2016年5月 4日 (水)

憲法記念日の日経社説の詭弁について

 

憲法記念日の日本経済新聞は、「憲法と現実のずれ埋める『改正』を」と題する社説を掲げた。

最高裁判所が出した過去10件の違憲判決の半分が、21世紀になってなされた、つまり憲法施行後69年中、過去16年間になされたのは、「現憲法と現実のずれが年々大きくなってきていることのあらわれといえまいか」としている。

この論理は正しいだろうか。

まず、過去10件の違憲判決と判決年は、次のとおりである。合わせて、憲法違反とされた法律と、該当する憲法条文を掲げる。

尊属殺人重罰規定違憲判決 1973年 刑法 憲法14条1項
薬事法距離制限規定違憲判決 1975年 薬事法 憲法22条1項
衆議院定数配分規定違憲判決 1976年 公職選挙法 憲法14条
衆議院定数配分規定違憲判決 1985年 公職選挙法 憲法14条1項
森林法共有林分割制限規定違憲判決 1987年 森林法 憲法29条
郵便法免責規定違憲判決 2002年 郵便法 憲法17条
在外邦人の選挙権制限規定違憲判決 2005年 公職選挙法 憲法15条1項、3項、43条1項、44条
非嫡出子の国籍取得制限違憲判決 2008年 国籍法 憲法14条1項
非嫡出子の法定相続分規定違憲判決 2013年 民法 憲法14条1項
女性の再婚禁止期間制限違憲判決 2015年 民法 憲法14条、24条

確かに、過去5件の違憲判決は、2000年以降に出されている。

しかし、10年刻みで見ると、1947年から69年までは0件、1970年代が3件、80年代が2件、90年代が0件、2000年代が3件、2010年代(6年)に2件だ。折れ線グラフにすると右肩上がりではなくM字型となるから、「現憲法と現実のずれが年々大きくなってきている」とはいえない。

また、これらの判決が「現憲法と現実のずれ」を示すものか、についても検証が必要だ。社説の論旨によれば、後の違憲判決になるほど、「現憲法と現実のずれ」を象徴しているものになるはずであるが、はたしてそうだろうか。

女性の再婚禁止期間制限違憲判決(2015年)は、女性についてのみ再婚禁止期間があること自体は合理的としつつ、「医療や科学技術が発達した今日においては」100日を超える部分が長すぎるとしたものだ。非嫡出子の法定相続分規定違憲判決(2013年)は、非嫡出子の法定相続分が嫡出子の半分とされているのは、平等原則に反するとしたものだ。非嫡出子の国籍取得制限違憲判決(2008年)は、国籍取得制度が国によって違うため、無国籍になってしまう場合があることを非合理としたものだ。在外邦人の選挙権制限規定違憲判決(2005年)は、在外邦人の選挙権を制限する公職選挙法の規定を、憲法の民主主義原理に反するとしたものだ。郵便法免責規定違憲判決は、郵便物の事故につき、国の損害賠償責任を大幅に免除・制限した郵便法の規定が、国家賠償責任を定めた憲法17条に違反するものとしたものだ。

結論から言うと、21世紀に入ってからなされた5件の違憲判決は、「現実と憲法のずれ」を示すものでは全くない。5件のうち、非嫡出子の国籍取得制限違憲判決、郵便法免責規定違憲判決の2件は、法理論に照らせば、現行憲法施行後、いつ問われても憲法違反を免れなかった事案である。他の3件のうち、非嫡出子の法定相続分違憲判決は、昭和の時代、あるいは20世紀であれば違憲判決は出なかったかもしれない。これは夫婦や家族の在り方に対する社会認識の変化が、違憲判決を促した例ともいえる。在外邦人選挙権制限規定違憲判決と、女性の再婚禁止期間違憲判決は、郵便事情や妊娠検査技術が成熟していなかった時代には一定の合理性があった規定も、技術の成熟により合理性が維持できなくなった事例である。後3者をまとめると、「法律が現実とずれ」たのに、法改正をしなかったため、憲法違反とされたものだ。「現実が憲法とずれ」たからではない。念のために付け加えると、20世紀になされた5件の違憲判決も、「現実が憲法とずれ」たから出たものではない。

日経社説の論破としては、これで十分だろう。一見もっともらしいが、その実誤った理屈を述べることを「詭弁」という。「現憲法と現実のずれが年々大きくなってきている」との日経社説の主張は、典型的な詭弁と言うほかない。それから本稿は、憲法を改正すべきとの結論に対しては、全く言及していないから念のため。

