2009年8月 3日 (月)

ライフログとプライバシー問題の法的切り分け(試論4)

単一端末型

端末横断型

自己回帰型

A

C

外部提供型

B

D

第4に、Dの「端末横断型で外部提供型」の場合はどうか。この場合、個人情報である以上は本人の事前の同意が必要であることは、Bの場合と同じである。問題は、個人情報を除去して抽象化する場合だ。

抽象化する以上は、Bと同じで、単一端末型と端末横断型を区別する必要はないようにも見える。しかし実際にはそうはいかない。

具体例で考えてみよう。花子さんがICカードを使い、東急二子玉川駅から渋谷でJRに乗り換え、新宿で降りて伊勢丹でハンドバックを購入したとする。使ったカードはPASMOとSUICAとクレジットカードだ。この場合、それぞれのカードを通じて記録されたライフログは、次のとおりである。

① PASMO→「花子さん」が○年○月○日○時○分○秒二子玉川駅改札を通過し、同日○時○分○秒渋谷駅改札を通過

② SUICA→「花子さん」が○年○月○日○時○分○秒JR渋谷駅改札を通過し、同日○時○分○秒新宿駅改札を通過

③ クレジットカード→「花子さん」が○年○月○日○時○分伊勢丹デパートハンドバック売場で商品番号○○のハンドバックをリボ払いで購入

①、②、③はそれぞれ一個の端末である。一個の端末ごとにライフログを第三者に提供する場合、プライバシーの問題を回避するためには、それぞれの情報から個人の属性を除去しなければならない。すなわち、上記のログから「花子さん」の部分を削除することになる。具体的には、次のとおりになる。

① PASMO→誰かが○年○月○日○時○分○秒二子玉川駅改札を通過し、同日○時○分○秒渋谷駅改札を通過

② SUICA→誰かが○年○月○日○時○分○秒JR渋谷駅改札を通過し、同日○時○分○秒新宿駅改札を通過

③ クレジットカード→誰かが○年○月○日○時○分伊勢丹デパートハンドバック売場で商品番号○○のハンドバックをリボ払いで購入

ところが、これでは、①と②と③のライフログが、同一人のものであるか否かが分からなくなってしまう。つまり、端末を横断して情報を統合することができない。言い換えると、①と②と③のライフログを統合するためには、「花子さん」という個人の属性情報が不可欠である。だから、「外部提供型で端末横断型」の場合、ライフログを抽象化するためには、抽象化の前に、個人の属性情報をキーにしてライフログを統合する必要がある。言い換えると、Bの「外部提供型で単一端末型」の場合、情報の抽象化はその端末(とその端末用のアプリケーション)の内部で行われるのに対して、Dの「外部提供型で端末横断型」の場合、情報は端末内部では抽象化されず、個人属性情報付の具体的情報が第三者に提供され、ここで統合された後でなければ、抽象化ができない。だから、「外部提供型で端末横断型」の場合、ライフログはかなり重大なプライバシー上の問題を引き起こす。なぜなら、花子さん以外の誰かが、「花子さんは○月○日二子玉川から渋谷経由で新宿伊勢丹に行き、リボ払いでハンドバックを購入した」という事実を知ることになるからであり、これは花子さんにとっては、重大なプライバシー侵害になるからだ。しかし一方、ライフログビジネスのもたらす莫大な経済的メリットは、この「外部提供型で端末横断型」にこそ存在する。

しかし、だからといって、ライフログビジネスに取り組もうと思っている人は、躊躇される必要はない。なぜなら、現在のところ、「外部提供型で端末横断型」のライフログビジネスは、技術的に難しいからだ。今のところ問題となるライフログビジネスは、せいぜい上記のABのパターンであり、アマゾンがやっているとおり、これだけでも十分商売になる。つまり、私が問題点の切り分けを行った趣旨は、「Dの問題は難しいですよ」というよりも、「A、B、Cの問題なら、プライバシーに神経過敏にならなくても大丈夫ですよ」という点にある。そして、そのうちに、Dの「外部提供型で端末横断型」についても、有用な解決策が提示されるだろう。それはおそらく、技術面と法制度面の両面からのアプローチによって解決されることになると思う。(小林)

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2009年7月31日 (金)

ライフログとプライバシー問題の法的切り分け(試論3)

単一端末型

端末横断型

自己回帰型

A

C

外部提供型

B

D

ここからが、少しややこしくなる。

第三に、Cの「自己回帰型で端末横断型」はどうか。この場合、自己回帰型である以上、Aと同じで、プライバシー上はほとんど問題がないようにも見える。しかし、上記の例のように、NTT(別にソフトバンクでもauでもよいのだけれど)と契約して2台の携帯電話を持っている人を想定してほしい。この場合、2台の携帯電話を持つということは、それなりの意味があるはずだ。知人の弁護士は、プライベート用と仕事用に携帯電話を使い分けているし、別の弁護士は、銀座のお姉さん用と奥様用に使い分けている(もちろんこの弁護士というのは私ではない)。この場合、銀座のお姉さんからの着信履歴や、絵文字のいっぱいついたメールが、奥様用の携帯電話からも検索できるのは、とても困る(もちろん私は困らない)。同様に、アマゾンで買い物をしようとしているときに、「あなたは楽天でこの商品を購入済ですが、また購入しますか?」と表示されても、やはり困る(困るというより、とても不気味に思うだろう)。このように、ネットに繋がる端末が異なるとき、人は、別の顔を持つ。このとき、同一ユーザーのライフログといえども、端末を横断して統合することには、慎重になる必要がある。具体的には、ユーザーの事前の同意が必要だろう。

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2009年7月29日 (水)

ライフログとプライバシー問題の法的切り分け(試論2)

単一端末型

端末横断型

自己回帰型

A

C

外部提供型

B

D

第一に、Aの「自己回帰型で単一端末型」の例としては、アマゾンドットコムの画面に、ユーザー本人の購買履歴が表示される場合があげられる。この場合には、プライバシーの問題は、とても小さいと考えて良い。もちろん、ユーザーの中には、自分の購買履歴をアマゾンが把握し、自分に教えてくれるというサービスさえ、不愉快に思う人もいる。そのような人には、サービスを断る機会(オプトアウト)を提供すればよい。

第二に、Bの「単一端末型で外部提供型」の例としては、アマゾンドットコムで、ユーザーの購買履歴を他のユーザーに通知するサービスがこれにあたる。冒頭にあげた、「この商品を買った方はこんな商品も買っています」という表示は、Bに該当する。

この場合には、あるユーザーの購買履歴は、当該ユーザーの個人情報にあたるから、これをそのまま、第三者に提供することは、本人の事前の同意がない限り、許されない。「綾波レイのフィギュアを購入した小林正啓さんは、綾瀬はるかのDVDも購入しました」と、他人に勝手に教えられたらたまらない。

しかし、アマゾンも、鈴木花子さんも、私の個人情報を知りたいわけでも、第三者に提供したいわけでもない。利用したいのは、「小林正啓」という個人の属性を取り去った抽象的な情報だ。だから、「単一端末型で外部提供型」の場合、ユーザーの個人情報から個人の属性を除去して抽象的な情報にしてしまえば、プライバシーの問題は起きず、第三者提供は可能になる。アマゾンが実際にやっているのはこのようなサービスであり、法的には全く問題がない。すなわち、抽象化が完全である限り、事前の同意さえ必要ない。

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2009年7月27日 (月)

ライフログとプライバシー問題の法的切り分け(試論1)

ライフログビジネスに注目が集まっているらしい。先日私が参加した「ライフログ・サミット」も、高い入場料なのに満員で、すごい熱気だった。

ライフログとは、直訳すれば「生活(life)の記録(log)」である。現代のネットワーク社会では、人は意識的無意識的に、情報の断片をネットワークにまき散らしながら生活している。そのほとんどはゴミのように無価値であるが、これらをコンピューターで統合し,価値のあるサービスを生み出すことができる。これが、ライフログビジネスである。アマゾンドットコムなどが、「この商品を買った方はこんな商品も買っています」と教えてくれるのは、ライフログビジネスの一つである。将来は、SUICAなどのICカード利用履歴を抽象化して統合することによって、東京中の人間の移動状況を刻一刻パソコンの画面に表示する、なんてことが可能になるかもしれない。この画面を見れば、いつ、どこにサービスや広告や営業マンやタクシーを投入すればよいかが手に取るように分かる。そうなれば、莫大な経済的価値が発生することになる。

ところで、ライフログビジネスの振興に障害となりうるのが、プライバシーの問題だ。私が「ライフログ・サミット」に招聘されたのも、プライバシー問題をどう考えるか、という趣旨である。有り体に言って、この問題を考えている法律家(学者を含めて)は、少なくとも日本には、ほとんどいないと思う。私のような小魚が「サミット」などという大層な会合に呼ばれたのがその証拠だ。私自身、恥ずかしながら、呼ばれて初めてこの問題を考えてみたような次第である。そこで、試論ではあるが、このように切り分けて考えてみたらよいのでは?というご提案をして、ご批判を仰ぎたい。

プライバシーの観点からライフログを考えた場合、ごく単純に言って、二つの切り口が考えられる。

一つ目は、自分のライフログが、自分に返ってくるのか、それとも、他人に渡されるのか、という切り口だ。便宜上、前者を「自己回帰型」、後者を「外部提供型」と名付ける。プライバシーとの関係で言うと、言うまでもなく、外部提供型の方が、プライバシーの問題を生じやすい。

二つ目は、自分のライフログが、単一の端末から発せられたものか、それとも、複数の端末から発せられたものか、という切り口だ。これも便宜上、前者を「単一端末型」、後者を「端末横断型」と名付ける。単一の端末とは、例えば一つの携帯電話を指す。ただ、注意していただきたいのは、機械が一つでも、端末が複数になる場合があることだ。例えば、1台のパソコンでアマゾンと楽天のサイトにアクセスする場合、端末は二つと考える。これは、機械は一つでも、アクセスしている事業体が二つある場合には、端末は二つと考えることを意味する。逆に、アクセスする事業体は一つでも、機械が二つあれば、端末は二つと考える。例えば、NTTと契約している人が携帯電話を二台持ち歩いている場合、事業体は一つだが、端末は二つとなる。ややこしくて申し訳ないが、このように考える理由は追って説明したい。プライバシーとの関係では、「端末横断型」の方が、「単一端末型」に比べ、問題を生じやすい。

さて、「自己回帰型と外部提供型」と「単一端末型と端末横断型」という二つの切り口を組み合わせると、4通りのマトリックスが完成する。このマトリックスに基づいて、ライフログサービスとプライバシーとの関係を考えてみる。

単一端末型

端末横断型

自己回帰型

A

C

外部提供型

B

D

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2009年7月14日 (火)

「自由とは何か~監視社会と『個人』の消滅」 大屋雄裕 ちくま書房

新宿歌舞伎町には50台以上の監視カメラが設置されており,もはや撮影されずに歌舞伎町に行くことは不可能らしい。アメリカでは,1994年以降,性犯罪前歴者の情報は基本的にアメリカ全土において,インターネットで公開されている。また,一部の州では,前歴者にGPS付足輪を装着させ,小学校など一定の場所に近づくと警告を与える制度が実施されている。

このような,先端技術を用いた監視システムに対して,いわゆる人権派から,個人の自由に対する不当な侵害だ監視社会だという非難がなされている。これに対して大屋は,そもそも犯罪を行う自由はないし,一般市民に~被監視者に対してさえ~一定の利益をもたらしているのは事実だし,適切に運用される限り一般市民の自由を不当に侵害することはないと言う。「監視の背後に人々を幸福にしたいという信念や善意があることは,多くの場合に事実であり,我々は,監視が親切であることを認めることから出発しなければならない」。そして,「監視」に対立する「自由」とはそもそも何かと大屋は問う。近代市民社会に想定する人間は,自由で自律的な意思決定が可能なものであることが前提とされているが,それが人間の実態とかけ離れていることは,すでに証明されている。そうだとすれば,こんな観念上の「自由」をそれほど尊重する必要があるのかと。そもそも近代市民社会が想定した個人の自由が擬制であり,個人と社会の幸福実現のツールに過ぎないのならば,監視強化によって個人と社会の幸福が実現できるとき,「自由」は必要なのだろうか。

この問いに対して大屋は共感を吐露しつつ,「自由を擬制し,自由に基づく選択の結果(リスク)を個人に負担させる」という近代社会のシステムは「まだ」尊重すべき価値があるという認識を本書の結論とする。

刺激的な内容が平易な言葉で論じられており(法哲学書に「がちょーん」が引用されるとは…),大変興味深く読んだ。あえて注文を付けるとすれば,この問題を論じる場合,監視技術の(近い将来における)技術的限界点はどこかという問題と,監視技術濫用のリスクをどの程度見るか,という問題を避けて通ることができないのに,本書はあえてこれらの問題を回避しているように見える点である。著者の大屋氏はまだ30代半ばであり,今後のご活躍を期待したい。(小林)

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2009年6月29日 (月)

防犯カメラ付き自販機いたずら、19歳会社員を現行犯逮捕

愛知県豊橋市の岩田運動公園に置かれた、防犯カメラなどがついた自動販売機のセンサーライトをハンマーでたたき壊していた19の会社員が、張り込みだった3人の豊橋署員に追跡され逮捕された。この会社員は、過去4回のいたずらも自分がやったと自供しているという。

このニュースは以前このブログでも触れたが、私が知っていた以外にも2回の被害があったようだ。つまり、この防犯カメラ付き自販機は、4回にわたって、自分を攻撃する犯人を撮影できなかったことになる。

本当に張り込み中だったかどうかはやや疑問だが、市民の安全を守るというのなら、自販機の回りに張り込むよりほかに、やるべきことがあると思う。(小林)

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2009年6月10日 (水)

防犯カメラのニュース4題

2009年6月5日のasahi.comによると,警察庁は,補正予算59千万円で,全国15箇所の小中学校近くの住宅街に25台ずつの防犯カメラ計375台を設置する。防犯カメラは,地元の警察と日頃協力的な民間の防犯ボランティア団体に管理してもらう。カメラ画像を見るのは原則,犯罪などがあって捜査上必要な場合に限る。記事は,プライバシーとの関係で論議を呼びそうだとも伝えている。

麻生内閣の巨額補正予算は,繁華街や商店街だけでなく,一般の住宅街への防犯カメラ設置を現実化した。適切なプライバシー保護方策をとる必要があることは言うまでもないし,警察もそうすると言っているようだ。

しかしそれなら,「地元警察と日頃協力的な民間の防犯ボランティア団体」に協力してもらうというのはいかがなものか。そもそも,この「民間の防犯ボランティア団体」とは何なのか。仮に町内会で組織した自警団のような団体であるなら,プライバシー保護の見地からは完全に落第である。なぜなら,そのような団体には法人格がない。法人格がない団体は,責任の所在が曖昧である。そのような団体にカメラ画像の管理を任せるのでは,管理上問題があっても責任を問えないからだ。

同日のIT proは,「1万台超の監視カメラ監視にはインテリジェンスが必要」というスウェーデン監視カメラ会社CEOのインタビュー記事を掲載した。発言の要旨は,ストックホルムで15000台のバスに監視カメラを設置する事例で,カメラに対する撮影妨害行為(タンパリング)の自動警告機能や,自動画像処理機能を備えた次世代監視カメラについてのものであるが,これらの機能に限らず,監視カメラ技術のハイテク化は,日進月歩であるし,このような技術が無ければ,増える一方の監視カメラを管理できない。

6月4日の「アキバ経済新聞」は,秋葉原先端技術実証フィールド推進協議会が数百万フレームの画像を対象に1秒以内で類似した特徴を持つ顔画像を検索することによって特定の人物を捜し出す「類似検索技術」の実証実験が開始されたと報じた。これも,監視カメラシステムが必然的に歩むハイテク化である。なお,膨大な顔画像の瞬時検索が可能になったということは,この顔画像の保有者は当然,いわゆる個人情報保護法の定める個人情報取扱事業者に該当することになり,様々な法的義務を負うことになる。分かっているとは思うけど。

6月6日の毎日jpは,タスポ無しでタバコが買えると評判を呼んだ「顔認証方式」自販機が,10歳児でも購入実例があることが判明し,そこで認証基準を見直したところ,明らかな成人でも購入が拒否されるというクレームが続出していると報じた。先端技術でも,いざ実用段階になると,うまくいかないことが多いのだろう。(小林)

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2009年6月 3日 (水)

仮釈放者に電子足輪

6月1日の読売新聞によると、法務省は、GPSを使って仮釈放者の行動を把握する仕組みの検討を始めた。当面の対象は性犯罪者であるという。

電子監視については、すでにご紹介したところであり、法務省はもう数年前から、前向きな検討を開始している。今回報道されたことの意義は、「検討を始めた」というより、検討が大詰めに入ったことを意味するのだろう。もっとも、今回の大型補正予算の余波の一つに過ぎないかもしれないが。

この問題を考えるにあたって持つべき視点は、3つはあると思う。

一つ目は被装着者の人権の問題だ。上記の電子監視は言うまでもなく、被装着者の行動の自由を侵害する。ただ、仮釈放中の者は、もともと刑務所に収容されても文句を言えない立場だから、刑務所の外で暮らせる代わりに電子足輪を付けさせられても、やはり文句は言えない。しかし、仮釈放者への電子監視が認められれば、次は前歴者(特に小児性愛傾向者)の電子監視立法が検討の俎上に載せられるだろう。日弁連は反対するだろうが、ただ反対するだけでは阻止は難しいと思う。少なくとも特定の犯罪については、本人にはどうしようもない「ビョーキ」の側面が強いことが、科学的にも明らかになりつつあるからだ。弁護士としての私の経験で言えば、男の痴漢と女の万引は、かなりの確率で「ビョーキ」である。

二つ目は刑事政策上の問題だ。電子監視は、被監視者を危険な動物と同視する政策である。言い換えれば、本人の努力による更生をはじめから期待していない(すくなくとも、そのように被監視者に思わせる)。このような刑事政策上の考え方は、昔からあるが、実際のところ、とてもコストがかかることが分かっている。人間は、「刑務所」という物理的な隔離装置を開発して長いが、技術の進歩は、電子的な社会隔離を可能にした。しかし、その功罪はまだ分からない。また、社会内更生を考える場合、共同浴場に行けなくなるなどといった日本独特の問題も考慮する必要があろう。

平成18年に法務省で行われた「更生保護のあり方を考える有識者会議」の第15回会議では、佐伯仁志東京大学教授と堀野紀弁護士が、上記二つの視点からだと思われるが、電子監視の導入に消極の意見を述べている。

三つめの視点は、電子監視のリスクだ。特に日本の場合、法務省が電子監視の導入に熱心なのは、刑務所が溢れかけていることに関係があるだろう。電子監視を導入する代わり、簡単に仮出所が認められるようになったとき、法務省は本当に仮出所者を監視できるのか。もし、被監視者が法務相の目を盗んで犯罪を行った場合、法務省が「管理責任」ならぬ「監視責任」を問われるおそれはないのか。

法務省が一番気にすることになるのは、案外、この三つめの視点かもしれない。(小林)

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2009年5月22日 (金)

ニュースBIZ出演?

