って情報を取得するのであり,そのセンサーは,船内の至る場所に存在する。しかも,人間は宇宙船から外に出ては生きていけない。つまり,宇宙船「ディスカバリー」は究極のユビキタスネットワーク空間であり,ユビキタスネットワークが人間を支配する恐怖を描いたのが,この映画の後半部分であるという見方が可能である。

もちろん,ユビキタスネットワーク社会になれば,本当にこうなる,というわけではない。ただ,ユビキタス社会の影の部分を,非常に明瞭なイメージとして呈示したのが,この映画であるといえる。いまから40年前に,ここまで予測したキューブリック監督の想像力には,今更ながら舌を巻く。(小林)

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2007年5月 6日 (日)

「異常行動」を自動通報する街頭防犯カメラシステムの違法性

200751日付東京新聞WEBサイト「TOKYO Web」によると,「街頭防犯カメラの映像から,人の異常行動を検出するシステムが開発され,JR柏駅東口に今春,初めて導入された。このシステムは,人が普通に歩いたり,会話をしたりする「正常な行動」を学習して数値化,これらの正常行動の分布からはずれた行為を「異常行動」として検出するというものであり,将来的には,異常行動を警察などに通報することにしているとのことである。

このシステムに対して,「海難記」の管理人仲俣暁生氏が,「これはかなり危険な発想じゃないか」という意見を述べている。氏の言わんとするところは,「正常でないものを異常とみなす考え方は,被撮影者を自ら正常の側に置こうとする動機付けを行うとともに,異常と見なされた者を排除する考え方につながる」ということと思われる。

これに対しては,「Discommunicative」の管理人todesking氏が,「『これだからサヨクは』『これだから文系は』的差別的言説をぐいと押さえ込み」つつ,上記システムは,正常動作を数値化=データベース化することによって,その分布範囲に該当しない者を全て異常とみなすというアルゴリズムの問題であって,「異常」に分類されたからといって「違法」でも「悪事」でもなんでもないとして,「危険な発想」とする仲俣氏の主張を批判している。

法律的に考えた場合,いずれの見解が正しいであろうか。

防犯カメラシステムを運用する場合には,撮影そのものが正当になされる必要があるだけでなく,取得した情報を第三者に提供する際にも,正当性が要求されることに注意が必要である。個人情報保護法の23条にも,個人情報の正当な理由無き第三者提供を禁止する条項がある(ただし,防犯カメラの運用者が直ちに個人情報保護法の適用を受けるわけではない)。このように,被撮影者の承諾無く,第三者に情報を提供した者は,正当な理由がない限り,法的責任を問われる。警察への通報も,第三者への情報提供に変わりないから,通報する者には,相応の責任と覚悟が必要である。

ところでtodesking氏の主張の要点は,「正常」「異常」という分類は統計的分別にすぎず,善悪の意味づけは全くなされていないという点にある。「異常」と分類された行為が警察に通報されても,それが違法な行為でないならば,何の問題もない,という。

通報を受けた警察は,職務上,「異常行動」をした被撮影者に職務質問をするであろうが,この職務質問は,「何の問題もない」と言えるほど生やさしいものではない。最近の具体例としては,「ちょっとむさい格好で渋谷に」いただけで警察官4人に取り囲まれ,渋谷署に事実上強制連行された元国会議員白川勝彦氏のブログに生々しく記載されている。そもそも職務質問は,「何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者」(警察官職務執行法2条1項)に対してしか行うことができない。市民が不審者を警察に通報するについても,不審者であると疑うに足りる相当な理由が必要である。明らかに正当な行為をしていた者を警察に通報することは違法であるし,システム運用上便利だからといって,明らかに正当な行為も違法と疑われる行為もまぜこぜにしたまま自動的に警察に通報することも違法である。

このように見てくると,todesking氏の主張が誤りであることは明白であろう。同氏は,「防犯カメラの前で『ハレ晴れユカイ』を踊っても,車いすで通行しても,ストリートミュージシャンも,たぶん警察に通報されます!一体そのどこが問題なのか???」と述べているが,明白に適法な行為をしている者を,システム上「異常」に分類されたという理由だけで,警察に通報することは違法であり,大いに問題なのである。そして,仲俣氏が「危険」だと危惧するのは,「統計上普通でない」とういうだけの理由で,警察に通報することに何の疑問も躊躇も感じない発想そのものだと思う。

まあしかし,現実問題として,このシステムが「異常」と分類して警察に通報する行為のほとんどが「適法」な行為と予想されることからすると,通報を受けた警察も早晩,このシステムからの通報を相手にしなくなるであろう。警察から無視されたのでは,街頭防犯カメラシステムとしての存在意義が無くなってしまう。そこで,このシステムの実際の運用としては,「異常」を感知すると警報が発令し,その後「異常」が感知される10秒ほど前からの映像が自動的に再生され,これを係員が確認して,必要と認めた場合にのみ,警察に通報することになろう。このような運用がなされてはじめて,このシステムは「まともな」システムとして機能しうることになるし,仲俣氏が指摘するような「危険」も,ある程度回避されることになるだろう。(小林)

海難記 http://d.hatena.ne.jp/solar/

Discommunicative  http://d.hatena.ne.jp/todesking/20070502

白川勝彦氏のブログ http://www.liberal-shirakawa.net/idea/policestate.html

Mellow Moon http://mellowmoon.blog93.fc2.com/blog-entry-48.html

個人情報保護法第23条 個人情報取扱事業者は、次に掲げる場合を除くほか、あらかじめ本人の同意を得ないで、個人データを第三者に提供してはならない。

一 法令に基づく場合

二 人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。

三 公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。

四 国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき。

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2007年5月 1日 (火)

監視カメラの犯罪抑止効果について

街頭監視カメラに犯罪抑止効果があるのかについては,「ある」とする説,「無い」とする説,「一部の犯罪についてはあるが,他の犯罪については無い」とする説がある。

ところで香川新聞の平成19年4月のニュースに,こういうものがあった。

「香川県高松市の鬼無地区では、五色台を走る市道沿いを中心に不法投棄が後を絶たず、これまで住民参加型の清掃活動を度々実施。市も看板や監視カメラを設置しているが、効果がなかなか持続しないことから、定期的にパトロールを行い、監視の目を強化することにした。」

監視カメラの効果が持続しないというニュースは,監視カメラの犯罪抑止効果が「無い」とする説を勢いづかせるものであろう。しかし,このニュースから直ちに監視カメラには犯罪抑止効果がないと結論づけるのはやや飛躍がある。

監視カメラが設置されているにもかかわらず,なぜ堂々とゴミを捨てるのか。私は現場を見たわけではないが,「すでにゴミが捨ててあったから」捨てたと見て間違いないであろう。つまり,「ゴミを捨てても,おとがめがない」と分かれば,規範意識の低い不心得者は,ゴミを捨てるのである。これを「割れ窓理論」にならって,「案山子理論」と名付けることにしよう。

案山子は,案山子とばれた時点で,雀に対する抑止力を失う。監視カメラも,張り子とばれれば,同じことである。つまり,「監視カメラに撮影された不法行為は,必ず罰せられる」という実体が伴って,はじめて,監視カメラは犯罪抑止力を持ちうるのである。以前ご紹介した,イギリスにおいて実施される「しゃべる監視カメラ」も,同じ発想であり,カメラを案山子に見せないための工夫と見ることができる。

以上からいえることは,「監視カメラは,撮影された不法行為は必ず罰せられるという運用上の実体が伴って,初めて犯罪抑止力を持ちうる」ということである。もっとも,この言い方は正確ではない。正確には,「運用上の実体」が現実に存在することが必要なのではなく,「運用上の実体が現実に存在すると信じる心情が撮影される側に存在すること」が必要である。このような心情を,「畏れ(おそれ)」という。品が悪くて恐縮だが,立ち小便を抑止するために鳥居を描くのは,人の畏怖心を利用したものである。ちなみに,主として国民のおそれを利用して統治する政治手法を「恐怖政治」というが,監視カメラの犯罪抑止力を維持しようとすることは,恐怖政治につながる一面を持つことには注意しなければならない。(小林)

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2007年4月29日 (日)

音声付き監視カメラの目的

ロイター通信によると,イギリス内務省は,街頭での喧嘩,器物損壊やゴミのポイ捨てを「音声」で注意する監視カメラを全国20地域に設置すると発表したそうである。プライバシー保護団体はますます監視社会に近づくと警告しているそうだが,既に実験的に導入されている地域では,ポイ捨て減少などに効果を示しているとのことである。費用は50万ポンド,約1億2000万円だそうだ。

しゃべる監視カメラといっても,ロボットではない。担当職員がマイクとスピーカーを通じて音声を伝える仕組みであり,案外アナログである。

さて問題は,この仕組みが本当にポイ捨て防止のためなのか,という点である。いささか勘ぐりかもしれないが,私にはそうは思われない。この仕組みを導入する目的は,市民に監視カメラの存在を再認識させることにあるのではないか。

イギリスは,世界で最も監視カメラが設けられている国として知られ,現在の台数は推定420万台,イギリス人14人あたり1台になるそうである。これだけの台数を設置するのだから,設置費用も維持運営費も莫大なものであろう。これだけのコストをかけて監視カメラを導入するについては,その犯罪抑止力についても,それなりの期待があったはずである。