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2016年3月 3日 (木)

台湾雑感

弁護士会の会派の親睦旅行で台湾を訪れた日が、たまたま2月28日だった。二・二八事件を記憶するため、台湾が喪に服する日である。

 

1947年2月28日、台北から始まった民衆の暴動は、蒋介石率いる中華民国軍による弾圧と虐殺を招いた。犠牲者数は政府見解ですら、1万8000人から2万8000人とされている。しかし、二・二八事件を知り、台北中心部にある記念公園を訪れる日本人は僅かだ。

 

台湾は、終戦までの50年間、日本の統治下にあった。政治的自由は抑圧されていたが、民主化も少しずつ進んでいたし、経済的にも豊かになりつつあった。終戦後、同胞の中国人から日本を凌ぐ搾取と圧政を受けるとは、思いもしなかったろう。中華民国政府が闇タバコの摘発中に罪なき女性を射殺したことから、台湾人の怒りが爆発する。ラジオ放送を通じて、反乱は台湾全土に広がった。しかし蒋介石は大陸から派兵して暴動を鎮圧し、不満分子やエリートに対する徹底した弾圧を行った。

 

反乱を呼びかけたラジオ放送局は、二・二八記念公園の一角に保存され、公開されている。日本語の解説文もあるし、粛清された裁判官の写真もある。

公園の中央には記念塔があり、円形の基盤には水が張られ、無数の百合が飾られていた。傍に設けられたコンサート会場には大勢の市民が集まり、追悼の演奏会が催されていた。日本の戦前の歌もある。と思って聞いていたら、初老のサックス奏者が『涙そうそう』を演奏しだしたのには驚いた。外国に蹂躙され続けた台湾の哀しみは、沖縄の哀しみと共通するのかもしれない。

後ろでは、「台湾独立」の旗を掲げた若者が、演奏を邪魔しないよう、無言で練り歩いていた。ぴりぴりした雰囲気はないし、カップルや子ども連れも多い。怒りというより、悲しみを静かに共有したいという空気が伝わってくる。

 

二・二八記念公園のわずか2ブロック先には、蒋介石を祀った中正(蒋介石の本名)記念堂がある。白亜の大理石で飾られた本堂には、蒋介石の巨大な座像が安置されている。衛兵の交代式は圧巻で、観光名所の一つであり、日中の観光客であふれていた。対日賠償請求を放棄した蒋介石を、恩人と慕う日本人は多い。

だが、台湾人の評価は複雑だ。蒋介石は数度の戦争で中国共産党を退けて台湾を守り、今に続く経済的繁栄の基礎を築いた。他方、台湾にはわずか13%しかいない「外省人」(中国大陸からの移住者)の頭領にして、二・二八事件の最高責任者であり、80年代まで戒厳令を敷き自由を抑圧した人物でもある。

しかも、彼は台湾を愛していなかった。遺体は台湾の土に還ることを拒み、しかし帰郷も許されず、未だ埋葬されていない。

 

蒋介石の座像の真下、つまり中正記念堂の一階では、「抗日戦争特別展」が開催されていた。会場の中心には、日本と中国大陸を描いた巨大なジオラマが設置され、大陸のあちこちには赤い火柱が立っていて、戦闘や日本軍による破壊、虐殺があったことを示している。一方日本の本土では、ワタでできたキノコ雲が二つ、広島と長崎に貼りつけられていた。解説文には、抗日戦争を戦った蒋介石を讃える文言が記載されている。政権交代を控える台湾人に配慮し、大陸(中国共産党)との連帯を訴える展示だが、階上の蒋介石や、日本と戦った記憶のない台湾市民は、どう見るのだろうか。

 

台湾の心は複雑だ。日本への愛情は本物だが、それは、最愛の同胞に裏切られた悲しさと一体のものだと思う。

 

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2015年7月16日 (木)

下位規範によって上位規範を改廃する日本の伝統について

衆院平和安全法制特別委員会は15日、安全保障関連法案を自民、公明両党の賛成多数で可決した。憲法学者の大多数が違憲と考えるにもかかわらず、政府与党が懸命に法案成立を目指すのには、彼らなりに正当な理由がある。