テレビ大阪の「ニュースBIZ」から依頼があり、5月22日放送予定の番組のため取材を受けた。事務所にカメラが来て録画されたが、赤面ものであった。普段テレビのコメンテーターのいい加減な発言に文句ばかり付けているが、10秒前後の短い時間に要点を明確に話すというのは、一つの職人技だとつくづく感じた。この技術は、裁判員法廷のために、弁護士としても磨いておくべきかもしれない。

それはさておき、取材の趣旨は、増殖する防犯監視カメラについて法的問題点を聞きたいということだった。私としてはありきたりのことを話したつもりだが、記者氏との問答の中で、しみじみと感じたことがある。

記者氏の感覚もそうだったが、一方で、体感治安の悪化があり、技術の進歩があり、舞鶴の事件のように、防犯カメラの映像が犯罪解決に結びつく場合もある(もっとも舞鶴の事件には疑問符もつくが)。他方で、このまま、防犯カメラが増殖して本当にいいのか?という素朴な疑問もある。問題はあると思いつつも、視点が無いから、自分なりの意見を持てない。防犯カメラについて発言するジャーナリストや弁護士の多くは、監視社会だ戦争だと声高に言う人サヨク系が多く、じゃあ具体的にどうすればよいの?という答えをもらうには敷居が高い、というより、尋ねる実益がない。そして既成事実だけが積み重なっていく。

大事なことは、具体的で適切な制度とルールだと思う。ただ、このスタンスで発言すると、どっちつかずの曖昧なコメントになり、かつ、だらだらと長く話すことになる。ということで、冒頭に書いたとおり、赤面ものの取材となってしまった。まだまだ修行が足りないと実感した次第である。

なお、取材を受ける過程で、この問題に社会学の立場から取り組んでおられた大阪市立大学の中野潔教授の訃報に接した。中野教授には、いくつかのシンポジウムのほか、「社会安全システム」の共著でお世話になった。とても残念である。謹んでご冥福をお祈りしたい。(小林)

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2009年5月19日 (火)

異常行動自動検知監視カメラは警察の救世主になるか

2009年5月18日のCNET JAPANによると、400万台の監視カメラが稼働中と言われる「監視カメラ大国」英国では、監視カメラが多すぎて、警察が膨大な量のデータ処理に手を焼いているという。英国警察庁協会犯罪記録局のディレクターは、「子どもが誘拐された場合、多数の監視カメラがこの車を捕らえたが追跡できないということが起こり得る」と言ったそうである。

この発言は、イギリスの監視カメラの持つナンバープレート自動認識機能を念頭に置いたものだが、他の機能でも同様だろう。監視カメラの数が増えれば増えるほど、人間がどうやってモニターするのか?という問題に直面する。

一つの解決方法として、日本の警察庁が導入を検討しているのが、異常行動自動検知システムだ。これは、通行や談笑といった通常行動と異なるパターン、例えば喧嘩や転倒、一箇所にとどまって動かない、逆にいつもある物がなくなる、などの行動を異常行動と自動認識し、モニターする人間の注意を促すシステムである。4月16日の毎日新聞によると、警察庁は、異常行動自動検知システムを備えた街頭防犯カメラを川崎駅前に設置して実験を開始するとのことである。

このシステムが持つ技術的問題の一つは、コンピューターが認識する「異常行動」と、人間の考える「異常行動」のズレが解消できるかどうかだろう。恋人同士がハグしている映像と、ヤクザが被害者の胸ぐらをつかむ映像とが自動的に区別できなければ、モニターする警察官は、早晩、このシステムを信用しなくなる。また、カメラに異常行動と見分けられない犯罪行為、例えば熟練したスリなどは、かえって犯罪を行いやすくなるのではないかという疑念も生じうる。違法なキャッチセールスの勧誘行為と、政治的署名活動との区別は、コンピューターには不可能だ。他方、撮影される人間の軌跡を解析することによって不審人物を自動検知する機能は、少なくとも新人警官よりは優れたものになるかもしれない。

もちろん法律上の問題もある。プライバシーの問題もさることながら、最大の問題は、こういったシステムが有する萎縮効果の有無と程度である。この懸念から、こういうシステムに頭から反対する弁護士も多いが、感心しない。技術の進歩が止められないとするならば、大事なことは、技術と社会との折り合いをどうやってつけるか、例えば、適正な運用をどうやって担保するかということだと思う。(小林)

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2009年4月24日 (金)

ライフログ・サミット2009

 日経コミュニケーション社等主催のライフログ・サミット2009に弁士の1人として出席してきた。会場の青山ダイヤモンドホールは表参道に面しており、十何年かぶりで表参道を歩くことができたし、初めて表参道ヒルズも見た。完全におのぼりさんである。

 高い受講料なのに、会場は満員御礼の186名が出席され、ライフログビジネスへの関心の高さがうかがわれた。講師は、ITジャーナリストの佐々木俊尚氏をはじめとするこの分野の代表選手であり、私など文字通り末席を汚してきたようなものだ。

 ライフログについておいおいこのブログにも書いていきたいが、なにしろ法整備が全くなく、裁判例も皆無に近い。プライバシー権との関係で問題があることは間違いないが、どこからが違法かは分からない。こういったグレーゾーンを、例えばアメリカ人は青信号と受け取るが、日本人は赤信号と見る。しかしそれでは日本のネットビジネスは再びグーグルやアマゾンの後塵を拝することになるので、是非リスクを怖れず挑戦してほしい、そういう主旨でお話をしたつもりだが、弁護士が話すとどうしてもリスク回避で後ろ向きに取られがちなので、上手く伝わった自信はない。

 終了後、何人かと名刺交換をさせていただき、悩みや目標など、熱い気持ちを伺った。今後も、お力になれればと思う。(小林)

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2009年4月13日 (月)

「クラウドの衝撃」(東洋経済新聞社)

野村総研の城田真琴氏が著したクラウドコンピューティングの概説書である。「わずか5台のコンピュータが世界を席巻する。このパラダイムシフトに対応できなければ、新時代を生き抜くことはできない。」とはずいぶん大袈裟な宣伝文句だが、「クラウドコンピューティング」が、Web2.0に続く流行語になる可能性は十分あるらしい。

クラウドとは雲のことである。インターネットを図で表すとき、モコモコと雲のような絵を描くことが多い。インターネットは本来、複雑なネットワーク網と膨大なコンピュータ群によって構成されるが、それをいちいち書くと煩雑なので、モコモコで誤魔化すわけだ。

クラウドコンピューティングとは、このモコモコをモコモコと認め、ユーザーがインターネット網の向こう岸にあるコンピュータを意識せずに、色々なサービスを利用できるようにする技術である。別に未来の技術ではなく、アマゾンやグーグル、楽天などを利用するユーザーは、既にクラウドコンピューティングを利用している。

本書は、現在普及しつつあるこの技術が、近い将来一般的になり、一般市民や企業は、もはや高価で大きなコンピュータを自宅や会社に置くことなく、インターネットを通じて生活やビジネスができる世の中になる、と予言している。

それはそれで結構な話だが、法律家としてこの話を聞くとき、プライバシー情報やセキュリティは一体どうなるのか、という疑問を持たずにはいられない。膨大なコンピュータ群をクラウドと総称したところで、具体的なデータ保管やその処理は、どこかのサーバーやコンピュータで行われているのだから、そのサーバーやコンピュータがどの国に置かれているかで、適用法律やプライバシー情報の保護内容が変わってくる。プライバシーやセキュリティの保護が曖昧になってくるというリスクもある。

本書もそのあたりは意識しており、EU(欧州連合)は「データ保護指令」の中でEU内の住民の個人データに関して、十分なレベルの保護が行われていない第3国へのデータ移動を禁止していることや、カナダの公的機関が米国の愛国者法の適用を懸念して、米国内のサーバーの利用を禁止していること、各国でプライバシーやセキュリティの懸念が高まっていることに触れている。

日本政府もクラウドコンピューティングへの関心を高めており、「霞ヶ関クラウド」とか、「ICTニューディール」とか、言い始めている。これらのトレンドの中で、プライバシーやセキュリティは、再び、インターネットとどう付き合うか、という問題を突きつけられることになるのだろう。(小林)

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2008年12月25日 (木)

DISTURBIA(DVD鑑賞)

デートムービーとしては傑作。しかし、電子監視の実態を学ぶのが鑑賞の目的である。嫌みな高校教師をぶんなぐった主人公は、裁判所から3ヶ月の自宅謹慎を命じられる。この高校生が監視の目を盗んで自宅を出ないようにするのが、電子監視システムだ。裁判所の黒人女性職員は、主人公の右足首に発信器付きブレスレットを巻き付けると、機能を説明する。

Okay, you're all set to go nowhere.(さあ、あなたはこれでどこにも行けないわ。)Now, green means you're good, you're in the safe zone,(緑のランプがついている間は問題ありません。)which covers about a 100-foot radius from this guy.(その範囲はコイツ~と言って電話機横に設置された親機を指さし~から半径30メートル以内よ。)

You unplug it, the police comes immediately.(もしコイツの線を抜いたら、警察が駆けつけるわ。)He's like a modem.(コイツは通信機のようなものね。)He gets a constant GPS signal from Mr. Bracelet(コイツは君の足首につけられたブレスレットからコンスタントに位置情報の送信を受ける仕組みなの。)that goes through your phone line to the monitoring systems downtown.(その信号は電話線を通って警察署のモニター室に送信されるわ。)So they know where you are, where you've been and what you're thinking,25/7.(だから警察は、君がどこにいるか、どこにいたか、なにを考えているか分かるの。24時間ね)What if he accidentally goes beyond... red light flashes.(もし境界を越えたら赤いランプが付くわ)You got 10 seconds to get your butt back to green, or else.(そうなったら10秒以内に戻ることね。そうでないと…)」

主人公「Or esle what? The execution squad shows up?(そうでないと?死刑執行隊がやってくるのかい?)」

職員「And they don't bring blindfolds.(そう、目隠しなしでね。)It's tamper proof and waterproof.(このブレスレットは耐熱防水よ。)So don't try to stick your foot in a bucket of water and hop across the line.(だからバケツに足をつっこんで境界を越えようなんてしないでね。)」このあと女性職員は、このシステムの使用料として一日12ドルが発生すること、クレジットカード払いも受け付けていること、2、3日すると気がおかしくなってくるから気をつけるように、と言い残し、取説を置いて去っていく。

 刑事罰の執行費用をクレジットカード払いで受け付けるアメリカ人の度量の広さには驚嘆するが、それはさておき、この説明から、電子監視システムの内容を知ることができる。

まず、衛星と位置情報を交換する機能は親機(ご丁寧にSENTINEL(歩哨)という商品名であった)にある。親機にはあらかじめ設置場所の緯度経度情報が入力されており、移動されると警報を発する。電源式だが、短時間の停電で警報を発しないように、電池を内蔵していると思われる。親機は電話線でモニターされており、電話線が切断されればモニター室側で警報が鳴る。一日12ドルの使用料には、電話料金も含まれているのだろう。DSLや光回線ではなく、電話回線を使用するのはなぜなのか。電話回線なら、さほど多量の情報は送れないことになる。

 親機と子機、すなわち主人公の右足首に装着されたブレスレットとの関係はやや不明だが、微弱な電波のやりとりによって、子機が親機から離れすぎていない、ということを常時確認し続けるのだろう。このやり方だと、親機の電波の届かないところが「圏外」すなわち危険ゾーンということになる。このやり方の長所は単純で安価で堅牢なことにあるが、他方、遮蔽物や、気候や、環境や電池のへたり具合などによって境界に差異や変動が発生しないのか、気になるところだ。そうだとすると,非装着者の具体的な位置(どの部屋にいたか,など)は分からないことになる。もちろん,非装着者が何を考えているのかは分かる訳がない。また、子機は電池式だが、電池を交換する際警報が発しないようにするにはどうするのだろうか。きっと取説に書いてあるのだろう。この映画では,電子監視システムは主人公が自宅を出られないという設定のための小道具に過ぎないので,これ以上の機能は分からない。

日本の法務省は、電子監視の導入を検討している。一つは仮釈放者の処遇に、もう一つは性犯罪等特殊な犯罪の前科前歴ある者への装着である。前者の場合は映画と同様のシステムが想定されるが、後者の場合は映画とは逆に、近づくことを禁止された場所(学校など)に近づくと警報が鳴る仕組みになる。電子監視に興味のある方には、是非この映画をごらんいただきたい。恋人と一緒に見ると、一石二鳥である。(小林)

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2008年12月19日 (金)

ズボン女性のお尻を撮影する行為は有罪か

やや旧聞に属するが,ズボン女性(27歳)の背後からカメラ付き携帯電話で撮影を行った自衛官の男性(31歳)が北海道迷惑防止条例違反に問われた刑事裁判で,11月10日付の最高裁判所第3小法廷は上告を棄却し,有罪と判断したが,田原睦夫判事のみ,無罪との反対意見を述べた。

反対意見の論理は,平たく言うと,次のとおりである。「①『臀部を視る』という行為それ自体に『卑わい』性は認められない。②視る行為に卑わい性が無いときに,撮影する行為が卑わい性を帯びることはない。③仮に本件の撮影行為が『卑わい』な行為にあたるとしても,この条例で罰するほどのものではない」

①と③については,その通りと考えるが,②については,疑問である。肉眼で視ることと,カメラで撮影することの間には,質的な差があると思う。肉眼で視るときは,所詮,その人限りである。その情景を他人に伝えようとしても,言葉で記述するか,絵にするかしかない。いずれの場合でも,本人の主観と描写能力を経て表現された尻は,もとの尻ではない。

これに対して,カメラで(特にデジタルカメラで)撮影された画像は,撮影者限りのものではない。幾らでも複製でき,ネットを通じて無限に流通しうる。デジタル・ネットワークの時代において,この違いは重視するべきだと思う。言い換えると,女性の尻を肉眼で視る行為は,プライバシー情報の取得にはならないが,同じ映像をカメラで撮影する行為は,プライバシー情報の取得になり,正当性がない限り,違法なプライバシーの侵害となると思う(プライバシーの定義を論じると大変なので,ここでは触れない)。

田原裁判官は,「写真の撮影行為であっても,一眼レフカメラでもって,『臀部』に近接して撮影するような場合には,「卑わい」性が肯定されることもありうる」と述べているが,この記述は多少カメラを扱う者から見れば,不適切だし,矛盾している。なぜなら,「臀部に近接して撮影」する態様が問題なら,一眼レフカメラである必要はないし,臀部を大写しにするのがいけないという趣旨なら「望遠レンズ」という言葉を用いるべきだし(一眼レフカメラである必要はない),この場合「近接して撮影」する必要はない。現代なら,普通に写真を撮って,臀部だけ思いっきり拡大するという方法もある。

多数意見は,「5分間,40メートルあとを付けて,11回撮影した」という態様を問題にしていると思われるし,それは,本件女性のプライバシーの侵害という見地から見れば,間違いなく違法であると思う。ただ,この被告人が罪に問われた北海道迷惑防止条例違反に該当するのか,すなわち,最大懲役6ヶ月,罰金50万円に該当しうるほどの違法行為であるのか,については,田原裁判官と同じで,疑問である。(小林)

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2008年12月 4日 (木)

住基ネット最高裁判決と自己情報コントロール権

平成2036日の住基ネット最高裁判決から半年経過して,ほぼ評釈が出そろったようである。

大阪高裁判決は,住基ネットは憲法13条が保障する自己情報コントロール権を侵害すると判断したが,最高裁は,自己情報コントロール権が憲法上の権利であるか否かについて,一切言及しなかった。本稿では,この点に限定して,最高裁判決の評釈をご紹介したい。

まず,法務省大臣官房民事訟務課の工藤敏隆氏は,「自己情報コントロール権については,法文上の根拠が存在せず,その内容,範囲,法的性格に関して様々な見解があり,権利としての成熟性が認められないから,未だ実態法上の権利とは認められない。そもそも,プライバシーの法的保護の内容は,…消極的自由権として把握されてきたものである。自己情報コントロール権を認める見解が主張する個人情報の開示請求権・訂正請求権は,憲法13条の文言解釈を逸脱するものではないかとの疑問があるし,民事法上も極めて困難である。本判決が,自己情報コントロール権に基づく削除請求を認容した原判決を破棄した上で,「個人の私生活上の自由」に対する制約の許否として改めて検討し直したのは,右の諸点を考慮したことによるものと思われる。」として,最高裁の判断を積極的に評価した。

判例時報2004号は,最高裁が自己情報コントロール権に言及しなかったのは,「いわゆる『自己情報コントロール権』が一定の範囲で司法上の人格権ないし人格的利益として認められる余地があるとしても,…住基ネットはそのような権利ないし利益を違法委に侵害するものではないから,本件では原告の主張する『自己情報コントロール権』が憲法上の人権であるか否かについて判断を示すまでもないと介したものと考えられる」としている。

田島泰彦上智大学教授は,法律時報801号で,「本判決には,自己情報コントロール権はもとより,プライバシーの言葉すら登場しないだけでなく,保障の範囲も第三者提供の規制という場面に限られており,何よりも京都府学連事件判決はもとより,早稲田大学名簿提供事件判決でも明示されていた『本人の同意』という要件が外されていることである。本人の同意は,自己情報コントロール権をはじめとする現代におけるプライバシー権の保障にとって本質的とも言える要素であり,…これが取り除かれたことにより,個人が同意していなくても,また住民らによる自己情報コントロール権の主張によっても違憲・違法とならないというこの度の最高裁の結論をより容易にし,拍車をかけることにならなかったか」として,最高裁判決を批判している。

筆者としては,最高裁判決が,自己情報コントロール権に言及しなかったのは,この概念が高度情報化社会に適合的でないという懸念をぬぐい去れなかったからと考えたい。情報は,大きく分けて「モノの情報」と「ヒトの情報」に分けられるが,「モノの情報」も,そのモノに対する権利を通じて,多くは「ヒトの情報」に収斂していく。純粋にヒトと無関係な情報は気象や地理の情報くらいだろう。情報の大半が「ヒト」すなわち「誰か」の情報であるとして,それだけで,その「誰か」がこれを「コントロールする」権利を持つと考えてよいのか。おそらく,この考え方は,高度情報化社会・ハイパーネット社会になじまないと思う。(小林)

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2008年12月 3日 (水)

福岡県弁護士会「グーグルストリートビュー」中止を求める会長声明

 2008121日,福岡県弁護士会が,会長名で,グーグルストリートビューの中止を求める声明を出した。公的団体の声明としては,先日の杉並区議会決議に続くものと思われるが,弁護士会が声明を出すのはおそらく初めてだからなのだろう,報道もされている。

弁護士会長声明というと,その弁護士会の総意のように受け取られがちであるが,実態はそうでもない。弁護士会にはいくつかの委員会(例えば,人権委員会,消費者保護委員会など)があり,それぞれの委員会はその分野に熱心な弁護士を中心に運営されている。その委員会が,弁護士会として対外的に何かをアピールすべきだ,と考えたとき,会長に対して,声明の発表を具申する。そして,会長以下執行部が承認すれば,それが会長声明として発表されるという段取りである。もちろん,だからといって,声がデカければ横車が押せるというわけではない。会として他の声明との整合性を図らないといけないし,相当数の会員が反対するような内容なら,会長声明にはならない。

この会長声明を具申した委員会の正式名称は知らないが,日弁連で言うと情報問題対策委員会に該当する委員会であり,その中心になっているのは,福岡県弁護士会に所属する武藤糾明(ただあき)弁護士と思われる。武藤糾明弁護士は日弁連情報問題対策委員会の副委員長であり,ストリートビュー問題以外にも,Nシステム裁判や,福岡市繁華街に設置された街頭監視カメラの問題,福岡市住基ネット訴訟などについて,熱心な活動をしておられる。

Matimulog氏は,「でもなんで福岡なんだ?まだグーグルストリートビューが来ていないのに」と,至極ごもっともな疑問を呈しておられるが,武藤糾明弁護士が活動の中心にいると考えれば,謎は解ける。

私自身は,グーグルストリートビューが現行法上,本質的に違法であるとは考えていないが,だからといって,今回の声明が間違っているとまで言うつもりはない。一つの立派な見識であると思う。ただ,やや疑問に思うのは,グーグルストリートビューが違法なら,商店街の監視カメラはもっと違法なはずだし,そうであると考えるなら,弁護士である以上,カメラの撤去や損害賠償を求める訴訟を起こせばよいのに,なぜ起こさないのだろうか,という点だ。原告適格を得るのは簡単である。自分で,その商店街を歩けばよいのだから。

あるいは,まず世論を見方に付けてから裁判を起こすという作戦なのかもしれない。世論を味方に付けるという意味でなら,グーグルストリートビューは,格好の素材を提供したと言えよう。(小林)

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2008年11月17日 (月)

次世代街頭監視カメラシステムについて

2002年,新宿歌舞伎町に街頭監視カメラシステムが導入されたことを皮切りに,渋谷,池袋など,東京都内の繁華街を中心とする数カ所に,警視庁の運営する街頭監視カメラシステムが導入された。

現在,このシステムを全国に普及させることが検討されている。ここで検討されている次世代街頭監視カメラシステムとして想定されているものは,次のようなものと推測される。

まず,カメラの台数と密度は飛躍的に増える。おそらく一地域あたり数百台のカメラが設置されるだろう。そして,このカメラが撮影した映像は,警察署のモニター室で集中管理される。

もっとも,数百台から数千台のカメラの映像を,モニター室で一括管理することは,予算の上からも,モニターを監視する警察官の負担からも,限界がある。そこで導入されるのは,異常行動の自動検知システムだ。このシステムには,予め異常行動をインプットしておき,これに該当すると判断される映像をピックアップする方式もあるが,これでは事前にインプットする異常行動が膨大なものになり,コンピューターの能力上処理できない。そこで,各カメラに接続されたコンピューターが,「通常行動」を自動学習して,「通常行動」から逸脱する映像を異常行動と判断するシステムが導入されることになる。そして,「異常行動」が検出されたら警報が発令され,その画像のみモニターに拡大表示され,犯罪性の有無等を担当警察官が判断することになろう。また,個々のカメラが撮影した画像は,メモリー又はハードディスクに一定期間保存されるが,再生されない限り,人間の目に触れないまま,自動的に上書きされ抹消される。セキュリティやプライバシー保護のために,画像は全部が暗号化されるか,容貌だけ暗号化される可能性もある。また,指名手配画像データと顔認証システムを組み合わせて,自動的に指名手配犯を検出するシステムも導入されるかもしれない。

このようなシステムは,理論的にはすべて実現可能だ。ただ,現実に信頼性のあるシステムとして設置運用するためには,技術的に,いくつかの問題をクリアーする必要があるだろう。たとえば,カメラの解像度は飛躍的に向上しているが,数百台以上のカメラの高解像度動画像を遅滞なく伝達するネットワークの確保や,短期間とはいえ膨大な量の動画を保存する記憶媒体の問題などである。そして,システム運用上最も重要な技術上の問題は,「異常行動の自動検知システム」が使い物になるかどうか,という点だ。酔っぱらいの喧嘩は自動検出できても,置き引きやスリを自動検出できないシステムならば,高額の予算を投じることは許されないだろう。かといって,敏感に設定しすぎると,モニター監視員の能力を超えて警報が発令されることになるし,これを鈍感に設定しすぎると,検出するべき犯罪行為が漏れてしまうことになる。

法律的には問題がないのだろうか。筆者の考えでは,録画についての取扱が上記のとおりである限り,これを明白に違法と断じる法律上の根拠は,現時点では存在しない。法律的に平たく言い直せば,このような「次世代街頭監視カメラシステム」は,数百人の生身の警察官が街頭に立って周辺を警戒していることと変わらない。生身の警察官を立たせて違法でないならば,代わりにカメラを設置しても違法でない,という理屈が,一応成り立つ。

もっとも,「違法と断じる法律上の根拠が現時点では存在しない」ということと,「違法でない」ということとは別問題だ。このような次世代街頭監視カメラシステムは,旧来の法理論が予測していなかったシステムであり,新しい技術,新しいシステムが導入されれば,これに応じた法理論が構築される。狭い地域に数百人の生身の警察官が24時間立ちっぱなし,という社会は法律的に許されるのか,これに代わって機械が監視の役目を担ったとき,法的には違法性が増すのか減るのか,といった検討が必要になる。(小林)

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2008年10月26日 (日)

防犯カメラ付き自販機また壊され「監視反対」と落書き

全国で初めて,1010日に愛知県豊橋市の岩田運動公園に設置された防犯カメラ付き自動販売機のカメラ部分が13日に壊され「監視反対」と落書きされたことは記憶に新しい。

その自動販売機が修理され再度設置されたとたん,また壊され監視反対などと落書きされているのを豊橋署員が見つけたと,26日に報じられた。

市民の安心安全に不可欠な防犯カメラ付き自動販売機を二度も破壊するとは,不埒な連中がいるものである。公園でさえ,とても危険であり,防犯カメラ付き自販機を設置しなければ,市民の生命と安全は到底守れない。しかも,この自販機には警察直通の電話機が設置されている。もし市民が暴漢に襲われたら,広い公園にたった一台の,この自販機にを探し当てて駆けつけ,カバーを開けて受話器を取って警察に電話して,「もしもし,もしもし?助けて下さい!変な人が私を追っかけてきて…」って,喋っているうちに殺されたり強姦されたりしてしまうだろうが,それでも犯人逮捕に一役買うに違いない。なにしろこの防犯カメラは前を人が通るだけで撮影する仕組みだから,公園を訪れた不倫カップルも,仕事をさぼって昼寝に来たサラリーマンも,みな撮影することになっている。この中に犯人がいるに違いない。

警察はこれに懲りず,再々度防犯カメラ付き自動販売機を設置するべきである。また狙われたらどうするのかって?