しかし,これだけ多数の監視カメラが設置されてしまうと,今度は「監視カメラ慣れ」が発生してしまうことが懸念される。あまりに監視カメラの数が多く,モニターを監視する職員の負担も大きいため,不正行為を撮影されたところで,モニターを見られていなければ同じじゃん,という心理が働くのだ。その結果,監視カメラの犯罪抑止効果が思ったほど上がらなくなってきたのではないか。

今回「音声」機能を監視カメラに付けることで,市民は,監視カメラの存在を再認識することになる。そして,監視カメラの向こうには警察官の目が光っていることを否応なく知らされることになる。それが,監視カメラの犯罪抑止効果を再度発揮させることにつながるというのが,政府の真の目的ではないだろうか。

そうであるとしても,それで犯罪が減るならいいじゃない,というのも一つの考え方であろう。しかし,一挙手一投足を常にモニターされている,と市民に意識させることは,良いことばかりではないと思う。(小林)

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2007年4月21日 (土)

私邸に防犯カメラを設置する場合の法的問題点(5)

しつこくて恐縮だが,この件についてもう1点だけ,問題点を指摘しておきたい。

平成19年3月6日付のサンケイウェブによると,世田谷区成城署の指導で202世帯が405台の防犯カメラを各家庭に設置した結果,侵入盗(空き巣など)が平成17年の485件から,平成18年の266件に,約45%減少したという。どのような理由で泥棒が犯行をやめたのか,については検討の余地があるものの,この減少は偶然とは思われないから,防犯カメラ設置の一つの成果と見るべきこと,については前回までのブログに書いた。

今回問題としたいのは,平成19年以降の侵入盗数が揺り戻すのではないか,という危惧についてである。というのは,記事には,「映像が一助になり,犯人が逮捕された事件はひき逃げなど8件11人に上る」と書いてあるからだ。

犯罪認知件数が減ったとはいえ,成城所管内の犯罪認知件数は平成18年に3923件である。このうちたった8件,割合にして0.2%の検挙にしか,防犯カメラは役に立っていないのである。しかも,8件のうち1件はひき逃げであり,記事上,残り7件のうち2件はひったくりと落書き(器物損壊)である。つまり,平成18年に認知された侵入盗の件数266件のうち,防犯カメラのおかげで犯人逮捕に至ったのは,計算上,高々5件である。

ここでもう一度,「防犯カメラによって泥棒が犯行をあきらめる理由」を考えてみよう。その詳細はどのようなものであるにせよ,泥棒が防犯カメラによって犯行を諦める理由はただ一つ,逮捕されたくないからである。言い換えれば,防犯カメラに撮影されると,逮捕される危険が増すから,犯行を諦めるのである。ところが,防犯カメラを設置した後でも,266件の侵入盗のうち,最大でも5件しか犯人逮捕に至らない,割合にして約1.9%のリスクしかない,と分かったら,泥棒は犯行を諦めるであろうか。私が泥棒なら,この程度のリスクなら冒すと思う。そうなると,今後,防犯カメラの限界を見切った泥棒が出てきてもおかしくないのである。

もっとも,この仮説は,266件の侵入盗が発生した場所と,防犯カメラが設置された場所とを厳密に照らし合わさなければ,証明できない。この点は注意しなければならない。しかし,少なくとも確実なことは,新聞記事だからといって,あるいは警察の発表だからといって,数字を鵜呑みにしてはいけない,ということである。(小林)

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2007年4月17日 (火)

私邸に防犯カメラを設置する場合の法的問題点(4)

平成19年3月6日付のサンケイウェブによると,世田谷区成城署の指導で202世帯が405台の防犯カメラを各家庭に設置した結果,空き巣などの犯罪が大幅に減少したという。

記事によれば,住宅街への街頭防犯カメラの設置は,プライバシー問題から住民の抵抗があるため,進まなかった。そこで成城署は「防犯意識のある住民による主体的な(防犯カメラの)設置と管理」を行うことにした結果,上記のとおりの成果を上げたのだという。

今回問題としたいのは,プライバシーとの関係である。なぜ,防犯カメラの設置主体を警察ではなく,「防犯意識のある住民」にすれば,プライバシーの問題が解決できるのだろうか。ここでは,防犯カメラを設置したくない住民と,住民ではない一般の通行者のプライバシー問題は,完全に無視されている。防犯カメラを設置したくない住民は,新聞の言葉を借りれば「防犯意識の低い住民」だから,プライバシー権を主張する資格はないということだろうか。

このブログで私は,私邸に防犯カメラを設置する場合,家の回りの合理的な範囲であれば,公道や通行人が撮影の対象になっても差し支えないと書いた。その考えは今も変わっていない。しかし,成城に設置された防犯カメラの映像をWEBで見る限り,家の回りどころか,公道を俯瞰するような形で設置されている。本当にこのようなことをして良いのか,については,未だ議論が熟していないように思うがどうであろうか。

たしかに,住宅街と繁華街,商店街,大通りや駅前広場などは,同じ公共空間とは言っても,その程度に差があることは事実である。その意味で,住宅街をマンションのような独立空間とみなして,地域コミュニティによる一種の施設管理権が当該住宅街に及ぶと考えることも不可能ではない。しかし他方,住宅街とはいえ,公道は公道である。誰であっても,その街を通る権利がある。

また,防犯カメラの設置と管理を各住戸に任せることは良いことなのか,という問題もある。警察に任せるより良い,という意見もあろう。しかし,住戸によっては,毎日カメラをモニタリングして「3軒となりの奥さんは,ご主人が出張する日に限っておめかしして出かけているぞ。よしこの映像をDVDに録画してご主人に届けてやろう」と考えているかもしれない。別の人は,「見知らぬ男性がほぼ毎日,平日の昼間にお隣の庭を覗いている。きっと不審者だから,警察に通報しよう」と考えているかも知れない。その人は例えば職業的俳人で,その庭先に生えた福寿草の開花を楽しみに,毎日隣町から散歩に来ていたかもしれないのに,である。

オタク評論でも知られる哲学者の東浩紀氏は,「論座」という雑誌の2006年4月号で,「防犯カメラは住宅地に必要なのか」という文章を書いている。住宅街に防犯カメラを設置することは,外部の者に対する排除装置として働くことを危惧している。「ただぼーっと通学路に足っているだけで,不信人物として通報され監視員がやってくる,という光景は(昼間でもふらふらしている30代男性の筆者には)容易に想像がつく」と書いておられるが,この危惧は至極常識的なものと感じる。

この点に関する私自身の結論はまだないが,少なくとも,もうすこし世間の関心を集めてもよい問題である。(小林)

東浩紀氏のブログはこちら http://www.hirokiazuma.com/

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2007年4月 9日 (月)

私邸に防犯カメラを設置する場合の法的問題点(3)

 

 前回記載したとおり,新聞報道によれば,世田谷区成城署が主導して合計400台以上の防犯カメラを私邸に設置した結果,車上狙い-65%,侵入盗-45%など,明らかに犯罪認知件数が減少したそうである。もっとも,この報道をそのまま受け入れる前に,何点か注意するべき点があると思われる。

 第一に注意するべき点は,上記表に列挙されている犯罪の種類は5種類であり,その合計は800件余りなのに,全刑法犯は4394件ある点だ。つまり,この表には全刑法犯の約5分の1しか掲載されていないことになる。そして,全体の減少割合は11%に過ぎない。もっとも,上記表にでていない刑法犯のうち,多くは交通事故(業務上過失致死傷罪)と思われる。これは防犯カメラの犯罪抑止効果とは無関係だから,11%という数字には余り意味がないと考えるべきかもしれない。

第二に,上記表に掲載されている5罪のうち,「防犯カメラの設置の効果として」減少した犯罪はどれか,についてである。というのは,一見して,「侵入盗」と「車上狙い」の減少率が高いのに,「ひったくり」と「性犯罪」の減少率は比較的低い点だ。一般には,防犯カメラの抑止効果は,ひったくりや性犯罪の方が高いと指摘されているからである。ちなみに「強盗」の減少率は50%と高いが,実数で比較すると5件少なくなっただけなので,これだけでは何とも判断できないというほか無いだろう。

実は,街頭防犯カメラシステムの設置によって「侵入盗」が減少するという現象は,新宿歌舞伎町に日本で初めて街頭防犯カメラシステムが設置されたときにも観察されている。この報道を聞いたときは,「なぜ,繁華街の街頭に防犯カメラを設置すると,侵入窃盗が減少するのだろう」と疑問に思った。唐草模様の風呂敷をしょって路上を歩くのでもないかぎり,街頭防犯カメラシステムと侵入盗は関係ないように思えたからだ。しかし,45%をこえる減少率は明らかに有意的であり,防犯カメラと何の関係もなく減少したとは思われない。