その理由について、国際政治学者の村田晃嗣同志社大学学長は13日、国際情勢の急激な変化と米国の影響力後退の中、「日米同盟の強化にあたることは、極めて理に適っている」と述べた。中谷元防衛大臣は、65日の国会衆議院平和安全法制特別委員会で、「現在の憲法をいかに法案に適用させていけばいいのかという議論を踏まえて、閣議決定を行った」と発言した。作家の百田尚樹氏は628日、「憲法の解釈がどうこうというより、国民の命と国土を守るためには、どういう憲法が正しいのかというのが大事」と発言した。

このような発言に共通するのは、「憲法の理念が国際政治の現実にそぐわなくなってきた以上、現実への対処を優先させるべきだ」という考え方である。

このような考え方は、正しいのだろうか。

上位規範が現実にそぐわなくなってきたとき、その上位規範を改廃するのではなく、下位規範を制定して上位規範を骨抜きにしたり、実質的に改廃したりするやり方は、わが国の為政者が伝統的に行ってきたことであり、今に始まったことではない。どのくらい伝統的かというと、おそらく「仏教伝来」があった5世紀半ばには、為政者の基本的な行動原理になっていたと思われる。その伝統はあまりに深く浸透しているため、彼らはしばしば、伝統に則った行動であることについて、無自覚である。

一例として、外為法に基づく輸出管理体制を挙げよう。工業製品の輸出は、憲法上、自由なのが原則だ。明文規定はないが、憲法が自由主義経済を採用する以上、当然のこととされている。この理念を体現するものとして、外為法47条は、「貨物の輸出は…最少限度の制限の下に、許容される」と規定する。

ところが、外為法の下位規範である輸出貿易管理令は、広範な工業製品について、「全地域」への輸出を禁止している。「全地域」とは「世界中」のことだから、要はおよそ輸出できない、ということだ。もちろん、工業製品の輸出を全面禁止したら日本経済が立ち行かないので、経産相の許可を条件に、「例外として」輸出を解禁している。つまり、憲法・法律という上位規範と、政省令以下の下位規範とでは、輸出の自由と禁止に関する原則と例外が、逆転しているのだ。

法律家から見れば、政省令以下の法規によって、憲法上の原則を骨抜きにすることは、明白な憲法違反である。

しかし、輸出の自由という憲法上の理念は、東西冷戦という「国際情勢の現実」のもとで、かれこれ60年間、無視されてきた。これは、「ホンネとタテマエ」という日本人の伝統的な行動様式の発露でもあり、多くの国民の支持を受けてきた。また、経産相が許可権限を濫用することは、ゼロではないが、それほど多くなかったので、実害は少なかった。このことも、「憲法違反」の輸出管理体制が黙認されてきた原因となっている。

弁護士としてさまざまな法令、特に「業法」とよばれる法規範を調べると、「この法律は憲法違反じゃないの?」「この通達は法律違反だよなあ」と思われる例に頻繁に接する。そういう例ほど、為政者に権力を集中させる仕組みになっているので、その権力が濫用されればさまざまな歪みが顕在化するのだが、わが国の場合、そうはならない。わが国の為政者は、強大な権力を手にしたがる点では世界に引けを取らないが、その権力を極めて抑制的にしか行使しない点において、世界に類を見ない統治原理に服しているからである。

このたびの安全保障法制制定の動きは、最高法規である憲法の理念(タテマエ)が国際政治の現実(ホンネ)に合わなくなってきたとして、下位規範である法律によって憲法の理念を後退させようとする試みということができる。このような試みは、上述のとおり、わが国の為政者が伝統的に行ってきたことであり、その意味では、いまに始まったことではない。しかも、同じようなやり方で、いままで「そこそこうまくやってこれた」し、法制定に成功したところで、さっそく戦争を始める考えなどない。だから、立憲主義に反するとか、戦争がはじまるとかいう批判は、為政者側から見れば、的外れにしか聞こえないのである。

下位規範によって上位規範を改廃することは、なぜ許されないのか。わが国の法律家(司法機関を含めて)は、この問題に対する説得的な解答を用意できなかったのではないか。このたびの茶番のような「強行採決」を見ながら、そんなことを考えた。

 

 

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2014年7月 7日 (月)

来るべき戦争のありかたを具体的に予測することについて

100年前の6月28日、ボスニアで起きた暗殺事件をきっかけにして、第一次世界「大戦」がはじまった。もっとも「大戦」と呼ばれたのは後の話。当時、ほとんどの人は、この戦争が1000万人を超える死者を出す悲惨な大戦争になるとは思っていなかった。しかし、機関銃の登場が、文字通り死体の山を築き、これに対抗するため掘られた塹壕を攻撃する毒ガスが用いられ、多数の兵士を殺した。戦争の長期化と戦線の拡大は、多くの一般国民を戦場に投入させ(発達した交通機関がそれを可能にした)、莫大な人的損失と、国家財政の破綻をもたらした。