もちろん,もう一台,防犯カメラ付き自販機を設置するのだ。それも壊されたらもう一台。公園を防犯カメラで埋め尽くせば,自販機を壊して落書きをする不心得者を撃退できるだろう。(小林)

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2008年10月19日 (日)

新世代ネットワーク研究開発戦略本部

20001014日,NICT本部の新世代ネットワーク研究開発戦略本部で講演とセッションを行った。

この戦略本部は,インターネット普及の最大功労者の一人である元大阪大学総長宮原秀夫氏が昨年創設した組織であり,現在のIPネットワークの限界を見越した新世代のネットワークを構築するための中長期的な戦略について検討を進めようとするものである。

我が国としてのICT戦略の遅れに対する彼らの危機感は深刻である。20089月に著された戦略本部の「新世代ネットワークビジョン」によると,アメリカやBRICs諸国の発展に比べ,我が国の国際競争力は衰退の一途をたどっている。「『産学官を結集しオールジャパン体制を構築することによって世界を先導する』といった,旧態依然とした発想を受け入れる余力は我が国にはない。縦割り行政の弊害,研究費のばらまき施策,技術の空洞化,ニッチ市場での生き残り策の追求,グローバル化されないアカデミア,若年層の科学技術離れなど問題は山積しているが,一言で言えば,戦略無き研究開発が今日の事態を招いたと言えるであろう。」と手厳しい自省の言葉に満ちている。

講演での質問や,セッションでも,いくつか興味深い発言に接した。例えば,研究開発者はプライバシーの問題に直面したとき,どのようなオーソリティに助言を求めたらよいか分からず,尻込みしてしまうことが多々あるという発言であり,この種の悩みは,この分野に筆者が参加してから,頻繁に接する。

これに対する最も理想的な答えは,アメリカのように,個人的な確信(神の啓示とたとえても良いが)があれば,やってしまえという健全なチャレンジ精神を重視することであろう。しかし,失敗を許容しない日本文化の中では現実的でない。次善の策としては,監督官庁(たぶん総務省)を中心に,一定のガイドライン等を策定しつつ,産学が安心して開発に取り組める環境を整えることになるだろう。しかし,現在の政治状況や,住基ネット騒動に起因する一種の敗北体験からか,この点に関する総務省の腰が重いのも事実である。そこで現在は,ユビキタスネットワークフォーラムなど半官半民の団体が事実上主導していく方策しかないであろう。

非常に厳しい環境であるが,世界をリードしうる我が国の技術分野としては,ICTがその筆頭になりうるだろう。筆者も微力ながら応援しているので,研究者の皆様には,是非めざましい成果を上げて頂きたいと思う。(小林)

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2008年10月15日 (水)

カメラ付き自販機壊され「監視社会」と落書

1014日の各紙によると,愛知県豊橋市岩田町の岩田運動公園で,110番機能を持ち防犯カメラを装備した自動販売機が壊され,「監視社会」と落書きされた。

この自動販売機については,本年1月8日のブログでも触れた。自販機荒らしと街の治安維持のために,前方を人が通っただけで撮影する機能を持つ自動販売機である。その時は,群馬大学の藤井雄作教授とコカ・コーラボトリングの提携だったはずだが,10月10日に愛知県に設置されたものが,この系列に属するか否かは分からない。ちなみに,このブログによると,愛知県の自販機荒らしは,2006年は全国ワースト1位だったが,翌2007年に被害額は3分の1以下に激減してワースト1位を返上したそうである。この防犯カメラ自販機は,その後に設置されたものだ。

このタイプの自販機に対する私の考えは,以前と変わらない。これは例えるなら,道のほうぼうにカメラを持った人が立っていて,その前を横切ると写真を撮られる,ということと同じである。「何で写真を撮るんだ」と問いかけると,「街の安全のためです。ただ撮影しているだけで,事件などが起こったときに現像するだけですからプライバシーの配慮も万全です。ついでといっては何ですが,私はジュースやお茶の販売もしています。買って行きませんか?」との答えが返ってくる。そう答えられたら読者は 「ご苦労様です。治安維持に役立つならどうぞ撮影してください。」と納得するだろうか。私なら不愉快に思う。「今撮影したこのとき犯罪は起こりましたか?起こっていないなら,撮影した画像は今削除してください」と答えたい。まして,お茶を買う気など起きない。

前回私はこう書いた。「自販機荒しという犯罪が相当程度発生している以上,これを防止するという目的は正当である。次に,カメラで自販機荒らしが防止できるかについては,やや疑問もあるが,あるとしておこう。しかし,自販機荒し防止を目的とする撮影は,その目的に必要な限度に限定されなければならない。その自販機に何の用もない,ただの通行人を全員撮影するのは行き過ぎである。」

今回報道された自販機の破壊はれっきとした犯罪であり,それ自体として弁護の余地はない。しかし,この犯行から明らかになったことが二つある。一つは,防犯カメラ付き自動販売機は防犯の役に立たないということ。もう一つは,自動販売機にまで防犯カメラが装備される風潮を快く思わないのは私だけではない,ということだ。

私自身は,ネットワークカメラやユビキタス技術の推進を後押ししたいという,弁護士としては比較的珍しい(?)立場にある。しかし,学者の研究と,業者の思惑と,役所の予算ばらまきがいびつな形で結合すると,ときどき,とてもセンスのないものが生まれるのは困ったものである。(小林)

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2008年9月29日 (月)

Google Street Viewとプライバシー権

2008918日に掲載された佐々木俊尚氏の「Google Street Viewの『日本の風景』が投じた波紋」は,Google Street View(以下GSV)に関する,これまでの議論を要領よくまとめている。

記事によれば,GSVに対する意識調査の結果,懸念として,「プライバシー侵害の不安」を掲げた回答がトップの67.6%に,「犯罪に使われないか不安」と指摘した回答が第2位の58%に上ったという。IT企業役員の樋口理氏は,ご自身のブログで,「僕らのプライバシー感覚と防犯意識」の観点から,日本の生活道路をGSVの対象から外してほしいと訴え,海外も含め賛否両論を呼んだとのことだ。そして記事は,米国の著名なブロガーの反論として,「日本人のツアー客がアメリカに来ると,(生活道路を含め)ストリートを撮影するのはオーケーだった。Googleが同じことを自動的に行うと全然違う話になってしまう。どうしてそういう理屈になるのか興味があるね」という意見を掲載している。

「どうしてそういう理屈になる」のだろう。これが第1のポイントである。そしてこの点については,「撮影すること」と「公開すること」を分けて考える必要がある。樋口氏は明確に認識しておられないようだが,GSVの問題性にとって本質的に重要なのは,「公開すること」であって「撮影すること」ではない。

確かに,撮影行為それ自体がプライバシー権侵害になる場合はある。判読可能な形で表札を撮影することや,人間より高い視点で私邸をのぞき見するように撮影することは,それ自体プライバシー権の侵害になる(厳密に言うと,個人情報とプライバシー情報の異同という問題はあるが,本稿では触れない)。しかし,家の外観や,路上に駐車された自動車を撮影することは,原則としてプライバシー侵害にはならない。

しかし,撮影することがプライバシー侵害にならなくても,その画像をネットで公開することがプライバシー侵害になるか否かは別問題だ。そして,GSVの問題は,「いつでも,検索可能な状態で」撮影画像が全世界に公開されている点にある。これが,例えば自宅を撮影された人の反感を呼び,「撮影はともかく,公開はいやだ」という「理屈」になるのだと思う。

同じような理屈は,例えば観光地で記念撮影をする際,赤の他人が写り込んでも違法にならないのに,その写真を自分のブログで公開すれば違法になりうるのはなぜか,という問題にも見られる。

実は,法理論としては,公開の程度によってプライバシー侵害になったりならなかったりする,という考え方は一般的ではない。筆者の知る限り,筆者以外の法律家で,このようなことを言っている人はいない。一般的には,ど田舎の商店会のミニコミ誌に掲載されても,朝日新聞の1面トップで報道されても,おなじ「公開」としか理解されていない。しかし,プライバシー情報の「公開」には程度があるはずだし,ある程度を越えたところでプライバシー権の侵害が違法になるという理屈は成立してよい。

そして特に,GSVは,検索可能であるという点,すなわち視聴者は一方的に情報を受領するだけ,というのではなく,視聴者が積極的に画像情報を検索しうるという点において,例えばテレビ放送に比べて,プライバシー権侵害の程度は高いのである。とても懸念されるのは,技術の進歩に対して,法理論が全く追いついていないことだ。(小林)

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2008年9月24日 (水)

認知症グループホームの「見守り」カメラは誰のプライバシーを侵害するか

2008921日のasahi.comによると,認知症グループホームの中にカメラを設置して介護職員を援助するプロジェクトが,北陸先端科学技術大学院大学高塚亮三氏を中心に進められていたが,NPO法人全国認知症グループホーム協会が,「利用者からすれば監視以外の何ものでもない。徘徊による事故の防止には必要最低限のセンサーの設置で不十分か否かを議論する必要がある」と実用化に反対する立場を明確にしたところ,プロジェクト側は当面製品化を中止することにしたという。

ネットワークカメラやRFID等,ユビキタス技術実用化の研究が,プライバシー権侵害などの批判を受けることはよくあることだ。しかし大概の研究は,批判をものともせず続行される。これに対して,このニュースは,プロジェクト側が批判を受け入れて研究の製品化を中止してしまった点で,特異性がある。なぜこういう展開になったのだろう。

グループホームとは,知的障害者等の生活援助事業の一つで,5~9名の要介護者が市井の一般住宅で,介護者とともに共同生活を営むものである。1980年代のスウェーデンで発祥し,1991年に日本に導入された後,法制度が整備され,2000年で全国に270であったグループホームは2004年にほぼ20倍の2520と急増した(小学館日本大百科事典より)。要するに,郊外の老人ホームではなく,町中の一般住宅で老人を介護するわけである。グループホームは本来,年齢に関係なく知的障害者や精神障害者を援助するものであるが,日本では,認知症高齢者の介護施設を指すことが多い。

日本のグループホームは,慢性的な人手不足と資金不足に悩まされている。時折グループホーム職員による虐待が報道されるが,人手不足も間違いなく,その背景にある。ユビキタス技術を使って,人手不足を解消しようという試みは,しかし,当のグループホーム運営者によって拒絶されてしまった。ユビキタス技術の研究者は,この事件を他山の石とするべきだと思う。

NPO団体の反対声明文が公開されていないので,想像によるしかないが,そもそも,グループホームの人手不足をITによって補うという現代日本的な発想に問題があった可能性がある。

グループホームが4年間で約20倍と急増したのは,おそらく,スウェーデンで説かれた理想が素早く浸透したからではない。空き不動産を老人介護施設に転用できるという初期投資額の少なさに,行政が飛びついた結果だと思う。だから,予算不足と人手不足は,日本でのグループホームに運命づけられていたのではないか。そして,福祉大国スウェーデンにおけるグループホームの実態は,日本のそれとかけ離れていると想像する。そのため,日本におけるグループホームの創始者たちは,もっと予算をもっと人手をと訴え続けていると思う。そんな彼らに対する回答が,「ユビキタス技術で人手不足を解消します。1セット150万円で,維持費が年○○万円です」というものだったらどうなのだろう。この回答は,おそらく,グループホーム創設者たちの理想から遠ざかるものと受け取られたと思う。

NPO団体の指摘も重要である。監視カメラによるプライバシーの侵害は,原則として,被撮影者またはその保護者の同意があれば回避できる。その意味で,被介護者のプライバシー侵害の問題の解決は容易だ。他方,介護職員の立場からすれば,痴呆老人が相手である以上,暴力や虐待に至らないまでも,多少手荒なことをすることだってあるだろう。その中で,自分の行動が逐一撮影され記録されているというのは,多大なストレスとなりうる。これは一種の職場監視だ。グループホームにネットワークカメラを導入することが,介護職員の反発を招くことは,研究者自身,気付いていたようであるが,結局これを解決することができなかったようだ。

研究者たちの発想に対して注文したいことは,次の2点である。まず,「民家・少人数」を特徴とし,閉鎖的な組織であるグループホームに,そもそもユビキタス技術の導入は必要だったのだろうか。「行政の研究公募」に,ご自分たちの研究を,無理矢理当てはめようとしなかったのだろうか。老人介護の世界では,むしろ,大規模老人ホーム等への導入から考えるべきだったのではないだろうか。

もう1点は,「監視」を「見守り」と言い換えることによる思考停止である。この研究者らの論文の中には,このプロジェクトは「監視」ではない,「見守り」を通じて被介護者の「人となり」「その人らしさ」を理解するのだと力説しているものもあるが,監視されていると感じる人からみれば,どんな美辞麗句を使ったところで,監視は監視である。そして,本プロジェクトでは,第三者ではなく,ほかならぬシステムの購入者自身が,監視の目を不快に感じたようだ。今回の失敗原因の一つは,研究者自らが「見守り」という言葉で思考停止に陥ってしまい,研究成果を実用化する場合,誰がどのような反感を持つか,に対する配慮を怠ったところにあるのではないだろうか。(小林)

参考文献

グループホームのための”見守り”介護支援システム

アウェアホームのためのアウェア技術の開発研究

見守り支援システムと介護スキルの関係

認知症高齢者グループホームの介護現場における気付き法

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2008年9月 8日 (月)

Googleストリートビューは不気味の谷を渡るか?

Googleストリートビューが賛否を呼んでいる。否定的な見解の多くは,プライバシーの侵害だと主張している。アメリカでは,訴訟も起きているという。

筆者も早速利用してみた。皆さんと同様,自宅や勤務先,実家などを見てみた。3D酔いするので,長時間は見られないが,多くの感想と同様,不気味な感じがした。

この不気味感の本質は何なのだろう,と1月ほど考えてみた。おそらく,本質的にはプライバシーの問題ではないと思う。

もちろん,プライバシーの問題は間違いなくある。グーグルは自動的にぼかされているというが,容貌に限らず人物を特定する画像や,人家の内部がたまたま撮影された場合は,プライバシーの侵害になりうる。ただ,この問題は本質的な問題とはいえないのではないか。高木浩光氏は,「ストリートビューに写った自動車ナンバーは機械判読され得るレベル」であるとか,撮影用のカメラの目線が高すぎて,通常の歩行者には見えない高みからの映像になっているとか主張している。これらの指摘はそれぞれもっともな点を含む。法的に反論しうる点もある。しかし,何となく,この不気味感の本質とは違うような気がするから,高木氏の主張の当否を論じても,ポイントからずれていってしまうような気がする。もし,高木氏が指摘するプライバシー上の問題が全て解決されたとしたなら,この不気味感は解消されるのだろうか?

3D酔いを我慢しつつ,ストリートビューでもう一度自宅を見てみる。平日の昼間撮影されたらしく,人通りが少ない。空だけが妙に明るい。画面をクリックして,周辺を移動する。すれ違う人は顔がぼかされ,幽霊のように見える。見慣れた風景なのに,とても違和感がある。私が見ているのは本当に私の自宅なのだろうか?と思う。

SF少年だったころ,多元宇宙の話を読んだ。この世界は,同じだけれど少しずつ違う世界が無数にあって,そこで自分も生活しているが,やはり少しずつ違う。ある世界では自分は死んでいるし,ある世界では別の女性と結婚している。死後の世界や過去,未来の世界というのは,実は多元宇宙の一つに過ぎない,というようなお話しである。筆者がストリートビューを見て感じる不気味感は,ディスプレイを通して別の世界を見ている感覚に近い。

そうだとすれば,もちろんこの感覚は幻想である。ストリートビューは,要するに現実世界を撮った写真をつなぎ合わせて画像を合成したものである。GoogleMapが上空からの画像であるのに対して,ストリートビューが地上からの画像であるだけの違いに過ぎない。この不気味感が幻想だとするなら,いずれ解消されて,解決可能なプライバシーの問題だけが残り,ストリートビューは広く受け入れられていくのかもしれない。この不気味感は,かつてインターネットや次世代ロボットについて論じられた「不気味の谷」に過ぎないのだろうか。(小林)

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2008年8月13日 (水)

ICタグでいじめ兆候把握

2008813日の日本経済新聞朝刊は,「顧客管理システム開発などを手掛けるMR(福岡市、前田勝巳社長)は非接触ICタグを使った登下校管理システムを開発、9月から福岡県内の小学校で実証実験を始める。校門に設置したセンサーで児童の登下校を検知し保護者にメールで知らせるほか、一緒に帰宅しているグループの傾向を分析して、仲間はずれにされるなどいじめの兆候をとらえることも可能」と報じた。「実証実験は福岡県粕屋町の粕屋中央小学校で実施。すでに6割の保護者から参加申し込みを受けた」とのことである。

非接触ICタグで児童の登下校情報を管理するシステム自体は,すでに方々で実施されている。だから,記事の特徴は,このシステムを使って,「一緒に帰宅しているグループの傾向を分析して、仲間はずれにされるなどいじめの兆候をとらえることも可能」と宣伝している点にある。

しかし申込者が6割では,仲間はずれの兆候をとらえることなどできない。リアル社会では5人グループで下校しても,システム上では3人グループで下校したとしか認識できないのだから。また,保護者の考えでICタグを持たせてもらえないいじめられっ子がいたとして,この子どもがICタグを持ついじめられっ子に取り囲まれて下校しても,システム上は何ら異常は検知されない。また仮に,全児童にICタグを付けたところで,いじめを把握することは困難だと思う。例えば,いじめられっ子がいじめっ子数人に囲まれて一緒に下校すれば,システム上には何ら異常は感知されないのだから。

前田勝巳社長が想定している「仲間はずれの兆候」とは,次のようなものだろう。「先週まで,A子はBC子と3人グループで下校していたのに,今週から,B子C子はD子E子のグループで下校するようになり,A子は一人で下校している」というようなパターンをいじめの兆候として把握しようというのであろう。しかし,このようなパターンをシステム上把握するのは極めて困難である(何秒離れて通過したら,『一人で下校した』と把握するというのか。児童の行動は,例えば通勤途中のサラリーマン(一方向に向けて一定の速度で移動する)などに比べて極めていい加減であり,30秒離れて通過しても,実距離は数メートルに満たないことだって多い)うえ,そもそも,「仲間はずれの兆候」は,こんなにわかりやすいパターンで現れるものではない。