私は統計学の専門家でも犯罪学の専門家でもないが,このような仮説は可能ではないだろうか。すなわち,「性犯罪」が衝動的犯罪であるとするなら,「侵入盗」は,職業的犯罪といえる。成功には技能が必要であり,慎重かつ計画的に遂行しなければ,娑婆で生き残っていくことはできない。このような職業的犯罪者は,おそらく,「成城の住宅街に防犯カメラシステムが導入される」というニュースを聞いただけで,その周辺で「仕事」するのを断念したのではないだろうか。また,プロの泥棒は警察にある程度顔が割れているので,侵入するところが撮影されなくても,下見のためにうろついただけで,警察に目が付けられる可能性がある。このような事情から,防犯カメラ設置のニュースは,結果としてプロの泥棒を遠ざけたのではないだろうか。一方,侵入盗のような職業的犯罪に対して,「ひったくり」は,成功にある程度の技能が必要ではあるものの,侵入盗ほどではなく,むしろ,いつどこで被害者とめぐりあうかという「タイミング命」のところがある犯罪なので,防犯カメラがあるから犯行を断念する,というところまで行かないとは考えられないだろうか。侵入盗とひったくり犯との年齢差も興味のあるところである。おそらく侵入盗犯は40歳代以上,ひったくり犯は20歳前後と予想するが,どうだろう。

このような仮説が成立するとするなら,「侵入盗」は,防犯カメラの直接の効果として減少したのではなく,「防犯カメラがこの地域に設置される」というニュースの効果として減少したことになる。そうであるとしても,もちろん,結果として防犯カメラが設置されたからこそ減少効果があらわれたわけではある。しかし,いずれであるかによって,数年後の減少率が異なってくる可能性はあろう。その意味でも,この種の追跡調査は,数年をかけてじっくり行うことが必要と考える。(小林)

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2007年4月 5日 (木)

私邸に防犯カメラを設置する場合の法的問題点(2)

 以前,このブログで,一戸建ての私邸に防犯カメラを設置する場合,撮影範囲について書いたことがある。このときは,合理的な範囲なら,家の周りの道や通行人が写ってもかまわない,また,他人の家の玄関や窓や庭が写り込んでしまう場合には,その家の住人に承諾を求めるべきである,と書いた。

しかし,世の中はもっと進んでいるようである。

東京都の高級住宅街を管轄下におく世田谷区成城署は,防犯カメラの設置を推奨しており(設置費用は各家庭持ち),報道によると,平成19年3月現在,設置台数は管内202カ所で405台になったということである。「202カ所で405台」という数字の関係がおもしろい。各家庭2台ずつ設置させているのであろう。この点にも,警察署が具体的な設置方法を細かく指導している様が伺える。さて,このような防犯カメラの効果には,犯罪の前後で分けると,犯罪を予防する効果と,起きてしまった犯罪の犯罪者を検挙する効果とが考えられる。この点はどうであろうか。まず犯罪予防効果に関して,平成19年3月6日付SankeiWEBに掲載された成城署の認知件数と犯罪被害金額の推移は,次の通りである。

成城署管内の犯罪認知件数

 

平成17

18

増減

侵入盗

485

266

-45%

車上狙い

253

88

-65%

ひったくり

108

102

-6%

性犯罪

26

18

-31%

強盗

10

5

-50%

全刑法犯

4394

3923

-11%

同所管内の犯罪被害額

 

平成17

18

増減

侵入盗

\262,128,000

\112,995,000

-57%

車上狙い

\19,032,000

\6,593,000

-65%

ひったくり

\14,294,000

\10,088,000

-29%

強盗

\1,876,000

\97,000

-95%

全刑法犯

\297,330,000

\129,773,000

-56%

1年目の統計であることや,統計の取り方について検証の余地はあるものの,少なくとも,上記の数字に表れた限りでは,かなり顕著な犯罪認知件数の減少があったといえるであろう。

つぎに犯罪の検挙に関して,上記報道によると,「映像が一助となり,犯人が逮捕された事件はひき逃げなど8件11人に上る」とのことである。こちらは,前年と比較できないのはやむを得ないとしても,成城署管内の全刑法犯4394件中8件という数字が多いのか少ないのか,よく分からない。そもそもひき逃げは刑法犯ではないし。

この報道はいろいろなことを考えさせるが,続きは次回に。(小林)

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2007年3月28日 (水)

「格差社会」論争と「治安悪化」論争の共通点

 遅ればせながら,「論争 格差社会」(文春新書)を読んだ。

 この本は,2006年の流行語大賞候補になるほど注目を集めた「格差社会」をテーマにする,いろいろな立場の論文や対談を集めたものである。テーマの性質上,政治的立場を抜きに語れない部分も多いが,それにしても,百家争鳴である。

 こういった論争を読み解く場合には,問題を切り分けて対処することが大事である。

 「格差社会」は格差拡大方向に進行しているのか否か。進行しているとするなら,その程度はどのくらいか。

 「格差社会」論争が,なぜこれほどまでに一般市民の注目を集めるのか。

 「格差社会」が格差拡大方向に進行することのメリットは何か,デメリットは何か。

 等々といった問題の切り分けである。

 コーディネーターの水牛健太郎氏の指摘するとおり,「格差社会を巡る論争が,事実そのもの以上に,人々の将来への不安心理を反映したものだ」という見方は非常に重要だと思う。人々は格差社会が進行しているから不安なのではなく,不安だから,格差社会の進行を疑うのだ。

 このような見方の是非はさておき,このブログに何回か記している「治安悪化」論争については,全く同じ見方ができると私は考えている。人々は,治安が悪化しているから不安なのではなく,不安だから,治安の悪化を疑っている。「格差社会」論争については門外漢だが,「治安悪化」論争については,この見方はおそらく正しい。「格差社会」論争と「治安悪化」論争の共通点は,人々の「不安」であるとの仮説が成立しそうである。

 そうだとすると,問題は,不安の原因は何か,ということになろう。「格差社会の進行」や「治安の悪化」が不安の直接の原因でないとすれば,不安の直接の原因は何であろうか。「失われた15年」が終結の兆しを迎え,日本経済がようやくどん底を脱出しつつあると言われているにもかかわらず,なぜ,10年前ではなく,今,人々は不安なのだろうか。このあたりの問題は,大いに検討する必要があると思う。

それにしても,「論争 格差社会」に収録された対談中,渡部昇一氏の発言はひどすぎやしないか。彼が言っていることは,「昔の金持ちの中にいい人がいた」ということだけである。それはそのとおりだ。金持ちにだっていい人はいる。青く光る星だってあるし,シロツメクサの好きな兎だっている。(小林)

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2007年3月24日 (土)

賃貸集合住宅において家主が防犯カメラを設置する場合の法的問題点

 前回集合住宅に防犯カメラを設置する場合の法的問題点を検討したが,集合住宅は分譲マンションばかりではなく,賃貸マンションやアパートもある。また,分譲マンションでも,区分所有者が居住せず,賃貸する場合もある。このような場合,家主である所有者が集合住宅に防犯カメラを設置し運用することについては,どのような法的問題点があるだろうか。

手がかりとして,一戸建ての賃貸住宅をまず考えてみよう。一戸建ての賃貸住宅の玄関先に,賃借人の承諾がないのに,家主が勝手に防犯カメラを設置することは,いかにも許されないように思われる。

 これに対して,賃貸集合住宅において,オーナーが勝手にエントランスに防犯カメラを設置することは許されるような気がする。そうだとすれば,この違いはどこから来るのだろうか?また,オーナーが勝手にやって良い限界点はあるのだろうか?

 集合住宅には,玄関やエレベーター,階段,共用廊下,ゴミ集積場や自転車置き場といった共同利用部分と,各住戸やそのベランダといった専用使用部分とがある。専用使用部分については,その住戸の住人のプライベートな空間であるから,家主といえども,勝手に防犯カメラを設置することはできない。そもそも,家主が勝手に店子の家に侵入することは,住居侵入罪となる。

 これに対して,共同利用部分については,各住戸のプライベートな空間ということはできないから,家主は施設管理権に基づいて,防犯カメラを設置できるということになる。但し,最も頻繁に撮影される住人側としては,家主に対して,撮影内容や録画保存に関する情報の開示を要求できるというべきだろう。

 微妙な問題としては,「共同利用部分」と「専用使用部分」の境界線はどこか?という点である。各住戸のプライベートな空間は,必ずしも,その住戸の玄関で明確に区切られるものではないからである。最近は集合住宅の構造も複雑になり,ある部分から先は一つの住戸の住人しか利用しないような共用廊下もある。このような場合には,共同使用部分といえども,その住戸の住人の了解無く防犯カメラを設置することはできないと考えるべきであろう。(小林)

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2007年3月20日 (火)

マンションなど集合住宅に防犯カメラを設置する場合の法的問題点

マンションなど集合住宅は,私邸が物理的に集合しているものであるから,基本的には,私邸に準じる強度の施設管理権が存在する。よって,外部の一般人との関係では,「監視カメラ設置中」などの告知文の掲示は不要であり,目的の正当性や撮影手段の正当性も緩やかに解されて良い。

しかし他方,集合住宅に特有の問題もある。居住者が部外者を監視するほか,居住者が居住者を監視するという側面があるからだ。

すなわち,集合住宅において防犯カメラが設置される例として,純粋な防犯目的ばかりでない場合が増えてきている。具体的には,ゴミ出しルールの違反やタバコのポイ捨て,ペットの飼育や粗相の不始末など,端的に違法とはいえないが住民の管理規約違反もしくはマナー違反を防止する目的で,防犯カメラが設置される場合が少なくないのである。