一方、このとき日本軍は、来るべき戦争の形態を的確に予想していた。その10年前の旅順攻略戦で、機関銃で守られたロシア要塞を攻略しあぐね、膨大な人的損害を被っていたからだ。第一次世界大戦中、青島での対独戦を指揮した神尾光臣中将は、「慎重作戦」と揶揄されながら、多数の長距離砲の設置を優先し、砲弾の力でドイツ軍を圧倒した。

もっとも、このような洗練された戦いができたのは、第一次世界大戦が日本にとっては局地戦だったから。総動員戦となった第二次世界大戦には通用しなかった。ただし、その中でも、機動部隊を使った海上航空戦という戦争のありかたを考案したのは日本海軍であり、一時的に英米軍を圧倒したのは著名なエピソードである。

まとめると、100年前の兵器と交通手段の飛躍的発達が、戦争の形態を根本から変えた。それは、第二次世界大戦まで続いたが、その最終局面において、再度、戦争の形態を根本から変える兵器が登場した。核である。

核兵器(とその輸送手段である長距離爆撃機と弾道ミサイル)の発達により、核兵器保有国同士の全面対決は、全人類の滅亡に直結することになった。そのため、皮肉なことに、核兵器が戦争を抑止することになり、第二次世界大戦以後80年間、「大戦」は起きなかった。

もちろん、その間「戦争」は起きている。だが、ベトナム戦争と湾岸戦争は、戦争の形態が全く異なるし、湾岸戦争とイラク戦争も違う。湾岸戦争当時の「パウエル・ドクトリン」を否定したラムズフェルドは、その正しさをイラク戦争で証明したが、フセイン政権打倒後の占領政策では失敗を認めざるを得なかった。

これらのエピソードが示す教訓は、「来るべき戦争のありかたは予測できる。ただし、常に当たるとは限らない」ということだ。

さて、わが国では、集団的自衛権行使容認によって、「戦争」に巻き込まれると懸念する声が強い。その懸念は尊重に値するけれども、もっと大事なのは、「どのような戦争」に巻き込まれるかを具体的に予測することではないか、と思う。

安倍首相は記者会見で、「戦争になることは絶対にない」と断言した。この言い方が使い古されたマヤカシであることは、「戦争」を「原発事故」に置き換えてみれば明らかだ。しかし他方、反対する側も、「どのような戦争」になるかの予測を怠っている点では、政府と同罪である。実体験に基づいて、「赤紙、焼夷弾、民間人を巻き込む悲惨な地上戦」と言う人がいるけれど、それは、過去の戦争(人類史上、たった50年間にしか起きなかった戦争)であって、未来の戦争ではないと、私は思う。他方、洗練された局地戦のみとも思われない。大量破壊兵器や、無差別攻撃兵器が実際に使用される可能性は否定できない。

過日、韓国の軍関係企業のプレゼンをみたが、彼らはとても具体的に、来るべき戦争のありかたを予測していた。戦う相手も戦う場所も、ほぼ決まっているわけだから、具体的に予想できて当然だが、わが国でも、当面具体化しそうな戦争のありかたを予測することは可能だろう。というより、政府には具体的に予測しておいてもらわないと、困るのである。そして、政府の予測が正しいとは限らないし、性質上公開できない部分もあるだろうから、民間シンクタンクによる予測が不可欠だ。

外国では、来るべき戦争の形態を真剣に検討している民間人や民間のシンクタンクがあると聞く。日本ではどうなのだろう。「民間企業が請負う航空戦だけの戦争」や、「公務員どうしのゆるーい内戦」といった、非現実的な予測しかないのだろうか。

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2014年4月10日 (木)

小保方氏問題と手続的正義と弁護士会広報について

小保方氏は、アウトだと私は思う。

理研の調査では「悪意」「ねつ造」の有無が問題となっているようだが、本質ではない。悪意の有無にかかわらず、彼女は、プロとして決して許されないことをしたのであり、その職を剥奪されてもやむをえない。真犯人だから、あるいは冤罪だからといって、検事や弁護士が証拠を偽造するのと同じことであり、悪意がなかったでは済まされない。30歳は未熟だからとか、女性だからとかいって、その責を減免されるはずもない。STAP細胞が実在してもしなくても、その罪に変わりはない。問題は研究の手続的正義であり、結果的正義ではないからだ。