このようなシステム上の限界を知りながら「いじめの兆候が把握できる」と主張するMR社もどうかと思う。社長の前田勝巳氏は,自らもいじめられた経験があると言っているそうだが,同氏は,「このシステムがあれば自分はいじめられないで済んだ」と思っているのだろうか。

それよりも問題は,学校や保護者の間に,いじめの予防をICタグシステムに頼ろうとする傾向がかなり増してきている点だ。

もちろん,人間に電子首輪を付けるなんて!と主張するつもりはない。筆者自身,痴呆老人の徘徊防止のため,身体にICタグを埋め込むことも検討対象にしてはどうかと提案したこともある。しかし,ICタグシステムで人間の行動を管理・監視しようとするときには,それなりの覚悟が必要だ。このようなシステムでいじめを防止しようとする考えを持つ人たちは,人間性や,子どもという生き物に対して,とても浅はかな認識しか持っていないのではないかという気がする。いじめの兆候は,親や教師が,子どもの顔色や行動を観察し,子どもと真摯なコミュニケーションを取る中で発見するべきことである。もちろんそれには限界があるが,この限界を子どもとのコミュニケーションで解決しようと努力することそれ自体が,いじめ防止のために大事なのだと思う。教育は便利になれば良いというものではない。機械に頼ってはいけないこともあるのだ。

ICタグで児童の登下校を監視してもいじめの兆候が発見しきれないとすれば,このシステムは当然,学校中にセンサーを張り巡らせて,児童が休み時間に誰と遊んでいるか,給食を誰と食べているか,などを把握する方向に進化するだろう。そして,その進化は,ある種の人びとから支持喝采を受けるのだろう。なにより不気味なのは,このような支持喝采が,紛れもない善意から発生しているという点だ。

(参考)

http://kyushu.yomiuri.co.jp/keizai/detail/20080804-OYS1T00447.htm

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2008年7月27日 (日)

デジタルサイネージ

京都大学美濃研究室が中心となって進められている「センシングWEBプロジェクト」全体会議で,NTTサイバースペース研究所の小池英樹氏が,現在取り組んでいるいくつかの研究を紹介してくれた。

その一つ,デジタルサイネージとは,ディスプレイに広告等の映像を流す技術だが,それだけでは,店頭で商品説明のビデオを垂れ流していることと変わらない。デジタルサイネージの特徴は,見る人にあわせて,映像を変更することにある。例えば,赤ちゃんを抱いた母親が通ればミルクの広告を表示し,若いサラリーマンが通ればビジネス指南書の広告を表示するという案配である。映画「マイノリティ・リポート」に,主人公が商店街を歩くと,レーザー光線が自動的に虹彩情報を読み取り,壁に主人公の興味を持ちそうなCMが表示されるシーンがあった(しかも,CMが主人公の名前を呼びかけていた)が,これが,現在想定されている究極のデジタルサイネージである。

デジタルサイネージの中で,小池氏のチームが取り組んでいるのは,通行人がどれだけこの広告に注目したかを知る技術である。具体的には,通行人の顔画像を自動的に特定し,その顔が広告の方を向いたか,どの程度注視したかを,画像処理技術を用いて自動的に解明する。この技術が実用化すれば,ネット広告がクリック数に応じて広告費用を算出するのと同じように,何人にどれだけの時間注視されたかで広告費用を算出することが可能になる。

デジタルサイネージは,現在,アメリカを中心に,将来性がとても期待されている。ただし,この技術が社会に受け入れられるためには,プライバシー権との調整が不可欠となる。広告側に設置されているセンサーが,どの程度の個人情報を取得することが許されるのかと,これに対する一般市民の信頼感をどうやって確保するのか。道を歩いていて,ふと広告に目をとめたことがきっかけで,次の角で突然,別のディスプレイから,「いまエビちゃんのハンドバックに目をとめたあなた。当店でエビちゃん推薦の新作ハンドバックをご覧になりませんか?」と話しかけられるような世界は,社会に許容されるのだろうか。

筆者自身としては,とても面白い世界が出現するという期待がある一方,筆者が前を歩くたびにディスプレイが次々と育毛剤やカツラのCMを表示する世界というのも,どうかなあと思っている。(小林)

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2008年7月 9日 (水)

公共空間での撮影と画像の利用について

TVの野球中継で,親子連れの顔が鮮明に映ったりすることがたびたびあります。顔が識別できれば,『誰がいつ誰と野球場にいたか』ということがわかりえることになりますが,このようなケースでも,行動の記録を無断で世間に公開されたということに関する訴えが成立する可能性があるということでしょうか?」

というご質問をブログへのコメント欄でいただいた。

これは,①公共空間での撮影が許されるか,という問題と,②記録された画像データの利用がどの範囲で許されるか,という問題である。

まず①の問題について考えると,プライベートな空間(私邸の中など)であろうと,公共空間(野球場など)であろうと,人は,「みだりに撮影されない」という権利を持つ。これは,法律家の世界では,常識に属することだ。これに対して,「それならば,観光地で記念撮影するときに,第三者を写すことは違法なのか?」という質問を受けることになる。

もちろん違法ではない。その理屈としては,次の3通りがある。

1番目は,「撮影を承諾している」という理屈だ。例えば野球場でプロ野球の試合を観戦する場合,試合とともに観客席の様子がテレビ中継されることは常識であり,観客も当然それを想定して観客席に座っている。だから,観客が承諾している範囲内で,その観客を撮影しても違法ではない。言い換えると,観客が承諾している範囲を超えて撮影することは違法になりうる。つまり,試合の合間に観戦の様子をちらちらと撮影する程度なら承諾の範囲内だが,お忍びの有名人だからと言って試合そっちのけで撮影し続けたりするのは違法となる。ときどき消化試合で閑古鳥の鳴くスタンドで熱烈なキスを交わすカップルの様子が放送されることがあるが,これは概ね,承諾の理屈で違法性を回避できる。

2番目は,「撮影の目的と方法が合理的な範囲にある」という理屈だ。この場合には,承諾が無くてもよい。これは,撮影の目的が正当であり,かつ,撮影方法が正当であることが必要だ。事件報道のための撮影は,多くの場合,これに該当する。

3番目は,法律家の世界で受忍限度論と呼ばれる理屈だ。詳しい説明は避けるが,要するに,社会生活上,お互いに我慢しあうべき範囲である。観光地で記念撮影をするときに,第三者を写してしまうことになっても,それはお互い様であるといえる。

これらの3つの理屈の適用範囲は,それぞれ別個独立ではなく,お互いに重なり合っている。

次に②の問題について考えると,①の3つの理屈で撮影が正当化される場合であっても,その画像をどう利用するかについては,それぞれの理屈に基づいて,一定の制限が課せられることになる。例えば,承諾の理屈からすれば,テレビ報道を想定しない承諾しかなければ,その画像をテレビ報道することは違法となる。事件の加害者や被害者のプライベートビデオが放送されるとき,よく,他の被撮影者にぼかしがかけられるのは,そのためである。他方,事件の加害者や被害者当人の画像が放送されるのは,承諾の範囲外ではあるが,報道する正当性があるからである。

また,観光地で記念撮影するとき,第三者が写りこんでも問題ないことは先に述べたが,承諾なく撮影されてもお互い様といえるのは,その写真をプライベートで楽しむ範囲である。これを超える場合,たとえば,撮影した画像をホームページで公開する場合,第三者の容貌が分かる形で公開することは,違法となりうるので注意が必要である。(小林)

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2008年6月24日 (火)

電子タグを利用した個人の位置情報等提供サービスの運用に関するガイドライン(3)

このガイドラインの要点となる3本柱の第二は,電子タグなどのユビキタス技術によって取得され流通するヒトの情報と権利との関係である。本ガイドラインでは,この部分に関する条文が最も多くなっている。しかし,内容としては,プライバシー情報や個人情報の流通に関する法令やガイドラインを集約したものであって,これらの法令やガイドラインに比べて,特に目新しい点があるわけではない。要するに,電子タグなどのユビキタス技術によって取得された情報は,その本人が予め承諾した範囲と,これに準じる合理的な範囲についてだけ,流通することが許されるし,事業者は,本人の予測を不当に裏切らないよう配慮しなければならない,ということが書いてある。

内容としては,次の3点に集約できると思う。第1点は,セキュリティである。電子タグに搭載できる情報量は近年飛躍的に増大しつつあるが,ヒトに装着する電子タグの場合,個人情報やプライバシー情報そのものを電子タグに記録することは,原則として許されない。電子タグには基本的に,装着されるヒトのIDのみが記録されており,このIDがサーバーに送信されることにより,サーバーに保存された個人情報やプライバシー情報が呼び出されるようにならなければいけない。また,記録されるIDそれ自体も暗号化される必要があるし,暗号化されるべき程度は,そのヒトの属性(例えば,○○小学校の生徒であるとか,○○百貨店の顧客会員であるとか)が分かる程度では足りない。将来的には,IDをシャッフルしてランダムに発行する第三者機関が必要になるかもしれない。

第2点としては,個人情報の抽象化である。「男性」「45歳」という情報は筆者の個人情報であり,筆者の意思に反して流通させることは許されないが,他方,これらの情報と筆者との結びつきを完全に断ってしまえば,もはや筆者の情報ではなく,統計情報として,自由な流通が許されるようになる。実は,ユビキタスネットワークの事業主も,個人情報そのものが欲しいわけではなく,統計情報が欲しいだけの場合も多い。そして,統計情報の自由流通を認めることは,マーケティングその他の領域において,莫大な経済効果をもたらす。そこで,情報と本人の関係を完全に断絶した統計情報については,本人の意思と関係なく自由な流通が認められると規定してある。

第3点としては,ネットワーク監視カメラの取得する本人の情報を「位置情報」「行為情報」と特定したことである。監視カメラの取得する情報の法的性質については,肖像権の問題と考えるのが一般的であるが,これは誤りであり,監視カメラの取得する情報の本質は「位置情報」と「行為情報」,つまり「いつ,どこで,誰が,何をしたか」である。そして,位置情報と行為情報を取得するという意味では,監視カメラと電子タグとの間に差異はない。そこで,監視カメラの取得した情報についても,電子タグシステムが取得した情報と同様の流通制限に服することが規定してある。

このガイドラインの要点となる3本柱の最後は,システム運用に対する社会の信頼を得るための方策である。

ユビキタスネットワークシステムが,社会に受け入れるためには,それが正当に運営されているという社会の信頼が不可欠である。従来これを担ってきたのは司法手続による事後救済であるが,ユビキタスネットワークシステムによるプライバシー権侵害の場合,本人が権利侵害に気づかない場合も多く,また,一つ一つの権利侵害は僅少であって,司法による事後救済になじまない場合も多い。そこで,本ガイドラインは,事業目的の公開や責任者と連絡先の明示,苦情処理システムの構築などの内部統制システムの構築を義務づけることを通じ,社会の信頼を確保しようとしている。

将来的には,第三者認証機関を設け,その認証を受けた事業者は,国民のプライバシー権に十分配慮したユビキタスネットワークシステムの運用を行っているとの信頼が付与される,というような仕組みが検討されなければならないと思う。(小林)

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2008年6月20日 (金)

電子タグを利用した個人の位置情報等提供サービスの運用に関するガイドライン(2)

このガイドラインの内容は,大きく,次の3つの柱からなっている。第一は,電子タグを装着されることそのものとヒトの権利との関係であり,第二は,電子タグなどのユビキタス技術によって取得され流通するヒトの情報と権利との関係であり,第3は,システム運用に対する社会の信頼を得るための方策である。

第一の「電子タグを装着されることそのものとヒトの権利との関係」とは,要するに,ヒトに電子タグを装着することは,物に装着するほど簡単ではない,ということである。ヒトに電子タグを装着する方法はいろいろあり,カードで携帯させたり,ランドセルや靴に装着したり,首からかけたり,腕輪・足輪にしたり,体内に埋め込む(マトリックスにありましたね)方法もある。前者ほど装着は簡便だが,忘れたり,他人の電子タグと入れ替えが発生したり,悪意で破棄・破壊されたりする危険がある。後者ほど,装着された個人特定の確実性が増すけれども,他方,「電子首輪」と言われたり,「監視社会」と言われやすくなる。要するに,ヒトの精神的拒絶反応を招きやすい。

この問題に関しては,「電子タグの体内埋込など一切禁止すればよい」とか,「本人が同意した場合に限定すればよい」という考え方もありうる。しかし筆者は,特に,意思決定能力が乏しい子どもや老人などに関して,電子タグの体内埋込や,腕輪・足輪方式の採用の問題は避けて通れなくなると思う。例えば,小学生の安心安全のため,ランドセルに電子タグを装着される実証実験が行われている。しかし,この装着方法では,誘拐犯人に破棄されるリスクを回避できない。また,徘徊老人の管理のため,電子タグを体内に埋め込むということも考えられる。腕輪や足輪では,痴呆老人はこれを本能的に取り外そうとかきむしってしまうため,体内埋込しか選択肢がない場合があるのだ。

このような考え方に対しては,老人の人権侵害だと反対する意見もあろう。しかし,現実に手錠や縄でベッドに縛り付けられている痴呆老人が,病院敷地内といえども自由に行動できるようになるならば,電子タグの体内埋込は一つの可能性になるはずである。

腕輪・足輪での電子タグの装着や,体内埋込の問題と,とても似通っているのが,バイオメトリクスの問題である。バイオメトリクス技術の場合,人体への侵襲を伴わないが,他方,一度他人に取得されると,「マイノリティ・リポート」の主人公のように,他人と体の一部を交換しない限り,一生それに拘束されることになる。その意味で,バイオメトリクス技術を用いたユビキタス・トレーシングシステムは,電子タグの体内埋込に勝る人権侵害を引き起こす可能性がある。

そこで,電子タグの体内埋込・足輪・腕輪の使用や,バイオメトリクス技術の使用に関しては,相当厳しい制限を設けなければいけない。(小林)

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2008年6月16日 (月)

電子タグを利用した個人の位置情報等提供サービスの運用に関するガイドライン(1)

2008年(平成20年)618日,東京明治記念館で,ユビキタスネットワーキングフォーラムシンポジウム2008が開催される。ここでは,異種センサーネットワーク間の相互接続共通プロトコル「OSNAP」の紹介と,標記ガイドラインの紹介とが行われる。筆者はガイドラインの策定にかかわった関係で,ガイドラインの趣旨や内容について,プレゼンを行う。参加費無料なので,この方面に興味がある方は,ぜひお越し下さい。

いまや電子タグは,物に対する正確かつ簡便なトレーサビリティを提供し,物流を支える大きなインフラになりつつある。そして,電子タグは,「物」だけでなく,「ヒト」に装着され,そのトレース(追跡)を行うために使用され始めている。物に装着される電子タグに関しては,既に総務省と経済産業省が策定したガイドライが存在する。物についてガイドラインが存在する以上,ヒトについてガイドラインがないのはおかしい。筆者がこのガイドライン策定にかかわった理由は,一言で言うと,こういうことである。

「普及し始めの技術に,ガイドラインで法律的な縛りをかけるのは,研究者や事業者に萎縮効果を与える。」という意見もあるが,これは誤解だと思う。ガイドラインがあった方が,その範囲内では,研究者や事業者はのびのびと行動できる。この方面の研究者や事業者の話を聞くと,法律的には全然問題がないのに,「これってもしかして違法?」と考えすぎて,萎縮してしまっている人がいる。このような人たちに自由に研究や事業をして貰うためには,ガイドラインは是非とも必要だ。もちろん,研究者の中には,「マッド系」の人がいて,法律的に見るととんでもない人権侵害となる研究を一生懸命やっている。このようなマッド系の人たちには,多少我慢をして貰わないといけない。個人的には,マッド系の研究者は大好きなのだが。

ところで,このガイドライン案は,ヒトに電子タグを装着する場合に関する条文と,電子タグ以外のユビキタス技術,すなわちネットワーク監視カメラシステムまたはバイオメトリクス技術を用いて人を追跡する場合に関する条文の,両方を定めているのが一つの特徴だ。なぜこうしたかというと,カメラやバイオメトリクス技術を用いたヒトの追跡は,法律的には,電子タグを用いたヒトの追跡と同質であり,将来的には,両者が融合していくからだ(そのときには,OSNAPなどの相互接続共通プロトコルなどが活躍するのでしょう)。もっとも,バイオメトリクスは電子タグに比べ技術的に未熟であり,普及にはなお数年待たなければいけないから,このガイドラインも,量的には,電子タグが中心となっている。(小林)

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2008年6月 6日 (金)

監視カメラを利用したPV

Telegraph.co.ukの記事によると,イギリスマンチェスターのアマチュアバンド「The Get Out Clause」は,カメラマンと機材を用意する予算がないので,イギリスの道路のそこら中にあるカメラを使うことを思いついた。つまり,監視カメラの前で演奏を行い,その映像でPVを作成しようということである。イギリスには1300万台の路上監視カメラがあるので,ロケハンには苦労しなかった。このバンドは,マンチェスター市内の80もの場所で演奏を行った。その中には何と,バスも含まれていた。そして彼らは,情報自由法に基づいて映像の提供を請求したところ,約4分の1の監視カメラ運用者から映像の提供を受け,これを編集してPVを作成した,とのことである。

何ともたくましいブリテン野郎だが,監視カメラの法律問題としてみると,この顛末にはいくつか注目するべき点がある。

まず何と言っても,イギリスの監視カメラが1300万台という情報だ。筆者の最新の情報では500万台だったのに,あっという間に二倍以上に増えたことになる。

次に,監視カメラに写った本人が,その映像公開を請求する権利を有し,4分の1とはいえ,その実効性が認められたことだ。日本には,監視カメラに写った人がその映像を公開する権利があるとは,少なくとも一般には解されていない。しかし,世界的に見ても,日本の情報法の考え方に照らしても,監視カメラに写った人の映像開示請求権は認められる方向に進むことは間違いない。日本の監視カメラの運用者は,このような請求に耐えられるだろうか。

最後に,このPVを見る限り,バンドメンバー以外の一般市民の映像は,おおむね,適切に処理されて,誰が写っているかが分からないように処理されている,ということが注目される。このブリテン野郎は,案外繊細にプライバシー権に配慮していることが分かる。もっとも,マンションのベランダに佇む家族の映像は,プライバシーの観点からは問題があると思われるが,画角(下からあおって撮っている)や解像度を見ると,この映像に限っては,監視カメラの画像ではなく,映っている人たちは俳優なのかもしれない。(小林)

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2008年5月23日 (金)

三浦和義氏,防犯カメラ映像流用を提訴

平成20520日の毎日新聞によると,「ロス疑惑」で現在サイパンに勾留されている三浦和義氏が,「万引きの現場」を撮影したビデオ映像をマスコミに提供などしたコンビニと,この映像を販売促進に使用した監視カメラシステム会社である株式会社ジェイエヌシーに対して,1650万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提起した。

ロス疑惑時代も,マスコミを名誉毀損で訴えまくり,結構勝訴率の高かった三浦和義氏であるが,還暦を超えて,まだまだお元気である。それはともかく,この訴訟は法律的にどう考えるべきだろうか。

この訴訟は2社が被告になっており,それぞれ,考慮すべき点に異なるところがあるが,いずれも,個人の特定が可能な防犯カメラ画像をマスコミに提供したり,販売促進用に配ったりする行為であって,このような個人情報の第三者提供の適法性が問題となる。

まずコンビニについては,そもそも,マスコミに映像を提供したのはコンビニ自身なのか,警察なのか,という疑問がある。しかしこの点は,訴えどおり,コンビニが直接マスコミに映像を提供したものとして考える。

この事例と比較されるのは,番組改編期によくある「激撮!万引き犯を追う」といった類のテレビ番組だ。これらの番組では,かならず,現行犯人の顔にモザイクがかかっている。これと比較すると,三浦和義氏の顔にモザイクをかけないでマスコミに提供したコンビニの行為は違法となるようにも思われる。

しかし他方,この事例では,三浦和義氏逮捕の報道と一体となって,万引きの様子が上映された筈だ。そして,犯罪の軽重を問わず,逮捕された被疑者の氏名や被疑事実をマスコミが報道することは,現在の社会通念上,違法とはされていない(もっとも,本当に適法と言いきってよいかは異論がありうるが,本稿では措く)。そうだとすれば,三浦和義氏逮捕の報道と一体として当該映像が使用される限りにおいては,これを使用したマスコミにも,提供して使用させたコンビニにも,法的責任はないと考えられる。損害の発生という視点から考えてみても,三浦和義氏の名誉は,万引きにより逮捕されたという報道によって毀損されたのであり,当該映像によって毀損されたのではないと言えるし,肖像権という視点からも,映像が犯罪報道と一体として用いられる場合,犯罪行為の映像について肖像権が主張できるものなのか,かなり疑問である。この点は,アダルトビデオ店内での松本人志氏の防犯カメラ映像を公開するのとは,全く異なる。アダルトビデオ店内に入ることは,犯罪でも違法でもないからだ。