ところで,集合住宅には,区分所有者全員が共有している「共用部分」と,区分所有者本人だけに所有権がある「専有部分」とが存在する。専有部分には,所有者の意思に反して防犯カメラを設置したり,専有部分が画角に入る場所に防犯カメラを設置したりできない。共用部分であっても,専用使用権のある共用部分,例えばバルコニーやベランダについては専有部分と同様である。これら共用部分に専用使用権のある住人が防犯カメラを設置することも,「共用部分の変更」(区分所有法17条)にあたるから,管理組合の承諾なくしてはできない。以上の部分を除いた共用部分,具体的にはエレベーターや外廊下,エントランス,駐車場や自転車置き場,ゴミ集積場などが問題となる。

手続面については,共用部分に防犯カメラを設置することは,区分所有法17条1項の「共用部分の変更(その形状又は効用の著しい変更を伴わないもの)」にあたるから,管理規約に別段の定めがない限り,区分所有者および議決権の各過半数で議決することができる(区分所有法38条1項)。

しかし,これはあくまで手続規定であるから,議決の内容ないし運用において居住者のプライバシー権を不当に侵害することは許されない。

例えば,特定の住人や特定住戸への訪問者を監視する目的で防犯カメラを設置することは,よほどの事情がない限り,違法である。また,録画の有無,閲覧権者と閲覧手続,保存期間や第三者提供についての運用規則を定め,居住者の閲覧に供することが必要である。

「共同住宅の防犯上の留意事項」及び「防犯に配慮した共同住宅の設計指針」の策定(警察庁と連携した防犯に配慮した共同住宅の普及施策)についてはこちらhttp://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/press/h12/130323-1.htm

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2007年3月16日 (金)

私邸に防犯カメラを設置する場合の法的問題点

 「個人の居宅に防犯カメラを設置する場合,設置していけない場所や撮影してはいけない範囲はありますか?」という質問をよく受ける。法律的に言えば次のとおりであるが,要は,常識の範囲で対応すれば足りるから,あまり神経質にならなくてよい。

 私邸に防犯カメラを設置し運用することは,居住する者の施設管理権に属することであるから,原則として,自由である。「防犯カメラ設置中」などの告知文の貼付も不要であり,隠しカメラの設置も問題ない。しかしもちろん,トイレや寝室にカメラを設置して家族のプライベートな様子を隠し撮りしたり,玄関先の防犯カメラで撮影した来客の画像をインターネットに公開したりすることは違法である。これも常識ですね。

 最も問題にされるのは,防犯カメラの画角に道路や隣家が入り,通行人や隣人を撮影することになってもよいのか,という点である。この点を論じた裁判例や書籍などは一切存在しないが,道路などの公共空間であれば,周囲の合理的な範囲に限定される限り,防犯カメラによって一般の通行人が撮影されることになっても差し支えない。

 ここに合理的な範囲とは,私邸に防犯カメラを設置することにより,通常画角に入ってしまう範囲をいう。公共の空間であるにもかかわらず,何故撮影が許されるのかという疑問については,次のように考えて頂くと分かりやすいと思う。すなわち,まず人間の肉体を例にとってみると,その人間の私的領域は,その肉体の外縁部(皮膚や衣服)を超えて,肉体の周辺に存在する一定の物理的範囲に及ぶと考えられる。分かりやすく言い直せば,あなたが平日の昼間,がらがらに空いた電車に乗っているときに,乗車してきた赤の他人が,いきなりあなたにぴったりより添って座ったら,ごく稀な例外を除き,あなたは大いに不愉快であろう。電車の中で赤の他人同士がぴったりより添って座ることが許されるのは,その電車が満員である場合に限定される。人間は無意識のうちに肉体の私的領域を設定し,時と場合に応じて,その範囲を使い分けているのだ。その有名な例としては,京都鴨川河畔で命名されたと伝えられる「アベック等間隔の法則」がある。

 脱線したが,このような個人の私的領域は,私邸にも当てはまると考えられる。物理的には家の外でも,家の前の道であれば,防犯カメラで撮影する程度のことは許される。

 やや難しいのは,他人の家が写り込んでしまう場合はどうか,という問題である。この点も結局常識の問題として考えるほかないが,塀や壁,屋根など,建物そのものが撮影対象になっても問題はない。他方,門や玄関,窓や庭など,人間が撮影の対象となる場合には,隣家の承諾を要すると考えるべきであろう。

 また,防犯カメラの設置運用権者になるのは,その住居に居住している者であって,所有している者ではない。大家が店子を監視する目的でカメラを設置することは,よほどの事情がない限り許されない。これも常識の問題であろう。

 なお,私邸が一戸建てではなくマンションなど集合住宅の場合には,もう少し複雑になるので,次の機会に。(小林)  

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2007年3月12日 (月)

「サイバー監視社会」(青栁武彦 財団法人電気通信振興会 2006年)

 全500ページに及ぶ本書は,「「プライバシーのあり方」について、アカデミックな立場からその概念の再検証を慎重に行うとともに、ユビキタス化の不可避的な帰結である「可視化する社会」、すなわちサイバー監視社会の様相について考察する」(はしがきより)のだそうである。こう書くと仰々しいが,内容は平易だ。

 著者の青栁武彦氏は東京大学経済学部を卒業後,伊藤忠商事株式会社,日本テレマティーク株式会社代表取締役などを経て,国際大学グローバル・コミュニケーション客員教授をなされている御年73歳(昭和9年生)。最近活発にユビキタス社会や個人情報保護法の「欠陥」について論じておられる。

近年爆発的に普及する街頭監視カメラ・防犯カメラや,プロファイリングビジネスの普及といった社会現象を「監視社会化」と呼ぶことができるが,その原因については諸説ある。本書は,監視社会化は高度情報社会化の当然の帰結であり,情報通信技術産業が進歩する以上不可避であるという。ユビキタス社会は人類に多大な利益をもたらすものであるから,これと対立しうる権利としてのプライバシー権については,できるだけ遠慮していただきたいというのが,本書の主旨である。

本書を読んで最も感心するのが,表題を始め,「監視」という言葉の使用をためらわない点である。今日ユビキタス社会を推進する立場の多くは,「監視」のマイナスイメージを考慮してこの言葉を使わないことが多い。「監視カメラ」より「防犯カメラ」,「見守りカメラ」あるいは「コミュニティセキュリティーカメラ」云々。最後の例に至ってはわざと意味不明にしているとしか思われない。その本質は変わらないのに,呼称を変えて反発を回避しようという,姑息な作戦である。これに対して本書は堂々と「サイバー監視社会」という表題を用いている。表題だけを見ると,現代の監視社会化に警鐘を鳴らすのが目的のようである。著者もそれが狙いなのだろう。本書を監視社会化に反発する人々に読んでもらい,あるいは論争を挑み,彼らを説得しようと考えているのだ。堂々としたその態度には,清々しささえ感じる。

しかし,問題と思われる箇所もある。ここでは2点指摘したい。

1点目は,プライバシー権の内容に関する著者なりの整理がなされていない点である。現代社会において,プライバシー権と呼ばれるものは多種多様な内容を含み,もはや一つの権利として理解することさえ困難な状況であることは,大学で憲法の講義を受けた者にとって常識である。ところが本書は,プライバシー概念の学問的状況にはほとんど触れず,いろいろな内容のプライバシー権を一緒くたに扱っているため,法律論としてみるかぎり,かなり基礎的かつ深刻な混乱を見せている。プライバシー権概念を整理しようとする先人の努力をふまえずに,「プライバシーは物でいえば奢侈品や芸術品に相当するから,生活必需品とは言い難い。それだけ脆弱かつ基本性が比較的低い権利」と主張したところで,なぜプライバシー権が贅沢品なのか,脆弱で基本性が低いのか,さっぱり分からない。

2点目は,著者の描くユビキタス社会の未来像に具体性がないことである。筆者は要するに,「ユビキタス化によってすばらしい未来になるから,その障害となるプライバシー権には少し遠慮してほしい」と言っているのだが,どのようにすばらしい未来になるのか,今ひとつ具体性に乏しいと言わざるを得ない。もしその未来が,本書で100ページ以上が割かれた「防犯カメラが広く普及した未来」程度のものであるとしたら,いかにも寂しい。(小林)

続きを読む "「サイバー監視社会」(青栁武彦 財団法人電気通信振興会 2006年)"

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2007年3月 2日 (金)

「安全神話崩壊のパラドックス 治安の法社会学」

 ネットワーク防犯カメラ・監視カメラが広範に普及しつつあることの背景と,安全神話,すなわち日本は世界まれに見る安全な社会であるという信頼の崩壊との関係をどう考えるかについて,今回は岩波書店から2004年に出版された桐蔭横浜大学法学部の河合幹雄教授の著した本を紹介したい。非常に刺激的な本である。