だが、彼女は許されない、ということと、彼女に弁護士が必要だ、ということとは、全く別問題だ。彼女の弁解が、どれほど非常識で、身勝手極まりないものだとしても、それを彼女のために主張する職業人の存在は、少なくとも適切な処罰と、彼女の納得のため必要だし、組織的病巣や、もっと悪いヤツがいた、という新事実が明らかになるかもしれないし、万が一だが、アウトという私の考えを根本から覆してくれるかもしれない。そして、現在の彼女に自ら弁解する能力のないことは明らかだ。逆説的に言うなら、弁解しようのない人ほど、優秀な弁護士が必要なのである。

彼女の代理人に、もと大阪弁護士会長以下そうそうたる弁護士がついたことを、盗人たけだけしいと批判する世論もあるけれど、残念なことだと思う。小保方氏の正当性を主張することが許されないなら、確定死刑囚の代理人として冤罪を主張することは、もっと許されない。彼女は罰せられるべきだ、という結果的正義の問題と、彼女に最高の弁護人がつくべきだ、という手続的正義の問題は、違う。「被害者や無辜の代理人の意見ならよい、加害者や犯罪者の代理人の意見はダメ」というのは、結果的正義に囚われて、手続的正義を知らない者の意見である。

ヴォルテールの言葉とされる、「君の意見に反対だが、君が意見を言う権利は命に代えて守る」は、表現の自由を守る趣旨と理解されているが正確ではない。反対意見の存在は、手続的正義の要諦であり、結果の正統性(正当性ではない)を担保するからこそ、命に代えて守るに値するのだ。

わが国では、近代司法の歴史が浅いせいか、手続的正義の重要性や、逆説的な弁護士の役割は、あまり理解されていない。そうだとすれば、その役割を弁護士会が広報することは、弁護士会の責務である。

先日、大阪弁護士会ホームページのブログに、小保方氏の代理人を務める弁護士の投稿が掲載された。「弁護士会が、嘘つき女の肩を持つとはなにごとか」といった批判がネットに溢れているようだが、弁護士会は、小保方氏を支持しているわけではない。

「中立たるべき弁護士会が、一方当事者の代理人の意見を掲載するのは間違っている」との意見もある。中立たるべきなのはその通りだが、だから沈黙すべきだというなら誤りだ。いいかえるなら、個別事件の結果的正義がどちらにあるかについて、弁護士会は中立を保つべきだが、手続的正義の正当性を訴えることについては、雄弁でなければならない。そうであるなら、著明事件で当事者代理人の意見を一定の配慮のもとに広報することは、極めて有効だし、必要不可欠といってよい。また、一方当事者の代理人の意見を掲載していけないというなら、犯罪やDVの被害者代理人、冤罪を訴える被告人や受刑者の代理人の活動や発言も掲載できなくなるだろう。弁護士の仕事の本質が弁護である以上、一方当事者代理人の活動を広報せずして、弁護士会広報はなり立たないといってよい。

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2014年3月19日 (水)

クレーマー主義について 再

山梨市が、18日に予定していた社会学者上野千鶴子氏の講演会を急遽中止した。314日の産経新聞のニュースサイトによると、「市民から『問題発言の多い上野さんを公費で呼ぶことはおかしい』などの意見が複数寄せられ」たからだという。

ところが、317日の朝日新聞によると、同日になって山梨市は一転して、開催を決定した。朝日新聞のニュースサイトによると、「市民から開催を求める意見が相次いだことから、市の担当者が望月清賢(せいき)市長に翻意を促し、一転、開催が決まった」のだという。

やれやれ、である。

人や集団が、物事に関する意思を決定する際に依拠(よりどころ)とする行動規範を「主義」という。議論と多数決を意思決定の依拠とするのが民主主義で、出資額の多寡を依拠とするのが資本主義だ。これに対して、その時々に浴びせられる大声を意思決定の依拠とする行動規範を、私は「クレーマー主義」と呼ぶことにしている。

昨年も、松江市の教育委員会が、学校図書室での『はだしのゲン』の閲覧を制限し、後に撤回した。これもクレーマー主義が、上野千鶴子氏の件で山梨市が依拠とした行動規範も、典型的なクレーマー主義といえる。

最近、クレーマー主義が話題になる回数が増えてきているような気がする。特に、安倍首相の思想や表現に関わる分野で、クレーマー主義の集団が増えている。非常に危険だと思う。