以上により,コンビニに対する三浦和義社長の訴えについては,筆者は三浦和義氏敗訴に一票を投じる。

但し,将来の同種事件に関しては,留保を付けておきたい。というのは,裁判員制度が実施された後には,別の考慮がありうるからだ。犯罪の場面や,被疑者被告人の映像を報道することは,裁判員裁判の公正に不当な影響を与えるから許されなくなる,という主張は,マスコミの立場からは受け入れがたいだろうが,十分考慮に値すると思う。

次に,監視カメラシステム会社についてはどうか。こちらは,自社製品の販売促進目的で,三浦和義氏の「犯行場面」の映像をDVDにして配布したり,自社ホームページに掲載したりしたとのことだ。

コンビニの例と比較した場合,コンビニがマスコミに映像を提供した行為は,公益目的と言えないことはないが,販促用に映像を配布する行為は,明らかに私的な営利目的であって公益目的ではない。いかに犯罪行為であっても,それを営利目的に使用してよい,ということにはならないと考える。販促のためなら,モザイクをかけた映像で十分だからだ。システム会社は,「正義の灯火は絶やすわけにはいかないので徹底的に争う」とコメントしたそうだが,これは論点のすり替えだろう。

このように考えることも可能だ。監視カメラシステム会社は,多数の万引き犯映像があるはずなのに,なぜ,三浦和義氏の「犯行現場」の映像をモザイク無しで犯則に使用したのか。それは明らかに,「あの有名人の万引き現場を撮影したのは当社のシステムです!」と宣伝するためだろう。つまり,この会社は,三浦和義氏の知名度を無断で自らの営利活動に利用したわけである。したがって三浦和義氏には,この販促活動によって監視カメラシステム会社の得た利益の分け前にあずかる権利がある。これはパブリシティ権の考え方だ。

以上により,監視システム会社に対する訴えについては,三浦和義氏勝訴に一票である。(小林)

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2008年4月28日 (月)

電子監視について

韓国の憲法制定60周年を記念する「法律の日」では,性犯罪者の足首に装着し、全地球測位システム(GPS)によってその行動を監視する「電子足輪」の装着実験が行われたとのことである。参加者たちは「軽い」(電子足輪の重さは150グラム)、「不思議だ」(電子足輪を外して1メートル以上離れれば警報音が鳴る)といった感想を連発した。法務部の関係者は電子足輪の効果について、「米ニュージャージー州で性犯罪者225人に着用させたところ、再犯者は一人だけとなった」と説明した(以上,朝鮮日報より)。

このシステムを,日本では「電子監視」という。電子監視は,欧米では導入が進んでいる。仮釈放中のパリス・ヒルトン嬢はGPS付き足輪をつけさせられたそうだし,「ディスタービア」という映画では,自宅謹慎処分を受け,電子監視によって自宅から一歩も出られなくなった高校生が主人公である。

日本では,法務省が,仮釈放中の受刑者に対する電子監視の実施を検討中だ。また,性犯罪者等の再犯を予防するために,一定の前科者については,電子監視を実施するべし,という意見もある。たとえば,平成1937日の参議院予算委員会で,自由民主党の坂本由紀子議員が電子監視導入賛成の立場から質問を行ったのに対して,長瀬法務大臣は,「プライバシー等を制約する度合いが高いし,かえって社会復帰を阻害するのではないか,などの慎重意見が多い」としながらも,「諸外国の例も参考にしながら引き続き慎重に検討してまいりたい」と答弁した。

法律的には,仮釈放中の電子監視と,受刑後の電子監視は全く意味が異なる。仮釈放中の受刑者は,本来「塀の中」に入れられても文句が言えないわけだから,自宅に帰される代わりに電子監視を受けても,人権侵害とはいえない。生活や更生をサポートする身寄りがいるなら,社会復帰の手助けになるかもしれない。これに対して,受刑後の再犯防止を目的とする電子監視は,一般市民と平等に保障されている自由を,特定犯罪の前科がある,という理由で制限するのだから,憲法が保障する基本的人権の侵害や平等原則の違反にならないか,という問題が発生する。これに対して,性犯罪者の再犯を防止し,子どもや女性の安全を重視する立場からは,受刑後の再犯防止を目的とする電子監視の導入が要求されているわけだ。

電子監視は,犯罪者の監視だけが目的となるわけではない。例えば,痴呆老人の徘徊防止策としても,検討に値する。もっとも,痴呆老人の中には,足輪や腕輪を掻きむしって取り外そうとする人もいるから,そういう人に対しては,発信器の体内埋め込みも検討されるだろう。「電子首輪」であると,単純に反対する意見もあろう。しかし,「電子首輪」でも,現実に首輪をされたり足かせをされている介護老人を救えるかもしれないのだ。また,電子監視は,子どもの安心安全システムや,従業員の行動監視のためにも用いられるかもしれない。

いうまでもなく,これらのシステムを導入するためには,プライバシー権をはじめとする権利との調整が不可欠である。そして,プライバシー権をどのレベルで保証するかという判断規準は,各国それぞれ相当違う。だから,法務大臣には,諸外国の制度を検討することも必要だが,我が国の人権感覚も検討していただく必要がある。

余談になるが,冒頭に紹介した韓国の「法律の日」の記念式典では,「歌手のユン・ヒョンジュが『守れば守るほど気分爽快』という、法令遵守のテーマソングを発表した」そうだ。プライバシー権の感覚もそうだが,このようなテーマソングを堂々と発表するあたり,お隣の国なのに,感覚が相当違うと実感させられる。(小林)

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2008年4月24日 (木)

世界一安全な国を作る8つの宣言

平成20418日,自由民主党は「地域の絆を再生し,世界一安全な国へ~世界一安全な国を作る8つの宣言~を発表した。

この宣言によると,わが国の刑法犯認知件数は一時より低くなったとはいえ,いまだ昭和の安定期の1.4倍近くであり,国民の体感治安が依然として悪いことから,治安を維持する必要性は大きいとして,「地域の絆」再生をはじめとする8つの施策を提言している。

その中で,防犯カメラに関連する部分は,次の2点だ。

まず,「宣言1 防犯ボランティアを支援し,世界一安全な地域社会をつくります。」の中で,「街頭防犯カメラの設置拡充などを通じた犯罪に強いまちづくりの推進」として,街頭防犯カメラを整備促進する助成措置,個人住宅に対する防犯カメラ設置への助成,「個人のプライバシーにも配慮しつつ,防犯カメラの整備が図られるように,防犯カメラの設置・運用の在り方について検討する」とされている点だ。

次に,「宣言8 治安関係人員・予算を確保し,世界一安全な国を守ります。」の中で,「犯罪の痕跡の確実な記録による追跡可能性の確保」を挙げ,「ATM,コンビニエンスストア等に設置される防犯カメラ画像等における犯罪の痕跡を適切かつ確実に必要な期間保存し,捜査に活用できるように,個人情報の保護を理由とする捜査への非協力の解消を含め,電気通信事業者,金融機関等の適切な協力を確保するための取組を推進する」「自動車ナンバー自動読取システムを拡充する」とある点である。

すでに何回か指摘したとおり,防犯カメラシステムは相互不信の象徴であり,「地域の絆」とは基本的に相容れないものである。また,「プライバシーにも配慮しつつ」とあることと,「個人情報の保護を理由とする捜査への非協力の解消」とあることが,どう関係するかもよく分からない。このように,この自由民主党の提言は,あまり作り込まれていないという印象を受ける。

しかし,この提言の出来がどうであれ,街頭防犯カメラ設置の動きは拡大し続けるであろうし,犯罪捜査に対する防犯カメラシステムの寄与は高まるであろう。これは他方で,国民のプライバシー権や行動の自由に対する脅威が増すことを意味する。これを守るためには,街頭防犯カメラの設置を一定の条件の下で認めるガイドラインの策定が必要だろう。現在日弁連が策定しようとしているような,原則違法となるような厳しすぎるガイドラインでは,結果として,野放図な防犯カメラの蔓延を認めることになると思う。(小林)

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2008年4月21日 (月)

上履きにICチップ

毎日新聞の記事によると,大阪府池田市の大阪教育大付属池田小学校で,自動の上履きに入れたICチップで自動の居場所を探知する実証実験を開始したとのことである。池田小学校といえば,8人の児童が殺害された悲惨な事件があった小学校であるが,この小学校が再び事件や災害に見舞われた場合,どこに児童がいるかを迅速に把握し,避難誘導させるのが狙いということのようだ。なるほどそういうアイデアもあるのだなあ,という気もするが,例えば避難訓練を徹底して行うこと以上に,上履きにICチップを入れて児童の居場所を探知するメリットがあるのか無いのかは,よく分からない。また,このような用途にICチップを用いるのであれば,一つでも探知漏れがあってはいけないことになるが,ここまでの精度を確保するのは技術的に至難の業ではないか,と思う。まあ,このあたりを確認するための実証実験なのだろうが。

おそらく上履きに仕込まれるICチップは自ら電源を持たないパッシブタグなのだろうが,これでは電波が微弱で感知精度が上げられないという問題がある。素人のアイデアだが,どうせ上履きに仕込むのなら,児童が履いて歩くたびに発電するアクティブタグを開発してはどうだろう。そうすれば電波の微弱性という問題は解決できるのではないか。

もちろん,法律家の視点で見ると,児童の居場所を逐一把握するシステムってどうなのだろう,という気もするが,それは,それなりに精度が上がった上でのお話しになると思うので,当面はこの実証実験の行方に注目したい。(小林)

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2008年4月20日 (日)

公道のビデオ撮影「必要な範囲ならば適法」

強盗殺人事件の容疑者と,事件後ATMの防犯カメラに写った人物との同一性を確認するなどの目的で,この容疑者を公道上でビデオ撮影したり,パチンコ店の防犯カメラや警察官の携行するカメラで撮影したりした警察の行為について,平成20415日,これを適法とする最高裁判所の判決がだされた,という新聞報道があった。

一般の読者は,何を当たり前な,と思い,報道価値を疑うかもしれないが,この判決が報道されたのには,それなりの理由がある。

この容疑者の弁護人が引用した最高裁判所大法廷昭和44年12月24日判決(京都府学連デモ事件)は,大学で憲法を学んだ学生なら必ず触れる有名な判決である。この判決は,許可ルートをはずれて行進を始めたデモの隊列を写真撮影した警察官の行為について,「何人も,その承諾なしに,みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有し,警察官が,正当な理由もないのに,個人の容ぼう等を撮影することは,憲法一三条の趣旨に反し許されない。」ものの,「現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて,証拠保全の必要性および緊急性があり,その撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときは,撮影される本人の同意がなく,また裁判官の令状がなくても,憲法一三条,三五条に違反しない。」という判断を行った。弁護人は,この判決に基づき,「現に犯罪が行われたわけでも,その直後でもないのに,犯罪の被疑者であるという理由でビデオ撮影することは,この判例の規準に反し,許されない」と主張したわけである。

この主張に対して判決は,昭和44年の最高裁大法廷判決は,「警察官による人の容ぼう等の撮影が,現に犯罪が行われまたは行われた後間がないと認められる場合のほかはゆるされないという趣旨まで判示したものではない」として,弁護人の主張をあっさりと退けた。

この部分は確かに判決の言うとおりであろう。昭和44年の最高裁大法廷判決は,「○○の場合には,適法」と判断しているだけで,「○○以外の場合は違法」とか,「○○の場合に限り適法」とか判断しているわけではない。しかし,だからと言って,この大法廷判決が,公道において許される写真撮影の範囲について,何の影響力もないかといえば,そんなことはない。では,どの範囲に,この大法廷判決の影響力は及ぶのか。この問題を,法律家はしばしば「判例の射程距離」という業界用語を使って論じる。

今回の最高裁判決も,直接的には昭和44年の最高裁大法廷判決の問題ではないとしつつ,それでは余りに素っ気ないと考えたのか,本件ビデオ撮影の適法性如何について,一定の判断を行っている。

それはすなわち,①被撮影者が犯人と疑われる合理的な理由が存在し,かつ,その被撮影者を特定する必要があり,しかも,その目的に必要な限度における撮影であること,②公道やパチンコ店は,「通常,人が他人から容ぼう等を観察されること自体は受忍せざるを得ない場所」であること,の2点に照らし,問題となったビデオ撮影は,捜査活動のため適法なものであるとした。

この判断のうち,①については異論はない。しかし,②については,やや説明が弱いと思う。なぜなら,「見て観察する」ことと,「撮影して記録する」こととは,プライバシー権侵害の程度に重大な差異があるからだ。だから,「他人に見られても仕方ない場所です」と言っても,「他人に撮影されても仕方ない場所です」とは言えないし,まして,あらかじめ設置された防犯カメラならまだしも,警察官の携行する隠しカメラによって撮影されることが「仕方ない」とはいえない。

また,今回問題となった捜査手法は,現在普通に用いられていると思われるが,近い将来,容疑者を探し出すために,駅や幹線道路に警察がビデオカメラを設置し,通行人を洗いざらい撮影する,という捜査手法が用いられることになる。このとき,今回の判決の規準が意義を持ちうるのか。すなわち,不当な捜査の行き過ぎを抑制する効果を持ちうるのか,という問いかけに対しても,この判決は弱いと思う。本件において,問題となったビデオ撮影が結論として適法になることについて異論はないが,もう少し突き詰めた理由を示してほしかったと思う。(小林)

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2008年2月17日 (日)

監視カメラは沖縄米兵少女暴行を防げるか

沖縄で,米兵が中学校三年生の少女を強姦したとして(被疑者は否認と報道されている)逮捕された事件を受け,政府は214日,対策として繁華街への監視カメラの設置を表明した。

すでに本ブログで指摘しているとおり,公道である繁華街に監視カメラを設置することについては,憲法に違反する疑いが提起されている。少なくとも,従前の裁判例を単純に適用する限り,違憲違法と考えざるを得ない。この点について,筆者自身は,一定の要件のもとでなら,公道である繁華街に監視カメラを設置し運用してもよいと考えるものであるが,それでも,本件監視カメラの合法性には疑問が残る。端的に言って,本県の事情を踏まえて公道に設置された監視カメラは,専ら外国人の行動を監視する目的で運用されることになろう。これは,人種又は国籍による差別につながる。もちろん,在日米兵自身については,軍が承諾すれば,一応,違法性の問題は回避できる。しかし軍人でない外国人も多いだろうし,その外国人と私服の在日米軍人とは外見上区別がつかないから,結局,軍人でない外国人の人権の問題は残る。

それに,そもそも,今回の犯罪が繁華街に監視カメラを設置することで防げるのか,という問題もある。報道されている限りでは,被害少女は,沖縄市の繁華街で,午後8時半頃,被疑者に声をかけられてバイクに乗ったということである。ここまでだけなら,ただのナンパだ。繁華街に監視カメラをつけたとして,ナンパそのものを抑止することができるのだろうか。また,繁華街に監視カメラを設置して,ナンパを取り締まることは許されるのだろうか。ナンパが好ましいことかそうでないかには議論の余地があるにせよ,ナンパそれ自体が違法だという見解はない。監視カメラでナンパを取り締まるよりむしろ,少女が夜に繁華街をうろつかないよう措置を講じた方が有効ではないかと思う。(小林)

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2008年2月14日 (木)

セキュリティタウンにおける防犯カメラの設置運用基準

セキュリティタウンとは、防犯等のセキュリティ施設を備えた住宅街のことである。アメリカには「ゲーテッド・コミュニティ」と呼ばれる、壁で囲って要塞化した街が存在するが(昨年旅行した中国杭州にも、高い塀で囲まれた高級住宅街があった)、日本のセキュリティタウンの多くは、ネットワーク防犯カメラ等のITインフラを使い、付加価値としてのセキュリティを高めている。

ところで、三井不動産レジデンシャルのプレスリリースによれば、2月8日から分譲を開始する「ファインコート武蔵野桜堤ブロッサムレジデンス」は「携帯電話との連動も可能な、街を監視する防犯カメラや玄関カメラを全戸標準装備」したセキュリティタウンであり、「歩行者や訪問者を録画可能なセンサーライト付防犯カメラや玄関カメラを全戸標準装備」していることを「主な特徴」に掲げている。

「おいおい、訪問者を撮影するのはともかく、歩行者を撮影して録画したうえ携帯電話に送信していいのか?」と思ってホームページを閲覧したところ、ホームページに掲載されているのは訪問者の撮影までで、「歩行者を撮影・録画して街を監視する」というコンセプトはどこにも掲載されていなかった。この差は、意図的なものなのか、そうでないのか。

タウン内とはいえ、街路の歩行者を洗いざらい撮影・録画して、住民の携帯電話に送信することは、歩行者のプライバシー権との間で重大な法律問題を生起する可能性がある。確かに、他の街路とは一応分離されたセキュリティタウンなら、マンションと同様、共用部分を監視するカメラの設置が認められる場合もあるだろう。しかしその場合でも、カメラの設置運用基準は、きちんと検討されなければならない。

また、このようなセキュリティシステムは、住民以外の第三者との関係だけではなく、住民間でも問題を生じさせる可能性があることに注意しないといけない。例えば、ある住民が街から出たことを他の住民が逐一把握し、泥棒に連絡するなら、たとえ照明やテレビをつけっぱなしにして外出したとしても、留守がばれてしまい、極めて危険である。この街には、そのあたりの歯止めはできているのだろうか。(小林)

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2008年2月 9日 (土)

ユビキタスセンサーネットワークシンポジウム2008in北海道

200828日,札幌市でユビキタスセンサーネットワークシンポジウムが開催された。なぜ札幌市かというと,同市の隣にある岩見沢市でRFIDタグと監視カメラを使用した「街角見守りセンサーシステム」の実証実験が行われており,その結果を踏まえ,このようなユビキタスセンサーネットワークシステムを実用化するための様々な課題について話し合うためである。

出席者は森川博之東京大学教授,田倉和男北海道総合通信局情報通新部長,梅田和昇中央大学理工学部教授,黄瀬信行岩見沢市主査,三輪真松下電器産業株式会社理事,そして筆者である。このほか岩見沢市の小学校PTA会長が基調講演を行った。

岩見沢市は,例に漏れず過疎化と高齢化に悩む町である。また,北海道にありがちなことであるが,人口の割に面積がだだっ広い。これに対応するため,市は他の自治体に先駆けて市内に公設インターネット網を張り巡らし,「距離をITで埋める」施策に取り組んでいる。箱モノばかり作って破綻した隣の夕張市とは姿勢が違う。施策の一環として,総務省の補助と松下電器産業の協力を得て,子どもにICタグを持たせ,登下校時の情報を保護者に通信するサービスの実証実験を行ったわけである。

市の主査は町おこしの立場から,小学校のPTA会長は親の立場から,この実証実験を高く評価し,本格実施を待ち望むと発言していた。法律的にはやや疑問に思う点もあったが,これらユーザーの実感というものは,理屈では抗しきれない重みがある。また,ベンダーが想定していなかった問題点や利用目的なども出てくるものである。

パネルディスカッションは大いに盛り上がり,出席者にも喜んで頂けたようであり,はるばる札幌まで来た甲斐があった。懇親会の後,我々はすすき野に繰り出し,私は個人的に日弁連会長選挙の祝杯をあげた。(小林)

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イギリスの情報開示と保護

本稿は,財団法人自治体国際化協会が2006年(平成18年)6月に公表した「英国の情報開示と保護―情報自由法とデータ保護法を中心として―」が40ページにわたるため,このうち「データ保護法」に関する記述に限定して,単純に要約したものであり,私見を含まない。

1. データ保護法の制定経緯

イギリスでは,個人情報保護に関する法律として,1984年データ保護法が制定されていたが,1980年のOECDプライバシー・ガイドラインや欧州評議会の個人データ保護関連条約を背景に,1995年個人データの処理及び当該データの自由移動における個人の保護に関するEU指令が採択され,この指令に国内法を適合させる必要が発生したことから,1998年データ保護法が制定されて2000年3月から施行された。

2. データ保護8原則

データ保護法の根幹をなすデータ保護8原則は,個人データについて,次のとおり定める。

       公正かつ合法的に処理されなければならない

       明確かつ合法的な目的に沿って処理されなければならない

       目的に関連したものでなければならない

       正確かつ最新のものでなければならない

       必要以上に長く保持してはならない

       個人の権利に従って処理されなければならない

       セキュリティを確保しなければならない

       欧州経済地域外への移転は,当該国が個人情報について適切な措置を講じている場合に限る

上記8原則のうち,①の「公正かつ合法的」であるための要件として,いくつかの要件が定められており,この要件は,機微情報について,加重されている。

また,⑧の国外移転要件についても,いくつかの例外要件が定められている。日本が「情報保護について適切な保護水準」を保障しているか否かは,現在審査中である。

3. 情報コミッショナーの役割

情報コミッショナーは,政府から独立した監督機関であり,データ保護法に関しては,次の権限を有する。

       情報通知(データ管理者に対しデータ保護法が遵守されているかどうかを判断するために必要な情報を要求する)権限

       強制通知(違法行為を行ったデータ管理者に対して同法遵守のため特別措置を講ずることや処理を停止することを要求する)権限

       データ保護法違反者を情報審判所に告訴する権限

       データ管理者の同意に基づき,データ保護法を遵守し適正に実務を行っているかどうかを評価し,その評価結果をデータ管理者に通知する権限

4. データ主体となる個人に保障されている権利

       個人(データ主体)のアクセス権(本人についてどのような情報が記録保存されているかを知る権利。犯罪防止・摘発,保険,教育及び社会事業・課税の場合等の例外あり)