 著者は,日本全体の治安は悪化していない,犯罪数はせいぜい微増,検察の検挙能力もそれほど落ちておらず,凶悪化は全くの誤りであるとする。それにもかかわらず,いわゆる「体感治安」が悪化したのは,日本の伝統的社会構造の崩壊が原因であるとして,次のように説明する。すなわち,日本の伝統的社会構造は,地域的・職業的その他の所属集団を構成単位とする小規模社会の集合体であり,その内部では構成員はおおむね同質であって互いにプライベートな部分まで知り合っているとされ,逆に他の小規模社会とは分離されていた。一般の「犯罪に関わらない人々」の社会と,犯罪者・社会内実力者・為政者など「犯罪に関わる人々」の社会も,日常世界においては明確に分離されており,ただ,祭り,政治の裏面,特殊な紛争など,限定された非日常世界においては交流が持たれていた。この「犯罪に関わらない人々」の社会と「犯罪に関わる人々」の社会との「日常における非交流」と「非日常における交流」との絶妙なバランスが日本社会の秩序を全体として維持しており,このことは,「犯罪に関わらない人々」から見ると,「日常世界にいる限り,犯罪者に遭遇することはない」という明確な境界として実感されてきた(河合幹雄教授は,この実感を「安全神話」という)。ところが,現代の日本では上記の境界が消滅した結果,全体としての犯罪総数は増加しなくても,薄く広く危険が分散することになり,従来犯罪と無縁であった一般市民から見れば犯罪に遭遇する確率が上昇した。その認識が「安全神話の崩壊」即ち「体感治安の悪化」と実感されている。

 筆者は,体感治安が悪化した原因について,日本文化論(ユニークな,しかしいわれてみれば納得の)という切口から鮮やかに理論を構築している。また,筆者は統計の示す治安の悪化には非常に懐疑的である点で龍谷大学法科大学院教授の浜井浩一氏や芹沢一也氏らと立場を同じくするが,他方,体感治安の悪化という現象がいわば幻想であるとする浜井浩一氏に対して,ある種の実体が存在すると主張している点で,異なる立場に立っている。この立場の違いは,街頭防犯カメラの是非にもあらわれており,浜井浩一氏らは全面禁止に軸足があるのに対して,河合幹雄氏は,性犯罪など一定の犯罪については肯定的である。私としては,この立場の違いを是非論争してほしいし,もし実体が存在するのであれば,それは今後どうなるのか,という主張を是非聞かせてほしいと思う。

河合幹雄教授のホームページはこちら http://www.cc.toin.ac.jp/juri/fj03/

芹沢一也氏のホームページはこちら http://ameblo.jp/kazuyaserizawa/entry-10009913936.html

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2007年2月26日 (月)

VJ道場Journal

 このブログの「現代日本の治安と『怒りの文化』」に,立命館大学のインターネット放送局「VJ道場」のトラックバックがつきました。小生はまだブログ初心者なので,このような場合どうしたらよいか分からないのですが,御礼を申し上げておきます。

 トラックバック先のビデオリポートは,京都市内の商店街に設置された1200台とも1500台とも言われる防犯カメラについて,「本当に防犯の役割を果たしているのか」とか,「そもそも防犯カメラを設置することが許されるのか」などの問題提起をしています。細かいつっこみどころはいくつかありますが(大学教授にジュースの自動販売機の前でインタビューしちゃマズイだろう,とか),全体として丁寧な作りで,好感が持てます。

 京都市の商店街に設置された防犯カメラは,過去の窃盗事件の解決につながった業績はあるものの,「防犯」の名にふさわしい犯罪抑止力は無いのではないか,という問題提起でしたが,この問題提起をするならば,商店街や警察に取材して,カメラ設置前の犯罪認知件数と,設置後の犯罪認知件数を具体的に示してほしかったところです。私の勝手な想像ですが,そもそも,カメラ設置前も,さほどの犯罪認知件数はなかったのではないでしょうか。また,費用対効果を問題にするのであれば,設置費用の6000万円に留まらず,維持費用として今後幾らの出費を要するのか,についても報道してほしかったところです。教授が指摘するように,防犯カメラが通行人を撮影することが違法であるならば,VJ道場の皆さんが通行人を撮影しインターネットで放送することはどうなのか,についても考えて頂かないといけません。

 今後もVJ道場の皆さんがこの問題に取り組んでいくことを期待します。頑張ってください。

VJ道場はこちら http://www.vjdojo.net/index.html

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犯罪不安社会 誰もが「不審者」?

平成15年版「犯罪白書のあらまし」は,「平成14年の刑法犯の認知件数は,…戦後の最多記録を7年連続で更新した。」との書き出しで始まっている。「治安の悪化状況は戦後の混乱期を超えた」とする前田雅英教授の指摘(「日本の治安は再生できるか」ちくま新書)は,おそらくこの統計資料を根拠にしている。

これに対して,浜井浩一氏と芹沢一也氏の共著となる「犯罪不安社会 誰もが『不審者』?」は,「本の治安は悪化していない」との立場から,わかりやすい主張を展開する,おすすめの一冊である。

現龍谷大学法科大学院教授の浜井浩一氏は,法務省時代犯罪白書の作成に関わった経験をお持ちであり,統計のプロとしての立場から,統計数値の真の読み方を説く。また,「刑務所が収容者であふれかえっているのは,犯罪が増えたから」と断定する前田雅英教授に対する反論として,「治安悪化の結果として刑務所があふれたなら,刑務所は極悪非道な犯罪者で埋め尽くされているはずだが,現実に刑務所に収容されているのは老人・障害者・外国人ばかりであって,実際には刑務所は社会的弱者の最後の救護所となっている」と指摘する。

他方,「治安悪化が存在しないにも関わらず,なぜ体感不安が悪化しているのか?」の問いに対する答えには,やや不満が残る。

浜井氏は,現在の社会不安は,社会の保守階層が有する社会変革への危機感がマスコミを通じて市民に浸透し,「モラル・パニック」が起きているからだと論じる。芹沢氏は,社会の関心が犯罪加害者から犯罪被害者に転換したことが原因である(「犯罪者ははっきりと恐怖の対象になった」)と主張する。同氏はまた,地域防犯活動の行き先は「相互不信社会」であると警鐘を鳴らす。

これらの指摘は非常に興味深いのだが,現代の体感不安を読み解く一つの仮説ではありえても,証明の域にまでは達していないように感じる。浜井氏の指摘に対しては,「保守層」とは誰のことなのか(私は保守層なのかそうでないのか?),保守層が社会変革への危機感を有していると言うが,保守層に危機感をあたえる社会変革は今だけではなかったはずで,なぜ今回に限りモラル・パニックが起きるのか,仮に保守層がマスコミを通じてモラル・パニックを引き起こしているとして,具体的にどうやってマスコミを操作しているのか,仮に保守層がマスコミを操作しているとして,これを受け入れる素地が市民の側にはなかったのか,などの疑問がつきない。浜井氏の反論を期待しつつあえて厳しく言うなら,同氏の主張は現時点では「保守層陰謀説」とでもいうべきレベルに留まっており,「保守層」が文脈上特定できないという意味において,「ユダヤ人陰謀説」よりある意味で始末が悪いと思う。芹沢氏の指摘についても,社会の関心が被害者にあったことや,犯罪者が「理解不可能な怪物」であったことは今に限ったことではないとの指摘が可能と思う。そうであるとすれば,かつてと今とで決定的に違うことは何なのであろうか。また,地域防犯活動が相互不信社会を生むという主張は,それ自体全面的に賛成であるが,他方で,相互不信社会化が地域防犯活動のきっかけになったことも事実であろう。鶏が先か卵が先かという話になってしまうのである。

総じてこの本は,「治安悪化という常識」に対する健全な疑問をわかりやすく提示したという意味において,大いに参考になる。その疑問の先に何があるかはやや不透明であるが,この点についてはお二人の今後の活動を待ちたい。(小林)

続きを読む "犯罪不安社会 誰もが「不審者」?"