クレーマー主義はなぜ危険なのだろう。それは、民主主義の仮面をかぶりながら、その実、民主主義とは対極の本質を持つからだ。こういう面従腹背の怪物に比べたら、裏表のない独裁君主の方が、よほどつき合いやすい、と私は思う。

民主主義の特質は、意思決定に時間がかかる、という点にある。なぜかというと、構成員それぞれに、考えが違うからだ。健全な教育を受け、一定以上の知的能力を持つ個人が集まれば、一人ひとりの意見が違って当然である。だから時間をかけて説得し、利害を調整し、多数を獲得する手続が必須となる。その結果、極端な意見は淘汰されていく。近代民主主義は、このような自律的個人の存在を前提にしている。

ところが、クレーマー主義者が多数を占める集団では、説得と利害調整はほとんど必要ない。必要なのは、「デカイ声」だけだ。それだけで、クレーマー主義者は争ってその意見に従い、ただちに圧倒的多数派が形成されるだろう。つまりクレーマー主義は、一見、民主主義と同じプロセスを辿りながら、その実、多数派ですらない意見に、多数派の権威を与えてしまう。その結果、極めて極端な意見が、いかにも熟議の結果のような顔をして、集団の意思とされていくことになる。

だから戦前に戻る、また戦争になる、という類の言説を、私は好まない。しかし、こういった事例に接すると、戦後民主主義なり、近代的国家化の失敗を感じざるをえない。自治体の首長や、教育委員会がクレーマー主義を標榜する国家において、自律的個人が育つはずはないのだから。

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2014年1月 6日 (月)

天皇の年頭所感は格差・平和問題?

天皇は宮内庁を通じ、ご感想(新年に当たり)を公表された。

極めて政治的な存在でありながら、ナマの政治とは一線を画することを求められる天皇の年頭所感は、簡潔な文章の中に、世相を反映した様々な思いが込められている。これを紹介した主要各紙の見出しは、「荷を分かち持つ年に」(読売)「被災者を深く案じる」(朝日)、「被災者『深く案じられる』」(毎日新聞)「被災者、改めて深く案じられる」(日経)というものだった。

4紙のうち3紙までが、東日本大震災被災者への思いを見出しに掲げている。だが、平成24年、25年と、年頭所感は東日本大震災の被災者を見舞う文章からはじまっている。今年も、同様の文章からはじまっており、その意味で新味はない。ただ、山本太郎議員の「直訴」事件を受け、原発事故の被災者に対するお気持ちをどう述べるかについては、おそらく、宮内庁内で議論があっただろう。今年の該当部分は「放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れずにいる人々」というものであり、昨年の「放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れない人々」と、ほぼ同文であるが、ほぼ同文であること自体が、山本太郎議員問題に対する皇室(宮内庁)の答えと見るべきだろう。

一方、3年連続でかわらない冒頭部分に対し、特徴的なのは、第一に、「国民皆が苦しい人々の荷を少しでも分かち持つ気持ちを失わず,助け合い,励まし合っていく」ことを求める部分である。なぜ特徴的かというと、平成2年以降25回にわたる所感中、「荷を分かち持つ」に類する表現が使われたのは初めてだからだ。この「苦しい人びと」は、文脈上、震災被災者に限定されず、様々な原因で労苦を背負った人びとを指す。所感は「苦しい人々の荷を少しでも分かち持つ気持ちを失わず」と述べるが、もちろん、その気持ちが失われはじめているとの危機感が背後にある。格差社会の問題点は格差そのものではなく、敗者を見捨てて顧みないことにあるというのは、一つの見識であろう。いずれにせよ、主要各紙の見出しの中では読売に軍配が上がることになる。

第二は、「平和」への言及である。具体的には、「国民皆が…世界の人々とも相携え,平和を求め,良き未来を築くために力を尽くしていくよう願っています。」との下りだ。過去25回の「年頭所感」中、平和という言葉を使用した回は12回と多いが、今回の言及は平成22年以来4年ぶりであり、しかも、国民に対して平和への取組を求めているのは、平成12年、13年、22年、26年の4回しかない。

ちなみに、平成21年は北朝鮮による核実験と「弾道ミサイル」発射実験があり、東アジアが緊張に包まれた年であった。その翌年の念頭に、北朝鮮にではなく日本国民に対して、平和希求の努力を求めた年頭所感には、それなりの意味が込められている。