       個人(データ主体)の処理を防止する権利(本人又はその他の者に不当な損害・苦痛を与える処理または開示の中止請求権)

       ダイレクト・マーケティングのための情報処理停止権

       自動的機械的決定に対して人的関与を求める権利

       損害補償を求める権利

       データの修正,阻止(保護),消去,破棄を要求する権利

       情報コミッショナーに対し法律違反かどうかの審査を要求する権利

5. 情報自由法との関係

       データ主体による本人についての個人情報の開示の可否は,すべてデータ保護法に従い,上記4の①の例外以外は全部開示の対象となる。

       第三者による固持温情法の開示請求については,情報自由法で規定する以下の要件のうちいずれに該当しない限り,公開を要する。

ア)      データ保護8原則のいずれかに抵触する場合

イ)      データ保護法に基づき本人さえアクセスできない場合

ウ)      データ主体に損害を与える可能性があり,データ主体がその処理を阻止する権利が妨げられる場合

6. 違法行為

       情報コミッショナーに対する届出義務違反

       調達販売違反(データ管理者の同意無く意図的又は不当に個人情報を入手・公開・漏泄する場合)

7. データ使用通知システム(情報保護のための南京錠Information Padlock)

データ管理者が,保有データの使用をデータ主体である個人に通知するシステム。本人は,Webを通じて,事故情報の使用状況を把握できる。

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2008年1月19日 (土)

住基カードの偽造横行

住基カードの偽造が横行しているらしい。新聞報道によれば、住基カードが偽造され、携帯電話の契約や銀行口座の開設に悪用されるケースが2007年度、総務省の調査により全国で計50件確認されたとのことである。もちろん、この50件は氷山の一角であろう。

ご承知かもしれないが、住基カードはいくつかの情報が印刷されたカード部分と、内蔵されたICチップ部分とがあり、今回偽造の横行が明らかとなったのは、カード部分の偽造である。このカード部分には「氏名、有効期限、交付地市町村名」のみが記載されたAバージョンと、これ以外に「住所、生年月日、性別、写真」が記載されたBバージョンとがあり、今回偽造の対象になったのはBバージョンであろう。

この件で、総務相は遅まきながら偽造防止対策に乗り出したそうである。住基ネット反対派から見れば、「そら見たことか。住基ネットなどもうやめてしまえ」ということになるだろう。これに対して、住基ネット推進派としては、「今回偽造されたのは印刷部分だけであって、ICチップの情報ではない。」と反論することが考えられるが、この件に関しては推進派の分が悪いとの印象をぬぐえない。

その理由は第1に、ICチップ内情報の偽造が判明していないのは、セキュリティ技術の成果などではなく、単に、ICチップ内情報を偽造する経済的需要が存在しないから、と見るべきだからである。今回明らかになった偽造の目的は、架空名義や他人名義による携帯電話の契約や銀行口座の開設であって、店舗側にICチップ内情報の読取機がなければ、ICチップ内情報を偽造する必要はない。つまり、ICチップが使われていないから、ICチップ内情報を偽造する理由がないだけなのだ。

第2の理由は、こちらの方が重要であるが、ICチップ内情報の偽造がなくても、カード印刷部分の偽造が横行すれば、住基カード、ひいては住基ネットシステムそのものに対する信頼が失われるという点では同一だからである。したがって総務省は、住基ネット実施当初より、ICチップ内情報の偽造防止のみならず、印刷部分の偽造防止に十分留意するべきであった。現在、総務省は偽造防止技術の適用を検討しているとのことだが、あまりにも遅きに失したというべきであろう。

過ぎたことは仕方がないとして、この件から総務省が学ぶべきことは何か。今回明らかになったことは、住基カードの偽造を求める裏社会の経済需要があれば、偽造を試みる輩が必ず発生するということである。そうであるならば、ICチップ内情報の偽造を求める裏社会の経済需要が発生すれば、必ずやICチップ内情報の偽造を試みる技術者が現れる。したがって、総務省は今のうちに、偽造された、あるいは偽造が試みられたICチップを判別する技術と機械を開発し、一定範囲で全国に備置するべきである。住基ネットはどうせ普及しないからそんな技術はいらない、というのであれば別だが。(小林)

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2008年1月13日 (日)

東京都、ハイテク3D防犯カメラを首都全域に設置へ

平成19年1月11日のAFP通信によると、東京都は「指名手配犯などの顔データを立体的に認識できる初の3D防犯カメラを都内全域に設置する計画を明らかにした。」とのことである。

記事は、「同システムは、防犯カメラがとらえた人の顔を瞬時に3次元画像データとして送信し、指名手配犯やテロ容疑者の顔データと照合することができるもの。画像データと容疑者データが一致した場合には、即時に各警察署に通報される。関係者の話によると、従来の2次元画像式防犯カメラでは人間の顔を多方向から同時に認識することは不可能だという。最新3D防犯システムの所要経費は約11000万円。東京都では、カメラの設置場所として鉄道各駅や繁華街などを想定しており、警視庁や産学機関と合同で調査を進め、2010年には防犯カメラを試験的に導入したいとしている。」と続ける。

いよいよ「マイノリティ・リポート」並みのハイテク防犯カメラ社会の到来か、と受け止める向きも多いであろう。「監視社会を拒否する会」あたりは、敏感に反応して反対声明を出しそうなものだが、正月休み中なのか、現時点では何の動きもない。

私の法律的な見解としては、このようなシステムは、少なくとも記事が言うように指名手配犯の探索に用いられる限りは、違法性は無い。もっとも、記事が「指名手配犯やテロ容疑者」という書き方をしていて、まるで「指名手配犯ではないテロ容疑者」がいることを前提としている点にはややひっかかるが、この点については別稿でふれたい。

むしろ、この記事が不正確なのか、東京都の発表が変なのか分からないが、この記事を読んでいて疑問に思う点が別にある。

すなわち、記事の見出しには、今にも3D防犯カメラなるものが都内全域に設置されるかのようだが、記事をよく読んでみると、その技術自体が実験段階にあることが分かる。ところが、実験段階の割にはすでに「必要経費」が発表されていて、それが1億1000万円。妙に中途半端だし、異常に安い。この経費は、2007年度の実験に要する経費と見るべきだろう。このシステムを都内全域に展開するのなら、少なくとも数十億円が必要になると思う。

記事には「従来の2次元画像式防犯カメラでは人間の顔を多方向から同時に認識することは不可能だという。」とある。小難しい言い回しだが、1台のカメラでは人を多方向から認識することができないことは当然だし、1方向から認識した画像が立体画像になり得ないこともまた当然だ。そこで、このシステムは多方向(少なくとも2方向)から撮影した画像を合成し、3次元画像を復元しようというものだが、口で言うのは簡単でも、技術的には恐ろしく困難だと思う。というのは、複数のカメラが同じ場所を同時に撮影するとして、Aカメラが撮影した甲という人物と、Bカメラが撮影した乙という人物が、実は同じ人物であるということをシステムに把握させることが非常に難しいからだ。人間なら、人相からある程度判断がつくことだが、コンピューターには、そもそも人相という概念がないのだ。そこで、あらかじめ撮影する場所の座標をカメラに覚えさせておくという方法を取ることになろうが、人間は升目どおりに動いてくれないし、駅の雑踏等で、一人一人を正確に識別するためには数センチ単位の座標を0.1秒単位で複数カメラに同期させる技術が必要になろう。

ところで、一方向から人を撮影して骨格など立体的情報を割り出し、認証に用いる技術はすでに存在するし、精度もかなり上がってきている。となると、今回東京都が発表した技術をわざわざ開発する必要性が分からなくなる。どうにも疑問が残る記事である。(小林)

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2008年1月11日 (金)

リベラルでリアルな監視社会

見落としていたが、哲学者・評論家の東浩紀氏が、CNET Japanに「リベラルでリアルな監視社会」というコラムを書いていた。

東浩紀氏は、近い将来、「あらゆる教室、あらゆる研究室、あらゆる会議室に監視カメラが設置され、教員や社員の会話を逐一記録している社会」が到来するのではないかと予言する。これはもちろん、「ひとむかし前の想像力であれば、最悪の監視社会と見なされたはずのもの」であるが、東氏の予言する未来の超監視社会は、国家権力がどうとかいう問題ではなく、いじめやパワハラ・アカハラなどで責任を問われないための自衛策として、自主的に設置されるのではないかということだ。

同氏はまた、「少想像力を飛躍させると、2045年の世界においては、各家庭のなかにさえ、児童虐待やDVを自動的に関知し、行政か民間の福祉サービスに通報するシステムが導入されている可能性があると思います。むろん、そのような『暴力防止セキュリティサービス』は、国家が強制的に各家庭に設置するのではなく、ひとびとが、幸せな家庭を作るために、あるいは社会的な信頼を得るために、自発的にお金を払って購入する」ようになっているのではないかと言う。つまり、「私たちの世界は、私たち自身がリベラルで、非暴力的で、良識的で、弱者に優しいがゆえに、一種の監視社会に急速に向かっているように思われます」というのが、東氏の主張だ。

本当にそのような時代が来ることになるかはやや疑問に思われる点もあるが、現在の監視社会化が国家権力がどうのという問題ではない、という認識では、筆者は全面的に賛成である。

該当監視カメラの増加に反対している、いわゆる人権派の弁護士は少なくないが、彼らの基本的スタンスは一様に反国家権力であり、その意味において、現在の監視社会化の本質を見落としている。繁華街に監視カメラを設置したら日本はまた戦争になる、などと言っているうちは、彼ら人権派弁護士は、監視社会化を阻止する何の働きもできないだろう。(小林)

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2008年1月 8日 (火)

自販機内蔵カメラで防犯

という記事が,平成20年1月7日の日本経済新聞に掲載されていた。群馬大学工学部(e自警ネットワーク研究会 会長・藤井雄作教授)と三国コカ・コーラボトリング群馬支社の共同開発で,市販の無線カメラを自販機に組み込み,前方の幅5メートルの範囲を24時間撮影し,人や車が通ったときだけパソコンに保存するとのことである。その目的は,「自販機荒らしを防ぐだけでなく,街頭での犯罪捜査にも役立つと見て」おり,「県警と協力して…2008年中の実用化を目指す」そうだ。

プライバシー保護に関しては,「映像は暗号化して保存し,事件などが起こった場合のみ警察など捜査機関が再生できるようにしてプライバシー保護機能を持たせた」とのことである。

これは囲み記事だから,藤井教授らの意に反する省略があるかもしれない。それ故の誤解であればご容赦頂きたいが,この人達は本当にプライバシーやセキュリティのことを考えているのかと思う。

このシステムは例えるなら,道のほうぼうにカメラを持った人が立っていて,その前を横切ると写真を撮られる,ということと同じである。「何で写真を撮るんだ」と問いかけると,「ご心配なく。ただ撮影しているだけで,事件などが起こったときに現像するだけですから。ついでといっては何ですが,私はジュースやお茶の販売もしています。買って行きませんか?」との答えが返ってくる。そう答えられたら読者は「ご苦労様です。犯罪捜査に役立つならどうぞ撮影してください。」と納得するだろうか。筆者なら不愉快に思う。「今撮影したこのとき犯罪は起こりましたか?起こっていないなら,撮影した画像は今削除してください」と答えたい。まして,その人からお茶を買う気など起きない。9.11同時多発テロの後,世界中の感覚が安心安全に触れていて,防犯や犯罪捜査のためといえば何でも許されるかのような風潮があるが,そういうときこそ,このような不愉快に思う気持ちは大事にしなければいけないと思う。

筆者のこの感覚は,おそらく筆者個人のものではない。大阪市で通学自動見守りのために自動販売機にビデオカメラを設置した実証実験が行われたが,カメラが設置された自動販売機は売上が下がったという噂がある。もしこの噂が本当なら,自動販売機に撮影されることを不愉快に思う気持ちは,決して極少数派ではない。確かに大阪での実証実験のときは,自動販売機にやたらごつい機材やアンテナが設置されていて,いかにも「撮影しています!」という感じだったが,だからといって,カメラを小型化すればよいというのはまやかしである。むしろ,街頭犯罪を抑止するなら,カメラはごつくて目立つほどよい。

セキュリティの面からも,無線小型カメラを使用するという点に疑問が残る。この無線の傍受や,ダミー画像の送信などについて,十分なセキュリティが施されているのだろうか。また,記事には「事件などが起こったときのみ」再生できるようにするとあるが,「事件など」の「など」とは何を指すのか。県警と共同実験をしているというが,それなら暗号を解読するパスワードは県警も持つことになるのか。少なくとも,復号の規準や手順について,事後検証の可能なルールは作成されるのか。

もちろん,自販機荒しという犯罪が相当程度発生している以上,これを防止するという目的は正当である。次に,カメラで自販機荒らしが防止できるかについては,やや疑問もあるが,あるとしておこう。しかし,自販機荒し防止を目的とする撮影は,その目的に必要な限度に限定されなければならない。その自販機に何の用もない,ただの通行人を全員撮影するのは行き過ぎだし,ただの通行人を全員撮影するなら,「後で使う可能性があるから」という理由だけでは全然足りないと思う。(小林)

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2007年12月16日 (日)

防犯カメラの客引き抑止効果

最近のネット記事から二題ご紹介したい。

平成19年12月6日の新潟日報のホームページによると,「JR新潟駅前の繁華街、新潟市中央区東大通1の街頭に東大通1丁目町内会が防犯カメラを設置、6日から運用を始める。ネオンの下で増え続ける悪質な客引き抑止が主な目的で、町内会では『誰もが気楽に立ち寄れる街づくりにつなげたい』とカメラ設置をPRしている。」

JCASTテレビウォッチの12月10日版は,「防犯カメラあると危ない!?ぼったくり事情2007」で,日本で初めて警察が該当監視カメラ50台を設置した新宿歌舞伎町のぼったくり事情を紹介するテレビ番組を引用していた。その中で,「興味を引いたのは、阿部リポーターに声をかけてきた客引きが、防犯カメラが設置されているエリアは『逆に警察の取り締まりが甘い』と指摘したことだ。客引きや阿部が映っている場所周辺には防犯カメラが設置されていた。安部はすでに午前2時で、店は営業できない時間のはずだと、客引きに指摘したが、客引きは『やってるよ』とどこ吹く風だ。スタジオで取材内容を報告する阿部は『カメラがあるから(警察が)来ない』『(来ないから客引きが)やりやすい状態になっている』とまとめた。」とのことである。

これら二つの記事の内容は,明らかに矛盾する。該当防犯カメラに悪質な客引きを抑止する効果があるのかどうか,あるいは,効果があるとしてもそれには一定の条件が必要ではないか,ということは,そろそろきちんとした検証を要する時期にきている。そうしないと,街頭防犯カメラの大半が「税金の無駄遣い」という評価を受けることになりかねない。このことは,ひいては,ネットワークカメラの社会的存在意義そのものを脅かすことになると思う。(小林)

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2007年12月 8日 (土)

ユビキタスネットワークシンポジウム2007

 11月29日に秋葉原ダイビルで開催されたユビキタスネットワークシンポジウムのパネルディスカッションに参加させて頂いた。300名を収容するホールは250人以上の出席を得てほぼ満席の盛況であり,ユビキタスネットワークの技術がいよいよ社会的実施の段階に入っていることを実感した。このパネルディスカッションの際,各パネラーが10分程度プレゼンを行うということだったので,用意した原稿を下記に掲載する。

                  記

UNS2007パネルディスカッション

ユビキタスネットワーク社会実現のためのこれまで今後

~法律の見地から何が必要か~

私からは,ユビキタスネットワーク社会実現のために,法律の見地から日本に何が必要か,ということを簡単にお話し致します。

まず,ユビキタスネットワーク社会とは,高度に発達したネットワーク社会であると同時に,ヒトとネットワークとが,シームレスに繋がった社会であるということができます。

ここに「シームレス」ということの意味は,キーボードなどの入力デバイスをヒトが操作することなしに,ヒトに関する情報をネットワークが取得することを意味します。そのために必要なデバイスとして,RFIDシステムや,カメラ,マイク,指紋や虹彩等のスキャナが開発されています。

ヒトとネットワークがシームレスに繋がることは,大変な利便性をもたらすと予想されます。

しかし反面,ヒトの保持するプライバシー情報が,そのヒトの意思に反してネットワークに取得されることもあります。また,一旦ネットワークが取得した情報は,高度化したネットワークを駆けめぐり,ほかの情報と合体して,そのヒトに思わぬ不利益をもたらすかもしれません。このように,ユビキタスネットワーク社会を実現するためには,プライバシー権との調整を図ることが,避けて通ることのできない法律的課題です。

ところで,このような法律的課題とは裏腹に,現在の日本では,ユビキタスネットワークデバイスが,驚異的な速度で普及しつつあります。例えばネットワークカメラは,店舗やマンションはもちろん,全国各地の繁華街や商店街に,凄まじい勢いで設置されています。世界に目を転じますと,イギリスは全国に約400万台とも言われる監視カメラを設置しており,監視カメラ先進国とも呼ばれますが,日本にイギリス並みの監視カメラが設置される日もそう遠くないと思われます。

このような傾向に対しては,監視社会化を招くとして警鐘を鳴らす人たちもいます。しかし,このような意見は圧倒的少数派であるのが現状です。このことは,ユビキタスネットワークを推進する見地からは,大変好都合のように見えます。しかし,本当にそうでしょうか。

「京都府学連デモ事件判決」という,最高裁判所大法廷が昭和44年に行った有名な判決があります。この判決や,これに続く一連の判決によると,警察が公道など公の場所において,罪なき一般市民を撮影することが許されるのは,現に犯罪が行われているときか,その前後に限られ,しかも,犯人を撮影するうえで必要不可欠な範囲に限られるとされています。この裁判例によれば,商店街などが設置して通行人を撮影し録画する行為は,違法になってしまいます。

もちろん,この最高裁判所の判決は,昭和44年という,ビデオカメラもデジタルカメラもない,市民1人ひとりがカメラ付き携帯電話を持ち歩く時代が来るとは想像もできない時代に出された判決ですから,これがそのまま現代に妥当するとは限りません。しかし,明確なルールが存在しない以上,この判決は現代においても生きています。つまり,現在普及しつつあるユビキタスネットワークデバイスは,常に,裁判所によって違法と判断され,撤去や損害賠償が命じられるリスクにさらされていると言って過言ではありません。

現在の日本では,監視カメラに関してはいくつかの地方自治体で条例が制定されています。また,RFIDに関しては,2004年に総務省と経済産業省がガイドラインを策定しています。しかし,プライバシー権とネットワークとの調整の問題は,本来,条例やガイドラインによる規制になじむものではありません。全国に等しく適用される法律によるルール作りが急務であると考えます。

現在,ユビキタスネットワークシステムとプライバシー権を調整するための法律が存在しないことは,第一に,ユビキタスネットワーク社会を推進する研究者や技術者に対して,不必要なブレーキになるという弊害を発生させています。私はユビキタスネットワークに関するいくつかの研究会に参加していますが,研究者や技術者の方々が,裁判を起こされ違法とされることをおそれるあまり,研究開発を躊躇する事例に接しています。法規制とかルールなどというと,一見,ユビキタスネットワーク社会の推進を縛り妨げるかのように聞こえます。しかし,適切な法規制やルールは,むしろ,ユビキタスネットワーク社会を推進するものです。自動車は道路の左側を通行しなければならないという道路交通法上のルールは,自動車産業の発展を阻害したでしょうか。むしろ,車と車,あるいは車と人との関係を適切に規律するルールこそが,自動車産業を発展させたと言えるのではないでしょうか。

ユビキタスネットワークシステムとプライバシー権を調整するための法律が存在しないことは,第2に,日本や日本の企業が情報技術を世界標準とするに際して,大きな妨げとなる危険があります。例えば先ほど触れたイギリスは,監視カメラ先進国である一方,情報コミッショナーという第三者機関を設けるとともに,個人データ保護法をはじめとする法制度が,日本より遙かに整備されています。また,世界では,情報コミッショナー制度を有する国の国際会議である「データ保護・プライバシー・コミッショナー国際会議」が開催されており,今年で29回を数えますが,情報コミッショナー制度を持たない日本は,各国コミッショナーによる非公開会議に参加することさえできません。このままでは,日本は,情報プライバシー保護制度後進国の烙印を押され,ユビキタスネットワークシステムの輸出や他国のネットワークとの接続を断られることにもなりかねません。