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2007年2月21日 (水)

防犯カメラと個人情報保護法について

「『防犯カメラ設置中』という張り紙がありますが,あの貼り紙を貼らずに防犯カメラを設置したら違法ですか?個人情報保護法上は,張り紙を貼らなければならない,という話を聞いたのですが。」という相談を受けることがあるが,これに対する回答は,やや複雑だ。

個人情報保護法18条1項には,「個人情報取扱事業者は,個人情報を取得した場合は,あらかじめその利用目的を公表している場合を除き,速やかに,その利用目的を,本人に通知し,又は公表しなければならない。」とある。

そこでまず,防犯カメラによる撮影が「個人情報を取得した場合」に当たるか否かが問題となる。

個人情報の定義は個人情報保護法2条1項に規定されているが,要するに,それによって個人の特定が可能な情報か否かで決せられるから,防犯カメラで撮影した画像は,個人が特定できるほど鮮明なものである限り,個人情報に当たる。もっとも,録画せず,モニタリングするだけなら,個人情報を「取得」する場合にあたらないので,個人情報保護法の適用はない。人間の脳みそに記録する場合は,情報の取得にあたらないのだ。

次に,防犯カメラで撮影した画像が個人情報にあたるとして,撮影者が「個人情報取扱事業者」にあたるか否かが問題となる。

「個人情報取扱事業者」の定義も分かりづらいが,要するに,「検索可能な個人情報を5000人分以上保有したことのある事業者」である。電話帳は除外されるが,顧客名簿や従業員名簿,職業団体名簿や同窓会名簿などを事業目的で5000人分以上保有したことがあれば,個人情報取扱事業者に該当する可能性は高い。ただし問題となるのは,防犯カメラで撮影された人数はこの5000人にカウントするのか,という点である。

防犯カメラの画像が個人情報に該当することは既に述べたが,これが検索可能でなければ,5000人にカウントされない。そうすると,現在市販されている技術水準では,防犯カメラの画像から特定の個人を検索することはできないから,防犯カメラに撮影された人数は5000人にカウントされないという結論になる。もっとも,顔認証技術の発展により,録画された防犯カメラの画像から特定の個人の画像を機械的に検索する技術は既に開発されているから,この技術を導入した場合には,防犯カメラの画像も検索可能な個人情報となり,5000人にカウントされることになる。

以上をまとめると,「個人情報取扱事業者」にあたる事業者は,防犯カメラで録画を行う場合には,その利用目的を通知・公表しなければならない,ということになる。

但し,「通知・公表」とはいっても,個人情報保護法上は,「防犯カメラ設置中」という「張り紙」をしなさい,とは書いていない。個人情報保護法上の解釈としては,利用目的をホームページ上で公表してもよい。結局,個人情報保護法上は,「防犯カメラ設置中」という張り紙をしてもしなくてもよいということになる。(小林)

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2007年2月17日 (土)

沖縄米軍基地と繁華街の防犯カメラについて

沖縄は基地の島である。沖縄県民は雇用や消費の面で基地から利益を得ている部分もあるのだろうが,他方,騒音や事故の危険,そして,在日米軍人の犯罪被害者になる危険にさらされている。2007年1月14日にも,在日米軍人の少年が路上で通行中の女性に殴るなどの暴行を加え現金入りのバッグを奪ったとして強盗致傷の疑いで逮捕されたという。この問題に関しては,「米軍犯罪防止ワーキングチーム」が日米共同で定期的に開催されており,米軍側は綱紀粛正を約束しているが,地元商工会や外務省からは,繁華街での防犯カメラの設置を進めたいとの提案がなされている。

商店街や繁華街といった公道・公共の場所への防犯カメラ・監視カメラの設置は,沖縄に限らず日本全国で推進されている。しかし沖縄における繁華街への防犯カメラ設置に特徴的なのは,在日米軍人による犯罪の防止,という明白な目的がある点だ。この点はプライバシー権との関係で問題がないのだろうか。

沖縄にいる外国人は,もちろん米軍人だけではない。米軍人も,商店街や繁華街を通行するときは非番のときだろうから,私服であろう。つまり商店街や繁華街を通行する外国人は,外見上,在日米軍人か否かの区別がつかない。つまり,商店街や繁華街を通行する外国人は,外国人であるというだけで,等しく監視の対象になるのである。

在日米軍人に対するプライバシー権侵害の法的問題は,在日米軍がOKすることによって回避できるけれども,在日米軍人でない外国人については,人種または国籍による不当な差別ではないかという疑問が払拭できない。

もちろん,防犯カメラ・監視カメラには事前の抑止効果を期待するだけで,もし犯罪が起こったら事後的に映像を証拠とするのであれば,以上のような問題は発生しない。しかし,沖縄県民の本心は,事前の監視を求めるだろう。性犯罪や殺人・傷害罪は,事後的な刑事手続や民事手続では救済しきれないからだ。

米軍基地は本土にもあるが,沖縄県民は本土に比べて格段に,米軍基地に起因する危険を多く負っている。その不公平感を本土の人間は無視してはならない。しかも,この問題は本土の人間にとっても対岸の火事ではない。在留外国人による犯罪や社会不安の問題は,欧州の例に照らせば,近い将来,日本にとっても現実の問題となる可能性がある。(小林)

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2007年2月12日 (月)

現代日本の治安と「怒りの文化」について

 現代日本における治安が大きく悪化しているのか否か?という問題は,防犯カメラの設置を推進するべきか否かを論じる際,非常に重要な背景をなす。この問題の理論面については,別に論じることにして,今回は,やや直感的・感情的な文章でお茶を濁したい。

私自身は,直感的には,日本の治安が現在極めて悪い状態にあるとの指摘に対しては,やや「?」という立場である。多少悪くなっているとすれば事実であろうし、将来悪くなるか、という問いに対しては悲観的であるが、首都大学東京の前田雅英教授のように,「戦後の混乱期を上回り,戦後最悪の状況になった」などと言われると,「そんな馬鹿な」と思う。私自身は昭和37年生まれだから,戦後の混乱期がどのようなものか実感はないが(ちなみに前田雅英教授も昭和24年生まれだから戦後の混乱期の実感はないはずであるが),戦後の混乱期を伝える歴史書や歴史小説,テレビドラマ,黒澤明監督の「野良犬」や「天国と地獄」などから想像する限り,現在の治安状況が戦後の混乱期より悪いはずがない,と思う。もし犯罪統計が戦後の混乱期より悪い数値を示しているのであれば,それは数値の方が間違っていると考える。

私が現在の日本の治安がそれほど悪化していない,と直感的に思う一つの根拠に,今の日本に「怒りの文化がない」ということがある。ここで「怒りの文化」というのは,政府や国家社会といった制度,親の世代やブルジョアジーなどの権威,その他なんでもよいから,何かに対する怒りを表明する文化(小説,映画,音楽など)のことをいう。ちなみに「怒り」と「悪意」は違い,反抗心に近いニュアンスである。

「怒りの文化」は,社会不安の原因となる一般市民の「怒り」を正当化し,または昇華するメディアである。一般市民の多くが「怒り」を持つとき,これに応えるため,「怒りの文化」が発生する。だから,「怒りの文化」が盛んな社会は不安定な社会である。逆に,「怒りの文化」が無いということは,社会不安の原因となる「怒り」が一般市民の中にたまっていないことを意味する。「怒りの文化」には,多くの一般市民の怒りのはけ口として作用することにより,社会の安定を守る効用もある。

 こう書くと怒りを持つことは悪いことのようだが,決してそういう趣旨ではない。むしろ,人は,特にハイティーンは,何かに怒るようにDNAにプログラムされており,それは時として,社会変革の重要なエネルギーになる。だから,「怒りの文化」は,ハイティーンの文化としてまず登場することが多い。

ところが最近,日本で「怒りの文化」を目にすることはほとんど無い。例えばヒップホップやラップは,アメリカでは,典型的な怒りの文化の一翼を担っているが,これと同じような格好をして同じようなリズムを奏でる日本の若者は,しかし,とっても健全なことか,そうでなければレゲエのようなけだるい幸福感を歌っている。20年遡れば,尾崎豊や浜田省吾や中島みゆきなどが「怒り」をテーマにした歌を堂々と歌っていたし(いまでも『世情』は好きです),それより前なら,「仁義なき戦い」を見るお父さん達は,会社組織でのストレスを発散させていたはずだ。健全なことや幸福なことを歌うことは決して悪いことではない。しかし,昭和37年生まれのおじさんとしては,何だかなあ,と思うのだ。ねえ,君たちは本当に幸せなのか?何かに怒ってはいないのか?それは君たちにとって健康なことなのか?と。(小林)

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2007年2月10日 (土)

「日本の治安悪化」という常識

私は,近年増加している街頭の監視カメラや防犯カメラは,一定の条件を満たす限り,違法ではない,という立場をとっている。しかし,「近年日本の治安が悪化しているから」ということをその理由とすることには疑問を感じている。

 治安悪化を防犯カメラ設置の理由として掲げる立場の最右翼としては,前田雅英首都大学東京教授があげられる。同教授は「日本の治安は再生できるか」(ちくま新書2003年)において,グラフや図表を多用しつつ,「日本の犯罪率は,21世紀に入って,戦後の混乱期の犯罪率をついに超えて,戦後最悪の数値となっている」と指摘する。その原因のひとつは外国人犯罪の増加,もう一つは少年犯罪の増加であるという。そして,繁華街や商店街などに監視カメラや防犯カメラを設置することは,「もっとも合理性のある対応」であるとしている。

 前田雅英教授は刑法学の大家であり,警察庁「少年非行防止法制の在り方に関する研究会」座長ほか,多くの政府委員を務めておられるから,そのような地位にある人の発言ならではの重みがある。
 
 しかし,上記の著書に対しては,前田教授の主張の当否以前の問題として,その統計処理手法に基礎的な誤りがあると指摘されている。私は統計学には素人だが,確かに厳密さに疑問を持つ点もある。「この本は学術書ではないから」との弁解も聞こえてきそうだが,同教授による同趣旨の学術書である「少年犯罪ー統計からみたその実像」(東京大学出版会)に対しては,立教大学の荒木伸怡(あらきのぶよし)教授から,次の通り痛烈な批判がなされている。