今年の年頭所感における平和への言及箇所は、平成22年のそれとほぼ同文だ。すなわち、天皇が国民に対し、平和を求めるよう願ったことには、それなりの意味が込められていると思う。

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2013年11月 1日 (金)

三権分立ではなく三権対立である

最高裁判所大法廷は9月、民法の婚外子相続分の規定は憲法違反であると判断したが、政府与党では、民法改正に抵抗する声が強いらしい。

報道によれば、自民党の保守系有志議員から、「家族制度が壊れる」「正妻の子と愛人の子を同じ扱いにしていいのか」との異論が噴出した、とのことである。

法曹関係者や法律家の間では、保守系有志に対する批判が強い。町村教授は、国会議員の思い上がりだと、厳しく批判している。

私も弁護士の端くれであり、司法に属する人間だから、最高裁の判断に、国会が従ってくれたらよいと思う。だが一方、国会議員の反応が間違っているとは思わない。じゃあどういうことかというと、こういうことである。

日本国憲法上、最高裁判所は、「一切の法律…が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」(81条)であり、かつ、司法権は裁判所が独占しているから(76条)、最高裁大法廷が婚外子差別規定を憲法違反と判断した以上、今後の裁判は全て、該当条文は違憲無効として取り扱われる。

では、国会がこの条文を改廃する法的義務を負うかというと、憲法には、そうは書いていない。憲法41条は、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定めている。唯一の立法機関ということは、法律の制定改廃について、他のいかなる機関の指図にも従わないということだから、最高裁判所が無効と判断したからといって、改廃義務はない。つまり、国会は、最高裁の違憲判決が気に入らなければ、法律の改廃を拒絶し続けても、憲法上は問題がない。一方では、裁判所は、最高裁の判断に従い、当該法律が無効であることを前提とした判決を出し続けることになる。

それでは、国会と裁判所が意地を張り続けたらどうなるか。憲法上は、国会が勝つのである。なぜなら憲法は、国会が内閣を信任し、内閣は最高裁判所裁判官を指名または任命すると定めているからだ(62項、791項)。つまり内閣は、気に入らない最高裁判所裁判官を更迭できないが、誰を任命するかは自由だ。最高裁判事の首を順次すげ替えていって、婚外子差別が妥当と思う裁判官が最高裁判所の過半数を占めれば、大法廷で憲法判断を覆し、差別規定を復活させることができる。

最後は国会が勝つ、というのが、憲法の決めたルールなのである。それが、憲法が国会を「国権の最高機関」と定めた趣旨なのだ。

われわれは中学校で、このような制度の名前は「三権分立」だと教えられた。だが、「分立」では、三権それぞれが「分かれて立って」いて、互いに干渉しないような印象がある。しかし、憲法の定めはそうではない。三権それぞれが、互いに牽制しあい、衝突し合う制度なのである。「三権分立」と教えるより、「三権対立」と教えた方がよいのである。最高裁が決めたら国会は無条件に従う、という大人しい関係ではなく、互いに喧嘩し合う関係こそ、憲法上は健康なのである。特に、議院内閣制のため行政と国会の対立が表に出にくい日本の場合、喧嘩が期待されているのは司法と行政、そして司法と国会の間なのだ。

そして、最後に勝つのは国会であり、国会議員を決めるのは、われわれ国民なのである。これが、憲法の定める三権分立(対立)と民主主義のカタチなのである。

結局のところ婚外子問題はどうなるかって?国会は、最高裁判決が気にくわないなら、とことん反発したらよろしい。最高裁も、どんどん違憲判決を出したらよい。最後には国会が勝つ。ということは、国会議員を選ぶわれわれこそ、国政の最終決定権を持つ、ということなのだ。

 

 

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2013年10月16日 (水)

『やさしいライオン』の失われたページ

やなせたかし氏が亡くなられた。大往生とはいえ、喪失感は大きい。ご冥福をお祈りしたい。

いまの子どもにとって、やなせたかしは当然アンパンマンだが、私にとっては『やさしいライオン』だった。いつも震えている雄ライオンのブルブルは、犬のムクムクに育てられるが、大きくなると、引き離され、サーカスに売られてしまう。だがある雪の夜、ブルブルは母親の子守歌を夢に見て、檻を飛び出し、母犬のもとに駆けつける。だが、たてがみをなびかせて駆け抜けるライオンに街は大騒ぎ。軍隊が出動してブルブルを追う、というお話だ。