以上,日本においてユビキタスネットワーク社会を実現するためには,適切な法的ルールを定める必要があること,国民に拒否反応がない今こそが,法的ルールを定める好機であること,そして,そのためにはまず,イギリスやヨーロッパをはじめとする先進国の制度を研究する必要があることを申し上げて,ご説明とさせて頂きます。(小林)

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2007年12月 2日 (日)

「見守りロボット実用化へ」のニュースについて(4)

小学生にICタグを所持させ,通学路のポイントを通過するたびに通過情報と通過児童の画像を学校や親に自動配信する「街角見守りロボット」を導入する際,保護者が,「子どもの画像がその親に配信されるのは差し支えないが,親でないほかの保護者に配信されるのはプライバシーの侵害だ」と主張することがあるようだ。「街角見守りロボット」をめぐる法律問題は,すでに述べてきたとおり何点かあるが,実際問題としては,このような親の主張にどう対応するか,という点が,業者や学校を悩ませているらしい。

確かに,「街角見守りロボット」のシステムからすれば,太郎君と花子さんが仲良く手をつないで「街角見守りロボット」の前を通過したとき,「手をつないで歩く太郎君と花子さん」の画像が太郎君の保護者と花子さんの保護者の両方に配信されることになる。双方の両親が知り合いであればともかく,見も知らぬ保護者に自分の子どもの画像が配信されることに抵抗感がある,という心理は理解できる。法律的に見ても,子どものプライバシー権は,保護者と学校に対してのみ放棄(公開)したのであって,同じ学校とはいえ赤の他人に対して放棄(公開)したのではない,という理屈は成り立つ。

しかし他方,すでに述べたように,このシステムは児童ではない一般通行人を承諾なく撮影するものであり,一定の条件の下で適法になるとはいえ,これを不愉快に思う市民もいよう。このような市民に対する思いやりもなく,自分の子どもの画像についてだけプライバシー権を主張するのはいかがなものか,という気もする。

そうすると,「街角見守りロボット」に守られるという恩恵を享受している子どもについて,他の保護者に画像を見られたくない,という意味でのプライバシー権は一応認められるものの,それは,一般通行人の有する同様のプライバシー権よりは劣る,と考えるべきだろう。平たく言い換えると,一般市民が撮影された画像を学校や親に配信されることを我慢しなければならないのであれば,児童やその親も我慢しなければだめ。他方,自動マスキングなどの「プライバシー保護技術」により,一般市民の画像が学校や親に配信されない手当がなされているのであれば,この技術を児童にも適用して,親にのみマスキングを外した児童の画像が配信されるようにしてもよい。しかし,一般市民のプライバシー権には何の配慮もせずに,児童の顔にだけマスキングするのは,不公平でだめ,ということになる。(小林)

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2007年11月26日 (月)

「見守りロボット実用化へ」のニュースについて(3)

小学生にICタグを所持させ,街角のポイントを通過するたびに通過情報を親や学校に自動通知する「街角見守りロボット」の多くは,ICタグリーダのほかにカメラを備えていて,通行人を撮影している。撮影時間については,常時撮影するタイプと,ICタグを装着した児童が通過したときに撮影するタイプがあるようだ。

カメラというデバイスは,ICタグリーダと異なり,児童だけではなく,たまたまそこを通過していた一般市民を撮影する。そこで,これら一般市民を承諾無く撮影することが違法とはならないのか,が問題となる。

法律論としては,これが最も重要な論点である。例えば,最高裁判所大法廷が昭和44年に出したいわゆる「京都府学連デモ事件」判決は,憲法の講義で必ず紹介される有名な判決であるが,現行犯かこれに準じる場合にしか,公道で警察官が一般市民を撮影することを許していない。警察官がやっていけないのであれば,一般市民もやってはいけないというのが筋である。しかし,詳細はここでは述べないが,私は,結論としては,一定の条件の下で適法と認めて良いと考えている。その条件とは大まかに言って,①登下校時の子どもの安全を守るという目的であるならば,その目的を達成するために必要最低限の範囲でのみ撮影を行うこと,②撮影した画像の取扱を適正に行うこと,③責任の所在と運用方法を適正かつ明確に定め,これを公開すること,の3点である。(小林)

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2007年11月22日 (木)

「見守りロボット実用化へ」のニュースについて(2)

子どもにICタグを持たせて登下校の位置情報を把握し親に通知する「街角見守りシステム」に対して,エンパワメント・センター主宰の森田ゆり氏は大反対の立場である。この問題は,法律的には,登下校時の行動・位置情報という子どものプライバシー権の問題として検討することができる。

「子どものプライバシー権だって?親が承諾しているのだから問題ないだろう。そもそも子どもにプライバシー権などあるのか?」と思われるかもしれない。確かに,親には子どもの権利や利益を処分する権限がある。しかし,親だからといって処分できない権利もある。例えば生命がそうだ。

それでは本件の場合問題になる子どものプライバシー権とは具体的に何か。語弊をおそれずに言えば,それは「道草の権利」とでも言うべきものである。「道草は権利なのか?」と思われるかもしれない。道草は子ども権利である。それは子どもにとって,とても重要なものだ。

道草をするのは,子どもの本能といってよい。子どもは,道草をする中で,いろいろなことを学ぶ。親の言いつけを破ったり,親の目を盗んで行動したりすることも,子どもの成長過程に不可欠の経験である。

もちろん,親は子どもに道草を禁じることができるし,道草を発見したら叱ることができる。これは親の権利でもあるし,義務でもある。しかし,親が子どもに道草を禁じることと,情報デバイスを通じて子どもの位置を把握し,道草の有無を常時チェックすることとは話が別だ。森田ゆり氏は,街角見守りシステムが子どもの成長過程に重大な悪影響を及ぼすとして,これに反対しているのである。

法律的にはどのように考えるべきだろうか。確かに,子どもには道草の権利と呼ぶべき重要な利益があることは認められよう。しかし,この権利も他の利益や必要性との調整が必要なときもある。街角見守りロボットの場合,問題となるのは子どもの安全という重要な利益であり,しかも,小学生には身の安全を守る能力が乏しいことや,塾や核家族・共働き夫婦の増加により,子どもが単独で行動したり夜間外出したりすることが増えているのも事実である。また,かつて存在した地域の力が,現代の多くの街で弱くなっていることも事実であろう。そうであるとすれば,小学生レベルの子どもについて,街角見守りシステムを導入することもやむを得ないと考える。

もちろんこれは法律論であり,「適法か,違法か」レベルの問題だ。「妥当か,妥当でないか」というレベルの問題は,教育のあり方を含め,別の議論が必要である。(小林)


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2007年11月18日 (日)

「見守りロボット実用化へ」のニュースについて(1)

平成19年11月9日の毎日新聞朝刊「くらしナビ」に,大阪市立中央小学校で実用化が始まった「街角見守りロボット」が紹介されていた。記事はおおむね「見守りロボット」に好意的であり,今後の課題として,維持費や地域との連携の重要性を指摘している。

もちろん,このシステムに対する意見は好意的なものばかりではない。私の知る限り,エンパワメント・センター主宰の森田ゆり氏は大反対の立場である。同氏は小さな子どもの母親であり,しかも池田小学校事件の起きた大阪府池田市のご近所にお住まいとのことであるから,それでもなおこのシステムに反対することについては,それなりの覚悟をお持ちであろう。また,大阪大学の日比野愛子氏らは,「IC タグによる「子ども見守り」システム―監視社会の情報技術―」と題した論文を発表し,主として監視社会という切り口から,子どもの見守りシステムを検証している。

しかし,これらの議論をプライバシー権という法律的な視点から見るときは,問題点が適切に切り分けられていないため,論点が混乱しているように思われる。適切な切り分けのためには,まず,ICタグリーダとカメラというデバイスの違いに着目することが必要だ。

ICタグリーダは,対応するICタグを装着する子どもの行動を把握するから,このデバイスに関しては,登下校時の位置情報という,子どものプライバシー権が問題となる。

カメラに関しては,対象となる子ども以外の第三者(一般の通行人)が撮影されてしまうため,この第三者のプライバシー権との関係で問題が発生する。

そして第三の問題として,カメラに撮影される子どもの画像を,その子の親以外の第三者が見ることの可否がある。意外に思われるかもしれないが,「街角見守りシステム」を導入する際,全面的に賛成する親御さんも,自分の子どもの画像がほかの親御さんに見られることには,抵抗を示す場合があるのだ。

これら3つの問題は,それぞれ異なる論点であるから,法律上の問題を検討するにあたっては,これらを区別することが必要だ。(小林)

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2007年11月14日 (水)

装着型全方位ステレオ監視システムについて

大阪大学の八木康史教授が,「装着型全方位ステレオ監視システム」の研究をしておられる。これは要するに,路上に監視カメラを多数設置しても,死角は完全になくならないし,郊外など,監視カメラが設置されていない地域も残る。そこで,全方位監視カメラを個人個人が装着したらどうか,というアイデアに基づく研究であり,具体的イメージが動画で紹介されている。面白いので,是非ご覧下さい。

私の感想は,正直言って,「なんだかなあ」である。素人めいた感想にはなるが,できる限り法律家としての視点を保ちつつ,述べてみたい。

監視カメラ(防犯カメラ)の機能は大きく分けて二つある。一つは,犯罪を抑止する機能であり,二つ目は,犯罪を記録する機能である。この二つの機能は密接に関連している。つまり,防犯カメラは,犯罪を記録するからこそ,犯罪を抑止することができる。

そして,犯罪を抑止する機能は,そこに防犯カメラがあるということが表明されていなければならない。したがって,防犯カメラに犯罪抑止機能を発揮させるためには,「防犯カメラ撮影中」と目立つように表示させるか,または,カメラそれ自体を目立たせる必要がある。いずれにしても,「目立つ」ことが必要だ。そしてこの必要性は,ファッション性と真正面から対立する。ファッション性という観点からすれば,正直言って,このような監視カメラを頭のてっぺんに装着して市民が街を歩く時代が来るとは思えない。八木教授は,「研究者は携帯監視(技術)の確立に専念し,あとは,工業デザイナのセンスに期待するところである」(セキュリティ産業新聞546号)と述べておられるが,それは期待が過ぎるというものではないか。

次に,防犯カメラの犯罪記録機能についてである。この装置がどうやって影像を記録するかは不明だが,装着する個人が記録するか,無線LAN等の電波技術を使って影像をネットワークに飛ばして記録するかのいずれかであろう。しかし,前者(装着者本人が記録する場合)であるなら,犯罪者は犯罪遂行の前後に記録媒体を破壊すればよいのだから,防犯カメラの犯罪記録効果は無に帰する。これは同時に,犯罪抑止効果も無に帰するということである。また,後者(ネットワーク経由で影像を記録する場合)であるなら,電波が届かない場所では犯罪記録機能も,抑止機能も失われる,ということになる。つまり,郊外やトンネル・地下通路内では意味がない,ということだ。これでは,八木教授の当初の提案における問題解決にならない。

いうまでもなく,私が研究課題にしているプライバシー権との関係も大いに問題である。この「携帯する監視カメラ」は,公共の場所だけでなく,あらゆるプライベートな場所に携行することが可能であるから,盗撮カメラとして悪用する人間が必ず出てくるであろう。

というわけで,装着型全方位ステレオ監視システムについては,「なんだかなあ」と思う次第である。

もっとも,この記事を読みながら,私なりのアイデアが浮かんだので,技術者の方に研究して頂ければと思う。

私のアイデアは,「ライフレコーダー」というものだ。これは,最近のタクシーなどに装着されている「ドライブレコーダー」の「ドライブ」を「ライフ」に置き換えたものであり,その機能も「ドライブレコーダー」に似ている。その実体は数㎝×数㎜のチップであり,個人の頭蓋骨に埋め込んで,視神経と聴覚神経に接続しておく。このライフレコーダーは常時データを記録しつつ,上書き消去していくが,埋め込まれた個人の生命反応が消失した場合や,一定以上の重力加速度が記録された場合には,直近30秒間の視覚・聴覚記録を保存する,というものだ。つまり,死体の頭蓋骨からライフレコーダーを取り出して専用の機器で再生すると,その人が死亡する30秒前の画像と音声が再生される仕組みである。

馬鹿馬鹿しいですか?技術的・医学的には現時点では無理かもしれないが,実用性という点からすれば,八木教授の研究に比肩すると思うし,プライバシー権との関係でも問題はないのだが。少なくとも,SFミステリー小説や映画の題材にはなると思うので,どなたかこのアイデアを使ってください。私の名前をクレジットして頂ければ,アイデア料はいただきません。(小林)

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2007年11月 6日 (火)

ニューヨークのタクシー運転手のプライバシー感覚について

U. S. Front Lineのウェブニュースによると,ニューヨーク・タクシー労働者同盟が,全車両にGPS端末の搭載を義務づける市の計画に反対してストライキを行ったという。反対の理由として,運転手らは,居場所が特定される「プライバシーの侵害」や,導入に伴う経費の負担増に反発している,とのことである。

個人タクシーならともかく,タクシー会社の従業員であるタクシー運転手が,何故経費負担増に反対するのか,よく分からないが,それは取りあえず措いておく。ここで問題としたいのは,「プライバシーの侵害」という反対理由だ。

日本人の感覚としては,おそらく,タクシーにGPS端末を搭載することが,なぜ運転手の「プライバシーの侵害」になるのか,理解できないと思う。私も理解できない。効率的な配車のためには各タクシーの位置を会社が把握することは重要であるし,その手段としてタクシーにGPSを搭載するというのも有効な方法であろう。タクシーの運転手には,会社との雇用契約上,就業中の自分の位置情報を会社に通知する義務があると考えて良いと思う。もっとも,ニューヨークのタクシーには日本のような配車のシステムがなく,100%「流し」で営業しているのかもしれないが。

しかし,本稿で指摘したいのは,GPSの搭載が運転手の「プライバシーの侵害」になるという主張が正しいか否か,ではない。このような主張が堂々となされるという,運転手(というよりアメリカ人)のプライバシー感覚である。「GPS搭載はタクシー運転手のプライバシーを侵害する」という主張が,「ハァ?何言ってんだお前。ねぼけとるんちゃうか?」という箸にも棒にもかからないレベルではなく,(結果的に少数かもしれないが)それなりに支持されるレベルで成立する,というアメリカ人の感覚を,指摘しておきたいのだ。

一般的には,アメリカ人のプライバシー情報に関する権利意識は,日本人のそれより低いと言われている。街頭防犯カメラに対する人権意識も日本人より低いと言われるし,社会保障番号をたよりにネットで検索すると,その人の職歴や資産等のプライベートの事項が分かると言われているし,このような情報を売買する産業も成立している。しかし,そのような一般論が必ずしも常に妥当するわけではない,つまり,プライバシー情報に関する権利意識について,アメリカ人が常に日本人より低いわけではない,ということをこのニュースは教えてくれる。(小林)

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2007年11月 4日 (日)

第50回日弁連人権擁護大会シンポジウム

平成19年11月1日,日弁連が浜松市「アクトシティ浜松」で開催した人権擁護大会シンポジウムの第1分科会「市民の自由と安全を考える」を聴講した。人権派とは言い難い私であるが,監視カメラやネットワークカメラの問題を専攻する以上,現時点における日弁連の到達点を知る必要があると思い,はるばる浜松まで出張した次第である。シンポジウムには弁護士のほか報道記者や一般市民,学生など,800人を超える出席者があり,盛況であった。

シンポジウムの前半は600ページ近くに及ぶ基調報告書の紹介と寸劇,後半は監視社会の問題に取り組む国内外の著名人によるパネルディスカッションだった。パネラーは大谷美紀子弁護士木下智史関西大学教授,フリージャーナリストの斎藤貴男氏,田島泰彦上智大学教授,浜井浩一龍谷大学教授,エンパワメント・センター主宰の森田ゆり氏,そして米自由人権協会共同代表を務めたバリー・スタインハード氏であった。バリー氏は「1992年から2002年まで、米自由人権協会(American Civil Liberties Union: ACLU)の共同代表を務め、2002年からテクノロジーと自由に関するプログラム部長を務めている。1990年代後半から2000年頃、米国におけるインターネット盗聴捜査の拡大に反対して活動してきた。現在の関心は、反テロ愛国法の成立にともなう、個人情報の国家による一元管理と監視システム問題など。NSA(国家安全保障局)が主導する、全世界の大量の通信を傍受するスパイ・システム「エシュロン」の存在を明らかにした人物としても有名」だそうである。もっとも,出席者が多すぎて掘り下げが足りず,後半全体としてはやや欲求不満の内容となった。

さてシンポジウムの前半に戻るが,まずは長大かつ詳細にわたる基調報告書をまとめ上げたスタッフに敬意を表したい。しかし,内容が多岐にわたりすぎたせいか,全体として散漫になったという印象をぬぐえない。

まず,シンポジウムの副題を「9.11以降の時代と監視社会」とする以上,9.11同時多発テロが国家や社会にもたらした変化に主題を絞るべきであった。9.11以降に発生した人権侵害事例や監視社会化の兆候といえども,全てが9.11の影響を受けて発生したものではないだろう。そうである以上,今回取り上げる事例は,9.11の影響を強く受けたものに限定するべきである。ところが,シンポジウムでは,公安警察が青年法律家協会の総会に参加するため宿泊したホテルに宿泊者名簿の提出を求めた事件が紹介された。けしからん話であることは分かるが,このような事例は数十年前から繰り返されてきたはずであって,9.11と直接の関係があるとは思えない。どうせ紹介するなら,例えば自衛隊情報保全隊が自衛隊イラク派遣に反対する集会をスパイしていた事件などが,9.11による監視社会化を象徴する事件として紹介に値しよう。

また,9.11以降の監視社会化を,国家権力対市民という,いかにも左翼の伝統的思考様式にあてはめてしまったことも感心しない。パネラーの中では唯一斎藤貴男氏が「現代の監視社会化は国家権力のみならず,商業的圧力によって推進されている」と指摘したが,他の出席者の反応はほぼゼロであった。さらに,現代監視社会化の基盤にある情報テクノロジーの高度化に全く触れられなかったことも残念である。私の理解によれば,現代の監視社会化は,いうまでもなく9.11以前から進行していたが,主としてこれを支えたのは高度に発達しつつある情報テクノロジーであって,9.11はかかる意味での情報テクノロジーの商業的価値を瞬時に開花させたものである。つまり,9.11以降の時代と監視社会の問題は,市民が高度に発達しつつある情報テクノロジーとどのように向き合うかという問題であり,この問題はユビキタス社会との関係性とも通底する,近未来社会の最重要課題である。この点に全く触れないでは,9.11以降の監視社会化を論じる意味はないと言って過言でない。その理由は長くなるので省略するが,一言で言うならば,テクノロジーこそ,人類にとって「エデンの園のリンゴ」だからである。

最後に,私が専門とする監視カメラの問題について触れておくと,その内容が2004年に九州弁護士会連合会が開催したシンポジウムから一歩も進化していなかった点も残念であった。監視社会化を支える情報テクノロジーの驚異的な進行速度に照らせば,この3年間の研究が全く進化も深化もしなかったことは致命傷に近い。商店街や公共施設に設置されている監視カメラは原則として違法というのが主宰する弁護士の立場であるならば,弁護士である以上,自分で裁判を起こして違法な監視カメラの撤去を求めるくらいの気概を持つべきであろうし,裁判の中でこそ,研究が進化するという面もあろう。このシンポジウムは政治集会ではなく,法律実務家の主催する集会なのだから。

以上,監視社会問題に対する日弁連の到達点を知るという趣旨で出席した日弁連人権擁護大会であったが,その内容は必ずしも満足できるレベルではなかったと言わざるを得ない。私と立場は違うが,彼らにも彼らの信念に基づく一層の努力を期待したい。(小林)

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2007年10月29日 (月)

ウォークスルー虹彩認証システムについて(2)

平成19年10月17日から東京ビックサイトで,危機管理産業展(RISCON2007)と同時開催された「テロ対策特殊装備展(SEECAT)」を見学してきた。危機管理産業展は今年で3回目であるが,テロ対策特殊装備展の開催は初めてとのことである。私は招待してもらったので無料で見学できたが,一般来場者からは5万円というとんでもない入場料を取るにもかかわらず,会場は大いに盛況であった。石原都知事や警視総監も来場したとのことである。この盛況ぶりを見て,マイケル・ムーア監督なら,「安全は商売になる」と皮肉るだろう。また,「日本人は水と安全はただだと思っている」と言った故山本七平はどう見るだろうか,と思ったりした。

ところで,会場には,コンクリート壁を透視する装置や,核テロを想定した装甲車,自動追尾機能を持つ監視カメラなど,ミリタリーマニア垂涎ものの機器が展示されていたが,私の目当ては松下電器が出展した「ウォークスルー虹彩認証システム」の実演を体験することであった。