 「概して本書は、統計処理面では、できればダレル・ハフ著高木秀玄訳『統計でウソをつく法』(講談社ブルーバックス)、谷岡一郎著『「社会調査」のウソ』(文春新書)等を参照しつつ、慎重に読むべき本であり、統計学の名著をも多数刊行している東京大学出版会が、その刊行書籍の品質を問われかねない本であると考える。」

 ほとんど罵倒といえる批判である。ここまで言われた以上,統計手法の正当性について反論しなければ前田教授の名誉に関わると思われるが,現時点で,私はそれに接していない。

もっとも,前田教授の統計処理手法を批判することは,同教授の主張の正当性や各種政府委員としての適格性を問う意味はあるが,「日本の治安は悪化しているのか?」という問いに対する答えにはならないことには注意が必要である。つまり,「前田教授は間違っている,だから日本の治安は悪化していないのだ」という議論には論理の飛躍がある。(小林)

 荒木伸怡教授の上記批判はこちら
http://www.rikkyo.ne.jp/univ/araki/naraki/gyouseki/mini/maeda.htm
 

 少年凶悪犯罪に関するリンク集
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/ShonenHanzai/

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2007年1月23日 (火)

鉄道テロ対策とネットワーク監視カメラシステムについて(5)

表題からさらに脱線するが,思考実験として,次の事例を考えてみたい。

われわれ弁護士の経験上,痴漢は極めて再犯性の高い犯罪である。仮に,ある鉄道会社の路線で痴漢行為を働き現行犯逮捕された男性がいたとして,この男性の顔画像データをデータベースに登録し,この男性が同じ鉄道会社の駅改札口を通過した場合に警報が鳴り,職員がさりげなくこの男性をマークする,というシステム(便宜上,「顔認証による電車内痴漢防止システム」と呼ぶことにする)を実施することは,技術上は可能であろう。

このようなシステムは適法であろうか。

多くの女性は,諸手をあげて「顔認証による電車内痴漢防止システム」の導入に賛成するのではないだろうか。しかし,このシステムが適法であるならば,同様の様々なシステムが考えられる。例えば,ある百貨店において万引で現行犯逮捕された女性がいるとして,この女性の顔データをデータベースに登録し,同じ系列の百貨店に入店すると警報が鳴り,従業員のマークを受けるという「顔認証による万引防止システム」である。このようなシステムは適法であろうか。「なぜ女性なのか」とお叱りを受けるかもしれないが他意はないのでご容赦頂きたい。

上記のようなシステムについて,適法だという人もいれば,違法だという人もいよう。それはそれで構わない。問題は,このような思考実験によって色々なシステムを想定してみたとき,「さすがにこれはやっていけないことではないのか?」と判断される限界点がどこかにあるだろう,という点である。その限界点がどこかについて,われわれ法律家を含む多くの人たちが真剣に検討しなければならない時代が既に来ていると思う。(小林)(了)

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2007年1月22日 (月)

情報処理学会誌に拙稿が掲載されました

 社団法人情報処理学会の学会誌「情報処理」の1月号の特集「安全と安心のための画像処理技術」に,拙稿「人物を認識することの法的問題点~監視カメラシステムの設置運用基準~」が掲載されました。現時点では私の考えるところが一番コンパクトにまとめられているものですので,興味のある方はご一読下さい。(小林)

情報処理学会のホームページはこちら http://www.ipsj.or.jp/

情報処理学会誌の購入・立ち読みのページはこちら

http://fw8.bookpark.ne.jp/cm/ipsj/mokuji.asp?category1=Magazine&vol=48&no=1

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2007年1月19日 (金)

鉄道テロ対策とネットワーク監視カメラシステムについて(4)

 このように見てくると,鉄道テロ対策目的で,「駅顔認証システムを用いた地下鉄セキュリティ」システムを実際に運用することについては,適法性に大きな疑問符が付く,ということになる。

これに対しては,「機械的な不審人物の判定を行うのみとして,録画しなければいいのではないか」という指摘が考えられる。確かに,プライバシー権を保護する方向に向けた,一つの考え方ではあろう。しかし,現実問題として,本件システムが録画を伴わずに運用される,とは考えられない。2005年7月7日にロンドンで起きた同時爆破テロは,監視カメラ画像が録画されていたからこそ,犯人の早期特定が可能だったといわれている。

以下は表題からは脱線するが,顔認証システムを有効利用したいという立場から考えたとき,どのような目的であるならば,違法性の問題を回避できるか考えてみたい。

例えば,「指名手配犯を発見する」という目的であればどうか。この目的であれば,目的自体は正当であるし,目的と手段との合理的関連性のテストからしても,問題はないと言えそうである。それでも,他に問題がないわけではない。ごく僅かな指名手配犯を発見するために,改札口を通過する無辜の市民全員を撮影し録画することが適法なのか,という疑問は提起されよう。原則として録画は行わず,顔認証システム上指名手配犯と合致する人を検知したときのみ,その前後数十秒を録画する,という運用ができるのであれば,理想的であろうが,現在の技術水準に照らして,そこまで可能であろうか。また,技術水準がどれほど進歩したとしても,判定ミスによる誤認や,しきい値の設定による見逃しが発生することは避けられない。このような誤認や見逃しが,一般利用者から見て許容しうる範囲にとどまらない限り,指名手配犯発見を目的とする顔認証システムが社会から拒絶される可能性は存在する。(小林)(続)

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2007年1月15日 (月)

鉄道テロ対策とネットワーク監視カメラシステムについて(3)

ネットワーク監視カメラの設置運用手段が正当か否かを判定するテストはいくつか考えられるが,その中に,「目的と手段の合理的関連性のテスト」がある。本件に即して平たく言えば,「地下鉄テロ事件の首謀者として国際手配されている人物の顔データをデータベースに登録することによって,地下鉄テロは防止できるか?」というテストである。

筆者はテロ対策やセキュリティ対策の専門家ではないが,素人なりに考えてみると,地下鉄テロ首謀者の顔データをデータベースに登録したからと言って,地下鉄テロは防止できないと思う。経験則上,現代のテロ実行形態は自爆テロであり,実行犯は名もなき一般人であって,国際指名手配を受けるような「大物」がテロを実行するとは思われないからである。なるほど,国際指名手配テロリストが地下鉄構内をうろついていれば,それは恐ろしいことである。彼は地下鉄テロ実行場所の下見に来たのかもしれない。しかし,単に仲間に会うため移動しているのかもしれないし,遊びに来ているのかもしれない。「国際指名手配テロリストが地下鉄の改札を通過した」という事実と,「その地下鉄でテロが発生する」という事実との間には,余りに多くの仮定が存在する。

もちろん,テロと戦う国内外の専門機関や組織が把握する危険人物は,首領だけではあるまい。指名手配こそしていないが,マークされている「危険人物」も多いであろう。では,そのような「危険人物」を本件システムのデータベースに登録してはどうだろうか。

これならば,「目的と手段の合理的関連性」のテストはクリアーできそうである。しかし,「手段の正当性」の条件を満たすためには,「その手段が他の法令に違反しないこと」も必要である。逮捕状が出ていない人間の顔データをデータベースに登録することは,未だ犯罪を実行していない者に対する公開指名手配捜査を行うに等しいから,法律の裏付けがない現状では,原則として許されないといわざるを得ない。同様に,特定国の国民であることや,特定の人種であることのみを理由としてデータベースに登録することも違法となろう。

もちろん,緊急事態であれば例外である。歴史にIFは無いが,もし,地下鉄サリン事件が起こった時点で,本件システムが技術的に可能であったとするならば,かの宗教団体の構成員であるというだけの理由で,データベースに登録することは,緊急事態を理由に許されたかもしれない。(小林)(続)

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2007年1月12日 (金)

「パトカーに防犯カメラ」の記事への疑問

「犯罪の多発地域を中心に最新式カメラを搭載したパトカーを走行させ、街角の映像を自動録画する全国初の措置を、警視庁が導入する方向で検討していることが明らかになった。」との報道が本日あった。

パトカーのフロント部分に固定したデジタルビデオカメラで最長12時間録画できるようにしたシステムをパトカー700台に導入し,犯罪がおきた場合,不審者を発見した場合のほか,警察署長が必要と認めた地域で,走行中にカメラを作動させ,街頭の映像を記録しようというものだそうである。「パトカーが街頭を撮影している」という意識を広げ,犯罪抑止につなげる狙いとのことである。

アメリカではすでにパトカーのフロントに固定カメラが設置されており,決定的場面を撮影した映像がニュースや報道番組で放映されている。これに対して東京では,都内の全パトカー1400台のうち五百数十台に家庭用ビデオカメラが搭載してあり,必要なときは警察官が手持ちで撮影するのだという。これではいざというとき,撮影に手が回らないのは当然であり,アメリカに比べお粗末との印象をぬぐえない。

情報化社会となった今日,パトカーが犯罪に遭遇したとき,証拠として録画するシステムを備えるべきことは,当然といえよう。犯罪そのものではなくても,不審者(車)や犯罪の痕跡と思われる場所を撮影することも,運用規準をどうするかという問題はあるが,認められてよいと思う。

この記事を読んで私が理解できなかったのは,「警察署長が必要と認めた地域で,走行中にカメラを作動させることにより,犯罪抑止につなげたい」という部分である。記事によれば,抑止の対象となる犯罪類型としてはひったくりや路上強盗が挙げられている。