小学生にはなっていたと思うが、その衝撃は、後の『デビルマン』や『ミノタウロスの皿』に匹敵し、大人になっても、全ての場面を明確に記憶していた。

父は転勤族で、引越の度に大量の本を捨てていた。だが子どもにとっての名作は、親にとっても捨てがたいのか、子どもがみな絵本を卒業しても、『やさしいライオン』は、我が家に残されていた。だが、きっと本がぼろぼろだったのだろう、いつの間にか捨てられ、記憶だけの存在となっていた。

実は、私がamazonで最初に買った本が『やさしいライオン』だった。ネット上で再会したうれしさの余り、親の分と二人の弟の分をあわせ、計4冊を購入して配った。親兄弟も思い入れがあったらしく、大変喜んでくれた。時代を越えて残る本というのは、そういうものなのだろう。

だが、一点、腑に落ちないことがある。私の記憶にあるページが、購入した本にはないのだ。サーカスを脱出し、母親のムクムクと再会したライオンのブルブルは、兵士に囲まれてしまう。撃たれる直前、ページいっぱいにブルブルの顔が描かれる、そのページが、記憶にあるのに、本にはない。たてがみを逆立て、怒りに燃えるような、悲しみにうちひしがれたような、何とも言えない『やさしいライオン』の顔。このページは、どこに行ったのだろう。初版にはあったのに改訂版から消えたのか、紙芝居にだけあったのか、それとも、子どもの私が作り出した偽の記憶か。私にとっては、謎のままである。

 

 

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2013年9月 9日 (月)

水は死、島は舞台、空は夢

宮崎駿監督の映画は全部見ているが、研究しているという程ではないし、研究した本もほとんど読んでいないから、以下に書くことは私のオリジナルな思いつきだけれども、誰かが既に指摘しているかもしれないことを、あらかじめお断りしておく(もし気づいた方がいたら、ご指摘下さい)。

 

さて、宮崎映画において、水は多くの場合、死のイメージとつながっていると思う。カリオストロ城の墓所へは、水中を通ってしか通行できないし、腐海と酸の海は、死と直結している。ラピュタの池は、死者の住む城の静謐そのものとして描かれ、「となりのトトロ」で死をイメージさせる場面、すなわちサツキが母の死に言及するのは井戸の水を汲んでいるときだし、行方不明になったメイのものと思われる靴は池に浮いていた。「もののけ姫」では、瀕死の牛飼い、アシタカ、モロはいずれも、水に半身を浸した姿で描かれ、千尋が「銭婆」に会いに行くため乗る電車は水面を走り、乗り込んでくる乗客は姿が透けていて、幽霊と見まがうほどだ。「崖の上のポニョ」で、老人ホームで暮らすおばあさんが、大洪水のあと、車椅子なしで走れるほど元気になったのは、彼女らが死んだからだし、堀越二郎と里見奈緖子が再会する場所は、泉のほとりであって、奈緖子が死と隣り合わせの人間であると暗示している。

もちろん、水は死だからといって、マイナスのイメージばかりではない。水は死と再生の象徴でもある。腐海は文字通り世界を再生させる「死の森」として描かれているし、アシタカとサンは、大量の水(シシ神の体液)に呑み込まれて、生き返る。その水と、人間世界である陸とが接するところ、それが島だ。

宮崎映画で島は、生と死の交錯する場所、すなわち映画の舞台として、繰り返し登場する。カリオストロ城、ラピュタ、ポルコ・ロッソのアジトとホテル・アドリアーノ、たたら場と、シシ神の降り立つ場所、湯屋そして宗介の家は、島だ。

サツキとメイの家も、外界とは川(水)によって隔てられていて、島のようになっている。サツキとメイは、実は死んでいるという都市伝説があるけれど、考えた人は、感性が鋭い。

宮崎監督にとって、空が夢の象徴であることに、多言は要しないだろう。ただ、「紅の豚」と「風立ちぬ」では、空高くにある飛行機の墓場が出てくる。成層圏に引かれた一筋の雲が、実は無数の飛行機と死んだパイロットなのだ。つまり、空の果てに死の世界がある。

穿った見方をすれば、空は夢であり、夢の彼方には死(水)があって、さらにその彼方には生(島)がある。奇しくもルパンは、時計塔(島)のてっぺんから空を飛び、湖に落ちて、古代ローマの遺跡とともに再生する。これが、宮崎映画の世界観なのかもしれない。

え?「魔女の宅急便」と「ハウルの動く城」はどうなんだって?うーむ。

 

 

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