実演といっても,空港の金属探知器のようなゲートを見学客に歩いてくぐらせるだけであるが,装置は的確に目の位置を自動探知し,赤外線を使って虹彩情報を読みとり,データベースと照合する。私が通過しても何も起きないが,テロリストに扮した松下電器の社員がゲートをくぐると,警報が発令される。つまり,事前登録した「本人」を認証しているのだ。背丈が一定以下だと認識しなかったりするようだが,これはテスト機ゆえであり,実用化には支障がないとのこと。

他方,私が感じた問題点としては,他人受入率は120万分の1以下という高精度だそうだが,本人認証機能をテロ対策に利用するという用途なら,「非テロリストをテロリストと誤認識する」リスクより,「テロリストを非テロリストと誤認識する」リスクを避けるべきだから,大事なのは他人受入率ではなく本人拒否率の方ではないかと思う。もっとも,本人拒否率を公表していないのは精度が悪いからではなく,セキュリティ上の必要性からかもしれない。まさか数十分の1ということはあるまい。また,五木ひろしのように目の細い人はどうなのか,とか,虹彩を印刷したコンタクトレンズを装着した場合の認識率,などは教えてもらえなかった。テロリストの立場で考えれば,本人拒否率が多少高くても(つまり精度が足りなくても),無事虹彩認証システムをパスする確率が数万分の1というときに,それに賭けるリスクを冒すことはできないから,使用上の便宜を優先して他人受入率を高くするという選択もあるかもしれない。しかし,特定の措置(コンタクトレンズの装着や,角膜の手術など)によってかなりの確率で虹彩認証システムを騙すことが可能になるなら,逆に,このシステムを悪用する輩が出てくることになる。このようないたちごっこをやめさせるためには,むしろ本人拒否率を下げる取り組みが必要となる。他方,誤報ばかり発令すると,現場の担当者が警報を信用しないというヒューマンエラーが心配の種となる。テロ対策装備としては,このあたりが課題かもしれない。

いずれにせよ重要なことは,この種の機器は,明日にでも実用化される時代が来た,ということである。使い方さえ間違わなければ,この種の機器は社会の平和に大いに貢献することになろう。問題は,虹彩情報の管理のあり方など,適切な使い方のルールを早期に制定することと思う。(小林)

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2007年10月25日 (木)

防犯カメラシステムにおける不審人物の取扱について

兵庫県加古川市で,小学生の女の子が刺殺されるという,痛ましい事件が発生した。自宅の玄関先で指されたという犯行場所の特異性からすると,犯人がただの異常者なのか,それとも被害者やその家族と何らかの関係がある者なのかについては慎重な判断が必要な事案と思われるが,報道によると,警察は近所のコンビニの防犯カメラ画像などの任意提出を受け,不審人物の洗い出しを始めたという。

法律的に見れば,「犯人が写っているかもしれない」というだけで,コンビニが防犯カメラのテープを警察に提出することが許されるか,という論点はあるが,それはこの際,措いておく。仮に問題があるとしても,今回の事件を前提にした場合,ローラー作戦で不審人物を洗い出そうとする警察の努力を禁止することはできない。その代わり,というわけではないが,今回指摘しておきたいことは,監視カメラ・防犯カメラには「犯人を記録する」だけでなく,「不審人物を記録する」という重大な機能がある,という点だ。この点は,監視カメラ反対派も熱心に指摘していない,あるいは見落としている点である。

「監視カメラには犯罪抑止力があるか」という論点は,監視カメラ推進派・反対派の間で,熱心に議論されている問題である。しかし,より重大な問題は,監視カメラの「不審人物記録機能」であると,私は常々考えている。子どもに対する犯罪を未然に阻止するためには,犯罪が起こる以前に,撮影された不審人物を警察に通報して犯罪を未然に防ぐ必要がある,という議論は,いずれ,監視カメラ推進派が必ず持ち出すに違いないからだ。

この議論は,犯罪の未然防止という観点からは,確かに一つの筋論である。しかも,子どもの生命という一種究極的な価値の前では,これに対する反論はなかなか世論の支持を受けられないとおもう。しかし,だからといって,犯罪が起きる前に,「不審人物」と判断されたというだけで,警察に通報されるという事態が許されるのかは,慎重に検討されなければならない。そもそも「不審人物」とは何なのかもはっきりしていないのだ。たまたまコンビニで,美少女の水着写真が載った雑誌を熱心に立ち読みしていただけで通報され,警察の取調を受けてあらぬ疑いをかけられたり,指紋情報や顔認証情報を取られて一生その情報につきまとわれたりする時代は,もしかすると,もうすぐそこまで来ているのである。(小林)

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2007年10月17日 (水)

「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン」の構造

電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン(以下ガイドライン)は,電気通信事業法に基づき,個人情報保護に関する基本的事項を定めたものとして,平成3年に策定され,平成10年,平成16年に改訂された。

ところで,電子通信事業法の定義する電気通信事業者は,電気通信事業を営むことについて,許可,届出,登録という行政上の手続を経た者をいうとされている(2条5項)が,このガイドラインは,このような行政上の手続きを経ていなくても,電気通信(有線,無線その他の電磁的方式により,符号,音響又は影像を送り,伝え,又は受けること)のサービスを提供する事業を行う者一般を対象にしていて,一定の行政手続きを経た者に限定していない。つまり,RFIDやネットワークカメラ等のネットワークを運用する事業者も,多くの場合,このガイドラインの対象になる。従って,これらの事業者は,このガイドラインの内容を理解し,これに従うことが求められている。

そこで,今回は,このガイドラインの構造について簡単にご紹介する。

ガイドラインは,全部で28条あるが,大きく3章に分かれている。

第1章          総則

第2章          個人情報の取り扱いに関する基本原則

第3章          各種情報の取り扱い

 総則は措くとして,第2章と第3章の構造は,ネットワークと個人(利用者に限らない)の関係を念頭に置いてみると理解しやすい。

ネットワークが何らかのサービスを行うためには,まず,個人から情報を収集する必要がある。そして,収集した情報を保存し,必要に応じて利用する。また,この情報を第三者や他のネットワークに提供する場合もあろうし,時間が経てばこの情報の内容を訂正したり,廃棄したりする必要も発生する。つまり,ネットワークの中において,情報は「取得」「保存」「利用」「移転」「廃棄」という過程を経て流通するのである。そして,この過程それぞれにおいて,不正が行われれば,個人のプライバシー権が侵害される。ガイドラインの第2章は,この流通過程のそれぞれの段階におけるプライバシー権保護の方策を規定したものである。

一方第3章は,ネットワークを流通する個人情報のうち,電気通信事業者が通常取り扱うと想定される情報,具体的には「通信履歴」「利用明細」「発信者個人情報」「位置情報」「不払い情報」および「電話番号情報」について,それぞれの情報の性質に応じた取扱を定めている。もちろん,電気通信事業者が取り扱う情報はこれらに限定されないから,第3章に例示されている以外の情報は,第2章の一般原則に従って取り扱われるべきこととなる。(小林)

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2007年9月27日 (木)

電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン改訂について

総務省は,平成19年9月12日,「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン第26条の解説改訂版」を公表した。改訂の趣旨は,位置情報サービスの多様化やGPS機能付端末の普及を受け,位置情報サービスを提供する際に電気通信事業者が講じるべき「必要な処置」の内容を明確化したものとのことである。

位置情報サービスということなら,ユビキタスネットワークシステム(UNS)やネットワークロボット(NRT)にも大いに関係がある。そこでこの機会に,上記ガイドラインやその解説を勉強してみることにする。

ガイドライン26条1項には,利用者の同意なき限り,電気通信事業者が位置情報を他人に提供することを原則として禁止している。例えば,妻が浮気夫の居場所を突き止めるため夫の持つ携帯電話の位置情報を教えてもらうことはできない。また,会社がGPS付携帯電話の加入契約者であったとしても,これを持たせた営業社員に無断で居場所を知ることもできない(このガイドラインは「加入者」と「利用者」の概念を区別しているから)。例外としては,裁判所の令状がある場合が典型である。例えば,容疑者のアリバイ情報を確認するために位置情報履歴を提供してもらう場合がこれにあたる。その他緊急事態(誘拐被害者の居場所を突き止める,とか)などの違法性阻却事由がある場合にも同様である。このように,位置情報は,その端末を持つ利用者個人のプライバシー情報として,通信の秘密(電気通信事業法4条)に準じる強い保護が与えられるとされている。

ガイドライン26条2項は,電気通信事業者が位置情報を利用者ではなく,加入者に提供したり,第三者に提供させる場合には,利用者のプライバシー権が不当に侵害されたりしない処置を講じることを義務づけている。今回解説の改訂があったのは,この2項についてである。

必要な措置として,ガイドラインの解説は4つを列挙している。

第1は,利用者の具体的同意である。この同意は,その時々になされることが理想である。事前に同意を行ってもよいが,撤回できなければならないとされる。つまり,夫が「私はここにいますよ」という情報を妻に提供することを事前に同意することは可能であるが,愛人とホテルに行くときには,簡単な操作で,この同意が撤回できるようにしておかないといけない。

第2は,位置情報が提供されていることを,利用者に明示することである。明示の方法としては,「位置情報提供中」との表示を待受画面に表示する等が考えられる。先の浮気夫の例で言えば,「位置情報を妻に知られたくなければ携帯電話の電源を切ればいいじゃん」と思われるかもしれないが,愛人とホテルにいる浮気夫といえども,仕事上重要な電話が来るかもしれず(そうか?まあそういう場合もあるでしょう),常に携帯電話の電源を切ることはできない。この場合に「携帯電話」のサービスと「位置情報提供」のサービスを区別し,位置情報提供サービスだけいつでも停止できるようにしなさい,ということである。

第3は,権限のないものが位置情報をモニタリングしたり,不正な情報取得がないようにするための措置(暗証番号等のセキュリティ確保)や,電気通信事業者による不必要な位置情報取得の禁止である。これも,利用者の位置情報が不正に流出することを未然に防ぐための措置といえる。

第4は,電気通信事業者が第三者と提携して位置情報提供サービスを行う場合,第三者による不正が行われないように配慮し,不正があったときはその第三者への情報提供を遮断できるようにしておくことである。

上記ガイドライン26条は,位置情報が利用者のプライバシー情報であるとの認識に立つ限り,至極まっとうなものであり,今回の解説の改訂は,これをわかりやすく敷衍したものとして評価できる(実際のところ,改訂前の解説は,非常に分かりにくい)。

そしてこの考え方は,携帯電話端末を取り扱う電気通信事業者のみならず,将来は,ユビキタスネットワークのプロバイダなどに及ぼされていくことになるであろう。もっとも,その場合に新たな問題が生じるのか否かという点については,今後研究していく必要がある。(小林)

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2007年9月23日 (日)

愛国者法とデビルマン

9月11日深夜,NHKBSの海外ドキュメンタリー「9.11テロから6年」(アメリカWBGH制作)を視た。テロ以降,愛国者法などに基づく広く一般市民を対象にした令状無しの盗聴やホテル宿泊者全員の名簿収集,インターネットの広範な監視などの実態を暴き,これらがプライバシー権を保障した合衆国憲法に反しているのではないかと問いかける番組である。

印象的だったのは,政府側に立つ中国系アメリカ人の弁護士が,「戦争中だというのに,国家が正義のために一般市民を盗聴することが,なぜ問題なのか」と言い放ち,インタビュアーがほとんど絶句する場面であった。

永井豪の代表作「デビルマン」の漫画版をご存じだろうか(以下ネタバレ)。氷河期以来の長い冬眠から目覚めた悪魔族は,機械文明を持たず,数も少ないため,人類に太刀打ちできずにいた。悪魔族の持つ最大の能力は自分以外の生物と合体することであったが,理性を持つ人間と合体すると,悪魔・人間とも発狂して死んでしまう。ところが,悪魔族は無差別に人間と合体し,発狂して死ぬという文字通り一人一殺の無差別テロを行う。もちろん悪魔族の方が少数だから,これだけなら人類が滅びる遙か前に悪魔が滅びてしまう。しかし人類は,善良な一般市民が突然悪魔に変化し発狂して死ぬ事件が頻発し,その有様をテレビが繰り返し放送すると,市民の中に多数の悪魔が紛れ込んでいると思いこむ。

そこで人類は,大規模な悪魔狩りを始め,悪魔と無関係の市民を多数殺害するとともに,悪魔と疑われる市民を通報させる相互監視のシステムを導入する。このシステムは集団リンチを生み,国家同士は相互不信に陥った挙げ句戦争を繰り返し,人類は自滅の道を辿る。

「悪魔」を「アルカイダ」と読み替えれば,1972年に発表されたこの作品は,まるで現代の予言書である。私は,BSドキュメンタリーを見た後「デビルマン」を読み返し,背筋に寒気が走った。(小林)

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2007年9月15日 (土)

「市営住宅11号棟が防犯カメラ」のニュースについて

平成19年9月2日付苫小牧民報社のホームページによると「苫小牧市住吉町の市住11号棟駐車管理委員会(村上博会長)は,団地周辺の防犯対策にビデオカメラを設置したそうである。周辺では以前から違法駐車や車上荒らし,ゴミの不法投棄が絶えなかったとのことであり,市は「自治会単位で防犯カメラを設置する例は聞いたことがない」というが,村上会長は「住民の不安が続いていることから設置に踏み切った。自分たちの棟は自分たちで守る」と話しているという。

このニュースに対しては,いろいろな意見があり得るだろうが,これらを整理するための大事な視点は,このようなカメラの設置運用が適法か違法か,という問題と,適法であることを前提にして,妥当か否か,という問題を分けて考えることだ。

まず適法か違法かの問題について考えると,この記事には多少の疑問はあるものの,基本的には,一定の条件のもとで,適法と考えてよいと思う。この防犯カメラには,11号棟の住民以外も撮影されるのだろうが,防犯カメラ設置の背景も理解できるし,撮影範囲も合理的な範囲内にとどまっていると想像されるし,撮影時間も限定的であるし,もちろん,警告文も掲示されているのであろう。他方,疑問点としては,設置運用主体が不明確(「駐車管理委員会」とあるが,この委員会にゴミの不法投棄や周辺道路での違法駐車などを監督する権限はあるのか?)点が指摘できる。また,適法といえる条件として,明確な設置運用基準が策定されている必要がある。

しかしこのニュースでむしろ問題となるのは,妥当か否か,という点であろう。この報道は,防犯カメラの設置が20棟近くある市営住宅の1棟でだけ,という点が非常にユニークである。このユニークさは,「自分たちの棟は自分たちで守る」という村上駐車監理委員会長の言葉に,端的に表れている。市営住宅全体で防犯カメラを設置するのではなく,なぜ1棟だけなのか?「自分の棟は自分たちで守る」という村上会長の発言は,守る範囲がなぜこんなに限定されているのだろうか。

非常に失礼な想像で恐縮だが,11号棟の周りで頻発する車上荒らしなどについて,その犯人の心当たりが,村上会長にはあるのではないだろうか。その犯人は,同じ市営住宅の別の棟の住人であると考えているのではないだろうか。

もし万が一,そうであるとすると,今回の防犯カメラ設置が妥当か否かという問題に関しては,重大な疑問が発生する。カメラの設置により,犯罪や違法行為が払拭されれば最善であるが,もしカメラの設置にかかわらず,犯罪や違法行為が繰り返された場合,どうなるであろうか。犯人の人相が明確に撮影されていたり,犯人と名指しされた人が「確かに写っているのは私です。すいません」と素直に認めてくれたりするならよいが,実際にはうまく行かないものである。家庭用カメラで遠方から夜間撮影を行ったところで,人相が明確に撮影されるとはまずあり得ないし,画像が不鮮明であれば,「犯人」と名指しされた人が素直に罪を認めるとは限らない。むしろ,「濡れ衣を着せられた。名誉毀損だ。11号棟の連中は俺の住んでいる7号棟の住人を目の敵にしている」などと触れて回るかもしれない。仮に犯人が明確に特定され,相応の処罰を受けたとしても,その犯人が11号棟の住人に対して逆恨みをしないとも限らない。

つまり,「自分たちの棟は自分たちで守る」という,やたらローカルな村上会長の「愛棟心」は,20棟近くあるこの市営住宅という一種の団体の一体感に,「不信」という楔を打ち込んだかもしれないのだ。20棟近くある市営住宅の一棟一棟が,「自分の棟は自分たちで守る」をスローガンに,それぞれ別個に防犯カメラを設置しだしたらどうなるのだろうか。まるで黒澤明の「用心棒」のように,「11号棟派」と「7号棟派」との間に,市営住宅を二分する抗争が勃発する,というような事態にならなければよいが,と他人事ながら心配である。

防犯カメラに犯罪抑止効果を期待するのはある程度正当だし,それなりに結構なことである。しかし,防犯カメラの設置が善い結果だけをもたらすとは限らない。また,防犯カメラを設置しても犯罪や不当な行為が起きることはある。これらの行為が撮影されていたとき,どうするのか。防犯カメラを設置運用するときは,このような事態を想定し,その際の手順と,ある種の覚悟を決めておく必要がある。(小林)

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2007年9月11日 (火)

街頭防犯カメラシステムが相互不信のシステムであることについて

先日,「警視庁八王子署が街頭防犯カメラ1000台設置計画」のニュースに関し,「街頭防犯カメラシステムは相互不信のシステムなのだから,運用者が『私は悪用しません。信じて下さい』と言うだけでは駄目だと書いた。この点に関し,東海大学の高橋直哉准教授の「防犯カメラに関する一考察」(法学新報112号。2005730日)をご紹介したい。

この論文の結語として,高橋准教授は,次のように言う。

「現代社会において,見知らぬもの同士が「互いに相手を不当に攻撃しない」という信頼感を相互に持つための手段として,防犯カメラは一定の役割を果たしうるであろう。しかし,防犯カメラが作り出す信頼感とは,どういうものであろうか。この信頼感は,犯罪を行わない理由に関する規範的な了解に基づいた他者への信頼を創出するわけではなく,単純に,犯罪発生を事実として抑止することによって生まれる信頼感に過ぎない。

防犯カメラの普及した社会は,表面的には平穏が保たれているように見えても,その根底には常に相互不信の根が伏在していることになるであろう。それは,いわばホッブズ的自然状態(万人の万人に対する闘争)が潜在化しているような状況であるということもできる。防犯カメラだけでは,お互いを理解し,尊重しあえるような社会は生まれないということを私たちは忘れてはならないであろう。」

平易に言い換えればこういうことであろう。今ここに互いに面識のない二人の人間と防犯カメラがあったとする。この人間は,それぞれ,「防犯カメラがあるから,相手は私を不意に襲ったりしない」と信頼することができる。しかしその信頼は,「相手は私を不意に襲ったりするほど悪い人ではない(さらに進んで,善人にちがいない)」という信頼では決してない。防犯カメラによってもたらされる安心感は,防犯カメラそのものに対する信頼に基づくものであり,面識のない相手に対する信頼に基づくものではない。防犯カメラによって,他者と自分との間に見えない檻が存在するという信頼感に過ぎない。したがって,防犯カメラの作り出す安心感に依存してしまうと,他人を信頼することができなくなるのである。(小林)

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2007年8月28日 (火)

警視庁八王子署が街頭防犯カメラ1000台設置計画

平成19年8月24日付毎日新聞によると,「警視庁八王子署が街頭防犯カメラを取り付けるよう一部住民に協力を呼びかけ、09年度までの3カ年で1000台設置の計画を進めていることが分かった。『街の安全』を掲げて商店街や国道沿いの個人宅を中心に取り組みを強化しているが、管内の住民には計画を正式に広報しておらず『監視社会を助長する』と批判の声も上がっている」とのことである。

すでにこのブログでも何回も書いているが,私は,街頭防犯カメラ設置そのものに反対するものではない。直ちに監視社会を助長するというつもりもないし,すぐ戦争になると主張する人たちにも賛成できない。しかし,適正なルール無き街頭防犯カメラの増殖には反対である。そして,適正なルールとは,そのルール自体と運用の有様が公開されていなければならない。

記事によれば,「八王子署では『画像は事件以外に使うことはあり得ない。プライバシーにも十分配慮する』と話している」。

つまり「信頼してくれ」と言っているわけだが,街頭防犯カメラシステムは相互不信のシステムであるから,「信頼してくれ」というだけでは駄目である。

警察が自ら街頭防犯カメラを設置せず,地域住民にやらせるのは,二つの理由がある。一つは予算の問題だろう。もっとも,未確認だが,住民にカメラをリースする業者と警察は密接につながっていると想像する。もう一つの理由は,最高裁判所大法廷の判決によって,警察が公道を撮影することは,現に犯罪が行われているか,その直前または直後である場合に限定されているからだ。だから警察は自らカメラを設置しないということだろうが,警察がやって駄目なことを民間人がやって良いのだろうか? 少なくともきちんと議論がなされているのだろうか。

街頭防犯カメラの導入については,さまざまな議論があるし,それが今熟しているとは思えない。また,議論が熟するのを待てないほど,一般的に事態が切迫しているとも思えない。犯罪白書が示すとおり,ここ数年,日本の治安は良くなる方向にあるのだ。(小林)