パトカーが走行中にカメラを作動させることによって「初めて」抑止される犯罪というのは,一体何なのであろうか。私がひったくりを計画している街のチンピラなら,パトカーが巡回してくれば,それがカメラを搭載していようがいまいが,パトカーが立ち去るまでは犯罪行為に及ばない。それが健全な常識(?)を持つ犯罪者のふるまいであろう。記事によれば,カメラを搭載したパトカーは,「警察署長が必要と認めた地域」ではカメラを作動させっぱなしで巡回するという。パトカーがカメラを搭載しないでその地域を巡回したのでは実現できないことが,カメラを作動させて巡回すれば実現できるということであろう。つまり,「パトカーが来た」というだけではひったくりや路上強盗をやめない(=パトカーの前で堂々とひったくりや路上強盗を遂行する)が,そのパトカーに録画されているとなれば,ひったくりや路上強盗を諦める輩(やから)が,その「警察署長が認めた地域」にはたむろしている,ということになる。本当にそのような人間や地域が存在するのであろうか?それとも私は根本的な誤解をしているのであろうか。分かる方,教えて下さい。(小林)

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2007年1月11日 (木)

鉄道テロ対策とネットワーク監視カメラシステムについて(2)

実施された「駅顔認証システムを用いた地下鉄セキュリティ」システムは,一般人が利用できないように分離した改札で,ボランティアを通行させて実証実験が行われたようである。この場合,被撮影者の完全な同意があるので,この実証実験自体はもちろん適法である。問題は,仮に,このシステムが一般人相手に実施された場合にどうなるか,という点だ。

詳細は別の機会にゆずるが,駅という公共の場所に監視カメラを設置することが許されるためには,その目的が正当であり,かつ,その手段が正当であることが最低条件である。「駅顔認証システムを用いた地下鉄セキュリティ」システムは地下鉄テロ対策を目的とするものであり,この目的が正当であることについて異論はあるまい。とすると,問題は,手段が正当か,という点である。

国土交通省のホームページよれば,本件システムの実施手段は,第一に,特定の人物の顔データをデータベースに登録し,次に,通行人を複数のカメラで撮影して照合し,画像の人物を特定する,というものである。この順番に従って検討すると,まず,「特定の人物の顔データをデータベースに登録する」ことは法律上問題ないのであろうか。

言うまでもなく,顔データは,本人を特定する重要な情報であるから,個人情報保護法で保護されていることは勿論,本人にとって,重要なプライバシー情報である。本人の同意なくデータベースに登録することが許されるには,それなりの正当性がなければならない。本件システムが地下鉄テロ対策を目的とする以上は,地下鉄テロと無関係な人物をデータベースに登録することは,不当なプライバシー権侵害として許されない。

では,例えば,ロンドンの地下鉄テロ事件の首謀者として国際指名手配されている人物(そのような人物がいるのかどうか,筆者は知らないが)の顔データを登録することはどうか。この場合,件の首謀者に,プライバシー権侵害を主張する権利はない。しかし,地下鉄テロ首謀者の顔データをデータベースに登録することによって,地下鉄テロを防止することができるか否かは別問題である。(小林)(続)

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2007年1月 7日 (日)

平成19年の新年に当たり天皇陛下のご感想

年初に報道される天皇陛下の新年のご感想を気にとめたこともない私であったが,今年の「ご感想」には考えさせられた。それは,この部分である。

 「皆が,互いに信頼し合って暮らせる社会を目指し,力を合わせていくよう,心から願っています。」

 この部分が例年と比べ異例であることは,ここ10年の「ご感想」を見比べてみれば明白である。詳しくは宮内庁のホームページをご参照されたい。

「ご感想」は例年200字~300字程度の短い文章であり,その大半は世界情勢や我が国の自然災害等を気遣う内容に割かれる。指摘した部分は最後の1行であり,「本年が,日本と世界の人々にとって明るい年となるよう祈っています。」といった,比較的意味の薄い,定型的な締めの文句が用いられるのが通例だ。

本年,異例にも「相互に信頼できる社会を目指し」との文句が用いられたことは,現在の我が国が相互不信社会になっている,またはなりつつあるとの認識があることを示している。この認識を天皇が示すに至ったことには,それなりの意味があると見るべきだろう。

私は,ネットワーク監視カメラ・防犯カメラの普及について,基本的にこれを支持する立場をとっている。それは,結果として我が国の社会に利益をもたらすと考えるからではあるが,その背景に相互不信社会の登場があることは紛れもない事実である。

相互不信社会に空いた穴を監視カメラで埋めるべきなのか,監視カメラなど不必要になるように,相互不信社会を解消するべきであるのか。もちろんこれは極端な二元論ではあるが,監視カメラの普及を推進する立場にある者こそ,この疑問を頭の片隅に常に置いておくべきであると思う。(小林)

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鉄道テロ対策とネットワーク監視カメラシステムについて(1)

国土交通省鉄道局のホームページによると,財団法人運輸政策研究機構の主催により,カメラの映像から特定の人物を顔の特徴により照合・認証するシステムの技術的検証を行うことを目的として「顔認証システムを用いた新規カメラ研究会」を開催し、平成18年5月1日~19日に東京メトロ霞ヶ関駅において実証実験を実施したとのことである。このホームページに添付された「同実証実験の概要」というPDFファイルによると,この実証実験は,「鉄道利用者にとって抵抗感の少ない不審物,爆発物,不審者の検査等に関する新技術の導入可能性の検討を行う」ことを目的とするものであり,具体的には,「改札等を通行する人物を複数のカメラで撮影し,立体画像データ処理により,事前に登録されているデータベースの画像データ一覧と照合し,画像の人物を特定する」という手段をとるようである。そして,この実証実験は,平成18年5月1日から19日にかけて,東京メトロ霞ヶ関駅において実施された。http://www.mlit.go.jp/tetudo/kiki/02_naiyou.html

ところで,この実証実験に対しては,「監視社会を拒否する会」という団体が,国土交通省に対し,実証実験を中止する申し入れを行った。同団体のホームページによると,この会は急増するネットワーク監視カメラシステムは,人間Nシステムであって,「市民一人一人の一挙手一投足が,政府・警察によって監視される社会になる」との警鐘を鳴らし,監視社会の進行にストップをかけることを趣旨とする会である。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/

実際のところ,地下鉄に限らず,駅構内に設置される監視カメラの数は,近年急増していると感じられる。この現象に対しては,利用客の安全を守るためには当然とする意見も多いだろうし,不愉快だがやむを得ないという消極的支持も多いだろう。特に,9.11以降は,テロ対策といわれれば,表だって反対しにくい雰囲気もある。その中で表立って反対の声を上げた「監視社会を拒否する会」の主張だが,この主張は法律的に見た場合,正当だろうか。以下数回に分けて,この「駅顔認証システムを用いた地下鉄セキュリティ実証実験」の法律上の問題について考えてみたい。(小林)(続)

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2007年1月 3日 (水)

通学路防犯カメラの法的問題点(奥津小学校の事例)

 少し前の話だが,中国新聞の地域ニュースに,興味深い記事を二つ見つけたのでご紹介したい。

 一つは,平成18年11月3日付の記事で,見出しは「防犯カメラで通学路を点検」とあり,岡山県鏡野町の奥津小学校で,通学路に設置した9台の防犯カメラにより,児童の登下校の安全を点検するシステムが開始されたとのことである。写真が貼付してあり,「コンクリート柱の上部に据えられた防犯カメラの下,元気に集団登校する奥津小の児童」と説明書きが添えられている。全体として,歓迎ムード一色の記事である。

 もう一つは,平成18年11月13日,つまり上記の記事の10日後の記事で,見出しは「課題抱える通学路防犯カメラ」となっている。記事中に,「先進的な犯罪抑止策として注目される一方,監視体制の整備や住民のプライバシー保護など課題も抱える。町と町教委は9月までに,住民や保護者への事前説明会を開催。撮影は登下校時の計5時間に限定し,カメラの設置場所にその旨を明示した。」との記載がある。こちらは,同じニュースソースであるにもかかわらず,監視カメラシステムの「負の側面」に配慮した内容となっている。

 僅か10日の間に,これほどニュアンスの違う記事が出た背景に何があるのか。最初の記事に対して,読者などから問い合わせや苦情があったから後の記事を出したのか,それともただの穴埋め記事なのか,その辺は分からない。

 記事によれば,奥津小学校の児童数は74人とのことである。岡山県の奥津といえば,奥津温泉郷で有名な地域であるが,かなりの田舎である。学区は広大であろう。写真には「集団登校」する児童が写っているが,片道1時間以上一人で歩いて登下校する児童も多いのではないかと想像される。このような地域において,監視カメラシステムを使って登下校を監視する必要性があるのか,あるとして,9台で足りるのか,監視カメラシステムは職員室から操作するというが,果たして登下校の時間中,担当者が張り付いて9台のモニターを監視するという作業が合理的で実現可能なのか,濫用のおそれはないのか,もし,職員が目を離している隙に事件が起きたら,学校側は責任を取るのか,など,記事に触発される疑問は尽きない。(小林)

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